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9月も中旬に入り恒例の玉葱と葱の種まきがはじまりました。 一言に玉葱といっても、極早生・早生・中生・晩生・赤玉葱などざまざまなタイプなものがあり、農園でも以上のタイプの種をすべて播きます。 新島・式根島の傾向としては、早生のタイプの玉葱が好まれるようで、約9万本生産する田甘葱苗のうち、6~7割ぐらいはこのタイプが占めます。 このタイプが好まれる理由は、梅雨前に収穫できてしまい、その後のサツマイモ栽培へうまく移行できるからだと思います。 今月一杯種を播き、2ヶ月間の育苗を経て、11月下旬ぐらいから農家さんへ苗を提供します。(10cm間隔に溝をつけ、その溝の中に種をまいていきます)
2008年09月14日
朝の6:00~夜の9:00までの15時間、常に体を動かし続けるということは、こんなにも過酷なことなのか・・・ということが、一昨日に「佐渡国際トライアスロン大会」に参加しての率直な感想だった。 わたしには17歳ぐらいから「いつかトライアスロンのアイアンマンレースに参加したい」という夢があった。当時わたしは地元の社会人を中心に編成されていた駅伝チームの練習に誘われて参加していたことがあったが、そのチームの練習に宮古島で開かれるトライアスロンの大会に毎年出場しているという人が来ていた。 その人に会うまではトライアスロンというものの存在をわたしはまったく知らなかったが、スイムと自転車とランニングを1日かけておこなうスポーツがあるということにかなり驚き、この人はとんでもない人だと衝撃を受けた。 そしてそれから20年後の今回、自分自身が日本で一番長いといわれている佐渡の大会に参加したわけだが、ほんとうにしんどかった。 参加選手約750名は、当日の朝4時すぎぐらいから佐渡の佐和田という地区に設けられた大会会場に集まり、自転車のセッティングや腕へマジックで自分のナンバーなどを書いてもらい、空も明るくなってきた6時に、3.8kmのスイムがスタートした。 9月の新潟の海といえばクラゲの宝庫といわれるが、泳いでいると何匹ものクラゲが目の前を横切っていく。たぶんクラゲにしてもいきなり人間が何百人も海に押し寄せるのであるから、たまったものではないはずだが、こちらも刺されないようにうまく避けながら・・・と思うものの、あちこち刺されまくった。最悪はクラゲが顔面にぶつかり、案のじょう刺され唇が腫れた時だったが、こちらも浜から1km以上沖に出たところにるわけで、どうしようもすることもなく、まさに海の中の人の流れに身を任せ、前へ進むのみだった。 約1時間40分後何とか無事に泳ぎきり、次は自転車にトランジット。コースは佐渡の東側から時計回りで一周する190km。正直言って練習でもそんなに長い距離を自転車で走ったことはなかった。舐めているといえば舐めているが、普通に暮らしていてそんな距離をトレーニングするということ事態が現実的でないような気もする。 以前東京マラソンに参加したときに、空腹とエネルギー切れで痛い目にあった経験があったので、今回は色々とエネルギーを補給できるようなアイテムを腰に巻きつけ参加した。 よく登山で遭難したときの飴玉一個の重要さが言われ。体内のエネルギーが消耗したときの栄養補給ほど、「ポパイにホウレンソウ」のたとえではないが、体がチャージされているということを実感する。そんな栄養剤のお陰で、自転車のパンクもなく何とか乗り切った。時間にして約7時間40分、スタートしてから9時間20分が過ぎていた。 最後はフルマラソン。長距離を走ることの経験者としてはこれが一番楽にいけるのではないかと思い込んでいたが、これが一番辛かった。 やはり10時間近くハードに体を動かしているだけあって、使う筋肉はちがうといえども、足が前に進まないのである。そしてどんどん後続から抜かれる有様・・・。こんなはずでは、と思っても体は言うことを利かない。 ところでこのトライアスロン大会には時間制限があって、最終ゴール時間が夜の9時30分だった。マラソンを走り始めたときに残り6時間ぐらいだったので、何とかいけるだろうとおもっていたが、次第に1kmを10分もかかるような具合になってしまい、計算してみたところ間に合わないことが判明。 何とかならないものかと思っていたら、3kmぐらいおきにある給水などのコーナーでエアーサロンパスを発見、これを足に噴きかけまくった。すると文明の利器とはすばらしいもので、エアーサロンパスを吹き付けた足はビックリするくらい軽くなるのである。 それから支給されるオニギリやパンをできる限り食べまくり、熱いお茶で流し込んでは腹ごしらえをして、次の給水給食コーナーまで頑張るということを繰り返した。 夜も7時ぐらいになるともう真っ暗となり、時折激しい雨も降る中、ここまで来たんだから何とかゴールしたい・・・という一心で一歩一歩前へ足を進めた。しかし体も限界に来ているらしく、今年の1月にぎっくり腰で痛めた腰も痛くなりはじめ、そこにもエアーサロンパスを噴きかけ(しかしスプレーの噴射口が下に向きすぎで、肛門にもかけてしまいその痛さもたまらなかったが・・・)、騙し騙しゴールを目指した。 そしてタイムリミットの30分前、夜9時ちょっと前、ゴールテープをきる瞬間がやってきた。自分の名前がアナウンスされ、ライトアップされたゴールへ飛び込む。正直言って熱いものがこみ上げてくるのを感じざるをえなかった。 トライアスロンという競技の発祥地は、ハワイだということを友人から教えてもらったが、何でこんなことを競技にしてしまったのだろうか・・・と参加してみてつくづく感じた。 しかし世の中にはこのトライアスロンを2日間で2回おこなう大会もあるという。恐るべしである。 20年来の夢であったが、「また出場したいか?」と聞かれたら、何も答えることができない自分が今はいる。
2008年09月09日

新島では2月~3月ぐらいにかけて春ジャガイモをふせこむ農家さんの姿は多く見かけるが、秋ジャガイモを栽培する人は少ないようだ。 確かに秋ジャガイモといえば、春ジャガイモに比べ収量が低くなるといわれている。しかし、デンプン含量が高く甘みもある。 そこでこの度は、農園にて試験的な栽培をおこない、その過程を農家さんへ紹介することとなり、今日普及員さんと一緒に、栽培準備にとりかかった。 特に今回はシンプルなつくり方でおこなうこととした。 シジアンという地元の農協で販売している化成肥料だけを少量使い、堆肥などは前作で畑に入れてあったため施さないこととした。 そして明日の夕方「ニシユタカ」という品種のジャガイモをふせる予定でいる。
2008年09月02日

キュウリ苗というと、農園では毎年4月上旬から7月上旬まで、数回にわけて苗を生産して地元の方に提供しているが、今年は8月一杯まで苗を作って提供することとなった。そして今日また数10本ではあるが、農家さんから追加の注文が入ったのである。 普通8月植えのキュウリというのは、新島のようにこれから台風に襲われる場所では露地でつくることは難しい。確かに「一か八かやってみよう、台風こなけりゃ儲けもの」ということで植える方はいるが、なかなかうまくいかないようである。 実は、今年に入ってこれほど遅い時期までキュウリ苗を生産するようになったのには訳がある。それは国・都・村の補助事業を利用して、村内の農家さんたちが野菜栽培専用のハウス約10棟を建てたからである。 ところでこの野菜ハウスの使い道であるが、新島で作った野菜をわざわざ輸送コストをかけて都心の市場へ出したところで、なかなか採算があうものではない。そこで視点を足元に向けて、野菜自給率の低い島内へ作った野菜を供給しようということとなった。 そこでハウスを使えば夏を過ぎても栽培できるキュウリやトマトなどをつくり、農協の直売コーナーや、また農協を通して給食に供給することとなった。 たとえ小さな一歩、小さなサイクルかもしれないが、地産地消に新しい形がうまれ、島内でお金がまわる仕組みが出来るとすばらしいし、農園の活動がそれに少しでも役に立てたら嬉しいと思う。
2008年09月01日

式根島と新島の島の姿というのはかなりちがい、そしてその差異がまたそれぞれの魅力となっている。 新島に住んでいるわたしでさえ、連絡船の「にしき」に10分ぐらいゆられて式根島に降り立つと、何だかちょっとばかり旅行に来てしまったような気持ちになったりする。 そんなわけで8月中旬の仕事が休みの日に、家族と一緒に式根島へ半日ばかり遊びに出かけてきた。 式根島にはいくつかの入り江があるが、波が穏やかで、家族で磯遊びをするのに絶好の場所なのである。 今回我家は「中の浦」という海岸で遊ぶことにしたが、水の透明度も高く、カラフルな小魚たちの群れもたくさん見れて、海に入るのを最初嫌がっていた子供たちも、すっかり海の中の景色に魅了されいつの間にか歓声を上げていた。 それから我家のように子供たちの年齢が低く、海に長時間入っていられない場合でも、周辺の岩場では、カニとり、貝とり遊びができるのも楽しい。 マイナスのドライバーを片手に、岩にへばりつく貝をはがしたては岩場を回るのだが、次第に獲物がいそうなところがわかってくるところが面白い。 今回妻が夢中になって採っていた一枚貝に、地元で「アイシ」とよんでいる大きいものだと10cmぐらいになるものがあった。だいたいコイツは岩の下の見つかりにくいところに潜んでいるのだが、岩についた海草などを食べているため、その岩の海草の食べ歩いた(這った)あとをたどっていると発見することがある。 素人がそんなにたくさん取れるものでもないが、磯で遊ぶぐらいにはちょうどよい。 新島にいながらもそんなには出かけることのない式根島、この島の魅力を発見しに、これからは時々出かけたいと思う。
2008年08月31日

農園では「土づくりガイドブック」という新島や式根島の畑の野菜などを栽培するための土づくりについての資料をまとめている。 これは来年3月末までにまとめて、来年度から「畑の土づくり講座」のテキストなどに活用する事になるのだが、これを農業関係の出版社である「農山漁村文化協会」(通称:農文協)とすすめている。 そういう関係から、農文協の編集者の方々ともお知り合いになり、その縁で今年4月には同社の雑誌である「うかたま」の取材を新島でしてもらう機会をえて、新島の食文化、特に磯ものについての特集を組んでいただいた。通常地元の情報を完成度の高い形で外へ発信しようとするとそれなりに資金も必要となるが、今回のように取材に来ていただき、それもプロの方々の手を経て、全国に伝えていただいたのは、新島や式根島にとっても実にありがたい。 ところで農業関係の雑誌を出している出版社や組織というのは全国にもいくつもあるのだが、それぞれ出版されてくる雑誌を見比べると各々の農業のとらえかたに違いがあってなかなか面白い。 この農文協という出版社にも「現代農業」という月刊誌があって、毎月350ページを越す雑誌を世に送り出してくる。当然写真や図もあるのだが、かなり文章も多いので、これを隅から隅まで読もうとすると、「もうおなか一杯」という気分になってしまったりする。 そんなわけで毎月すべてを読むことはできないが、とにかくこの雑誌の「主張」というところはとりあえず読むようにしている。そこを読むと雑誌の構成上、その号の特徴やこの出版社の考え方や何を伝えたいのかわかってくるからである。 そしてその「主張」を読んでは自分なりに色々考えてみたりするのだが、先日その社の方と雑談する機会があったときに、前から聞きたいことを聞いてみた。 それは「農業への株式会社の参入について農文協としてはどのようにとらえているのだろうか?」という内容だった。 世の中では以前アパレル会社が農業に参入しようと試みたり、またワタミフーズの農場経営が話題になったりしている。しかし農文協の出版物からはそういうことを積極的にとりあげている様子はなかったので、そのあたりがどうしてだろうかとわたしは興味を持っていた。 そしてその雑談を通してわたしなりに理解したところは「農文協の農業のとらえ方は、農業というのが単なる営利目的だけの価値ではなく、その地域の人々のくらしや文化・教育、環境保全など多種多様に価値を広げている産業としてとらえているのではないか」とのことだった。 確かに自分身の回りをみまわしてみると、農業についている人たちも決して農業経営だけをしているのではなく、地域の様々な活動に(地域の防災活動や行事に参加したり、冠婚葬祭や互いのくらしを助け合ったり、また共に農環境や地域環境を保全に加わるなど)かかわっている。 これは別に農業に限ったことではないが、ここでの農業は地域の様々な価値と結びつきながら地域を守っている産業なのだな~と感じるのである。 そういう点からすると、大きな資本をもって外部からその地域へ参入してくる企業というのは、そういう形で地域へ関わる続けること、特に僻地や離島、中間山地など条件不利地域では難しいかもしれないな・・・と思えるのである。 ただ最近は「限界集落」という表現が目に付くように、集落の機能を維持できなくなってきているところもどんどん生まれてきている。そしてますます東京へ人口が流れ、また地方でも中核都市へ人が集まっているようである。 そのように考えると、「農耕」という人類史の中で約1万年前にはじまったといわれている「農」の営みは、とても古くて、しかし常に新しい課題を提供してくれるものでもあるように感じる。 今後も「農」をキーワードに、機会があることに大いに語らい、考えたいと思う。
2008年08月30日

あれほどカンカン照りが続いていた新島も、今週に入ったとたん雨または曇りの日々が続いています。突然季節が変わってしまったようで、すっかり秋っぽくなって来ましたね。 さて秋到来ということで、農園では秋苗の販売がはじまりました。キャベツ・白菜・ブロッコリー・カリフラワーなどなど。先日夕方の村内放送を入れてから、村民のみなさんがポツリポツリと苗を買いに来てくださいます。 農園では秋苗の種を7月下旬から播きはじめますが、今年は暑すぎて葉が焼けてしまう問題が発生し心配しました。しかしスタッフのみなさんが暑い中管理を頑張ってくれて、ようやく販売までこぎつけました。ホッと胸をなでおろしています。 来週からはいよいよタマネギ、長ネギの種まきの準備に取り掛かります。
2008年08月28日

夏、新島で暮らしながら、これは本当に贅沢な時間だな~とおもえることがある。 それは仕事の後、ひとっ風呂ならぬ、ひとっ泳ぎすること。 サーフィンをやる人ならば、チョックラ波乗りということになるのだろうが、わたしはサーフィンをやらないので、やはりチョックラひと泳ぎということになる。 今年の夏は本当に暑かった。昼間太陽にカンカンに照らされながら畑で過ごした体は、夕方になるとまるで自分の体なのかにホッカリロがあるかのように火照って仕方がない。 そんな体で家に帰っても、ただただ「暑い暑い」と吐くばかり。 そこで海水パンツに着替えて、ゴーグルもって海に向かうのである。 サンダルを脱いで、足を海水に浸して、海の中に倒れこむ瞬間・・・、まさに極楽である。 ふと海水の中で目を開けると、ボラが2~3匹前を横切ったりする。 それから20~30分ぐらいゆっくりとクロールで泳ぐ。 すると次第に体のなかのホッカリロが冷まされて、不思議に体が軽く感じられるようになってくるのである。 更に贅沢な時間はまだ続く。 次に海から上がって、冷たいシャワーを頭からザブザブ浴びる瞬間も、思わず「ウォォー」と叫んでしまうほどに気持ちがいい。 そして汚れも熱さも洗い流した体に海風をあて、横に沈みゆく夕日を見ながら家へ戻るのも最高なときである。 そうして何と言っても、そうした時間の後のビール(発泡酒)の味、あれは格別である。 ささやかだけれども、わたしにとってとても贅沢な時間である。
2008年08月24日

先日、高橋淳子さんという東京の「農」をテーマに写真を撮っている写真家の方が新島を訪れ、畑で農作業にいそしむ農家さんの様子を撮影していった。 この高橋さんという写真家の経歴がなかなか面白く、彼女の本に書かれている著書プロフィールによると、若いときは演歌歌手として地方まわりをしたり、大手商社や大手電機メーカーで勤務した経験があったり、また結婚してからは長年編み物の講師をしたりと何だか色々やっている方である。 実際お会いしてみるとやはりバイタリティー溢れ、色々なことに興味があるといった様子で、またとても気さくな感じでもあり、短い間だったけれども楽しい会話をさせてもらった。 ところでこの高橋さんが、新島の郷土料理の写真も撮影したいという希望をもっていたため、島の郷土料理研究会の方に、農園の加工室を使って料理を数品作ってもらうこととなった。 今回つくっていただいたのは、「島寿司」「漬け丼」「たたきあげ」と「明日葉の胡麻和え」など。高橋さんもとても大喜びで、しきりにシャッターを押していた。 この度高橋さんが新島へ写真の撮影に来島したのは、伊豆七島の農業の様子や料理をテーマにした写真集をつくるためとのことで、新島以外にも小笠原を含め、伊豆諸島すべての島々をまわるとのことだった。 こちらとしても島の様子を伝えてくれる写真集をつくっていただけるのはとてもありがたい。今から上梓されるのが楽しみだ。
2008年08月23日

中学生のときの理科の授業で植物の光合成について学び、植物が生長するためには光が必要だと理解してから、わたしは長い間光はあればあるほど植物によいのだと思っていた。 しかし何事も「過ぎたるは及ばざるが如し」で強すぎる光というのは場合によっては植物の成長を妨げることを次第に経験から学んできた。 そして今回もそうした経験をさせてもらった。 農園では今年試験的に8月上旬からキャベツの定植を始めている。肥料を施し、畝を立て、点滴の潅水チューブをひき、マルチをかぶせた圃場にキャベツの苗を植え、白いカンレイシャをかぶせて育ててみたところ、真夏のあまりの光の強さ(プラス暑さ)によりキャベツの葉先が焼け、葉色もところどころドス赤く変色してきてしまったのである。 これはヤバイと思い、急いで黒のカンレイシャ(遮光率45%ぐらい)のものに変えることとした。その結果光がカットされ、温度も下がり、葉の成長、葉色ともに健康そうな状態に戻ってくれた。 耐暑性のキャベツを栽培しているからと安心していたが、真夏の新島の光は侮ってはいけないようだ。今後うまく収穫まで育っていって欲しい。〈光をカットするための黒いカンレイシャ〉
2008年08月21日

野菜を栽培するにあたって常に気にかかる心配事に、同じ野菜を栽培続けることによって発生する連作障害や土壌病害虫の発生がある。 農園には育苗用のハウスが2棟あり、その一つを使ってさつまいもの苗やタマネギ苗の生産をしては村民の方々などに提供しているのだが、もし連作障害や土壌病害虫を発生させて苗を全滅させてしまったら・・・と考えるとゾッとする。 ところで9月中旬過ぎよりタマネギの種まきがはじまるが、今そのための土づくりの準備をしているところである。 そして昨日はハウス内で7月より育ててきた緑肥(今回はイネ科のソルゴーの仲間を利用)を石灰窒素と一緒に鋤きこんだ。 緑肥を土に鋤きこむことにはいくつかのメリットがあるが、要は土に有機物を供給することで土の構造を植物の成長に適したものにしたり、土壌生物のバランスを整えたりしては、連作障害をや土壌病害虫が発生しにくい土壌環境を整えようとすることである。 3週間ほど地表をビニールで覆い、締め切ったハウスの中で 太陽熱を活用して消毒をおこなうこととなる。 そして今年も12月には何とか無事に健康な苗を提供して安心して新年を迎えたいと願っている。ちょっと気が早いかもしれないけれど・・・。
2008年08月20日

新島の新しい夏の観光スポットが今年オープンした。 それはブルーベリーの摘み取り体験ができる観光農園である。 新島で8年ぐらい前から農業をはじめ明日葉を栽培をしてきた農家さんが、3年前より新たにブルーベリ栽培に取り組んできたが、今年の7月念願の観光農園をオープンさせたのである。 栽培方法は、通常「バック栽培」と呼ばれる方法を導入している。その方法は袋の中に特殊培地を入れてそこに水分や養分を必要量だけ与えながらブルーベリーを栽培するもので、土は一切使われていない。 この方法のメリットは管理がしやすいこと、短期間でブルーベリーの収穫を始めることができること、規模を大きくしやすいことなどがあり、今全国的にこの方法を採用している生産者が増えているらしい。 先日の日曜日子供を連れてブルーベリーを摘みながら農家さんの話を聞きにうかがってきた。 子供たちもはじめてのブルーベリーの摘み取りに大喜び、口いっぱいにほお張ってはおなか一杯になるまで思う存分ブルーベリーを食べまくっていた。 島内でのこのような新しい試みが着実に伸びていくことを願いたい。〈ブルーベリーに一途。声をかけても振り向かない〉
2008年08月19日
先週の天気予報では、昨日から水曜日あたりにかけて新島は雨の予報でしたが、結局今日も昨日も降らずじまい、今日の天気予報では、残すところ水曜日が雨のマークとなっているものの、この調子だとそれも怪しいな~と思えてきます。 ただそうこういいつつも朝晩の風は涼しくなり、7月下旬から8月上旬にかけてのような逃げ場ないような暑さはなくなってきました。 毎年の事ですが、自分の中では8月15日の盆祭が終わると夏が終わったような気分になります。それは私が新島に来て以来ほとんど毎年この盆祭に関わってきたためか、自分の中の体内暦がそのように設定されていきてしまっているようです。 かつては若郷や本村の盆祭で伝統芸能の「大踊り」の踊り手として関わっていましたが、消防団の役職が上になるに連れて、祭りの運営の一人として関わる様になってきました。 そして今回は「大ガマ」持ちという役を与えられたわけですが、この「大ガマ」持ちの立ち位置はちょうど寺の本堂やその後ろに迫る「寺ん山」に向かって立つのでした。 当日も日差しが強く暑い日でしたが、祭りの儀式が進み、夕闇に包まれるにつれて、「寺ん山」を覆う木々の葉が、浜から流れてくる風に吹かれ、大きく左右にゆれるようになりました。 その様子が、大踊りのゆったりとした動きと、お盆という時節とマッチして、何とも趣のある雰囲気を醸し出し、自分の中にふつふつと「やはり夏は今日で終わったのだ」という気持ちがわいてくるとでした。
2008年08月18日

静に打ち寄せる波の音を感じ、水面を伝わってくる心地よい風に包まれて、砂浜に寝っころびビールを飲みながら、音楽を聴く。そんな素敵な空間を演出してくれるWAXの野外ライブに1家族みんなでいってきました。 今年で4年目、新島の夏の風物詩となってきているこのイベントは、新島の新たな魅力を想像し、発信する場所になっているな~といつも思います。 今回は(14日)は、今年の「富士ロック」にも出演したという男女のユニットと「ナムレ」という新島の若いお兄ちゃんたちを中心としたバンドが出演。それぞれの持ち味を生かした曲を提供してくれました。 特にこの会場にいて思うのは、出演者も裏方さんもそれからお客さんも「新島が好きだな~」とか「新島楽しくしていこうよ~」なんていう雰囲気に包まれていること。そんな中にいると自然に新島っていいところだな~とこちらも思ってきます。 8月いっぱいまでつづくこのイベント、家族でもう一度は行ってみたいと思います。
2008年08月17日

久々の投稿です。 昨日37歳をむかえました。自分自身いくつまで生きられるかわからないけれど、充分折り返し地点は過ぎた可能性がありますね。 さて今年の夏は連日猛暑が続いていおり、ここ新島も7月以来ほとんど雨らしい雨が降っておりません。もう畑の土もカラカラ状態で、歩くだけで地面の熱さがジンジンと足の裏に伝わってきます。 とは言っても、一昨日からお盆を迎え、風は幾分秋らしくなってきたようです。 そんなわけで、恒例の「盆祭」の季節の到来です。 今日は午前中消防団の各分団の部長以上が寺境内に集まり明日盆祭のための会場づくりをしました。色々な準備をしたのですが、その中で面白いな、と思ったことを紹介します。 それは明日の境内で披露される踊りの際に、踊り手たちが身につける笹の葉を採取したこと。そしてこの笹の葉は毎年決められたところで採取され、また必ず3枚の葉のついたものを選ばなければいけないということ。 それぞれの云われはわからないけれど、今度折を見てそういうことを詳しく知っていそうな島の方に聞いてみたいと思います。
2008年08月14日

新島本村地区で「師走8日」といえば、毎年「十三社神社」で師走祭りが行われる日である。 そして前日の7日には神社境内にて「発表舞台が作られ」「夜店が繰り出し」、大いに盛り上がった。 消防団の各分団は、それぞれ食べ物やゲームなどのお店をたてて、会場を賑やかせるのだが、我が分団は従来やっていた「焼きそば」をとりやめ、「たこ焼き」「チョコバナナ」「チョコバナナ」で臨むこととした。 はじめてのメニューということもあり、どのくらい材料を用意すればよいのか、作業の段取りや作業台の配置はどのようにしたらよいか、また祭りの性格上大きな黒字を出さないとしても、赤字にならないようにするにはどうしたらよいかなど、分団長宅に夜な夜な集まり何回か話し合いを重ねてきた。 そして当日、天候にも恵まれ大勢のお客でごった返した境内の中で、「たこ焼き」「チョコバナナ」「チョコマシュマロ」の各商品は順調に流れ、祭りの雰囲気づくりに一役かうことができたようだ。 翌日の8日は、「獅子木遣り」(「5人獅子」と「木遣り」がくっついた、この知に古くから伝わる大変珍しい獅子舞)が奉納され、獅子に頭をかまれると「健康で過ごせる」「頭がよくなる」と言われているように、子供たちを連れた親達や島のお年寄りなど大勢の方が参道を埋めた。
2007年12月13日

12月8日(土)の新島本村師走祭りでは、昨年に引き続き今年も「獅子木遣り」の儀式が行われることとなった。 通常「獅子木遣り」が奉納されるのは、8年に1回ぐらいとも聞いていたので、ちょっとビックリしたが、「大変おめでたいもの」であるので、村にとっては有りがたいことには違いない。 さて先週より本村新町地区の「獅子木遣り」の練習がはじまった。今年は10月に岐阜県の荘川の祭事によばれて「獅子木遣り」が奉納され、新島からも30名以上が参加したが、残念ながらわたしは仕事の関係で行くことができなかった。 そんなわけで、わたしの場合1年ぶりの本番ということになるので、キチンと練習しなければいけないのだが、来週も仕事の関係で練習に参加できそうもなく、あとはいきなり8日の本番ということになってしまいそうである。
2007年12月02日

新島では「レザーファン」といわれるシダの葉を栽培している農家さんが10件ほどある。この「レザーファン」は主に結婚式などのフラワーアレンジメントとして活用されたりするが、その形状から、どちらかというと脇役として使われることが多いようだ。 さてこの「レザーファン」は酸性の土を好むという性質がある。もともと新島の土は酸性に傾いているが、この植物はより強い酸度を好むため、さらに酸性にするための土壌改良が各農家の畑では行われる。 ところで日本の土は一般的に酸性に傾いているため、土の酸性を改良するというと、もっぱら石灰などを使い中性の方向へ近づけていくということを意味することが多い。しかしこの「レザーファン」の場合、土を酸性に傾かせるということになるため、まったく異なる資材を使うこととなる。 そして新島では、酸性資材である「ピートモス(コケ)」をいれたり、「硫黄」をまいたりして土を酸性に傾かせてきたのである。 ところが何事も「過ぎたるは及ばざるが如し」というように、あまりにもそういった資材を使いすぎて、「レザーファン」の栽培適正酸度を通り越して、もっと酸性に傾いてしまっている土もあらわれたりしてきている。 さて先日農業改良普及員さんとともに、そういった酸性に傾きすぎた土にどのくらいの石灰を加えれば適正なpHに戻すことできるか、実験を行った。 実験に使った土は、新島と同じで「レザーファン」栽培が盛んな神津島の畑土。何とpHが2.9という状態まで傾いていた。 ちなみに酢のpHが、2.5~3.5といわれているので、とても通常の植物が育つ環境ではないように思える。(わたし自身もこれだけ酸性に傾いている土ははじめてみた。) 実験は普及員さんの音頭に従って、1)乾燥させた土をあらかじめ用意しておいた数本の筒状容器に同量ずつとり、2)そこに異なる石灰量を加え、3)最後に蒸留水を入れて、すべてをよく振り混ぜ合わせ、4)その濁液をpH計で測定した。 農業をやっている人には当たり前ではあるが、石灰の加える量が増えるほどpHは上昇していくこととなる。そして最も石灰を加えた容器の土はpH7(中性)までもっていくことができた。このpHならば酸性に弱い小松菜も栽培できるようになる。 ただこの実験結果をもとづいて畑に散布する石灰量を計算したら、約1kg/平方メートルあたりだった。通常新島などでは100~150g/平方メートルあたりなので、かなりビックリの数字ではある。 「普段からの土壌管理が大切なのだな~」と思う実験結果となった。 〈入れる石灰の量をかえて、変化を見ていきます〉
2007年11月30日
今週26日(月)から30日(金)までの5日間、『東京サイト』というテレビ朝日の番組(13:55~14:00)で新島がとりあげられている。そしてきのうは「味わい深し、新島」というテーマで、新島の「食」について紹介がされた。 その中でとり上げられた「食」は、“アメリカ芋とその郷土料理”“芋焼酎”“クサヤ”の3つで、それぞれ「新島村ふれあい農園」「宮原酒造」「新島水産加工組合」が舞台となっていた。 ところで農園が映し出される場面では、わたしが「アメリカ芋」について説明をしている様子が画面に出ているのだが、学生時代に友人や先輩などから「インチキ笑顔」と称されたように、画面に映っている間中、ず~とニコニコと笑顔を振りまいている自分がいた。確かに「インチキ臭いな~」と自分ながら思ってしまうのである。 さてこの番組の取材は今月の上旬で行われ、リポーター役には林家きく姫さんがつとめてくれた。 実はきく姫さんとはお会いするのは2回目だった。もう6年ぐらい前になるが、「MXテレビ」の番組でやはり新島をとりあげることがあり、レポーター役として来た彼女に農園の馬に乗ってもらったことがある。 久しぶりに再会したきく姫さん、お会いして思った第一印象で、わたしは以前に比べ彼女がとても「自然体」でいるのを感じた。 今回番組中に農園が放映された時間は30秒ぐらいだったと思うが、実際の撮影は、準備や片付けも入れば2時間ぐらいで、そのあいだ色々ときく姫さんとも話をさせてもらうことができた。 わたしが投げかける他愛もない話題や質問にも、彼女は噺家らしく話の幅を広げてくれるのだが、特に彼女が落語家としてスタートしたころの話にわたしは興味を引かれた。 彼女はその「林家」という屋号の如く、江戸落語を話す落語家である。しかし20年前彼女がその世界に入ったとき、女性では4人目の江戸噺家だったという。まさに男ばかりの世界、ビックリするようなことも多々あったらしい。 しかし20年間色々ありながらも続けてこられたのは、「やっぱり負けず嫌いだったからかな。」と彼女のコメント。「ただね、わたし最近はず~と負けっぱなしなの。肩肘はるのやめたんだ。」と話を続けた。そしてちょうどそこにいた新島郷土料理研究会の会長さんと、「負けるが勝ちって昔の人はうまいこといったね。」といって、3人笑顔でうなずきあったのだった。 その数日後、あるテレビの番組で彼女をみる機会があった。以前はわたしにとって「単なるテレビタレントの1人」という認識しかなかった彼女の存在が、あの撮影依頼まるで知り合いを見ているような感覚でその身振りや話し方をみてしまうのだった。 これからも彼女らしい「自然体な魅力」をもち続けていってほしいと、その番組を見ながら思った。
2007年11月29日
新島では、地域の消防団が中心となって「縁日の屋台(露天商)」を出す祭事が、年2回ある。1つは8月15日に開催される「盆祭」であって、もう1つが12月7日に開催される「師走祭りの前夜祭」だ。 ふつう全国的に有名な「祇園祭」「ねぶた祭り」「三社祭り」などのお祭りでは、このような縁日に屋台を出す人たちは、「テキヤさん」と呼ばれるそれを専門とする人たちによっておこなわれているようだが、ご当地新島では消防団などがその役割を果たしている。 ところで我が分団では、長年“やきそば”をやってきたが、この夏の「盆祭」から新しいメニューに取り組んでいる。 そして今回の「師走祭りの前夜祭」にあたり、先々週幹部が集まり、メニュー決めの戦略会議を行った。 ここ数年、わたしたちの分団は団員数の減少がすすんでおり、現在の人数で無理なく行われて、尚且つ祭りを盛り上げられ、分団運営費にも負担にならないようなメニューを決めなくてはならなかった。 数時間に及ぶ激論?(嘘)により、決定したのが“たこ焼き”であった。しかし面倒臭がり屋が集まっているわりには、なぜか食べ物にこだわり続け、祭りを盛り上げたいと思っている我が分団員たちは、さらにメニューを追加することにした。それは“チョコバナナ”である。 そうと決まれば早速その場でパソコンを使ってネットで材料調達。今はとても便利な時代、こんな離島であってもネットから商品情報を入手し、ほとんどのものは購入することができる。 数々のページを渡り歩いては、できるだけ原価を抑えられるようにみんなで計算をし、とりあえずお客様にご提供できるようリーズナブルな商品価格に設定ができたのであった。 そして先週末、分団員の集まった宴会の席で試食会を行った。その結果、両方とも“味”“出来ばえ”もなかなかよく、まだ作業工程など調整すべきところはあるものの、売り物としてお出しできそうな形に仕上がった。 あとは果たして売れるかどうかの問題である。 けれど“チョコバナナ”は子供たちには受けそうだし、“たこ焼き”は縁日には欠かせないメニュー。「多分いけるんじゃないかな~」と“獲らぬ狸の皮算用”の最中である。 当日がだんだん楽しみなってきた。
2007年11月27日
我が家では10日ぐらい前から灯油ボイラーが寿命で壊れてしまい、お湯が出ない生活が続いていた。 そして一昨日、地元の業者さんにボイラーの取替え工事をしていただいてようやくお湯の出る生活に戻ったのである。このように蛇口からお湯がでる生活を復活させてみると、食後の皿もお湯を使って洗えるし、お風呂も我が家で入れるなど、「お湯の出るありがたみ」をしみじみ感じてしまうのだった。 ところでこのお湯の出なかった10日間ばかりは、「勤労福祉会館の浴場」や「湯の浜露天温泉」などを点々とまわっていたのだが、新島というのは、自宅でお風呂に入れないという事態になっても、そのあたりのセーフティーネットができているものだとつくづく感じてしまった。そして両者とも無料では入れるというのがさらにありがたい。 確かに都会などであれば「銭湯」もあって、そこに入りにいくという選択もあるが、これが地方だとそういった公衆的な浴場があまりなくなってくるため、もし仮にそういうところに住んでいて10日間も風呂が使えなくなったらどうするのだろう・・・と考えてしまう。 この間、子供にとっては毎日大きなお風呂に入れてとても嬉しかったようだし、わたしとしても深夜11:00過ぎぐらいの「湯の浜露天温泉」にでかけては、ほとんど誰もいない露天風呂につかって、夜空に輝く星を眺めたり、海面に映る月の姿を見つめたりするのはなかなか楽しい時間であった。 お湯の出る生活が復活したわけだが、たまにはそんな風に出かけてみるのもいいかもな~と思っている。
2007年11月26日

23・24・25の3連休、新島は穏やかなポカポカした天気が続いていた。昨日と一昨日は仕事で農園にいたが、今日は休みを取って、家族みんなで「新島の自然を歩こう」というイベントに参加した。このイベントは、新島出身の地質学の先生が中心となって開催してくれた企画で、今回のメインテーマは「新島の地形の成り立ち」を知ることだった。そして参加人数は3歳(我が家次男)から70代ぐらいの方まで25人ぐらいだったと思う。 歩く行程は、新島本村西の「夕日の見える丘」から「青峰山を登り」、「トミヤマの坂」を通って「イキイキ公園」を抜けて「ガラスアートセンター」「ママ下海岸」へ抜ける、距離にして約3キロ強のものだった。 ところで今回歩きながら新島の地質について話してくださった先生は、数年前まで国の研究機関である「産業技術総合研究所」に務められて、世界中の地質を調べられていた方だけあって、島内の山や谷、平地がどのようにできていったかを様々な事例と照らし合わせながらとてもわかりやすく説明してくれた。普段生活していると、この地形はこうしてできている・・・なんてことはあまり考えることはないが、あらためて話を聞いてみると、「なるほど、だからここは高台になってるんだ~」とか「だから昔の人はここをこのように利用したんだ~」なんていうことが分かって、とても面白い。 さて今回の自然歩きを通して特に面白かったのは、かつて新島の一大産業だった「コーガ石産業」で使っていたトロッコの話だった。新島では明治時代からコーガ石を切り出し、それを島外へ販売していたが、山から切り出した石を船に荷積みできる海岸まで運ぶのにトロッコを使っていたということだった。それは「いきいき広場」のあたりを出発点に、「瀬戸山」の東側の麓をまわり、今の「保育園」の裏のあたりをとおり、「青峰山」の下を抜け、「夕日の見える丘」まで続いていたという。そして今ではそのレールや車体などトロッコの痕跡はまったく残っていないものの、トロッコが走っていたルートが遊歩道となって今でも部分的に残っていることを知った。今回実際その遊歩道も少し歩いたのだが、今まで何気なく散策のために歩いていたその道が、かつてトロッコの往来していた道であることを知ると、見たこともないそのトロッコについて色々想像を働かせ、哀愁さえ感じてしまうのであった。 70歳ぐらいの年配の方にその当時の話を聞くと、「海岸までは傾斜を利用して石を運び、その後空になったトロッコを石切り場の麓まで押し上げたものだ」と教えてくれた。今では縦横にコンクリートの広くきれいな道が整備された島内ではあるが、かつてリヤカーがようやく通るような砂の道しかなかったころ、そうした村内の道より少し高いところをカッタンカッタンとはしるトロッコの音や、それを押し上げる人々の声が響いていたのではないだろうか。 新島のたどってきた一つの歴史を知り感じた1日となった。
2007年11月25日

今年も残すところ1ヵ月ほどとなり、農園での1年最後の大仕事「タマネギ苗販売」がはじまった。 通常本州の広い範囲では10月下旬~11月中旬ぐらいにかけて、タマネギの苗の植え付けをするようだが、新島は11月下旬ぐらいがその時期となる。 毎年のことだが、この時期なるとタマネギ苗の出来ばえを気にする農家さんが毎日のように農園を訪れては、「今年の苗はどうだ、こうだ」とか、「いつから販売をはじめるんだ~」などと聞きにくる。 苗の生育がうまくいかなかった年などは、そう質問されるたびに「針のムシロに座っている」ような心地をするのだが、今年は苗も順調に育ってくれて、そんなときは「さーさー、どうぞ、どうぞ」と頼まれなくても調子よくタマネギ苗畑を案内するのである。 ところで今年のタマネギ苗栽培では、水管理に工夫をしてみた。「水管理」なんていうとなかなか偉そうで響きが良いのであるが、実は水を極力与えない栽培方法をとってみたのである。 6年ぐらい前にタマネギ苗を栽培しはじめたとき、わたしはタマネギ苗というのは水をふんだんに与えることで育てるものだと思い込んでいた。新島の土は水はけがよいから、なおさら潅水頻度を上げて、なるべく土を乾かさないようにしたのである。 しかしいつも湿った状態にしておくと病気が発生しやすく、また水によって養分が流れてしまうため肥料切れを起こし、追肥回数を増やすことになったり、さらに地表部に水が豊富にあるため根が深長せず、曲がった苗に育ってしまうものが多い、ということがだんだんわかってきた。 そこで今回は思い切って水を切らして栽培してみたのである。 確かに9月下旬の播種後から生育の初期にかけては、水を充分かけたが、10月下旬ぐらいから今までは1度も水をかけていない。 はじめは大丈夫かと不安もあったが、葉はしおれることはなくて艶もよく、苗も順調に肥大してきたことから、結局ほとんど無管理栽培みたいにこの1ヵ月は過ごしてしまったのである。まあかなり楽をしてしまったわけだ・・・。 さて先日の22日(木)に試し掘りはじめ、来週26日(月)からは本格的な販売となりそうだ。それから3週間がピークだが、無事乗越えていきたいものである。〈いよいよタマネギ苗販売がスタート〉
2007年11月24日

昨日、島内で重機などの修理などを手がけている会社の社長さんから「新しいトラクターが届いたよ」という連絡がわたしの携帯電話に入った。 早速トラックを走らせ工場まで出かけると、新品の真っ赤なトラクターが倉庫に置いてあった。 メーカーはヤンマー、そして型式は同社が今年新しく発売したEG200シリーズのなかのEG222というもの、その数字からもわかるように22馬力のトラクターである。 まだキズ1つついていない、光沢のあるそのボディーをわたしはおそるおそる撫でてみた。男というのは子供の時にはじめてミニカーを手にした時に覚えた感動そのままに、大人になってもまったく同じ気持ちで車というものを見つめてしまう生き物らしい・・・と車体に映る自分の顔を見ながらわたしは思った。 ところでこのトラクターは、今年度東京都の補助を得て村が購入したもので、検査が終了次第、村管理のもと村内の農家さんがみんなで使うこととなる。 新島のような小さな農家ばかりの地域では、トラクターのような機械を個人所有することなどはできない。だから同じ機械を共有財産としてみんなで融通しあいながら、使っていくのである。 さて問題は誰がこれを1番に使うかだ。小心者のわたしはとても1番に使うなんていう度胸がないので、その点は勘弁させていただきたい。充分に傷がついた頃、まあ5~6人目ぐらいがありがたい。 けれど使う前にみんなで使い方講習会というのもやらないといけないかもしれないな・・・。 〈燃えろ赤いトラクター〉
2007年11月23日

先日の18日の日曜日、農園にて恒例の「直売朝市」と「羽黒物産展」が開催された。 当日は全国的に「木枯らし1番」が吹き荒れ、新島でも冷たい西風にみまわれたものの、友好町村である山形県鶴岡市羽黒から運ばれた「酒・庄内柿・もち米・羽黒みそ・漬物・牛肉」や、直売朝市に出品された地元野菜や農水産加工品を買い求める村民でおおいに賑わった。 ところで数々の食材がならんだ会場で特に今回注目を集めたのは、式根島から出品された15種類にもおよぶ干物などの水産加工品だった。 当日は風が強いため海が荒れ、新島と式根島をむすぶ連絡船「にしき」は欠航してしまったが、これらの干物を作っている「お魚サービスセンター」という女性グループのメンバーたちは、漁船を借りきり、大きな発泡ケースを幾つも抱えて荒海をこえ、会場までやってきてくれた。(マジ感動です!!) このグループは式根島の漁師の奥さんたちが中心となり数ヶ月ぐらい前から活動をはじめたということで、東京の市場へ持っていけないような魚を開いたり、味付けしたりしては、真空パックに詰めて販売をすすめている。それもかなりお求めやすいお値段で・・・。 こういう試みをはじめた背景には、漁獲高の減少や、燃料費の高騰などがあり、漁業での収入が落ち込んでしまっているということがあるのだが、今回会場まで来てくれた5名の女性たちは、その場で干物を焼いてお客様に食べてもらうといったアピールをしながら、元気一杯会場を盛り上げてくれた。 全国をみまわすと「女性が元気なところは地域も元気」という感じを受ける。式根島でもこのセンターの活動がますますこの島を元気にしていくのではないかと思う。 朝市の会場でグループのリーダーと立ち話をしながら聞いたところ、贈答用の詰め合わせセットもつくっているという。季節はお歳暮シーズン、早速お願いしてみようとおもった。 〈アジ・トビウオ・サバ・キンメダイなどの干物が陳列中〉
2007年11月22日

昨日は新島特産の白いサツマイモ(「アメリカ芋」)の調査を農業改良普及員さんたちと一緒にしました。 アメリカ芋とは「七福」という品種の芋で、新島では明治時代の終わりか大正時代ぐらいから栽培され、保存性が高く、また低養分土壌で栽培が可能という特徴から、それ以降栽培が続けられてきました。 ところでサツマイモはトマトやキュウリなどの野菜のように種子から栽培するという方法を一般的にはとらず、親芋から出たツルを切り、畑に植え込み栽培するため、親芋が病気(特にウイルス病)に感染している場合は、そのツルも感染してしまっているため、無病の芋を収穫することができなくなってしまいます。 そのためサツマイモの成長点を培養して無菌の苗(ウイルスフリー苗)を育苗することで、その問題を克服する方法がとられますが、農園でもこのアメリカ芋のウイルスフリー苗(「メリクロン苗」と呼ぶ)を、ある種病会社の協力を得てすすめています。 そして今回はそのメリクロン苗とノーマルの苗との収量やサイズの差を調べることを目的とした調査(今年6月に植付けしたもの)を行ったのでした。 調査方法としましては、それぞれ20株ずつ芋を彫り上げ、まずそれぞれの大きさを測定します。その次に100g以下、100~200g、200g以上のカテゴリーに芋を分けて、それぞれの個数を調べました。 その結果ですが、今回農園で試験区においては、メリクロン苗とノーマル苗を利用したことでの大きな違いは見られませんでした。 仮説では、メリクロン苗を利用したほうが収量も多くなり、サイズも大きくなるとしていましたので、実際の結果と仮説が違った形になりました。そうなりますとどうして差が出なかったのかというところも検討していく必要も生じてきそうです。 ただ今回の調査をもって結果を断定していまう、ということはできず、村内の数箇所でそういう調査を続けておこない相対的に分析していく必要があるいでしょう。 実際別の畑での調査ではメリクロン苗の優位性が見られています。 今後数年間で同様の調査を続けていくことを計画しています。〈アメリカ芋の掘り出し中〉
2007年11月21日

今年の初夏頃から、島のアシタバ農家さん数人(40代~70代の女性の方)が中心となって、アシタバパスタ作りをすすめています。 そして先日の17日(土)、5回目の試作会が農園の加工室を使って行われました。 はじめた当所は水の分量やアシタバの量、パスタの太さなどなかなかうまくいかず苦労していましたが、回数を重ねるごとに要領を掴み、今回は手際もよく35食分(120g/1食)をつくることができました。 ところで周りを海に囲まれた新島では、船の欠航などによってアシタバ出荷がスムーズにいかないことが時々あります。11月12日(月)も強い西風が吹き、海が荒れ、船が欠航してしまい、出荷しようとしていたアシタバ約25ケース(20袋/1箱、150g/1袋)が島外へ出荷でなくなってしまいました。 そういう状況の中少しでも加工品などを開発することによって、リスクをさげたいと思い進めている1つの試みがこのパスタつくりです。 まだまだ皆さんに提供できるにはいくつものハードルがありますが、茹でると鮮やかな緑色に仕上がるこのアシタバパスタを、いつの日か皆さんに食べてもらえることを夢見て、アシタバ農家さんたちが頑張っています。〈ただいまアシタバパスタの試作中〉
2007年11月20日

新島中学校の2年生は、「職場体験」という約3日間の実習を夏休みに島内で行うことになっている。 毎年農園でも2名ぐらいの実習生を受け入れて、園内の仕事を体験してもらっているが、今年は何と6名もの生徒たちが実習をしてくれることとなった。 生徒たちは村内の職場から自分の希望するところを選んで実習をすることになる(ただし受け入れ側との調整ができた場合に限る)が、2年生21名のうち6名も、つまり3~4人に1人が農園を選んでくれたことに、農園を担当するものとして、嬉しいと感じるとともに、「きちんとやらなければいけないな」という思いをあらたに強くした。 ところで実習というのは、わたし自身の経験から考えるに、少々きついくらいのほうが記憶にも残り、実のあるものになると思っている。「あの時はあんなに辛かったよな~。」なんて後から思い出せるくらいがちょうどよい。 さいわい農園にはこの時期とてもキッツ~イ環境が揃っている。まあ実習生には「不幸にも」という表現が適切なのかもしれないが・・・。 これは全国的なことかもしれないけれども、とにかく今年の新島の夏は暑く、8月にはいってからというものほとんど雨が降っていない。外にいても暑くていてもたってもいられない状況なのだが、農園のハウス内は時折40度を超えるときもある。まさに天然サウナ状態、その中で現在秋苗の準備を進めているわけである。 またこの季節の家畜の糞長処理は、まさに匂いとの戦いである。わたしなどはほぼ毎日やっていて、すっかり嗅覚が麻痺してしまっているし、家畜糞は大切な堆肥の原料だと思っているので、まったく苦にならないが、例年実習生たちは、この匂いに閉口している。 さらに炎天下の中の草むしりや、畑の土の消毒作業など、とても根気のいるすてきなメニューが揃っているのである。まさに前菜なしでメインデッシュ4連発といった表現がふさわしい。 しかし毎年のことであるが、農園にくる実習生たちは、弱音も吐かずに本当に一生懸命やってくれる。まあ確かに家畜の糞掃除などは最初わたしのやり方を遠巻きに見てはいるが、仕事の手順や意味を説明すれば、きちんとやってくれる。 そんな彼らを見ていると、自分自身のいい加減な中学生時代が思い出されてきて、何だか偉そうに説明している自分が恥ずかしく感じてしまったりするのである。 わたしは予定のメインデッシュを繰り出し続け、彼らのがんばりですべての仕事を終えることができた。実習最終日の最後の反省会で、みんなに感想をたずねたら「楽しかった」という声が返ってきた。もしかしたらわたしへのリップサービスも入っているかもしれないが、とにかく元気にやってくれたことにホッとした。それに農園としても本当に助かった。 「皆さんどうもありがとう。」 来年も来てほしいな。
2007年08月19日

ある分野に専門性を発揮する人というのは、その自分の専門のことについて四六時中気になってしまうような人なのだろう。 以前ある雑誌に作家の井上ひさしのインタビューが載っていたが、彼は毎日新しい言葉に出会うことに生き甲斐を感じているようで、「1日ぐらい食事ができなくてもがまんできるが、もし仮にその1日新しい言葉に出会うことができないとなればいてもたってもいられなくなってしまう。」というようなことを述べていた。 確かに「3度の飯より、それが好き」という人にたまに出会うことがある。 その点わたしなどは、至って普通の人間で、目の前に自分の興味のあることがあっても、もしその場に食事が提供されたならば、迷わず食事を取ってしまうタイプである。まあ興味といっても、底の浅い興味なのだろう。 ところで3~4ヶ月ぐらい前から、農園に蜂の調査をするために定期的にやってくる某大学の大学院生がいる。彼は新島に住んでいる蜂の種類を調査しているそうで、新島の何箇所かにお手製の蜂の巣を仕掛けていて、その1つが農園の管理棟の外柱にもくくりつけてある。ちなみにその蜂の巣は、長さが40cmの竹筒を束ねてつくったもので、様々な蜂に使ってもらえるようにそれぞれ太さが違う。 わたしは性格上農園を訪れる方には声をかけてしまうタイプで、ある日大きな虫取り網を持ち頭にタオルを巻いた出で立ちで現れたその彼にも興味津々で話しかけてしまった。 さてある分野に専門性をもっている方のお話をお聞きするのはやはりおもしろいもので、蜂の種類や生活史など頭に浮かぶことを色々質問としてぶつけてみた。彼はそれぞれの質問に詳しく答えてくれるのだが、時折面白い行動をとるのである。 それはわたしたちの周りに小さな虫が飛んできて、それが蜂の1種だとすると、わたしと話をしているにもかかわらず、彼は持っている虫取り網をすばやく振り回しては、それを上手にキャッチしては、「これは○○蜂だ。」などと識別しているのである。 わたしはその行動を見て更に感心してしまった。やはり専門を極める人というのは、その興味の対象に常にアンテナを張っていて、その対象に対して反射的に動いてしまうような人でなければならないのだろう。 ところで先日、月1度の調査記録をするために、その彼が農園に再びやってきた。早速柱に取り付けてある蜂の巣をのぞいてみると、幾つかの竹筒が確かに蜂たちに使われているではないか。普段まったく巣のことなど気にしていないわたしも、その時ばかりはついついその彼に「この蜂はなんていう名前?」などと聞いてしまった。 しばらく観察していると、大きさの違う何種類もの蜂が竹筒に飛び込んできた。そしてその蜂たちは決まって何かを抱えていて、あるものは土であったり、またあるものは小さな芋虫であったりするのである。 わたしはその蜂たちの営みを見て、子供が偶然にもすてきな宝物を見つけてしまったように、「わー、すげー。」と、声を上げて喜んでしまった。 普段何気なく仕事をしている農園でも、こんな物語が繰り広げられているのを知り、嬉しくなったひと時だった。そしてそれを気づかせてくれた彼(蜂博士?)にはとても感謝している。
2007年08月04日
翌朝は、いつもより早く目を覚まし、わたしはジャングルの静寂の中、いつものババコ園へ向かいました。 つくづく人間というのは「獲らぬ狸の皮算用」の生き物だと思いますが、その時わたしが描いていた頭の中のイメージは、洗剤の忌避効果で「カルガドール(ハキリアリ)」がまったくババコによるつかないババコ園の様子でした。 歩いていくと、いつものようにだんだんと小高い丘の上に立てられたババコ栽培用のビニールハウスが目に入りはじめます。そして次には緑色のババコの葉が目に入っていくハズが・・・・、「あれっ?」、なぜかその朝は目に入ってきません。 目に入ってくるのは、何だか茶色い棒のようなものばかり・・・。 そしてババコ園に到着したわたしが目の前にしたものは・・・(ガーン)。 結論から言うと、選択用洗剤「デハ」の「カルガドール」に対する忌避効果は、話に聞いていたとおり確かにあったのです。 しかしそれはわたしが想像したこととはまったく違う形で現れたのでした。 つまりババコを洗剤で洗い流したことが原因で、ババコの葉のほとんどが枯れ、地面へ落ちてしまっていたのでした。 畑のなかにあれほどいた「カルガドール」の姿もその朝はまったく見当たりません。そりゃそうです、彼らも食料の生産原料となる葉がない場所には、寄り付くことはありません。 再度書きますが、洗剤には彼らを寄せ付けない効果はあったのです。そう抜群な効果が。しかしそれは同時にその植物も枯らしてしまうという究極の犠牲を伴っていたわけです・・・。 今あれから10年ぐらいがたちますが、あのときの朝の光景は今でも鮮明に覚えています。 そして、わたしはカルガドールとの一連の戦いを通して、「自然の営みを人間の力でコントロールしようなんていう考えは、農業においては根本的に通用しない。」ということを知り、「その地域・風土にあった農業形勢や発展がある。」のだろう、ということを学びました。 3年ぐらい前になりますが、広尾にある老舗のスーパーマーケット「明治屋」へ寄ったら、フルーツコーナーに「ババコ」が置かれていることに気がつきました。「こうやって売られているということは、この果物を買う人もいるのだな~。」と思い、そばに寄り、その「ババコ」を見つめていると、わたしの心の中で「甘酸っぱい気持ち」がジンワリと広がっていくのを感じました。 その時はその「ババコ」を買うことはできませんでしたが、いつか「ババコ」を買い、「ババコミルクセーキ」などをつくれる時がやってくるのだと思います。 終わり
2007年07月20日
今のようにインターネットのインフラが整備されていれば、ネット検索によりこの「カルガドール(ハキリアリ)」の適切な駆除方法を知ることができたかもしれませんし、この昆虫の専門家に生態について尋ねることができたかもしれません。 しかし10年前は、まさにこれからネット環境が整備されていく時代で、当時わたしが現地から日本と連絡をとるには、届くまでに2週間ぐらいかかる手紙か、時差を気にかけてかける電話が中心だったのです。 ですから作物の栽培に関する情報収集は、現地の人たちに聞いてまわったり、現地の人からもたらされたりする情報が中心でした。 ところで、「カルガドール」のババコ攻撃につくづく手を焼いていたわたしを見かねてか、学校の校長がある興味深い防除方法を教えてくれました。 それは、「植物の葉を洗剤で洗い流せば、その洗剤の匂いでカルガドールが寄り付かなくなる。」というもので、その校長も国の農業試験場の方から教えてもらったとのことでした。 それは、匂いなどによる「忌避効果」を狙った駆除法ですが、今まで洗剤を使ったそんな防除方法があることなど聞いたことがなかったものの、カルガドールの食害に苦しみ、何か対応策がないだろうか・・・と考えていたわたしは、「藁をも掴む、神にもすがる、そして洗剤にも助けを求める思い」で早速校長に、「それをやってみよう。」と提言しました。 ところでどんな洗剤が良いのかという話になりましたら、校長曰く、「洗濯用家庭洗剤が良い」、特に『Deja(デハ)』がよく効くらしい」ということでした。「デハ」とはエクアドルの一般家庭で広く使われている洗濯粉洗剤で、日本で言えば「トップ」とか「アタック」といった洗剤に該当します。 早速我々は、作業に取りかかりました。大タルに「デハ」の粉末を入れ、そこに水を加え、よくかき回せ、白濁の液体をつくります。そしてそれをジョロに入れ、50~60cmぐらいの高さに育ったババコの木一本一本に、丹念に、たっぷりとかけてまわりました。 辺りには、ほのかな洗濯洗剤の匂いが流れ、洗剤液で洗い流されたババコの葉は光沢に輝いていました。その様子はまさに「効きそう」な予感を感じさせるものでした。 そして地面を連なって歩く「カルガドール」たちにも、右往左往と列を乱している様子が見てとれました。 数時間かけて、一連の作業を終えたわたしたちは、額に汗をにじませながらちょっとした満足感に浸って、これからあらわれるだろう、効果について互いに言葉を交し合ったのでした。 さてその効果、まさに「テキメン」だったのですが・・・・。
2007年07月15日
慣れない外国語を使ってコミュニケーションをしていると、往々にして相手の言ったことをきちんと聞き取れず、自分の中でその話の内容を推測しながら、理解していくということがあります。このカルガドールの女王アリの習性についても、勝手に自分の都合の良いように理解をしていたことを後で知りました。 わたしは巣穴から飛び出してくる女王アリ1匹を捕まえてしまえば、そのアリの巣はいずれなくなり、また飛び出した女王アリが他のところに新しい巣をつくることがないから、この周辺の巣の数は次第に減っていくだろうと考えていました。しかし、この女王アリの巣立ちの行動は、新しく生まれた女王アリたちが、自分の巣を持つための分家することを目的にしていたのです。 ある朝仕掛けたネットを見に行ってわたしはビックリ仰天しました。てっきり網にかかっているのは、一匹の女王アリだけだと思っていたら、なんと何匹もの女王アリがかかっているではありませんか・・・。そしてネットを仕掛けた巣穴をまわるたびに、わたしが手にもっていたビニール袋は、徐々に捕獲された女王アリたちで満たされていくのでした。 この捕獲した女王アリたちをもって学校の用務員のところへ持っていくと、彼はとても喜んで、「よし、今夜これで一杯ビールをやろう。」というのでした。 その夜、口の中に油で揚げたての女王アリを口に放り込み、その彼と地ビールを飲みバカ話をしながらも、わたしは心の片隅で「カルガドールに対する敗北感と、アマゾンの大自然に対抗しているちっぽけな自分。」を感じていたのでした。 しかし何とかこのババコプロジェクトを成し遂げなければならないと考えていたわたしは、諦められず次の防除方法を探すことにしたのです。 そしてそれから数日後にある現地の人から教えてもらった防除策が、わたしとカルガドールのまさに最後の決戦につながっていくことになるのです。
2007年07月06日
わたしは、このババコ園のまわりに、大小あわせるととても数え切れないほどの「カルガドール」の巣があったことを思い知らされました。 なぜならば、発見した巣を掘り起こし、ガソリンを注いで、火をつけて燃やし、「やれやれ、これで完了か・・・」と思うと、他のところにまた別の行列を発見!! そんな連続なのです。 とりあえず執念でババコ園の近くで発見できた巣は全部焼き尽くしたわけですが、探せば探すほど、あちらこちらで蟻塚が見つかります。まさにババコ園のまわりに蟻塚があるというよりは、蟻塚の中にババコ園があると表現したほうがふさわしいのでした。 この現実から、私は今の焼き尽くすという方法ではこの問題を乗り切ることは不可能だということを知りました。しかし、この問題を解決しない限りはこのババコ園の未来はありません。何か他の方法はないだろうか・・・、と思案したわけです。 「己を知り、敵を知れば百選危うからず」という諺があります。まずは敵のことを理解しなければ勝利はありえません。そして必ずその敵(カルガドール)の生態を利用した駆除の方法が存在するはずだ・・・、それに、相手の生活パターンを逆手にとった駆除の方法であれば、こちらのエネルギーも少なくてすむし、自然に与える負荷も少なく、合理的な方法になるにちがいないだろう・・・と考えたわたしは、早速情報収集を始めました。それは少しですが生物学をかじった人間として客観的に、そして冷静にことを為そうとする意地もあったわけです。 するとある現地の人からとても興味深い話を聞くことができました。 それは「乾季のある時期、このカルガドールの女王蟻が巣を抜け出し、新しい巣作りのために移動するので、それを掴まえてしまえば、巣の増加を防ぐことができる。」というものでした。 季節はちょうど乾季を迎えたころで、女王アリが巣を抜け出す時期に近いことを知った私は、ババコ園の周辺にある巣、それもかなり遠くにある巣にまで、その入口に白い捕獲用のネットを張ることにしました。 焼却作戦に挫折感を感じたわたしですが、この新しい妙案に気持ちはすっかり復活し、「これで彼らも一網打尽だ。」と思いながらせっせと網を取り付けました。 それに「その捕まえた女王アリを油で揚げて食べると酒のツマミに最高だ~。」ということも聞いていましたので、昆虫食文化圏の出身(信州)の私は、それがどんな味なのかというのも楽しみになっていました。 しかしこの作戦にも、大きな落とし穴があったわけですが・・・・。
2007年07月04日

10年くらい前のことにもかかわらず、あのときの朝のことはよく覚えています。 いつものように学校へ出かけ、そしていつものように「ババコ農場」へ出かけたときのことです。畑を一望したわたしはその様子が何か変なことに気がつきました。 普段は緑の葉で青々と覆われているその一帯が、奥のほうだけ茶色く見えるのです。 「あれ?どうしたんだろうと?」と思い、近づいていったわたしの耳に、「シャカシャカ」という嫌な音が聞こえてきます。そして足もとには左右に揺れ動く、緑色の一筋の川のような流れ・・・、「エッ!!」といった声にならない声を詰まらせたわたしは、まさに呆然と立ちすくしてしまいました。 目の前ではまさにあの「カルガドール」がこのババコの木々に襲いかかっているではありませんか。そして無数の蟻が木に這い登っては葉を切り落とし、下ではその葉をセッセと運ぶアリたちの姿が・・・・、その様子が川のように見えているのでした。 数秒後だったか、数十秒後だったその時間は分かりませんが、正気に戻った私は、普段から農作業を手伝ってくれていた、高校の用務員のホセのところへ走っていきました。そして「カルガドール」がババコの葉を運んでいることを伝え、何か対策はないだろうかと尋ねました。 すると彼は、蟻の巣を掘ってそこにガソリンをまいて焼いてしまったらよいと教えてくれました。 私はとりあえずシャベルとガソリンと新聞紙とマッチを持ってババコ畑へ戻り、その「カルガドール」の流れに沿い歩いては、「カルガドール」が葉を運び込んでいるその出入り口を発見したのでした。 早速巣穴を掘り始めると、目の前はまさに蟻だらけ・・・、「カルガドール」も何が起きたか分からない様で、右往左往しています。 以前は彼らの葉を運ぶ姿を可愛い・・・と感じていたわたしも、その時ばかりはそんな気持ちは微塵もなく、何とか「ババコ」を守らねば・・・、という一心で、巣穴にガソリンを注ぎ、火をつけました。 そしてちょうど乾季の乾燥した空気の中で、「ボッ!!」という音とともにたちあがった炎は、みるみる巣を焼いていくのでした。 ひとまず気持ちを落ち着けたわたしは、「カルガドール」には悪いことをしたと思いながらも、これで1つこの害虫に対する対策を確立したと、ホッとした気持ちで、手に持ったシャベルにもたれかかっては、しばらくその炎を眺めていたのでした。 しかしそれは、わたしは後ろを振り返り、他にも何本もの緑の川の流れがババコ園の中にあることに気づくまでのつかの間の余裕でしかなかったわけですが・・・。
2007年06月16日
「カルガドール」とは、スペイン語で「Cargador」と書きます。 Cargar(カルガール)とは、「運ぶ」という意味の動詞ですから、末尾に人を意味する「or」という接尾語をつけると、「運び人」「運び屋」といったいう意味になるのでしょう。 つまり「ハキリアリ」のセッセと葉を運ぶ姿がまさにそれらの表現にふさわしいため、現地では「カルガドール」と呼ばれるようになったのかもしれません。 ところでこの一見可愛らしい姿の蟻たちは、実は農業にとってはとてつもない害虫になることがあります。 確かに一匹の小さな蟻が運ぶ葉の量はタカが知れています。しかし蟻は集団行動を得意とする昆虫、ある木を獲物に据えると、何千何万匹という「カルガドール」がその木に襲い掛かります。 私は実際数メートルある木の葉が、一晩にしてほぼ丸裸になってしまった姿を目にしたこともあります。 「蟻は獅子をも倒す」といいますが、もし「カルガドール」のターゲットとなった木が農家が育てている果樹などだとしたら・・・・、想像するだけで何とも恐ろしい限りです。 さてわたしが任された「ババコプロジェクト」は、なかなかよい滑り出しをはじめていました。 「ババコ」は熱帯の果樹というよりは、当時エクアドルでも標高の高い地域で栽培が広がっていたように、雨が少ない、冷涼な気候を好むようでした。 そのためわたしが働いていた農業高校があったジャングル地方での栽培を試みる場合は、雨季の雨を防ぐ必要もあり、屋根にビニールを張った、木製の雨よけハウスも用意されました。 そのような雨をコントールできる環境の中、持ち込んだ苗も無事根付き、「ババコ」は新葉も展開しはじめるようになりました。またその頃ちょうど開催された「地域の高校が集まって開催された文化祭」のような催しにも、この農業高校の取り組みとして「ババコプロジェクト」は紹介され、注目されるようになってきて、農場を訪れるかたもあらわれはじめました。 それから数ヶ月後、先端やわき芽から伸び出した葉も大きく広がり、順調に生育がすすんでいる「ババコ」を眺めながら、わたしの頭の中のババコ栽培イメージは、既に来年の収穫量のことや、それからの普及のことなど、果てしなく広がっていくばかり・・・、そしていつの頃からか、あの「カルガドール」の存在すらわたしは忘れかけていました。 しかしまさにそれと時を同じくして、「カルガドール」の先遣隊の蟻たちの姿が、その平和なババコ園に現れはじめ、刻々の彼らの魔の手が伸びていたわけですが・・・。
2007年06月13日

エクアドルという国は、日本の2/3ほどの国土面積がないにもかかわらず、様々な地形、気候帯の場所があるため、一国の中で存在する動植物等の種の数は世界一だといわれていました。 特に私が住んでいたアマゾン地帯は、まさに「種の宝庫」。「ヘラクレス大カブトムシ」から「ナマケモノ」、「ピラニア」から体長数メートルにおよぶ「大なまず」まで、それまでお目にかかったことのない生き物がウヨウヨしていうるわけです。 そしてその農業高校での「ババコ」栽培を通して、わたしが壮絶なバトルを繰りかえすこととなる昆虫に現地で「カルガドール」と呼ばれる蟻がいました。 この蟻の生態は大変興味深いものがあります。 日本でもTV番組などで、「切り取った葉を担いでセッセと巣に運ぶ可愛らしい蟻の姿」が紹介され、見たことがある方も多分いるのではないでしょうか。日本では「ハキリアリ」という名前で呼ばれていると思います。 まさにアマゾンを体表する昆虫の1つで、現地でもお土産のTシャツなどに絵がプリントされていて、わたしもはじめの頃1枚買っては愛用していました。 イソップ童話の「蟻とキリギリス」にあるように、基本的に蟻は働き者なのでしょうが、この蟻が列を成して自分の身体の数倍もある葉を運ぶ様子は、まさに働き者の代表格というべき姿でした。 この蟻は、葉を自分の巣へ持ち帰るのですが、その持ち帰った葉を噛み砕いてドロドロにして巣の中へ引き詰め、そこにキノコ(カビ)を生やしては、それを食料とするのでした。まさに彼らはわたしと同じで、「農業」をしていたわけです。それが「地上」か「地中」の違いがあるわけですが・・・・。 ところで当所、アマゾンの動植物を博物館的視点で眺めていたわたしは、この「カルガドール」についても、同じように眺めていました。それは当たり前といえば当たり前のことで、それまで見たこともないものばかりですから、色々と興味がそそられるわけです。 ですから、この「カルガドール」について、現地の人からその生態を教えてもらったときには、とても感動し、この蟻を見つけては、葉の運ぶ姿を目で追い、その彼らの連なりに沿っては巣を発見して楽しんでいました。 つまりわたしは、この蟻の間に何の利害関係をみいださない、単なる観察者であったのでしょう。 しかしあるときを境に、わたしはこの蟻に注いでいたそれまでの客観的視点を失い、その関係は、熱い格闘の日々へと急展開していったのでした。 つづく
2007年06月09日

あれはもう10年近く前のことになりますが、わたしは当時、南米のエクアドルという国の片田舎にある農業高校で技術支援ボランティアとして働いていたことがありました。 そこはアマゾン川の支流、ジャングル地帯の入口のようなところで、様々な動植物に囲まれたそれはそれは自然豊かな場所でした。 私はその高校で2年近くお世話になっていたのですが、赴任して数ヶ月が過ぎたある日、そこの校長先生から「ババコ」という果物の栽培をしてほしいという依頼を受けました。 実は私はそれまで「ババコ」という植物の存在を知りませんでした。 しかし私が知らなかったのは当たり前といえば当たり前のことで、当時その果物が栽培され生産されていたのが「エクアドル」から「コロンビア」の地帯のみで、たぶん日本には紹介される機会は少なかったと思われるからです。 またそれは「パパイヤ」と「他のある植物(名前を忘れた)」を人為的な処理を掛け合わせ生み出した、果実に成熟した種子をつくることができない「三倍体」とよばれる植物でした。それゆえ増殖法は挿木方法が主となり、種を持ち出して増やすということができなかったため、他の地域へ普及していくには、時間がかかる果物だったのでしょう。 ただいくら私がその果物のことを知らないとはいえ、依頼を受けたからには、何とかしなければなりません。 とりあえず日本語の文献はないので、地元の農業試験場から「ババコ栽培マニュアル」といった冊子をもらってきて、スペイン語の辞書を引き引き、意味の分からぬところは飛ばしながらも何とか読み通し、その冊子の指示に従いながら畑の準備をはじめました。 ところでこの「ババコ」という果物の食べ方についてですが、普通の果物のように果実をまること食べるということはしません。一般的には、皮をむいた「ババコ」の果実を砂糖と一緒にミキサーにいれ「ジュース」にしたり、また牛乳を加えて「ミルクセーキ」のようにしたりして飲みます。他にも「ジャム」にしてパンにつけて食べるという使い方もあります。 生で食べれないこともないのですが、甘みもなく、味もハッキリせず、そのように食べても正直言って美味しいものではありません。 しかし「ジュース」や「ミルクセーキ」にすると、なかなかコクのある味に仕上がって、私などは、必ず食堂でこのジュースを注文するほどやみつきになりました。 そしてこの「ババコ」は新しく開発された果物とあって、市場でも高い価格で取引されていたことから、この農業高校でも地域新興も視野に入れて、栽培計画を立てたようでした。 ただこれは後で知ったことですが、この計画は校長の発案ではじめたようで、その高校には20人近くの教員がいるものの、誰もがこの「ババコ」を栽培した経験がないことから、やりたいという人がいなく、ちょうど日本からやってきた現地について右も左も分からず、スペイン語もよく理解していない私に、その話が降りてきたのでした。 そんなことをつゆ知らぬわたしは、セッセとセッセと植え床の準備をすすめ、200kmぐらい離れたところになる「エクアドル中央農業試験場」から苗を運び込み、植え付けに至ったのでした。 そして遂に約300本近くの苗を植え終えた私は、その畑の端に立って腕を組んでは、1年後にははじまる予定の「ババコ」の収穫イメージを頭に思い浮かべて、「ニヤリ」と笑みを浮かべていたのでした。 しかしその足もとでは、そんな夢描く私をおおいに苦しめ、そして遂には敗北へと落とし込めることになる、不吉な昆虫が連なり歩く姿があったのですが・・・。 つづけ
2007年06月06日

農園で苗販売などをしていると、苗を購入される方からいろいろな質問をされます。 その時答えられることは、当然その場で対応しますが、こちらもすぐには分からないことは、お時間をいただき、色々文献などをあたって調べ、お伝えするようにしています。 必ずしもすべて分かるわけではありませんが、何らかの対応をとるように心がけています。 ところでそのような質問の中で、多いものの1つに、「蟻の駆除の方法を教えてほしい。」というものがあります。 例えば「花壇の中に蟻が巣を作ってしまったが、何とか駆除できないだろうか。」とか、「家の脇に蟻が巣をつくってしまい、家に入ってくる。」などといった内容です。 そんな時にお薦めしているのが、農園でわたし達が「蟻の巣コロリ」と呼んでいる薬の使用です。 この薬のつくり方はいたって簡単で、「ダイアジノン粒剤」という農薬と「砂糖」を1:1に混ぜただけで、、また使い方については、蟻の巣の近くや、通り道に置いてあげるだけです。 すると蟻たちは、その農薬入り砂糖をセッセとセッセとそれを巣に運び、自ら駆逐されていく、というストーリーが展開されるわけです。 作り方も使い方も単純なわりには、“効果は抜群!!”、使った方からの反響で電話は鳴り止まず?・・・というところまではいきませんが、とても喜んでいただいているようで、こちらも嬉しい限りです。 (別にセールスしているわけではありませんので、悪しからず) さてこのように今は蟻の害に対しての強力な対抗手段をもつに至ったわたしですが、蟻との戦いにおいては、かつて敗北し続けた辛い歴史が私にはあります。 つづく
2007年05月31日

さてさてこの週末の2日間は本当にバタバタ時間が過ぎていってしまった感じだった。 というのは土曜日に島内で第16回目の「トライアスロン大会」が開かれ、私は式典の担当責任者となっていて、あれこれ段取りや対応に追われたことと、また日曜日は恒例の「直売朝市」が農園で開催されたので、その準備や接客、後片付けに追われたためだった。 何だか色々ありすぎて、今朝目が覚めてみたら、昨日と一昨日のことにもかかわらず、だいぶ前の出来事のように思えてしまう。 ところで話はぜんぜん違うが、わたしが新島に住んでいて「これは気楽でいいな~」と思えることがある。それは島全体に服装にほとんど構わず暮らしていける雰囲気があり、もともとそういう事に無頓着で、着たきりすずめ的なわたしにはすごく居心地がよいのである。(当然洗濯はされているが・・・) さらにわたしの服に対する無頓着さを強く支援してくれる状況がここにはある。 それは今回のような「トライアスロン大会」やまたは「サーフィン大会」の手伝いにボランティアで参加すると、だいたい決まってTシャツをもらえるからである。 平均すると毎年2枚ぐらいは新しいTシャツをいただいていているのではないだろうか。 そして汚れることは当たり前、どこかに引っ掛けて穴を開けるのも当たり前、そのような労働間環境にいるわたしにとっては、こうしていただくTシャツはとても重宝している。さすがに2001年から2004年ぐらいまでのトライアスロン大会のTシャツは、もう破れたりして手元にはないが、2005年からのものは現在わたしの日常生活をおおいにサポートしてくれているのである。 ところでこれらのTシャツは島民の多くに配られるので、時折ペアルック現象を島内のあちらこちらで見ることができる。島内では外の現場の仕事についている人も多く、そういう人たちが好んでこれらのTシャツを着ているのであるが、もしかしたら島を訪れた観光客は、兄弟とか夫婦とは思えない人たちが同じ服装をしているのを目にして不思議に思うかもしれない。 さて今年のトライアスロン大会で配られたTシャツは、奇抜にもオレンジ色だった。なかなか抵抗のある色かもしれないが、そのうちあちらこちらで目にとまるようになることだろう。 つまりはオレンジ色が新島の春から夏にかけての流行色?ということになるのかもしれない。
2007年05月28日

ちょっとお堅い話からスタートしてしまうが、2年前国会で「食育基本法」という法律が制定されたとき、「食育」なんていうものが法律になるんだ~、と私は少なからず驚いた。 確かにそれまで食育に関する活動や運動が様々な地域で取り組まれてきていたことも事実だが、例えば10年ぐらい前までは、学校給食といえば効率的で経済的という理由から「大規模センター化」へすすんでいくことが主流で、そのためには規格の揃った食材を大量に、それもなるべく安く仕入れるというほうへ向かっていると私は思っていた。 まあ自由主義経済を強力に突き進めている日本であるから、そうなっていくのはそれは当たり前といえば当たり前なのだが・・・・。 また食事のありようなどは、あくまで個人や家庭の範疇の問題であって、国がどうこう言う性質のもでもない様な気が私はしていたし、国自身も「食育」なんていう何だかよく概念がつかめないものを法制化する気はないだろうと思っていた。 そうしたらあれよあれよの間に法律も制定され(それも全政党が賛成したと記憶している)、当時の小泉首相までが先頭に立って郷土食が集うフェスティバルに顔を出したりしているわけで、だから私は驚いたのである。 さてさて話は新島に移るが、新島でも「学校給食に新島産の野菜を使おう」という動きが少しずつあらわれてきている。 実は昨晩も野菜の生産者や栄養士や調理員、JA、普及センターなどの関係者が集まって話し合いをおこなった。 先月4月の会議で、とりあえず地場産の玉葱とジャガイモを学校給食で使うことからはじめようという結論でまとまったので、昨晩の会議は6月の給食で使うそれぞれの野菜の必要量や規格、値段、搬入日などを決めた。 残念ながらジャガイモを提供できる生産者はいなかったので、まずは玉葱だけだったが、サイズはM・L・2Lぐらいと決まり、値段も市況の値段、島内の小売の値段、生産者の要望、学校給食センター側の要望をなどを提示して、お互い「そんなところでやりましょうか。」というところで落ち着いた。 とりあえず今回の試みは「はじめの一歩」ということで、これからも毎月話しあいを重ねながら、少しずつ品目も増やせていければいいな~と皆考えているようだった。 そして今の時代、「食というのは地域で取り組む課題なのかもしれないな~。」と、話し合いを通して、私も感じるようになってきた。
2007年05月24日

先日の日曜日、新島の春の一大イベントである、ソフトボール大会が開かれた。 ここ最近天候に恵まれてこなかった大会であったが、今年はほとんど雲もない五月晴れとなって、みんなでワイワイガヤガヤ、とても気持ちのよい一日中を過ごさせてもらった。 けれど毎回のことであるが、このソフトボール参加チームの多さにはビックリさせられる。正確な参加チーム数は忘れてしまったが、23~24チームぐらいは出場していたのではないだろうか。 参加チームの形態は自由であるが、だいたいが同級生チームで参加してくる。一番若いチームは30代半ばぐらいで、年配チームには60代もあるので、ほぼ全学年が参加してきているような状況である。 また男女の混成チームで、年齢が若いチームほど、女性の数を増やすというルールとなっている。 まあバリバリ勝ち抜くというよりは、参加してその後の一杯会がメインのようなチームが多く、要は仲間での親睦会の延長のような感じでもある。 ところで試合は、全部で6チームごとの4ブロックに別れ、その中で2試合をおこない、勝率と得失点差から上位1チームが決勝戦と三位決定戦にすすむこととなる。そのためまずは6チームの中で首位に立つということが大変なのだが、何と今年わたし達のチームは勝ち残ることができた。 その理由は色々あると思うが、チームの女性陣の活躍によるものが大きいのと私は思っている。ソフトボールというのは面白いもので、ムキになったりパワーがあるからといってからといっていいバッティングができるわけでもなく、またボールの処理もある程度飛んでくる方向を予想して守り、そしてボールが飛んできた場合も体の前に落として、落ち着いて処理すれば、ランナーをアウトにすることもできる。 わたしなどは真剣になってしまうほうだから変に力みがでてしまうが、その点が我らの女性陣にはないようで、自然体にやっているところが良い結果に結びついているのだろう。 残念ながら3位決定戦で破れ、(わたしが打ち込まれ敗戦投手となったわけだが・・・・)4位となったが、子供たちも混じって楽しい一杯会もでき、次回は3位を狙い、2年後は優勝するぞ(笑)!!との掛け声の中で会は解散した。 そんなほのぼのソフトボール大会は、なんとも居心地がよい。
2007年05月22日

先日の朝、ふっと子供たちの姿が部屋の中から消えいなくなっているのに気がついた。 また道路へ飛び出して遊んでいるのではないかと思い、妻に「子供たちの姿が見えないよ。」と聞いてみたら、「朝のデザートタイムをしているんだよ」との答え。 どうもよく状況がつかめない私も家から外へでてみたら、我が家の裏隅に生えている木の周りに彼ら二人が群がり何やらムシャムシャ食べていた。 よく見るとそれは桑の実。「へ~、家にも桑の木があったんだ~」と驚くと共に、ちょっと嬉しくなってしまった。 ちょうど新島では今の季節、桑の実が島の至る所でたわわに実っている。最初は薄黄緑色している実が、赤くなり、そして濃いルビー色に変わると食べごろを迎える。歩きながら思わず摘んでしまうのだが、口の中に桑の実の甘い香り広がり、ついついもう1つもう1つと手を伸ばしてしまうのである。 ところで私は今年まで我が家にあるその木が桑の木であることをまったく知らなかった。確かにそこに木が1本生えていることは知っていたが、そこが我が家に隣接する物置小屋のさらに裏であったので、ほとんど眼中になかったのである。 それにその木とご対面するのは決まって夜だったという理由もある。 なぜならそこは夜ビールなどを飲みほろ酔い加減になったとき、夜風にあたり、星や月を眺めながら「立ちション」をするのに絶好の場所だったからである。 ましてや頭もハッキリしていないので、その木のことは、何だかわけの分からない適当に生えてきた木だろう・・・、ぐらいにしか思い、よく見てもいなかったのである。 ところがこれまであまり成長してきていなかったその木が今年急激に大きくなり、沢山の桑の実をつけたのである。まさに「棚から牡丹餅?」「果報は寝て待て?」現象である。 しかしよくよく考えてみると複雑な気持ちでもある。 私が夜な夜なションベンをかけていた木が、成長しそれが実をつけ、その実を我が家の子供たちが美味しい美味しいとムシャムシャ食べているのである。つまり彼らは私のションベンを食べている(飲んでいる?)ことにならないだろうか・・・、当然その過程には様々な微生物の作用や植物の生理などがはたらいているのであるが、原因と結果だけみるとまさにそうなのである。 朝私が仕事に出かけるとき、子供たちが気を利かせて「農園に持ってきな」と2~3房の桑の実を持たせてくれる。ムゲに断ることもできないの、ありがたくもらっていくのだが、その桑の実を口に入れるとき、心の中で少しのためらいが生まれる。 もしかしたらあの桑の木は、このようにして私に積年の恨みを晴らしているかもしれないとふと思うのである。 ただその積年の恨みは、ちっともションベン臭くなどない、さわやかな春の香りとなって口の中へ広がっていくのでもあるが・・・・。
2007年05月20日
島で暮らす上で気になることに「宅配事情」がある。 離島以外の本州・四国・九州などに住んでいると、「安定した宅配システム」がきちんと整備されているので、どの宅配会社を利用しても指定された場所と時間へ、委託された荷物がほぼ間違いなく届くのだが、離島に暮らしているとそれは当たりまえではないのだ、ということに気づかされる。 ちょっと前の話になるが、大学の後輩たちが「筍」を送ってくれたことがあった。彼らが仲間と借りている畑のそばに竹林があり、そこで掘り出した「筍」をこちらには知らせずに送ってくれたのだが(私を驚かせ喜ばせたかったらしい)、そのとき彼らは新島ではサービスを提供していない宅配会社を利用してしまった。 結局その「筍」はこちらには届かず、10日くらい後に彼らのもとへ、半分腐りかけた状態で戻ってしまったとのことだった。 もし私のほうへ連絡してくれていたら、何らかの対応は出来たと残念に思ったが、彼らのあたたかい心遣いはありがたく頂くこととした。 ところで新島で利用できる小包等の宅配方法は、「クロネコ」と「郵パック」である。しかし「クロネコ」でも「クール宅急便」のサービスは受けられない。そのため常温では送ることができないものは「郵パック」の「チルド」を使うこととなる。例えば新鮮な魚介類などは、発泡のケースに氷と一緒に積めて、「チルド」で送り出すのである。 しかしそのような島の宅配事情をきちんと理解すればそれほど不便さを感じなくなるのも事実である。 今の時代インターネットを通して様々なものを手に入れることができるが、その恩恵は島にいても充分受けることができる。というよりは自分で実際に歩きながらショッピングすることができる環境にない島だからこそ、ネットショッピングは島で生活するうえでより重要なものとなっているようにも感じられる。 また人間というのは身近に手に入るものよりも、手に入りにくいものであってもそれが良いものであるならば何とか手に入れたいという欲求を持つ。つまりは無いものねだりなのだが、実はちょっと前からそんな楽しみ方をネットを通してはじめた。 それは島に住む友人たちと一緒に、新島では普段売られていない食材を手に入れて食べるという楽しみである。 その食材は別に目が飛び出るほどの高価なものではなく数千円のものであるが、産地や旬にこだわって、尚且つあまり手をかけずに食べられるシンプルな食材を月に1回、1品だけお取りよせするというものである。 だいたい「なま物」が多く、常温では送ってもらえないもので、一般的には「クロネコのクール宅急便」を指定している送り主が多い。しかし先にも触れたように新島では「クール便」のサービスは受けることができない、そこで何とか「郵パックのチルド」で送ってもらうことを交渉するのである。 その交渉は私の担当なのだが、実際やってみて大方のところで「代引き」であれば対応してくれることが分かった。 そこまでして手に入れたいかと思うが、そこまでするからこそ「旬の旨いものを食べよう」というコンセプトがより際立ってくるのである。 「では6月のメニューは何にしようか・・・」 ちょっと頭を悩ませるが、こんな悩みならばいつでも「ウェルカム」である。
2007年05月16日
苗作りをしていて、その苗の調子が悪いとき、それが病害虫によるものなのか、それとも生理的な要因によるものなのか悩むことがよくある。 先日もこの点にぶつかり、私は間違った判断をしていたことに気づいた。 それはミニトマトの苗に現れた症状であったが、下葉にポツポツと緑色が抜ける箇所が現われ、それがひどくなると葉先全体が黒くなり、その葉自体が枯れてしまうというものでだった。 実はこの症状は一昨年からあらわれていてたが、私は病気ではなく生理障害だと思いっていた。 その理由は、(1)苗が小さな子葉の時にその症状があらわれはじめることがあり、市販の種まき土を使っていたのでそんなに小さな時に病気にはかからないだろうと思い込んでいたこと、(2)液肥を与えていたところ回復が見られたこと、(3)他の種類のトマト苗にはその症状があまり見られなかったこと、(4)定植した後に苗に勢いがつくと回復できたことなどがあった。 そのため私は鉢上げに使う土をトマトの成長に合うように土の栄養バランスなどに気をつけ配合し対応してきた。そしてそれもある程度の効果があわられたので、私はそれ以上の疑いをかけずに、生理障害だと決め付けてしまっていた。 しかし今年ある異変に気が付いた。 それは4月中旬の1週間以上続いた長雨のときだった。当然ハウス内で育苗しているので雨にあたるということはないのだが、湿度は高くなり、温度も昼間は20以上まで上がる日が続いていた。 それから苗の量がとても増えてきてので、水やりの方法もホースによる手潅水ではなく、頭上からのスプリンクラー潅水にちょうど切り替えたときだった。 やはりそのときもミニトマトではその斑点のようなポツポツが現われていたが、私の中では生理障害だと思っているので、その症状が他の苗に広がるとは考えていなかった。 しかし長雨が続いて4日目ぐらいから、どうも色々な苗の様子がおかしいことに気がついた。それまでその斑点があらわれることがなかった他のトマト苗にも同じような症状があらわれ、またナスやピーマンなどの他のナス科の苗の葉にも緑色がポツンポツンと抜けるものがあらわれてきたのである。 それまでこの症状はミニトマト以外には広がらないから大丈夫と考え、来年は違う品種のミニトマトに変更すれば良いだろうと思っていた私は、状況が自分のイメージとは違うように進んでいることに驚いた。 明らかに感染症の症状を見せているのである。 それからもう一度手元にある植物の病気の本を片っ端から洗ってみることにした。すると文字通り「斑点病」という病気に目がとまり、よくよく発生状況などを照らし合わせてくると、その時のハウス内の環境がこの病気の発生に適していることと、またその症状も本の表記や写真と似ていることが分かってきた。 植物の病気はいくつかに分類することができるが、大雑把に言うと、ウイルスによるもの、細菌による者、カビなどによるものの3種類にわけることができる(他の要因のものもあるが・・・)。この「斑点病」はそのうちのカビの部類に属して、もっと細かく分けると「不完全菌類」の中の「分生子層を作る仲間」に入る。 早速このタイプのカビの病気に効く薬を探し出し、散布した。こういうときは早め早めに対応することが肝心で、ほっておくとどんどん拡大してしまう。 ただ自分の今回の判断が間違っていないのかどうか、また以前のように思い込みではないのか、そして選んだ薬が本当に効いてくれるのかどうかといった不安もあった。 結果は、薬が効いたことと、長雨が終わり天気が回復してきたことでその病気の拡大を防ぐことができたのであった。 今回の経験を通して、私は思い込みで判断していると、色々なシグナルを見落としてしまうことを学ばせてもらった。 とりあえず今年の春の苗生産も折り返し地点は乗り越えた時期となったが、残りの期間うまく乗り切っていきたいと思っている。
2007年05月10日
この4月29日で長男が5歳の誕生日を迎えた。7年前新島へ移り住んだときには、妻と2人きりだったわが家族も今は4人。夫婦だけ見ているとまるであっという間に時間だけが過ぎていってしまったようにも感じるが、かつては存在しなかった子供たちが今はいて、そして彼らの誕生からの成長を振り返ると、時間が着実に進んできたことに気づかされる。 ところで子供にとっての誕生日は、かつての自分がそうであったように、格別でなものある。それは日常とは違った自分だけの特別の日で、そのメインイベントは何と言ってもプレゼントをもらえることである。 そして今回の5歳の誕生日、長男は祖父から「仮面ライダー バトル100超百科」という本を贈られた。この本はすっかり長男のお気に入りとなり、私は毎晩のようにこの本を読むようにせがまれているのだが、実はせがまれている私もまんざら悪い気持ちはしない。なぜなら私にとってもそれは「お気に入りの本」になっているからだ。 我が家では寝る前に子供に本を読んで聞かせることを習慣としている。これは主に妻が担当しているのだが、その理由は私が1冊も読みきらぬまま、子供より先に寝てしまうことが多いからだ。 私のなかでは本を読んで聞かせているつもりでいるのにもかかわらず、現実には話がどんどん脱線していってしまう。そして途中で子供に小突かれて、多少正気に戻るものの、すぐに眠りに落ちて、また小突かれるということを繰り返している。次男からは、「パシーン」と顔面平手打ちを食らわされてる始末だ。 しかしこの仮面ライダーの本を読んで聞かせることに限っては、ぜんぜん眠くならない。それどころか思わず私自身が本に見入ってしまい、読み聞かせるのを忘れてしまうため、長男から「ちゃんと声に出して読んで・・」と催促されてしまう。 けれどもこの「超百科」に散りばめられた戦闘シーンの写真を見ていると、幼少時代友達たちとライダーごっこをして田畑や公園を走り回ったことや、野性味あふれる「仮面ライダーアマゾン」が自分のお気に入りだったことなどが思い出されてきたり、また本郷猛に扮する藤岡弘も当時はこんなに若かったのかと眺めたりして、ついつい自分の世界に入ってしまうのである。 ただこのように改めて仮面ライダーたちをよくよくみていると、悲しいかなつまらぬ大人の観察眼も持ち上がってきてしまう。 例えば仮面ライダーのベルトであるが、今見るとその大きさに改めて驚かされる。確かにライダーにとってベルトは命であるが、まさにボクサーがチャンピオンベルトをしながら戦っているような様子で、さぞかし戦闘しにくかったのではないかと思う。そしてその形はまさにウエストポーチのようである。 また強化再開像手術で復活した仮面ライダー新1号が着ている上下のスーツなどは、まさに昔の学校の白い二本線が入った紺のジャージである。とても今ではヒーローとして許されないような衣装を身につけているのである。 ところで仮面ライダーではないが、ウルトラマンについても最近似たような視線で見てしまうことが多くなった。 昔は、登場する怪獣に自分の家も壊されてしまうのではないかと心配したり、またウルトラマンが怪獣との戦闘に勝って、宇宙に向かって飛び立ったときに、家から外にへで空を眺めてウルトラマンを探したりしていた私も、もうすっかり30歳半ばになってしまった。そして我が家のトイレの壁に貼ってあるウルトラマンたちの大きなポスターを便器にしゃがみながら見ては、夢のないことばかり考えてしまう。 例えばウルトラマンの靴や手袋が消防団の防火服のそれらとそっくりであるとか、ウルトラマンセブンの股間の○○○はとても大きくて、さぞかし中に入っている方は、スーツに締め付けられて苦労したのではないかとかそんなことをである。 言うまでもなく長男は人間がライダーやウルトラマンの中に入っているなんてまったく思っていない。いずれは分かることなのだが、せめてしばらくは夢を描かせるように、間違っても「中に人が入っている」なんて、布団の中で寝ぼけながら言わないように気をつけなければならないと、息子たちが夜寝静まった後に、一人その仮面ライダーの写真百科を眺めながら思うのであった。
2007年05月07日

端午の節句の食べ物といって、私の頭に浮かぶのが「柏餅」。けれど関西出身の友人に言わせると、「ちまき」なのだそうだ。確かに「ち~ま~き食べ食べ・・・」という歌詞があるくらいだから、端午の節句に「ちまき」を食べるのは、メジャーなのかもしれないが、関東文化圏に育った私にとっては端午の節句に食べる「ちまき」というもののイメージがトンと浮かばない。 ただ、新島で端午の節句に食べられる郷土食に「しょうぶ」というのがあるが、これがいわゆる一般的な「端午の節句のちまき」に近いものではないだろうか、と私は想像している。 新島では毎年5月3日・4日に商工会が主催する「観光朝市」が開催される。今年は新島の黒根港に近い観光協会前の駐車場スペースに約10数件の露天がたち、天候に恵まれたこともあって、大勢の村民や観光客で賑わったのだが、その中の農協のブースで販売される人気商品に「しょうぶ」がある。 そして農園の加工調理場では、朝市の前日の5月2日から島の60代のおばさんたちが7~8人ぐらい集まって、その「しょうぶ」つくりに精を出していた。 仕事の合間を見て「しょうぶ」つくりの中心となっているおばさんにこの作り方を尋ねたら、(1)上新粉に塩と少々の砂糖を入れて、お湯で練る、(2)それを直径2cm、長さ7~8cmの紡錘形に丸める、(3)それをカヤの葉に包み、上下を藁で縛る、(4)最後にそれを熱湯で茹で上げる、と教えてもらった。 特に私が驚いたのが、茹で上げる熱湯には海水を使うということだった。当然お湯に塩を入れて茹で上げることもできるのだが、熟練のおばさんに言わせると、それではうまみが出ないとのことだった。そのためおばさんたちはわざわざ水がきれいな堤防の先まで行って、海水をくみ上げては、それを持ち帰り、ちょうど良い濃さに調整して沸かして利用しているのであった。 また昔は今のように塩や砂糖などは入れずに、上新粉をお湯で練って形を整えたものをそのままカヤに包み、茹で上げていたそうだ。当然砂糖が高価だったということは言うまでもないが、海に囲まれた島でありながら、塩も貴重だったいうのがその理由らしい。だから沸かした海水で茹で上げることで、塩味を加えていたのだろう。 ところで食べ物は何でも作りたてをいただくのが美味しいと言われるが、この「しょうぶ」も茹でたてが一番うまい。残念ながら販売会場で茹で上げることが出来ないのでアツアツのものを食べることは出来ないのだが、農園で働いている私は、時折おばさんから「味見してみない?」といって茹で立てを2~3個いただくことがある。 鍋から取り出されたばかりで手で持つことができない「しょうぶ」を、フウフウいいながら、一枚一枚カヤを剥ぎ、口へほうばるのだが、「口の中に広がるカヤの香りと甘さ」がなんともいえず絶妙で、ついついもう一つもう一つと手を伸ばし、あっという間に全部平らげてしまう。 まったくこういう味見ならば何回でもウェルカムである。 ところでなぜこの練った上新粉をカヤで包んだ「ちまき」のような食べ物を「しょうぶ」と呼ぶのか私は分からないが、地理的には関東に属する新島が、端午の節句にこの「ちまき似のしょうぶ」を食べる関西的な文化を受け継いでいるところに私は興味をそそられる。 これも西から流れる黒潮によってもたらされた、「黒潮文化」の表れなのだろうか。 「しょうぶ」を口に頬張りながらそんなことをふと考えてしまった。
2007年05月05日
「土の力を低下させないために、田畑には堆肥(有機物)を入れなければいけない。」ということを今では極当たりまえと思っている私も、実際に堆肥というものに接し、堆肥作りを経験したのは、今から15年ぐらい前だった。 大学2年生の冬休みに、私は東京近郊で有機農業を行っている農家で農業実習をさせていもらう経験を得た。その農家では自分の身の回りで手に入る、藁や落ち葉、また飼育している豚の排泄物を利用して堆肥をつくっていて、私たち実習生もその作業を手伝わせてもらった。 それまで私は堆肥というのはただ藁とか糞とかを積んでおけば良いと思っていたが、その農家さんから「藁や落ち葉」と「家畜糞」を積む割合に気をつけなければならないこと、水分にも適正な量があること、またそれらを適時切り返していかなければならないことなどを教えてもらった。そして最終的に、あの積み上げられた藁や糞がしっかりと分解され、まったく無臭のふかふかの物体に生まれ変わってしまっているのを見たときには、とても驚いた。 まさにそのような完熟堆肥は、地力向上の源となり、結果的には健康な野菜を育て上げることにもつながっていくわけである。 ところでそんな経験を経ていく中で、ある時大学の仲間たちと「よい堆肥とはどんな堆肥だろうか」ということを夜の部室で酒を飲みながら話し合ったことがあった。それぞれが自分の経験をもとに、「積み上げた有機物の温度がどのくらいまでに上がったら切り返したほうがよいとか」「よい発酵をさせるには放線菌の役割が大切だ」などなど話はすすみ最終的には「原料にこだわらなければいけない」という結論に至った。 そして原料ならば「馬糞がいいらしいぞ」とか「松の葉からも良質な堆肥がつくられるらしい」などと、いかにも農学系学生らしい健全な話の展開がすすんで行ったのだが、やはり20歳そこそこの男ばかりの集団、「人糞もよい原料になる」といった話題ぐらいから、話はだんだんシモネタ化していくのである。 ちょうどその頃は「ブルセラショップ」というのお店が噂になっていた時代である。「人糞を使うならば女子高生のものを原料にしたほうがよい」という話を皮切りに、「いや女子高生ならば誰でもよいというものではない、有名○○女子高のものがよい」とか「そんなんじゃ駄目だ、有名○○女子高の誰々と特定したものでこだわろう」となり、「それじゃ作った堆肥は高校の制服をプリントした袋に詰めて売り出そう」という奴や、「○○高校生の堆肥で作った野菜!!ということで高く販売できるんじゃないか」「新妻・人妻・熟女シリーズもつくろう」といった意見もだび出してきた。 さてさて時代は過ぎ、先日ある農業系雑誌を見ていたら、そんなくだらない話もマンザラ的外れではなかったのではないかと思われる記事が載っていた。 今や「食の安全・安心」が叫ばれる時代、農業者も栽培で使った農薬や肥料などの情報を細かく報告する義務を負うようになった。またIT技術の情報技術の進歩により、消費者が栽培履歴を細かいところまで見ることが可能になってきた。農家にとってはなかなか厳しい時代であるが、逆にそれゆえに個性をある商品を消費者へアピールすることができるようにもなったわけである。 その記事では、使った堆肥の原料まで細かく情報公開している農家について触れていた。その農家の話では、「今のところそれによる際立った売上向上はないが、消費者の中には関心を持ってみてくれる人も生まれてきている。」とのことだった。 私はとても興味深くこの記事を読んだ。なぜならば将来人々は「食べている野菜の素材だけでなく、それがどのように作られてきたか」ということにも関心をもつようになってくるのではないかと思っているからだ。 戦後日本も生きるための食糧を得る時代から、食べるものを選択する時代に移り変わってきた。そういう流れの中で「安全で安心な食」が求められ、「無農薬・無化学肥料栽培の野菜」などが脚光を浴び、それを売りにしているレストランなども生まれてきている。つまり日本人の意識は次第に自分が口に入れる食べ物が作り出されるプロセスにも関心を払うようになってきているのである。 そういう意味では、私たちのクダラナイように思える話も、実は時代を先取り?していた話の展開だったのかもしれない。なぜならばいつの時代か、売られいている野菜にはきちんと堆肥の原料まで伝える情報をのせることが当たり前になっているのかもしれないのだから。 「う~ん、もしあの時それで起業していたら成功していたかも・・・・。」 そんな皮算用もしてしまうのだが、多分アンダーグラウンドなビジネスでしか成り立たなかったかもしれないな。
2007年05月02日
新島では少し前からちょっとしたベビーブームが起きているらしい。今月の初めにも新島保育園の入園式があったが、今年は3歳児の入園児が30名とのことだった。新島保育園というのは新島の本村地区にある保育園で、この地区の人口は、約2000人強、65歳以上の老齢人口が30パーセントを超えているので、1年間で30人の子供が生まれるというのは、出生率の高さを示しているのではないだろうか。 そんなことを思っていたら、今朝の朝日新聞に、「女性が生涯に生む子供の数(上位10自治体)―98~02年の平均―」という小さな記事がのっていた。その記事によると、1位が沖縄県の多良間村で3.14人、2位が鹿児島県天城町で2.81人、3位が東京都神津島村で2.51人であり、何と上位19位まで島が占めているということであった。ちなみに3位の神津島村は新島村のお隣の島だが、数年前には新島村の出生率のほうが神津島村より高かったということだったので、新島村も全国的に見てトップレベルの位置にいるに違いない。 またその記事には書かれていなかったが、上位10位の島の位置を見てみるとすべて国内の南にある島だということに気が付いた。つまり「日本では、島での出生率が高く、尚且つ緯度の低いところにある島の出生率が高い」ということがわかってくるのである。 ではなぜ島での出生率が高いのだろうか? この記事では、多良間村の母親や保健師に「なぜ島は子だくさんなのか」というテーマで聞き取りと調査をしたことについても触れていた。 当初の予想では「結婚や初産年齢が低い」「3世代同居」「経済的ゆとりがある」ということが言われていたらしいが、調査をしてみるとこれは必ずしもあたっていなかったそうだ。 それよりは「夫や近所の人が子育てに協力する」「野菜を近所から譲りうけるなど生活費が安い」「子供を大切にする価値観がある」といった要因が大きかったという。 私は新島の様子を思い浮かべてみて、確かにこの要因はあるかもしれないな、と考えた。 例えば仕事のスタイルであるが、新島では都会に比べて夜中働いている人というのは非常に少ないのではないだろうか。また電車もないので毎晩終電で帰るなんていう人は当然いない。 確かに残業している人はいるが、基本的に現場仕事は夕方5時のチャイムを基準に仕事を終えているようであるし、官公庁も夕方5時30分には通常の勤務が終了する。 また都会では24時間開いているスーパーがたくさんあるようだが、新島ではほとんどの商店は遅くとも19:00には閉まるので、お客はその時間までに買い物を済ます必要がある。しかし19:00に閉まるからといって、家族みんなで一緒に夕食を食べるという生活スタイルであれば、それほど不便を感じることは無い。 それから野菜や魚などをもらうことも多い。正直言ってこれはかなり食費を引き下げていると考えられる。妻によると我が家では基本的にいただいた食材を中心にその日のメニューを考えるとのことだった。 さらに、地域の中に子供を大切にする価値観というのも確かにあると思う。 お年寄りの子供に対する接し方を見ていると、「ちょっと甘やかしすぎではないだろうか~」と思えなくも無いが、狭い地域で暮らしているので、子供が歩いていたりすると、必ず目がそちらのほうへ向いてしまうし、だれがどこのの家の子供かというのもわりあい知られているようである。 我が家ではよく息子たちが家から脱走するので、度々発見者から直接通報いただく。そういう意味ではご迷惑もお掛けしているのだが、子供を育てるには安心な空間でもある。 ところで最近のニュースや新聞での報道では、「社会のセーフティーネット」が崩れてきているということが指摘されている。競争原理が叫ばれるなかで、格差が広がり、コミュニティーの機能が低下し、個々人がバラバラになり、その結果社会全体が不安定となっていく。 そういう視点から見ると、新島はいろいろな場面でまだ「セーフティネット」が維持されいる社会なのかもしれない。 確かに新島の社会の仕組みには煩わしさを感じることもあるが、「煩わしいもの」は反面「ありがたいもの」でもある。 新島の社会にはその「ありがたいもの」も多く存在し、その「ありがたいもの」の上に、高出生率という状況がつくりださているのではないだろうか。 島も時代と共に変わっていかざるをえないし、また変わることも必要だろう。しかしその地域の持つ「ありがたいもの」をきちんと理解していくことを忘れてはいけないと思う。
2007年04月29日
子供のいる家庭では、子供どおしのおかずの取り合いやお菓子の取り合いと言うのは日常茶飯事なのではないだろうか。 我が家でも次男が2歳と6ヶ月を過ぎ、色々なことが分かってきていて、また自己主張もしてきているため、よく長男と二人で食べ物でのいざこざを起こしている。 私から見てみれば「そんな些細なことで取り合いするなよ・・・」と思えるのであるが、これは誰もが通る道、彼らにとってはそれこそ「人生最大の危機に直面している」ようなものであるらしい。しかしよくよく考えれば自分も兄弟間で同じようなことをしてきたわけであるが・・・。 私には2つ下に妹がいるが、小さい頃よくソーセージとかシュウマイの取り合いなどをしたことを思い出す。 私が子供の頃のソーセージは、今のような高級感溢れるものとは違い、真っ赤な皮で包まれた魚肉ソーセージであったが、このソーセージをいくつ食べたとかでよく喧嘩した。そうした争いの中、何とか自分のものを確保したいと私が編み出した方法の1つに、「あらかじめソーセージを舐めてしまう」というのがあった。つまりまだ食べられていないソーセージをとりあえず口の中にいれ、じっくりと自分の唾液を絡ませ、またそれを皿に置いてゆっくり食べるというものであった。それが効果があったかどうかあまり覚えていないが、やっぱり食べられちゃったのではないかと思う。 なんだか「ちびまる子」の世界である。 ソーセージの争いといえばもう1つ思い出したことがある。 例えば仮に目の前にソーセージが4本あったとすると、私と妹は平等に2本ずつ食べることとなる。しかしだんだん知恵がついてくると、数量だけでなくその質量にも疑問を持つようになるのであった。 ソーセージというのは決して1本1本が同じ大きさとは限らない、大きいものも小さいものもある。そこで私は「2個と2個では平等ではないのではないか?」と母親に指摘したことがあった。 しかしその時母親は「こういうものは大きさが違うように見えても同じ量でつくられているんだよ」といったような内容の返答をした。多分私たちの二人のあほらしい争いが鬱陶しく、反射的にそのような答えをしたのだろうが、その時はその答えに無理やり自分を納得させた私も、あれは絶対間違っていたと今はわかる。 私はあの時、「物事をきちんと調べて実証する」という貴重な学習の場を失ったのではないかと思う。その教訓をもとに、もし息子たちが同じ争いをしたら、きちんと秤を使って質量を確かめることを学ばせたい。 話は戻るが、我が家で息子たちが取り合いする食べ物といえば「納豆」である。以前のブログにも書いたが、私たちの朝食は、ごはんに味噌汁、納豆である。私もこれで満足しているので何の問題もないのだが、当然納豆の消費量が多くなる。最近では4人家族で1人1パックずつ食べる日も多い。まさに納豆エンゲル係数が非常に高い家庭で、納豆メーカーからは表彰されてもいいのではないかと思うくらいだ。 だから「あるある大辞典」で納豆のダイエット効果が放映され、爆発的な納豆ブームが起きたときは正直焦った。店頭から納豆が消えるというのは我が家にとっては死活問題だったし、また納豆が安売りされず定価で販売されるのは経済的ダメージがあった。 妻などは納豆自分たちで作ろうか・・・などとも言っていた。 とにかくあれは「やらせ番組」だったことが分かり、その点では社会的な影響が大きかったわけであるが、我が家にとっては平穏な納豆食生活ができるようになり安堵したのであった。 そのように納豆家族の我が家では、納豆の買い置きは欠かせない。かといって賞味期限もあるので大量に買い込むということはできないが、とりあえず私としては開けた冷蔵庫に、最低8パックぐらいないと気持ちが落ち着かない。しかし8パックといっても2日分でしかないわけで、これが朝冷蔵庫を空けたときに3パックとか2パックしかないときには、息子たちの争いの姿が目に浮かぶが、コンビニがない新島ではすぐの補充はきかない。しかし私も納豆を食べないと午前中の労働に響くので、彼らの争いを尻目に、親父の権利として1パックはさっさといただくのである。 まあたかだか「納豆」の争いなので可愛いものであり、そういう争いをしながら育っていくのも兄弟というものかもしれないとも思う。 そう思いながらフッと冷蔵庫を開けてみた。すると1パックしか納豆がないではないか・・・。(ガガ~ン) 今朝の納豆戦争は熾烈を極めるに違いない。
2007年04月27日

我が家の玄関は南を向いている。そして家の前には青峰山という頂きに小さな展望台をもつ低山が迫っている。 否、迫っているというよりは我が家はこの山の斜面に建っているといったほうが正確なのだろう。だから毎朝玄関を開けた私の目に飛び込んでくる色は、この山の斜面を覆う照葉樹の森が発する緑色である。 4月も中旬となり、新緑の季節を迎え、森の草木が萌えている。晴れ上がったやわらかい朝日の光で輝く若葉の色も美しいが、静かな雨が降る中にぼやけて見えるその色も美しい。だからこの頃はどんな天気であっても、朝一番、玄関のノブをつかんで、グイッと扉を押し開ける瞬間がとても気持ちいいのである。 また家族がまだ寝静まっている穏やかで少しひんやりとした室内の空気と、それとはまったく異なる屋外の空気とのギャップを体感するのも趣がある。 確かに、夏冷房が効いた室内から真夏の空気に飛び出すとき、また逆に冬暖房の効いた建物から、冷たい外気にいきなり触れるときも空気の差を感じるものであるが、毎朝私が感じている空気の差には、明確な差があるにも関わらず、まったく不快感を感じない。 それからその空気の差は、私に「空気には匂いがある」ということも気づかせてくれた。 今の季節、朝の外気にはやわらかな甘い香りが絡みついている。新島へ来た当初、それが何のにおいなのかよく分からなかったが、今では一瞬で「トベラ」の花が発するにおいであることがすぐわかる。 信州で育った私は、塩害にも強く海岸の近くに生えることができる「トベラ」という植物を知らなかった。だから倒卵形の光沢のある葉の内側に白い可憐な5弁の花をつけるのを見たときには少なからず感動した。そしてその可憐な花がこれほどに強い香りを放つとは思いもよらなかった。 島の人の中には、このトベラの花を使って香水をつくる人もいるそうだ。私はそのつくり方を知らないが、花ごとオイルに漬け込んだりするのだろうか・・・・。 またこの「トベラ」という植物が、魔よけの効果があることも新島へ来てから知った。 新島では毎年1月24日に「海難法師の日」というのがある。詳しいことはここでは記さないが、「海難法師」とは伊豆七島に伝わる幽霊、妖怪の一種で、その妖怪が島内を徘徊するというその日は、みな暗くなる前に家の中にこもり、一歩も外には出ない。当然消防団による夜警もその日だけは休みとなる。 私にとってはとても奇妙な風習と感じるのだが、そのときにはどの家でもこの「トベラ」を玄関口などに挿して、魔よけとする。 トベラの花期が終わる頃、目の前の山の緑はその色を増し、初夏の太陽が照りはじめる季節になっているだろう。そしてまた今とは違う匂いの空気が、毎朝私を包み込んでくれるに違いない。 自然の移り変わりを体に感じながら過ごせることも、新島暮らしの楽しみである。
2007年04月23日
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