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買い物事件。おふくろも、自転車にはよく乗っていましたが親父の件もあり、「手押し車」を購入。近くの買い物やお出かけには利用してもらい重宝しています。少し認知症のあるおふくろですがある日の夜、思い出したように「今日、おかしな事があり、財布を取られた」「警備員室に行ったら財布があった」との事。確かに手提げかばんはあるし中の財布もあり問題はないのですが----。聞いてみると話の内容は『スーパーに買い物に行き 手押し車のハンドルに 手提げかばんを掛けて 店内をまわっていた。 牛乳を取ろうと手を伸ばし かごに入れようと振り返ると 手提げかばんがなくなっていた。 すぐそばの警備員さんに 「かばんを取られた」と報告。 警察を呼んでほしいと言った---とか。 一緒に警備員事務所に行くと 不思議なことに 机の上に手提げかばんがあった。』との事。スーパーにかなりの迷惑を掛けたようなので翌日、確認と謝罪にスーパー出向くと「お母さんの勘違いで手押し車の中に入っていました。」そうで警備員の話がでたのでてっきり『お金を払わず帰ろうとした』と思い込んで、確認をするとそうではなかったので一安心。平謝りで、退散しました。 ・しいま・
2011.11.30
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親父の怪我もだんだんと良くなり傷口もよくなってきたのですが心配してたことが起きました。高齢になって寝込むと足腰が弱くなる---。怪我の原因は、自転車に乗り買い物に出掛け転んで骨折。という、ほんとに典型的なパターンでした。今回の骨折には、前振り事件がありやはり自転車で転び二度ほど怪我をしていたのです。自転車に乗ることをやめるよう説得し用事があれば、私が車で動くようにすると話をしていました。「自転車も処分する」と言って置いたのに「乗らないので、処分まではしないでくれ」との言葉に仕方なくそのままにして置いた私も悪く悔いが残ります。リハビリはしているもののどうやら車椅子生活になりそうです。 ・しいま・
2011.11.28
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お風呂の件、親父と相談し全自動の湯沸かし機に取り替えることにした。ボタンひとつでお湯張り追い炊きが出来る優れものだが、おふくろが使い切るかが問題である。数十万円掛けて工事をしたものの案の定、使い切ることはできなかった。しかし、あふれることもなく沸かしすぎることもなく安全にはなりました。でも、『張り紙』は取り外すことはなくときどき、大きな声で言い合いをします。使い方の説明を何度も何度も教え実際にボタンを触って練習を重ねるのですが数日すると以前のように蛇口から水を出し湯船に給水をしていました。張り紙の効果は見られません。 ・しいま・
2011.11.24
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日常生活のこと。お風呂の水張り・湯沸し。夕食が終わると、お風呂の準備です。20分ほどで湯船に水が入るのですが止めるのを忘れてあふれていることもしばしば。湯沸しも、ガス風呂なのですが沸かしすぎて、煮えていることもあり「何とかせねば」と『張り紙作戦』です。風呂場の入口のドアと浴室のドアに「お風呂の水入れ・湯沸しは、僕が帰ってからしましょう」と。しっかりマジックで書き、貼り付けました。しかも赤と黒色二色も使って。ところが、効果なし。おふくろを連れて、一緒に読み聞かせた時は「わかった」と返事はするが数日すると、又おなじ事をする。病気なのだからと解ってはいるがつい大きな声が出る。言ったあとは、「言うのではなかった」と反省するが、涙が出そうである。 ・しいま・
2011.11.22
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洗濯のこと。親父と一緒に生活していた時に、洗濯物は二階のベランダに干していました。おふくろは腰が痛いのに階段を上がり下りします。落ちては困るので洗濯機を全自動の乾燥機付に買い換えていました。従来の別付けタイプは、使いにくかったみたいでほとんど乾燥機を使用していなかったようです。おふくろは、乾燥機での乾燥よりも日当干しでないと気に入らないらしく「危ないので二階に干さないよう」にお願いしてもぜんぜん聞いてもらえません。仕方なくベランダの物干し竿を片付けて一階の縁側に『簡易物干しセット』を購入。「これで安心できる」と思ったのですがなんと、片付けていた二階の物干し台を自分で組み立て竿を裏から持って来て、今まで通りセットしていました。なんというバイタリティなおふくろなのでしょう。さすがの私も、もう言葉がありません。好きな様にさせることにしました。おふくろと一緒に生活していた時私の着ている物も洗濯してもらっていましたがなぜか、すべてに柔軟材を使用しタオルは水気を吸わないし着るものはタラタラだし「参った参った」です。さすがに『ジーパン』だけは休みの日に女房にお願いしました。 ・しいま・
2011.11.16
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掃除の日。以前から掃除の日は決めていたらしい。その曜日には必ず掃除機を掛けるらしく習慣とは恐ろしく、必ず実行していました。ところが、最近今日が何日で何曜日なのかが解らなくなってきているので掃除をする日がわからない--。今度は、カレンダーの製作です。予定を書き込み、終わった日は「×」をつける。この仕事が私の日課になりました。「病院にいく日」。「掃除をする日」。「薬をもらう日」。すべての予定を書き込みました。ある日、ちょっとした事件です。朝から掃除機で掃除をしてそのあとお茶をしたらしく、くつろいでいたのですが「掃除をしたかなぁ」と言い出したのです。「さて、どうでしょう。思い出して。」と確認をさせたのですが「解らん。」との返事。この頃から、「アリセプト」を飲ますようになったのです。認知症を治すことは出来ないが進む速度を遅らせることは出来るのではじめました。 ・しいま・
2011.11.15
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飲み薬のこと。 ふくろも、周に一度の病院通いをしていましたがこれがまた不定期。薬も飲まなければならないのに食後に飲んだかどうか良く解らないみたいでお薬カレンダーを利用していました。1ヶ月分のポケットがありその日に飲む薬を入れておくのですが親父が管理していておふくろにその都度飲ませていたらしいです。とろが私と一緒に暮らして解ったのですが私の居ない時に二日分の薬を一度に飲んでしまい帰ってみるとポケットにあるべき薬がなくなっていました。その日から、お薬カレンダーは使用中止です。「あさ」「ひる」「よる」 と三つに仕切った箱を作り夕食後に翌日分を入れる という方法に変更しました。それでも飲み忘れは防げません。がんばらなくては------。 ・しいま・
2011.11.11
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おふくろと一緒に生活していろんな状況が見えて来ました。食事のこと。今回の父親が入院する以前から夏の暑い時期は食材の買い物を手伝ってはいたのですが頼まれるのは、いつも同じ物ばかり。年寄りなので「そんなものなのかなー」と思っていましたが食事のおかずにびっくり。まず、品数の少なさ。そして出来合い品の多さ。ご飯は年寄り向きにとてもやわらか。私は、朝食は食べず、コーヒーのみ。お昼は会社で給食弁当。お袋と一緒の食事は夕食のみなのですが、今までが、お酒をのみ、カロリーの高い食材を食べおなかいっぱいになっていたのですから最初はどうしようかと思いました。慣れるしかなく、我慢、我慢です。お酒もやめ、食事も少なめ。食後の間食もなし。おかげさまで、64キロあった体重がどんどん減って、最終的には57キロまで落ちることになります。今まであまり気にしていなくてごめん。女房の料理のおいしさに感謝します。「当分は仕方ないか--」と思っていましたが結局、おふくろとの生活は5ヶ月間続くことになるのです。 ・しいま・
2011.11.09
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親父が入院してから私の奥さんは大変です。毎日のように病院に出向き状態の確認と必要なものの買い物。そして、洗濯物の回収、洗い、届け とそれは、大変な仕事だと思います。本当に感謝、感謝です。私が仕事をしているので女房にお願いするしかないのですがおふくろはマイペースで親父の状況は把握できず、ただ顔を見に病院に行くだけでした。そして、私はその日から母親と一緒に生活をはじめました。週末のみ「我が家」に帰りその他は「実家」での 『単身赴任生活』が始まったのです。 ・しいま・
2011.11.07
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あわてて病院に駆けつけると親父は大腿骨の骨折で「痛い、痛い」と----。おふくろに「なぜ携帯に連絡しなかったの」とたずねると「あぁ、そうじゃったなぁ」との返事。ここで初めておふくろの変化にも気づきました。親父は元気で、家のことをすべて仕切っていて近所付き合いもすべてやっていましたので気が付かなかったのですが、「ひょっとして認知症の始まりか--。」と。それはさて置き、救急車で運ばれて(しかも休日に)入院していたので近場の訪問しやすい病院に転院することにしてその手続きで2日ほどバタバタと。その間、手術も出来ず親父にはかわいそうでした。転院したその日の午後から緊急手術です。5センチくらいあるビスを2本も打ち込んで固定しました。たまたま個室が空いていたので助かりました。病院の看護士さんもやさしく「大丈夫ですか~」と入れ替わり立ち代り状況を見に来てくれます。親父の機嫌もだんだんよくなっていました。 ・しいま・
2011.11.04
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一年以上、ブログの更新を行っていなかったのですが最近やっと生活のリズムがもどりぼちぼちと書き込みを再開しようかなぁ--と。「休日介護」って言葉はあるのかな。いま週末の「休日介護」やってます。今まで親父もおふくろも元気で二人仲良く暮らしていたと思っていました。今回の介護をするまでは---。11月3日 今日は記念日です。親父の怪我で入院した記念日です。ちょうど1年が過ぎました。そう、ちょうど一年前の11月3日のこと。家族で下関に「ふぐ」を食べようと朝早くから出掛け魚市場で朝食、そして海響館へと向かい休日を満喫していました。おみやげも買い込んで、夕方自宅へ帰ると病院からの留守番電話が入っていたのです。休日介護はここから始まりました。 ・しいま・
2011.11.03
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