2002年08月14日
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 今日、8月14日は親父の命日でして。昭和47年、49歳で逝ってしまいました。若いよねー、49歳だもんなー。自分もあと2年もすれば49歳だからなー。今日は親父について書かせてください。
 山口 勝。大正11年12月16日。兵庫県の芦屋市で生まれたのね。で、芦屋っていうと高級住宅地って感じだけど、親父の話によるとそれは山の手の方であって、親父の生家は浜の方だったらしい。いわゆる下町ってやつですか。5人兄弟の下から2番目でかなりのやんちゃ坊主だったらしい。祖母はしょっちゅう親父を連れてご近所に謝りに行ってんだと。もうこれだけでね、僕とはぜ~んぜん違うタイプなのね。祖父に金槌で叩かれそうになり、逃げ回った事もあるらしい。不良ではなかったらしいので、ピュアな悪ガキってとこでしょうか。旧制中学を中退して、満州に渡ります。満州で農業をやりたかったと言ってました。それが10代の中頃ですから、まもなく戦争が始まって、現地召集というやつで兵隊になります。下士官になる試験を受けるのを拒否したら、えらく殴られたそうです。
 軽機関銃の係りで、炊事班の班長も務めてました。そのせいか料理は上手でしたね。馬の係りもやってて、「馬は可愛い」とよく言ってました。終戦間際、飛行機による特攻隊が敢行されてましたが、親父達もソ連侵攻に備えて、特攻の訓練をしたそうです。その戦術はというと、まず、自分が入れるほどの穴を掘り、その中に身を潜め、ソ連の戦車が来たら、自分の上を通過する時に自分もろとも爆破させるというもの。自分が死ぬための穴を毎日掘り続けるっていうのは、どんな気持ちだっただろ。親父は、深い心理状態までは話しませんでしたが、そういった戦争当時の事は良く話してくれました。欽ドンをやってる頃、僕はよく戦争ネタを使ってましたが、それはほとんど親父から聞いた話だったんですね。満州の大地に沈む、夕日の大きさ。夜、便所に行く時は、狼除けの為に、長い棒を頭上に立てるってこと。
 終戦とともに抑留生活が始まり、日本に帰ってきたのは昭和23年頃だったんでしょうか。岸壁の母でおなじみの、舞鶴に戻ってきたんです。抑留生活をしてる時に視力がかなり落ちたらしく、そういえば兵隊時代の写真はメガネをかけてなかったんですよね。戻ってきてから広島に移り、おふくろと結婚して、姉と僕が生まれるわけです。
 僕がまだ生まれてるかどうかって頃に、一緒に住んでた祖母が、西宮の一番上のおじさんちへ移ったんです。このおじさんは、大学の学長にまでなった人ですから、頭もよく、経済力もあったので、うちの暮らしを考えて祖母も移ったんでしょうが、親父はかなり悔しい思いをしたみたいです。子供の頃、いっぱい迷惑をかけたから、余計に祖母への思いがあったんでしょう。
 僕が小学生の頃、祖母は亡くなったんですが、叔母さんが知らせに来た時、親父はテレビを見たまま、動かなくなってました。じっと、画面を見たまんまでした。葬式の日、僕は具合が悪くなったので姉と留守番だったんですが、おふくろの話によると、親父は号泣したそうです。親父が泣くとこなんて見たことなかったから、その話を聞いた時、子供ながらも親父の悲しみの深さにショックを受けました。
 親父は糖尿病が原因で亡くなったんですが、僕が小さい頃から、糖尿病である事に気づいていたんだけど、病弱な僕になんやかんやとお金もかかりますから、入院とかできなかったんだと思います。親父は僕に強い子になって欲しかったようで、朝、寒くて着替えるのをぐずっていたら、「そんな事でどうする、表を走って来い」といわれ泣きながら走ったんですが、それが素で熱を出してしまい、親父のスパルタ作戦は腰砕けになってしまいました。ベタベタ甘い父親ではないけど、子煩悩は人で、よく会社の慰安旅行とかにも連れてってもらいました。中3になってようやく自転車に乗れるようになったら、当時としては最新型のセミドロップハンドルのブリジストン・オーバルギア・5段変速の自転車を月賦で買ってくれました。そういえば突然大きな買い物をする事があって、もうじきカラーテレビが安くなるなんて時期に、大型の家具調白黒テレビを買ってきて、おふくろに文句を言われてました。
 のべ5年くらい入退院を繰り返してましたか・・・。高3の1学期に進路を決めないといけないという事で、親父の入院先の病院の屋上で家族会議が開かれました。当時、僕は大阪で落語家になると決めてました。その事を親父に話すと、あの気丈な親父がポロポロ泣くんです。死期が迫ってるのを分かっていたのか、「広島から出て行かないでくれ」と。まー、僕も若いというか、希望に燃えてましたからね、そう言われてもなーってとこでした。
 そもそも、病弱な少年が故郷を捨ててまで落語家になりたいなんて思うようになったのは、親父の話をいつも聞いてたからなんです。親父は農業をやりたくて満州に渡ったのに、戦争という自分ではどうしようもない時代の流れで、断念せざるを得なかった。それに比べてじぶんはどうだ。やろうと思えば何でもできる時代に生きてる。だったら自分のやりたいと思ってる事をやらなきゃ!そう考えてたんですね。


基本的には僕の性格はおふくろに似てると思うけど、突っ込みの部分は親父に似てる。おふくろを良く突っ込んでた。やっぱ、根は関西人ですからね。最近、頬のあたりもなんとなく似てきたような気もするし、変なとこで頑固になるとこも似てるかな。変な買い物をする所も・・・。
 酒・タバコをやらず、博打もせず、楽しみといえば、プロレス観戦と年に2回の慰安旅行。髪の毛が若い頃から薄く、40代で総入れ歯になり、なんでもよく食べるが、からしだけはダメだった、親父。今、色々と話をしてみたいですね。
今日はなんだかえらく長くなってしまいました。たまにはこんなこともね。







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最終更新日  2002年08月14日 23時34分54秒
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