amanuno 生活 

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ちびころが2歳になり大分育児にも慣れてきたころ
そろそろ二人目が欲しいと夫婦で話していました。

そう思った2周期目、いとも簡単に・・と言えばすごく表現の悪い
言葉ですが、正直「子どもって望めばすぐにできるんだ」と
この時はお気楽に考えていました。
その後にやってくる悲しみなど、分かりもせずに・・・
 *こんな書き出しで不快にさせてしまった方、本当にすみません。 

病院で妊娠を確認する間に、診察室から目を真っ赤に腫らした女性が
出てきました。待合室でうなだれるようにその女性は旦那様と思われる
男性に寄りかかっていました。
なぜかこの時の光景がすごく頭に残っていて、胸がキューっと締め付けられる思いで
自分の名前が呼ばれるのを待っていました。

そしていよいよ内診台へ。
何年ぶりかの内診台はやはりいいものではありません。
そこで先生が「これが多分胎のうでしょう」と示してくださいました。
その時の安堵と喜びと言ったら!!
でも病院なので必死にポーカーフェイスを装っていると
「でも出血していますね、この時期での出血はよくない」と・・・

えっ!!出血??自分では気付かなかったのに!!
でもまぁ、ちびころの時も生理のような出血が続きながらも
こうして無事に生まれてきてくれて元気に育ってる。
そんなに心配しなくてもいいだろうと自分のなかでプラスに考えてみる。

しかし胎のうが確認されてわずか2日後、先生がおっしゃっていたように
目に見えてわかる出血が始まりました。
それでも「大丈夫大丈夫」と自分に言い聞かせていましたが
出血は増えていくばかり。

さすがに怖くなってすぐに先生に診てもらいました。
「前回から4日経つにしては胎のうの大きさがわずかしか変わっていませんね」と。
「もしかしたら成長が遅れているのかも知れません。もう少し薬で様子をみましょう」
そう言って薬の量を増やしてなるべく安静にするために
私とちびころは実家でしばらく過ごすことにしました。

それでも出血量は治まるどころか、日に日に赤く多くなっていきました。
実家ではずっとメソメソと落ち込み泣くばかり。

そしてまた先生に診てもらいました。
今度は止血するための点滴を打ってもらいました。
しかし先生からは
「この時期の出血ははっきり言って治療法がない。
 赤ちゃんが強いか弱いかでその後が決まるんです。だからあなたのせいではない。
 正直に言うと胎のうがほとんど成長していません。
 しかも既に流れかかっています。今の時期なら自然に全て外に出ていくでしょう。
 赤ちゃんにとってもお母さんにとっても自然に出ていくほうがいいんです。
 その為に今日から子宮の収縮を促す薬に切り替えましょう」と。

もう私の頭のなかはパニックで顔面蒼白になって倒れるところでした。
つい今朝まで必死で止血剤と張り止めの薬を服用していたのに
全く逆の治療をするのか!!
でも少し横になって気分が落ち着いてきたとき、双方のことを考えたら
やっぱり先生の言うことは正しいのだと思えてきました。

その日からずっと安静にしていて弱った体に鞭を打ち、なるべく体を動かすようにしました。
もうトイレにいっても出血量が半端ではないので、どれが胎のうなのか
分からず、トイレに行くたびに「さよなら」と声をかけていました。

そしてとうとう私のお腹のなかから赤ちゃんがいなくなりました。
エコーに何も影がなく先生も「きれいに出ていったよ」と。

こみ上げてくる涙を我慢できずに診察室を後にしました。
いつか私が見たあの光景と同じように・・・
私の場合は夫がそばにいなかったのだけど。
その分実両親にいっぱい悲しみをぶつけてしまいました。

ごめんね、赤ちゃん。
この手で抱っこしてあげられなくて本当にごめんね。

妊娠したら当たり前のように出産できると思っていた私。
でも実際は何回もの障害を乗り越え、奇跡が重なって生まれてくるんだなと
実感するとともに猛烈に反省しました。
今までの軽はずみな発言や命の重み、生まれてくる奇跡・・・
何にも分かっていなかった。何てバカなんだろう。
「望めばすぐにできる」こんな言葉よく言えたなと・・・

かけがえのない宝物を失った今、私は思います。
この経験も私には絶対に必要だったんではないかと。
バカな私に赤ちゃんがメッセージをくれたのではないかと。
そして神様が私に試練を与えてくれたのではないかと。

そう心に刻んでこれから生活していこう。
そしてまた赤ちゃんが戻ってきてくれる日を信じて・・・


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