Happy Rich - 我、今、ここに、生きる -

Happy Rich - 我、今、ここに、生きる -

PR

×

Profile

リンロン88

リンロン88

2010.04.18
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類

昨日の読書と、今日の教会での聖書勉強会および礼拝の覚書き。

なにか残しておかないと、何を聞き何を学んだか、考えたか、一日も経つと忘れてしまうので^^:

1)道はいくつもある

目標にたどり着く道はいくつもある、と基本的には思っている。もちろんその中には、早い道、楽な道、苦労する道などなどいろいろな道があるだろうけれども、総合的に方向さえ間違わなければいつかは目標にたどり着く。

私が既存の宗教に対して持つ否定的な感覚のひとつの源がここにある。全ての宗教とは言わないまでも、ほとんどの宗教は、「でなければならない」調。私(イエス)を通して「しか」天国にたどり着けない、というキリスト教にしてもしかり。私個人としては、イエスは「私を通して天国へいける」とは言ったが、私を通して「のみ」とは言わなかったはずだ。

「・・・しなければ・・・できない」「・・・を通してのみ、・・・できる」「・・・しないと、・・・・になってしまう」。。といった言葉が出てくるたびに、どんな宗教の本でも、人の話でもしらけてしまう。

2)山上の垂訓

有名なイエスの山上の垂訓であるが、よく読むとよくわからない。
心の貧しいものは幸いである。英語でもPoor in spilitとある。これが全部で8つ、・・・なものは幸いである。なんとなれば、・・・であるから、と続く。

教会学校では、このところを「心が貧しい」→ 「心が飢え、乾いている」→ 「何かを求めている」という形で、肯定的に捕らえている見方を以って、この「幸いである」に結び付けている。そうだろうか?これは一般的に「心が貧しい」という意味とは両立しないように思える。

3)イエスの奇跡

イエスは数々の奇跡を行い、次第に信者を増やしていった経緯が聖書には随所で語られる。すべて、イエスの愛と、神の子としての全能性を訴えるものだが、その記念すべき(?)最初の奇跡というのは、母マリアが手伝っていた婚姻の席でのワインの話である。

婚姻の祝いの席で、客に提供するワインが底をついてしまった。そこでイエスが何かをするので、マリアは使用人に対して、この人(イエス)のいうことはどんなことでも聞いてやってほしいと頼む。イエスは使用人に真水をカメいっぱいに満たすように頼む。するとその水はいつの間にか上等のぶどう酒になって、客に十分ふるまえうことができた、という奇跡である。

これをもって、イエスが「祝いの席が、途中で、酒がなくなったために台無しになることをその奇跡で救った」ということになり、イエスを褒め称える。

しかし、これもなんらかの比喩だろう。もし比喩でなく、これが事実としての「イエスの初めての奇跡」だとしたら、なんともさびしいではないか。

それだけ記念すべき「奇跡」をもたらすのだったら、もっと他にいくらでも対象はあるはず。

もちろん、イエスの奇跡は、その後、病人を治す、傷を一瞬のうちに完治させる、歩けなかった人を歩かせる、はては死んでいた人間まで生き返らせる、といった、いわゆる奇跡というか、今でいうと「心霊治療」とも言える出来事がいろいろ出てくる。

しかし、この現在においても「心霊治療」をする人は数多く、それだけが(いや、それが、か)「聖なる」しるしでもなんでもないことは常識である。

また、一般に超能力とか霊能力と言われる物と、人格の高さはなんの関係もない。

ここを勘違いして、多少でもその類の能力(チャネリング、ヒーリング、予知、遠視のたぐい)があると、舞い上がってしまい、ただの人間を生き神様にしてしまったりと、とんでもない誤解を生む。



音楽ができたり、数学が得意だったり、人より多少耳がよかったり、味覚がするどかったりしたら、その人を神様扱いするだろうか?(笑)






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2010.04.19 05:19:08
コメント(12) | コメントを書く


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約 に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、 こちら をご確認ください。


Re:道はいくつもある(04/18)  
道はいくつもあって,平坦な道もありますが,
人間にとっては,上り坂か下り坂です。

なお下り坂は,下りやすく
上り坂は,喜びながら登らなくては,ホネが折れます。

私は,これまでいろいろなクリスチャンに出会いました。
そして,何か違和感を感じました。
そして,最近それが何であるかハッキリしました。

私が出会った人たちは,キリスト教の信者ではなく
パウロ教の信者だったのです。

彼らが,クリスチャンというので,そう理解していましたが,「使徒行伝」意向を読んで,彼らの信仰していたのは
パウロの教えだったのか,気がつき彼らの言動を納得することができました。

 キリストの教え(目指していること)は,
 その考えが,神から出た考えか
       人から出た(人の世の)考えか

 いいかえれば,有限の中の考えか,無限の中の考えか
 と言っているともいます。 

 神の考えにたてば,

2)山上の垂訓 
3)イエスの奇跡

 それでいい間違いはない。と理解できます。 

 その説明は,長くなりますから ここまでです。 

(2010.04.19 08:13:36)

Re[1]:道はいくつもある(04/18)  
リンロン88  さん
なみがしらMさん
私もこのテーマで返事を書くと長くなるので、また日を改めて書きますが。。

基本的に、仰るとおり今のキリスト教はパウロ教だとの認識は私も同じです。
それぞれの福音書は比較的抵抗なく読めても、ローマ書はそのために非常に抵抗があります。

で、現在のクリスチャンの拠って立つところは、キリストの教えそのものではなく、「キリストが人間の罪を背負って、人間のために死んでくれた。そして、神が神の栄光をその『一人子』にあらわすためによみがえられた」
という点にあり、これはキリストの教えではなく、パウロ以降のキリストの神格化の一端だと思って居ます。

キリスト自身は、キリスト教というものを創始したわけではなく、「律法を否定したり廃したりするためではなく、それを成就するために来た」と言っているように、あくまでもユダヤ教の中で、その革新的な考えを説いたのだと思います。

神の立場で考えれば、キリストの言う事はほとんど理解できるし、この山上の垂訓も同様ですが、ここで書いている点に付いては、キリストが言った(と思われる)真の言葉を厳密には伝え切れて居ない、と感じて居ます。「貧しい人は幸いである」であればわかりますし、「心が愛に飢えている人は幸いである」でもわかりますが、「心が貧しい人」は同考えても、(神の立場で考えても)幸いなのだろうか、とおもってしまいます。
これも初めの「回り道」とか「上り道」での話しでしたら、なんとかそうも言えそうではありますが。
(2010.04.19 10:02:40)

Re[2]:道はいくつもある(04/18)  
リンロン88さん

キリストは, すべては「よろこび」という絶対の世界で
       話していると思います。

 つまり,「よろこび」しかないのです。


>「貧しい人は幸いである」であればわかりますし、「心が愛に飢えている人は幸いである」でもわかりますが、「心が貧しい人」は同考えても、(神の立場で考えても)幸いなのだろうか、とおもってしまいます。
>これも初めの「回り道」とか「上り道」での話しでしたら、なんとかそうも言えそうではありますが。

 ですから,どんな形であれ(よろこべていないあなたは)
      よろこぶことができる。

 だから,幸いであると言っているのではないでしょうか?

   (2010.04.19 11:11:48)

Re[3]:道はいくつもある(04/18)  
リンロン88  さん
なみがしらMさん
>リンロン88さん

> キリストは, すべては「よろこび」という絶対の世界で
>       話していると思います。

> つまり,「よろこび」しかないのです。


>>「貧しい人は幸いである」であればわかりますし、「心が愛に飢えている人は幸いである」でもわかりますが、「心が貧しい人」は同考えても、(神の立場で考えても)幸いなのだろうか、とおもってしまいます。
>>これも初めの「回り道」とか「上り道」での話しでしたら、なんとかそうも言えそうではありますが。

> ですから,どんな形であれ(よろこべていないあなたは)
>      よろこぶことができる。

> だから,幸いであると言っているのではないでしょうか?

>  
-----
なるほど・・・
貧しければ、あとはよくなるだけ、全てを失くせばあとはもう失うものがない、というのと同じですかね。
心が貧しい場合でも、そう言えるか、はまだ若干ひっかかりますが、下りがあれば必ず上りもある、ということでしょうね。

ただ、あとの7つの「・・なるものは幸いである」の「・・なるもの」というのは、神の視点から見て「褒められる」内容かもしれませんが、この「心が貧しい」というのだけは、これらの中で異質なのは確かです。

心が貧しい人は幸いである。天の国はその人たちのものである・・・。う~ん、もう少し考えましょう。
(2010.04.20 06:24:22)

Re:道はいくつもある(04/18)   
エイジ さん
またまたコメント失礼いたいます。そのままだと感じました。霊能者=人格者にあらず。私もいろいろな宗教者~霊能者と会いましたが、能力~教団に洗脳されている人ほど、傲慢で我一番の波動バリバリ出ていますね(笑)洗脳です。宗教~を超える。ですね。洗脳と言えば世の中洗脳だらけですね。この世の一番の洗脳は肉体の中に意識があると言う洗脳です。肉体が意識の中に有るのに・・・まあそれが今世の法律~規律~規則の基本に成っていますから。あまり突っ込むとバランス崩しますし、中道が良いですね。ありがとう~感謝いたします。 (2010.04.20 08:38:33)

Re[4]:道はいくつもある(04/18)  
リンロン88さん

>心が貧しい人は幸いである。天の国はその人たちのものである・・・。う~ん、もう少し考えましょう。
-----

 心が貧しくても 「そのままで幸せになれる」と
 いう意味と思います。

(2010.04.20 08:46:16)

Re[5]:道はいくつもある(04/18)  
リンロン88  さん
なみがしらMさん
>リンロン88さん

>>心が貧しい人は幸いである。天の国はその人たちのものである・・・。う~ん、もう少し考えましょう。
>-----

> 心が貧しくても 「そのままで幸せになれる」と
> いう意味と思います。
-----
う~ん、どうどうめぐりですね。(いつものことですが・・笑)

ここで言う「幸せ」というのは何でしょう?

その人が「自分はなんて不幸なんだ!」と思っていても、神の目から見たら幸せだ、ということもあり得ます。
ただ、ここでイエスが言っているのは、そういった人たちに言っているので、「なんでそれで幸せなんだ?」という人々の疑問に答えられなければならないわけです。
で、この「心が貧しい人」に関する疑問に答えられるのか・・・私は答えられません。

心が貧しくても、そのままで幸せなんだよ、と、例え神が言ったとしても、どうやって納得できるでしょう。

納得できる、できるできないは関係ない、とは言えません。
なんとなれあ、幸せはあくまで主観であるからです。
人が(たとえそれが「神」でも)なんと言おうと、本人が幸せと感じなければ幸せではありません。それが「幸せ」の定義だと思います。

(2010.04.20 10:01:41)

Re[1]:道はいくつもある(04/18)  
リンロン88  さん
エイジさん
私は、そういった霊能者、あるいは能力者という人にいまだに会った事がありません。でも容易に想像がつきます。

一つには、ほかの能力は単なる大小の問題で、ほかの人にも納得がいくような形でその優劣を検証できるのに、この「能力」だけは、そういった客観的なものさしがいまだに確立されていないことに起因すると思います。

それでもいつかは、それに対してもはっきりと認識できる時代が来ると思いますが、それまでは、こういった人の思い上がり、あるいは思い違いをしっかりと認識する以外道はありません。そのためには、やはり言っている内容そのものを吟味する以外ありません。
まずは、そのままの形で鵜呑みしないことでしょうか。



>またまたコメント失礼いたいます。そのままだと感じました。霊能者=人格者にあらず。私もいろいろな宗教者~霊能者と会いましたが、能力~教団に洗脳されている人ほど、傲慢で我一番の波動バリバリ出ていますね(笑)洗脳です。宗教~を超える。ですね。洗脳と言えば世の中洗脳だらけですね。この世の一番の洗脳は肉体の中に意識があると言う洗脳です。肉体が意識の中に有るのに・・・まあそれが今世の法律~規律~規則の基本に成っていますから。あまり突っ込むとバランス崩しますし、中道が良いですね。ありがとう~感謝いたします。
-----
(2010.04.20 10:07:08)

Re[6]:道はいくつもある(04/18)  
リンロン88さん

>心が貧しくても、そのままで幸せなんだよ、と、
>例え神が言ったとしても、どうやって納得できるでしょう。

>納得できる、できるできないは関係ない、とは言えません。
>なんとなれあ、幸せはあくまで主観であるからです。
>人が(たとえそれが「神」でも)なんと言おうと、本人が幸せと感じなければ幸せではありません。それが「幸せ」の定義だと思います。
-----

 その通りとおもいます。

 本人の主観です。

 近所の牧師さんは,いつもこう言うのです。
 (困っている人・悲しんでいる人に)

 「泣いていても いいのです。」と言います。
 キリストが救ってくれるというのでしょうが?

 それで,本人が救ってくれたと自覚できるでしょうか?



(2010.04.20 10:26:21)

Re[7]:道はいくつもある(04/18)  
リンロン88  さん
なみがしらMさん

その通りですね、そこで現れるのが「信じなさい、そうすれば救われます」という言葉です。

宗教、あるいは「信じること」が先にくるものは、それはそれで、「信じる」ことができた人は救われます。

でもそう言われたからって、はいそうですか、と信じられないのが人間であり、また私自身は、そういう形では信じることはあり得ません。

だからこうやって、楽天などでブツブツ言っているのですが・・・(笑)



>リンロン88さん

>>心が貧しくても、そのままで幸せなんだよ、と、
>>例え神が言ったとしても、どうやって納得できるでしょう。

>>納得できる、できるできないは関係ない、とは言えません。
>>なんとなれあ、幸せはあくまで主観であるからです。
>>人が(たとえそれが「神」でも)なんと言おうと、本人が幸せと感じなければ幸せではありません。それが「幸せ」の定義だと思います。
>-----

> その通りとおもいます。

> 本人の主観です。

> 近所の牧師さんは,いつもこう言うのです。
> (困っている人・悲しんでいる人に)

> 「泣いていても いいのです。」と言います。
> キリストが救ってくれるというのでしょうが?

> それで,本人が救ってくれたと自覚できるでしょうか?

> 
> 
-----
(2010.04.20 11:41:57)

Re[8]:道はいくつもある(04/18)  
リンロン88さん

長くなりましたが,

 それで,私はキリストが言っていることと
      牧師さんが言うことは違っていると思うのです。



>その通りですね、そこで現れるのが「信じなさい、そうすれば救われます」という言葉です。

>宗教、あるいは「信じること」が先にくるものは、それはそれで、「信じる」ことができた人は救われます。

>でもそう言われたからって、はいそうですか、と信じられないのが人間であり、また私自身は、そういう形では信じることはあり得ません。

>だからこうやって、楽天などでブツブツ言っているのですが・・・(笑)


(2010.04.20 21:53:31)

Re[9]:道はいくつもある(04/18)  
リンロン88  さん
なみがしらMさん

そうですね。もっと言えば、クリスチャンの方は聖書に書かれているのは全て真実だ、との認識に立っています。
でもイエスが言った事がそのまま忠実に聖書に書かれているわけではないことは明白です。

また、それよりも「書かれていない」部分というか、削除された部分の方が問題になることもあります。


>リンロン88さん

> 長くなりましたが,

> それで,私はキリストが言っていることと
>      牧師さんが言うことは違っていると思うのです。

(2010.04.20 22:56:01)

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

Keyword Search

▼キーワード検索

Favorite Blog

仮想仕事の定理の覚… ミカオ建築館さん

Diary hy312619さん
ノンたろくんの明日… ノンたろくんさん
☆幸せ風船のちょっと… バルーンsuzukiさん
ちょっと本を作って… 秦野の隠居さん

Comments

ミネルヴァ@ Re:アメリカに長く居すぎた、と思うとき(01/15) 明後日アメリカに向かいます。 参考になり…
リンロン88 @ Re[1]:「いただきます」と「ごちそうさま」(03/29) プチプチ大家さん >リンロンさん、もう楽…
プチプチ大家@ Re:「いただきます」と「ごちそうさま」(03/29) リンロンさん、もう楽天ブログは止められ…
リンロン88 @ Re[3]:存在そのものの「罪」(03/19) なみがしらMさん > 私が,言っているの…
なみがしらM @ Re[2]:存在そのものの「罪」(03/19) リンロン88さん >なみがしらMさん >…

Archives

・2026.08
・2026.07
・2026.06
・2026.05
・2026.04

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: