果歩が私のうちにきたのは3日目のことだった。アパートにやってきた時には、私は
毛布に包まって眠っていた。真っ暗な部屋に、テレビから放出される明るい光が私の上
に降り注いでいたという。果歩に揺り起こされた私は目を開けて、買ってきたスポーツ
飲料を口にしたと聞いたが、私にはその記憶が全くない。ただ、毛布の中で丸くなって
いた私は、誰かにしがみついて子供のように再び眠りについた夢をみた。
翌日、ベッドの中で目を覚ました時は、すでに午後二時をまわっていた。カーテンの
開け放たれた窓から入る太陽の光が部屋を照らし、冷え切っていた部屋は暖かく
生命力に満ちている。キッチンから漂ってくる酸味のある匂いが空っぽになった胃を
締め付けて、口の中に唾液が溢れた。こちらに背を向けているのが、母なのかそれとも
果歩なのかよく分からない。重い頭を押さえながら何度か目をつぶったり開いたりし
ながら、ぼんやりした思考の回路を遡った。私の隣で、子供をあやすようにして眠りに
つく私の背中を擦り続けてくれたのは間違いなく果歩だった。
「目、覚めた。なんか飲む?」
「いらない。ほしくない」
「だめ。水分も食事も、ちゃんと摂らなきゃだめ」
幼い頃の私をしかりつけるような果歩の言葉が遠く懐かしい記憶の中から呼び起こされた。
トレーにのせて、テーブルに運んでこられたのは、ミネストローネ風のトマトのスープ
だっ た。玉ねぎもにんじんもセロリも、私が子供の頃に食べられなかった食材だが、
なぜかこのスープだけは好きだった。トマトの酸味とバジルの香りが嫌いな野菜と混ざる
と、嫌いな野菜の臭いは全く気にならなくなるから不思議だった。
「ベーコンもパスタも入ってる。ゆっくり食べて、少しずつでいいから。みんな心配してる。
おばあちゃんも、お母さんも、莉久も、マスターも」
会社のツアーに参加した客は、全て安否の確認が取れたと果歩は言った。そして、
少しの沈黙の後、「あの日タイに行った個人旅行のお客様は安否の確認が取れて
いないの。たった一人しかいなかったのに、なにも情報が得られてないの。 琉夏、
ごめんね。ほんとにごめんね」と目を伏せた。
蓮についての情報を何も得られないまま、時だけが無駄に過ぎた。テレビの画面
からは、少しずつ地震に関しての情報を伝える番組がなくなっていった。時折り、報道
番組で流されるのは、毎日少しずつ増えていく死傷者の数と、被災者に送られる募金の
送付先の情報に過ぎなくなった。
私が蓮の実家の電話番号を調べだし、連絡を取ることができたのは、年が明けた
1月3日だった。電話にでた蓮の母親に東京の写真工芸専門学校で同級だったと
伝えると、大使館からの連絡で蓮の兄が地震後、現地へ向かったと話してくれた。
「立花さん、テレビでも連日流されているように、現地はそうとうひどいらしいです。
夫の具合が悪いので私が行くわけには行かず、蓮の兄が現地に行っています。浩一
からは一度連絡があったっきりです。本当に、本当の蓮はあの場所にいるんでしょうか」
そう言って蓮のお母さんは泣き崩れた。
蓮と血の繋がらぬ歳の離れた兄は、被災地でどんな気持ちで蓮を探しているのだろう。
被災者が集まる避難所を、弟の姿を求めて彷徨っているのだろうか。道行く人々に、
蓮の写真を見せて、その行方を捜しているのかもしれない。そう考えると、息が詰まる
ようで、呼吸することも何かを考えることもままならない。
私は生きているのか死んでいるのか、そんな感覚さえも失いかけた時だった。
着信を知らせる携帯電話を手にとって見ると、電話の主は蓮だった。私は止まりそうな
呼吸を整えるように大きく息を吸い込んで応えた。
「もしもし」
「もしもし、立花琉夏さんでいらっしゃいますか。私、連の兄で浩一と申します。ご存知
かと思いますが、昨日、タイから成田に着いて、今、都内のホテルに宿泊しています。
明日、静岡に戻る予定ですが、その前にお会いできないかと思って」
蓮の携帯電話からの声は、私の知らない男性の声だった。体中から力が抜けて、
私はその場に座り込んでしまった。
つづく
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