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“Happy Birthday”by Altered Images 1981(熊)「穴ジョーのダンナ!」 (穴)「おっと、誰かと思ったら、熊さんじゃあねえかい。またまたスティック・フロム・ザ・ブッシュ(注1)に、一体どうしたってんだい」(熊)「どうしたもこうしたもタイトルの“Happy Birthday”ですよ。昨日はデュアン・オールマンの命日なんで、いまお線香あげてきたとこなんで...。ちょっと命日にはふさわしくないタイトルですねえ」(穴)「おお、そうかいそうかい、そいつぁ失敬したね。そうかい。デュアン・オールマンのね。じゃあ、タイトルは『ご冥福をお祈りいたします』に直しとこうかね」(熊)「何もそこまでしなくても...」(穴)「じゃあ『祝、ご命日』とか」(熊)「冗談はよしとくれヨンしんちゃん」(穴)「ふざけるのもいい加減にせいようかぼちゃ(注2)。ハロウィーンに因んで」(熊)「それはそうと、誰の誕生日なんですか」(穴)「そりゃ、この穴ジョーめの誕生日に決まってるでショウガ、にんにく、ジンジャー、ガーリック」(熊)「何が神社仏閣ですって」(穴)「何とも冗談の通じないやつだね」(熊)「冗談にも保土ヶ谷、戸塚、北鎌倉」(穴)「大船はどうした」(熊)「a.u.(注3)....docomo...じゃなかった。ツーカー(注4)」(穴)「......じゃあ、横須賀線で一番『重い』駅は?」(熊)「ウ~ン、.........降参」(穴)「逗子。...ズシッ...ってね」(熊)「...ああ、疲れた。...ところで穴ジョーさん、誕生日は11月3日ってプロフィールに書いてありまっせ」(穴)「まあ堅いこと言わずに、カパティー(注5)でもしておくれ。とりあえず前祝いということで、よろしく頼むよ。オルタード・イメージでも聴くかい」(熊)「あの子供みたいな声出す女がボーカルでしたよね」(穴)「クレアね。声だけじゃなくて、体格も子供みたいだった。今はどうしてるんだろうね。とんと噂を聞かなくなったねえ」(熊)「誕生日っていえば、以前もここで話題になりましたよね」(穴)「そうだったかねえ。...、誕生日の曲っていうと、みなさんはどんな曲を思い浮かべるかね」(熊)「お、いつものお馴染み、アンケート調査ですね」(穴)「やはりビートルズとか、スティービー・ワンダーあたりが有力かね」(熊)「これは多いでしょうね。日本にも色々あるし...」(穴)「じゃあ、古今東西どんな曲でも良いから、皆さんにお尋ねしよう」(熊)「例によって『感想を書く』をクリックして書き込んでもらいやしょう」(穴)「ところで、デュアン・オールマンだけどね」(熊)「おっと、いきなりはじめに戻ったね」(穴)「昔、そのデュアン・オールマンの『アンソロジー』というアルバムで、ボズ・スキャグスが、ブルースの "Loan Me a Dime" 歌ったのがあってね。あたしゃ、ボズはその時初めて知ったんだけど、これがいいんだよ」(熊)「涙なくしては聴けない、...っていうやつですね」(穴)「そのとおり!ぜひ命日に因んで聴いておくれ。今うちにはないけど」(熊)「なけりゃ聴けないじゃないですか。そのレコード持ってたんですか」(穴)「いや、なに、当時ロック喫茶でよく聴いたんだよ」(熊)「おっと、出ましたね。穴ジョーさん得意の死語攻撃!ロック喫茶!」(穴)「ホット・コーラ(注6)!」(熊)「え?何ですかそれ。...熱いコーラですか」(穴)「卓球。じゃなかった、ピンポン!コーラを鍋で温める。ガラスのティーカップ、もしくは太めの短いグラスに注ぎ、レモンスライスを浮かべて、一丁上がり。...わりと短命だった」(熊)「当たり前ですよ。そんな気の抜けた熱いコーラなんて、誰が飲むもんですか」(穴)「いいの!そういう時代だったの!」(熊)「まあ、ホットコーラは死語というよりも、死物ですかね。ところで、レイラで泣きのスライド・ギターを弾いているのはデュアン・オールマンだと言ってましたよね。僕にはあれが一番印象的です」(穴)「うん、たしかに。でもオールマンブラザース・バンドの初期もいいよ」(熊)「わかりやした。今度聴いてみます」(穴)「ということで、オートバイ事故で若くして亡くなったデュアン・オールマンのご冥福をお祈りいたします。...って、...おいおい、誕生日の前祝いは一体どうなったんだい!」 (注1) stick from the bush=藪から棒 (注2) 西洋カボチャ...因みに西洋つるなしカボチャはズッキーニ (注3) 携帯電話のエーユー (注4) 通過 (注5) Have a cup of tea. のこと (注6) たぶん地域限定・期間限定の飲み物。どなたかご存じ? ********************** <お詫びと訂正> この日記中で、はじめ、今日がデュアン・オールマン氏の命日であると、熊の奴が申しておりましたが、正しくは10月30日、すなわち昨日でした。 実はこの日記は昨日下書きをし、訂正をしないまま今日加筆してアップしてしまいました。したがって、上記のような不手際が生じましたことを、お詫び申し上げます。 実弟であられるグレッグ・オールマン氏はじめ、関係者各位には誠に申し訳ないことをいたしました。この際、懸案だったオールマンブラザーズの CD 購入を、再度検討させていただきますので、どうぞお許しを。
2003.10.31
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“500Miles (500マイルも離れて)”by Kingston Trio 1962 1マイルを1.6093キロメートルとして、500マイルがどのくらいの距離か計算してみました。804.65キロメートルです。 実は、500マイルという距離が実際にどのくらいなのかと考えたことがありませんでした。とにかく遠いんだ、長距離なんだ、ということだけは頭の中にあったのですが、800キロ程度だと知って、だいぶ具体的にイメージがわいてきました。 初めてキングストントリオの『500マイルもはなれて』を聴いてから、かれこれ40年もたつのに、どうして中学生のうちに解決しておかなかったんだろう。などと今更のように言っても仕方ないです。 ちょうどその頃、中学の国語の教科書にフルトンという主人公が1マイルを走るという短編小説が載っていて、......いや、待てよ。フルトンじゃなかったかもしれない。でもフルトンにしておきますね。 とにかくその主人公フルトンは1マイルを走るんですが、その間、頭の中をいろんなことが駆けめぐるわけです。たしか腹痛に襲われたりしながら、やっとの思いで、(1位だったかどうかは忘れましたが)1マイルを完走する話だったから、その500倍の500マイルは相当な距離に違いないと漠然と思って、そのまま 40年たって今日になってしまったということなのです。 英国米国ではいまだに大抵マイルを使っているようですが、マイルはマイルなりに使いやすいんでしょう。英国車のスピードメーターのように、マイルとキロのどちらも表示してあれば、僕らでも事足りますよね。 メートル法の施行に伴い、尺貫法の伝統で仕事をしていた大工が困った時代が長くありましたが、何も全て統一することもなかったろうに。まさに「杓子定規」のお役人的発想ですね。「一間四方」「一坪」を「3.3平方メートル」ったって、ピンとくるわけがねえでしょう。 子供の頃の長めの竹の物差しはセンチと尺(寸)が両方刻んであったけれど、今も作り続けているでしょうか。和裁をやる人などには便利だと思うんですが。 我が国でメートル法が施行されたのは、僕が小学生の低学年の頃でした。通っていた銭湯においてあった秤は尺貫法で、学校で量るときはメートル法(キログラム)だった。そういえば、入学した当初から、学校は(授業も)メートル法だった。つまり、そんな具合に切り替えの時期に立ちあったわけですが、逸話が残っていないわけではありません。 まだ冷蔵庫のないその当時、週に1度か2週に1度、肉を買いに行くのは僕の役目で、いつも必ず豚のコマ切れを100円分買ってくることになっていたんです。しかし豚のコマ切れは、たしか百匁120円ぐらいで、この買い方は肉屋がかなり嫌がったんです。今ならコンピュータ内蔵の秤で、どんな買い方も面倒な計算はいらないのでしょうが、当時はたしかに大変だったと思います。 何度目かに、はっきりと「百匁120円だからね」と言われたのだけれど、僕だってそのくらいのことはわかっていました。ただ、その時の20円の差は、僕にはとてつもなく大きく思えて、子供なりに家計を案ずると、親には話せませんでした。 やがてメートル法の実施に伴い、「100グラムいくら」という表示になり、計算がしやすくなりましたが、それと同時に100円分という買い方もしなくなりました。 お断りしておきますが、ここに書いた「百匁120円」という数字はかなりいい加減な記憶なので、あまり信用しないでください。 ところで若い皆さん、「百匁」は読めますか。 おっと、いろいろ書いていたら、肝心の『500マイルも離れて』について書くのを忘れてしまったではないか。 僕はキングストン・トリオのバージョンを先に聴いているので、PPM で聴いたときは、テンポがゆっくり過ぎるのと、マリーのボーカルがちょっと感情がこもりすぎているのとで、あまり好きになれませんでした。これは PPM 全般がという意味ではなく、この曲に限ってのことなんですが......。今聴けば、感想もちょっと違うかもしれませんね。 ちょっと思ったんですけど、その後の PPM の活躍や知名度からすると、キングストン・トリオよりも PPM の方を聴いたことがある人の方が多いのかもしれませんね。 で、どうなの、皆さん。そもそもこの曲、知っているのかしら。 というわけで、「804.65キロメートル(その1)」は終わってしまいました。 「その2」はあの曲です。近日中に登場しますよ。
2003.10.29
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“Pocket Transistor”by Alma Cogan 1961 アルマ・コーガンのことは、去年この日記を始めた頃に少し書いているので、重複することもあるかもしれないが、ご容赦願いたい。 さて、いきなりクイズ。 第1問。クリフ・リチャードの『レッツ・メイク・ア・メモリー』と、アルマ・コーガンの『ポケット・トランジスタ』の共通点は...? 今日のクイズは皆さんに答えてもらうようなものではなく、日記を読み進んでゆくにしたがって、答えがわかるようになっているので、どうぞよろしく。 子供の頃に覚えた日本語訳のポップスは多かったけれど、そのほとんどがアメリカの曲で、イギリスモノはあまりなかった。『ポケット・トランジスタ』は、その数少ない英国ポップスの中の1曲だ。尤も、このアルマ・コーガンも、あのヘレン・シャピロも、はたまたペトゥラ・クラークまで、みんなアメリカ人だとばかり思いこんでいた。無知というのは恐ろしいものだが、まだ若かったということで許してもらおう。 ビートルズ、ローリング・ストーンズを代表とする 60年代英国音楽は、アメリカ経由で我が国に入ってくるのが通常のルートだった。 ところが、ビートルズ以前には、クリフ・リチャードの初期の曲のように、イギリスから直で入ってきた曲が時々あった。この『ポケット・トランジスタ』もそのうちの1曲ということになる。もちろん、ビートルズ以降は、ことポップスにおいては、アメリカを経由しなくなり、イギリスと日本の距離は実に近くなって今に至るのだ。 で、この曲もクリフ・リチャードの『レッツ・メイク・ア・メモリー』同様、我が国独自のヒット曲で、本国でも米国でもまったくヒットしていないのは、まことに面白い事実だ。 ********************** さて、この曲が日本でヒットしたときも、ご多分に漏れず、各社競作でいろんな歌手が日本語でカヴァーしていた。 女性では森山加代子、男性は飯田久彦が流行った。もちろん歌詞は女性版と男性版では異なっていて、女性版の方は、かなりアルマ・コーガンのヴァージョンに忠実な訳になっている。 その内容は、「町に何人もいる女の子の中から、ジョニーがたった一人に夢中になる。そのわけは彼女がポケット・トランジスタを持っているから...」というもので、トランジスタ・ラジオが当時はいかに貴重なものだったかがわかる。 クイズ第2問。さて、そのトランジスタラジオで毎晩何を聴いたのでしょう。「♪ As it played hit parade each night...」、そうなんです。「ヒットパレード」を聴いたんです。 ここで重要なのは、どこでヒットパレードを聴いたのかということだ。ふつうなら部屋の中で聴くところなのだが、この場合は何しろ携帯ラジオなのだから、「大きな輝く月の下で (beneath the moon so big and bright)」聴いたのだ。 当時のラジオといえば、5球スーパーとかいって、真空管の数を競うようなかなり大型のもので、どこにでも持ってゆけるポケット・トランジスタは実に画期的な発明品だったのだ。テレビ付きの携帯電話が実用化されようという今日から見れば、ずいぶん隔世の感はあるが。 そういえば、以前この楽天でどなたかも書いておられたが、ゲルマニウム・ラジオというものがあった。鉱石ラジオとも呼ばれたが、トランジスタラジオがとても高価で手が出なかったのに対し、子供でもこづかいを貯めてキットを買えば手軽に携帯ラジオが作れるというもので、内蔵スピーカーはないので、イヤホーンで聴くようになっているのだが、これが結構代用品になった。僕らぐらいか少し上の世代ぐらいの人なら誰もが知っていると思う。 メカ好きだった兄が、あるときこの鉱石ラジオを作った。たしかに何か聞こえてくるのだが、あまり感度が良くない。アンテナが必要だということになり、部屋の天井付近に対角線に針金を張り、そこにアンテナをつないで必死に聴いた。これだとどうにか聞こえてきたが、もちろんこの遊びは長続きしなかった。 今思うに、ラジオ局のアンテナの近くに住んでいる人たちは、もっとよく聞こえたのではないだろうか。もし東京あたりでゲルマニウム・ラジオがよく聞こえて、毎晩ヒットパレードや FEN やらを聴いていた少年がいたら、その時点で僕らは既にハンデを背負わされていたのか...。 ********************** 『ポケット・トランジスタ』の3番の歌詞は、 ♪ 二人は大人になったら思い出すだろう 彼がどんな風に恋に落ちたか 彼女のラジオとそして彼女の全てに 実は10月26日はアルマ・コーガンの命日だ。亡くなったのは1966年。まだラジカセすら生まれていない年だった。
2003.10.28
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“Do Wah Diddy Diddy”by Manfred Mann 1964 今日は10月21日、マンフレッド・マンの誕生日です。彼はクリフ・リチャードと同じ1940年生まれですから、63歳になったわけですね。 マンフレッド・マンについては、以前、モッズ関連曲で『5-4-3-2-1』のことを書きましたが、今日は世界的に大ヒットした『ドゥ・ワ・ディディ・ディディ (Do Wah Diddy Diddy)』のことを、ちょっと書いてみようかと思います。 この曲を初めて聴いたのは、ビートルズを筆頭にいろんなバンドがアメリカ経由で日本にも紹介された時期で、いわゆる第1次ブリティッシュ・インヴェイジョンの最初の頃でした。 マンフレッド・マンといえば、この曲と『シャ・ラ・ラ (Sha La La)』の2曲が流行って、僕の頭にはある種の固定されたイメージができあがっていました。従って、友人が持っていた LP を聴かせてもらったときには、とても驚いたモノです。実にいろんなタイプの曲が入っていて、その多彩さに戸惑うほどでした。 『ドゥ・ワ・ディディ・ディディ』と『シャ・ラ・ラ 』の2曲に共通していることがあります。どちらも大ヒット曲だったということと、タイトルがスキャットみたいな、意味無し言葉だという以外に、どうしても触れておかなければならないことが...。それは、どちらも原曲がガールグループの曲だということです。 『ドゥ・ワ・ディディ・ディディ』は、The Exciters が、『シャ・ラ・ラ 』は、あの The Shirells がオリジナルです。 元々 60年代前半のイギリスのバンドにカヴァー曲が多かったのは周知の事実ですが、彼らがガールグループや女性シンガーの曲も多く採り上げているのは、特筆すべきことじゃないかと思うんです。このことは以前 "To Know Him Is To Love Him" のことを書いたときにも少しふれましたけどね。とにかく人種・男性女性の区別なく良いものは良いと、自分たちのレパートリーに取り入れた姿勢が素晴らしいとも言えます。 ビートルズやピーター&ゴードンに限らず、ホリーズ、サーチャーズ、マンフレッド・マンなどは、特に積極的に女声モノをやっていますね。 さて、時は 60年代から一気に 80年代の後半へと跳び、場所はロンドンのとある地下鉄駅。まだ夕方のラッシュアワーには早い時間で、その小さな駅の、ホームに下るエレベーター(英語だとリフトね)に、わたくし穴沢がちょうど乗り込もうとしていたところへ、まだ20歳ぐらいの学生風の男女3人組(男1+女2)が陽気に歌いながらやって来ました。 こちらも思わず歌いたくなってしまうようなハッピーな雰囲気がとても嬉しくて、今でも忘れられないんですが、その時彼らの歌っていた歌は、 ♪ There she was just walking down the street Singing,"Do wah diddy diddy dun diddy do."......という、おなじみの『ドゥ・ワ・ディディ・ディディ』でした。 こんな風に若者に歌い継がれているなんて、考えてもいませんでしたから、ちょっと意表をつかれましたが、いい光景でしたよ。 The Exciters の歌ったこの曲が、マンフレッド・マンにカヴァーされたことで、スタンダードナンバー化したのだとすると、彼らの功績は大きいと言わねばなりません。 マンフレッド・マンの顔を見ていて気づいたんですが、めがねを外してヒゲを剃ったら、クリフ・リチャードそっくりじゃないでしょうか。 皆さんはどう思いますか。
2003.10.21
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“Eve of Destruction”by Barry McGuire 1965 10月15日は、バリー・マクガイアの誕生日でした。 14日が誕生日のクリフ・リチャードは、1940年生まれなので63歳になったわけですが、バリー・マクガイアは1935年生まれ。計算はお任せします。 バリー・マクガイアといえば、僕にはニュークリスティ・ミンストレルズで "Green Green" を歌っていたあの人、...ということになるのです。そのバリー・マクガイアが、ソロになって歌ったのが、この『明日なき世界』でした。 ニュークリスティ・ミンストレルズは、60年代前半、フォークソング(モダンフォーク)が流行った頃に活躍した大所帯のグループで、12弦ギターと女声コーラスが印象的でしたね。彼らについてはあまり詳しく知りませんが、"Today" や "Green Green" は、とても良かったので、もっと聴いてみたいですね。直接関係あるかどうかわかりませんが、フーテナニーなどという言葉も連想します。 そういえば "Green Green (グリーン・グリーン)" という曲は、日本語訳の方でよく知られていて、今の若い人たちは学校で音楽の時間に習ったりするし、ちょっと前にアップテンポのヴァージョンを歌っていたグループもあったので、ひょっとするとオリジナルのニュークリスティ・ミンストレルズの音は聴いたことがなくても、日本語の方の歌は知っている人も多いかもしれませんね。 オリジナルは、浪花節の似合いそうな(冗談です)ドスの利いた声が全面に出て、かっこいいです。このしゃがれボイスが、バリー・マクガイアその人です。機会があったら、ぜひオリジナルを聴いてみてください。 あ、今日は "Green Green" の話じゃありませんでした。『明日なき世界』ね。 この曲の作者の P.F. Sloan には、僕の大好きなあのヒット曲『孤独の世界 From a Distance』があります。この曲もそのうち採り上げますので、よろしく。 そのスローンさんの、もうひとつの会心作がこの『明日なき世界 Eve of Destruction』です。 これはなにしろ「破壊前夜=Eve of Destruction 」の歌ですから、物騒な話です。 でも、これが流行った 1965年という年は、忘れもしない北爆が開始された年で、一体世界はどうなっちゃうんだろうと、当時ちょうど中学卒業を控えた僕は毎日心配でならなかったことを覚えています。だから、かなり直接的な反戦・反核の歌であるこの歌の登場は、実はとてもタイムリーで、厭戦的になっていた一般の若者たちに大いに支持されたのも当然だったと言えそうです。ヒットチャートでも1位になっています。 え?...北爆(ほくばく)ですか?...何のことかわからないって?......そりゃそうだ。今じゃ死語ですものね。「米軍による北ヴェトナム爆撃」のことですよ。長期化していたヴェトナム戦争が、これによって更に泥沼化していったというわけです。 しかしこの作戦は完全に裏目に出たと言っていいんでしょう。米国のやり方を疑問視する国際世論も国内の反戦運動も、これによって加速してゆくのですから。 ♪ You’re old enough to kill 君は十分人を殺してもいい年齢だ But not for votin’ けれどまだ選挙権はない この一節はいつ聴いても強烈です。徴兵制がまだあった頃ですから、16~7の若者たちにはどうのように響いたか容易に想像ができます。 今朝のニュースでは、突然立ち寄った???米国大統領を出迎えた我が国首相が、仲良く肩を組んでニコニコ笑っていました。で、年内にもイラクに自衛隊を派兵すると約束したそうです。 この21世紀に、こんなに戦争の好きそうな(好きな)人が、日米で同時に国家の頂上に君臨しているとは、『明日なき世界』が流行った当時、一番想像したくなかったことです。 ♪ And you tell me over, and over, and over again my friend Ah, you don’t believe we’re on the eve of destruction だから友よ何度も繰り返し僕に言っておくれ まだ破壊前夜ではないと思うよって (文中訳:穴沢)
2003.10.18
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“Let’s Make a Memory”by Cliff Richard 1962 今日 (10月14日) は、クリフ・リチャードの誕生日なので、久しぶりに僕の中学時代にヒットした彼の曲を聴いてみました。 とても懐かしい曲ですが、歌詞をじっくり読んで聴いたのは今回初めてでした。クリフ・リチャードのとても聞きやすい英語で、何となくわかっていたつもりでしたが、正確に聞き取れていなかったところも3カ所ほどありましたので、いい機会でした。 なにしろ“Let’s Make a Memory (直訳:思い出を作ろう)”というタイトルなので、だいたい想像が付くと思いますが、特にどうということもない「♪夜が明ける前に思い出を作ろう」というような単純な内容の曲ですから、まあ気楽なもんですが、一つだけやっぱりサビにはどうしても惹かれてしまいます。 ♪ A memory of こんな思い出を (One) One kiss warm and tender 暖かくやさしい一度のキス (Two) Two lips in sweet surrender そっと身を任せるその唇 (Three) Three chosen words of love 選ばれた三語の愛の言葉 (Four) Four thousand stars above 頭上には四千の星 かっこ内の数は、女声コーラスで「ワン」から「フォー」まで、ただ叫ぶだけなんですが、それに続く言葉の並べ方が楽しいです。陳腐だと笑われても仕方ないですけど。 "two lips" は「上下二枚の唇」のことですが、まさかそんな訳し方もできず、どうしても「二」という数が入れられませんでした。 「三語の愛の言葉」は言うまでもなく、"I love you." ですよね。あ、...言ってしまいましたが。 最後に「見上げれば星が4000個も輝いている!」んですから、感激ですよ。でもどうやって数えたんでしょう...、なんて思った人はいませんよね。 思えば、歌い出しの "Let’s make a memory" と、サビの "One"~"Four" のかけ声だけは大声で歌ったものですが、このヒット曲も、売れたのは実は日本だけだったようで、本国イギリスではシングルカットされていません。UK Yahoo で検索しても歌詞が見あたらないのも無理はないでしょう。 ところが、この日本でシングルカットされた "Let’s Make a Memory" のレコードが、なんと!49ポンド18ペンスで売られていました。確かに珍しいでしょうが、ちょっと高いんでは...、などと思うのは僕だけでしょうか。まあ、完全にコレクターズ・アイテムなんですね、イギリスでも。 ********************** さて皆さん、クリフ・リチャードですが、何歳になったと思いますか。 ヒント:なし。 (文中訳:穴沢)
2003.10.14
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“Come on Eileen”by Dexys Midnight Runners 1982 ついに登場。『カモン・アイリーン』だぞ。 80年代英国音楽のテーマで、僕にしては珍しく、かなりメジャーな曲の登場だと思っている人も多いだろう。しかし、この『カモン・アイリーン』という曲は、何年に1曲と言ってもいいほどの名曲だ。 ただ、デキシーズ・ミッドナイト・ランナーズの曲がまさかアメリカでヒットするとは思っていなかったので、どんどんチャートを上がって行って、ついにはベストワンになってしまった時は、非常に驚いた。日本でもこれに呼応するようにヒットした。これは83年のこと。 第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンと呼ばれるほど英国音楽がアメリカで流行り、翌年にはドイツのネーナが、ドイツ語で歌って1位になってしまったくらいだから、あのころのアメリカは何でもありで、ちょっと面白かったのだ。 ミッドナイト・ランナーズ通算2枚目のアルバム "TOO-RYE-AY" にも収められているこの『カモン・アイリーン』だが、シングル盤とアルバムではイントロに大きな違いがある。 シングルは、バイオリンのソロで、アイルランド民謡の『春の日の花と輝く(原題:Believe Me)』が6小節ほど演奏されたところに、突然バンドの前奏が入る。ビデオクリップもこれと同じだった。それに対して、LP の方はこのバイオリンの『春の日の花と輝く』が入っていないのだ。 これはおそらく、この LP が、曲間にポーズのない手法で編集されていることと関係あるだろう。しかし、実際にアルバムにこのソロが入ったとしてもあまり影響はなさそうで、バージョン違いの真意はわかりません。...が、アルバムにはケヴィン・ローランドがアカペラで歌う『春の日の花と輝く』が、『カモン・アイリーン』のあと、ちゃんとワンコーラス入っているのだ。 このバンドのヴォーカルのケヴィン・ローランドは、かなり奇人・変人を地でいっている人だったようだが、僕がファーストアルバムからずっと気に入っていたのはその声と唱法だ。 独特のしゃくりヴォイスで、たまに変なヴァイブレーションが入って、人によっては気持ち悪いといいそうなその歌い方が、何とも魅力的で、僕の好きな80年代英国男性シンガーのベスト5にはいる。 因みに残りの4人は、ポール・ウェラー、ロディ・フレーム、イアン・マッカロック、テリー・ホール。そのほか、次点が後5人ほどいるが、その話はまたいつか...。 まあ、いずれにしてもいわゆる声のきれいな歌唱力のある人でもなく、かなりくせのあるケヴィン・ローランドのような声の持ち主が、なぜこうも僕らの心を動かすのか、...これはよくわからない。 わからないといえば、このアルバム "TOO-RYE-AY" の日本盤が出たとき、その邦題をみて、僕は思わず天を仰いだものだった。...『女の泪はワザモンだ!!』......、ぎょえ~~と叫んだ声が皆さんにも届いたんではないだろうか。どうしてこういう邦題になったのかは、わからない。 さらに、日本盤のシングルのジャケットが、LP と同じデザインの絵で、ケヴィン・ローランドが膝を抱えて木の塀に寄りかかり、箸のような棒きれを持って土の上をなぞっている所を描いたものだが、何と漫画のような吹き出しがついていて、「マイッタなあ」とか書いてある。 いやあ、これにはホントに参った参った。 さて、この曲の入ったセカンドアルバム "TOO-RYE-AY" では、ファーストアルバムで全面に出ていたホーンセクションに加えて、ヴァイオリンやバンジョーのようなアイリッシュの楽器もフィーチャーした曲が多い。 『カモン・アイリーン』でも、その辺の音作りが冴えに冴えて、彼らが打ち出した独自のスタイルが、確立したことを感じたのだった。 ...が、これが長続きしないのが、ケヴィン・ローランドなのだ。 ファーストからセカンドへの変身ぶりもすごかったが、85年のサードアルバム "Don’t Stand Me Down" ではあのケヴィンが三つ揃いを着て、ネクタイを締め、髪を七三にわけて、すました顔でジャケットに写っていた。 『カモン・アイリーン』のビデオクリップでもおなじみになった、あの汚いオーバーオール姿はどこにもなくなっていたのには、またまたビックリさせられた。 "Don’t Stand Me Down" もなかなかいいアルバムで、名曲もあるが、やはり『カモン・アイリーン』は頂点だったと言わざるを得ない。 ********************** ところで、dexys midnight runners のファーストアルバム "serching for the young soul rebels" は、数あるレコードジャケットの中でも実に素晴らしいので、ぜひ一度見てもらいたい。いまなら楽天仲間の「執事さん」のページのBBSで見ることができるぞ。 URL は、こちら↓↓↓ http://plaza.rakuten.co.jp/deaconblues/bbs/ そして、ついでに8月24日の日記を読んできてください。 http://plaza.rakuten.co.jp/deaconblues/diaryold/20030824/ ミッドナイト・ランナーズの曲、まだまだ他にもいいのがあるから、またいつか書くので、その節はよろしく。 ********************** 今回採り上げたアルバムの "TOO-RYE-AY" っていうのはどういう意味なんでしょう。『カモン・アイリーン』の歌詞の中にも出てきます。やっぱり、ただのかけ声か何かでしょうか。 また、バンド名の最初の DEXYS も、他では見かけないスペルなんです。どなたか、Help me! ...助けて欲しいです。 **********************追記:今検索で次のようなサイトを見つけてきました。 http://dexys1.tripod.com/dexys/index.html なんと、デキシーズ・ミッドナイト・ランナーズが活動を再開したのです。もちろん今回もメンバーはがらりと変わっているのですが、ライブスケジュールも載っていて、だいぶ精力的にやるようです。 普通バンドの再結成とかにはあまり関心がないのですが、ケヴィン・ローランドは何をやらかすかわからないという期待感があります。ちょっと聴いてみたいですね。
2003.10.07
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