かおりんの鬱々日記

かおりんの鬱々日記

2人目の天使

平成13年11月に仕事を辞めて

本格的に不妊治療に戻りました。

片道1時間以上もかけて、不妊専門のクリニックへ通いました。

今までの経過、基礎体温での排卵していない事実。

先生は「タイミング法から始めよう」とおっしゃりました。

排卵を促すお薬を飲んでいたのですが

全く効き目がなく

直接卵巣に効く注射をする事になりました。

生理予定日の何日か前から、毎日毎日、日曜日でも注射を打つのです。

筋肉注射だから、すっごく痛い!

始めは腕に打ってもらっていたんだけど

卵巣に働くと知ってからはおしりに打ってもらう様にしました。

なるべく卵巣に近い方がいいと思って・・・

その甲斐あってか、通院から半年以内で妊娠する事ができました。

「今度こそ、ちゃんと産むんだ!赤ちゃん、ちゃんと育ってね・・・」

そう思いながら、不妊専門クリニックから

大阪府立母子健康保険センター(母子センター)に

紹介状を書いてもらいました。

あたしはどうやら『子宮頸管無力症』らしく

赤ちゃんが大きくなってくる重さに頸管が耐えられないそうなのです。

だから、「4ヶ月に入ったら、子宮の入り口を閉めてしまいましょうね」と言われていました。

『そうか!それなら前みたいに出てきちゃうこともなくなる!』

って簡単に思っていました。

妊娠が判って、すぐに母子センターへ行ったので

心拍の確認なども、まだ出来ない状態でした。

3回目の検診時、やっと心拍確認できて

『これで初期流産の心配もなくなった!!』って喜んでいました。

でもそれも束の間・・・

早朝に出血しだしたのです。

最初は少量で母子センターに電話すると

「多くなってきたらまた電話ください」と言われただけでした。

あたしは出来るだけ安静を保って、トイレ以外は起きない様にしました。

お昼過ぎ、出血が少し多くなってきていました。

また母子センターに電話を入れると

「今から来てください」との事でした。

家から母子センターまで車で40分。

自分で運転していきました。

内診の結果、出血はしているが、心拍は安定してるから、

今日はこのまま帰っていいよと言われ、帰りました。

次の日、出血はどんどん多くなってきています。

おなかも痛くて立てないくらいでした。

母子センターに電話すると、「今すぐ来てください」と。

今すぐだなんていけない・・・40分もかかるのに・・・

だんなに電話をして、無理を言い、帰ってきてもらいました。

おなかの痛みはどんどん酷くなり

ダンナを駅まで迎えに行く為の運転も辛かった・・・

駅前でダンナを待っている間、おなかの痛みは

以前の陣痛を思い出させるものと同じでした。

規則正しい間隔。冷や汗の出る痛み・・・

ダンナが車に乗り込んで運転してくれてる間にも

どんどん痛みは酷くなってきていました。

母子センターについて、内診台へ上がった瞬間・・・

塊が出てくる感触が判りました。

完全流産でした。

平成14年4月8日

妊娠7週目


2人目の天使を産んでしまったのです。

後から先生から聞いたのですが

出血して病院へ行ったとき

すでに心拍は下がっていたようです。

普通なら120以上の心拍なのですが

あたしの赤ちゃんは80回くらいだったらしく・・・

先生はこうなる事を予想していたようです。

でも一縷の望みをかけて、あたしには言わなかったそうです。

その子もたくさんの天使に囲まれて、楽しく過ごしてくれていて欲しいです。


『どうして?どうしてあたしは赤ちゃんを産めないの?』

そんな事ばかりが頭の中をグルグルまわっていました。

女としての自信を喪失させる日となりました。

それから、あたしの鬱病生活は始まったのだと思います。



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