バリー・シーン

アライ


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「RIDERS CLUB」No.349 2003年5月号のページをめくっていて
そこに印刷してある文字に愕然とした。

B.シーン逝く

再起不能と言われる程の事故から何度も復帰した
「バイオニック・レッグス」不死身のバリーが

1984年ワールドGPファイナルラウンドのサンマリノGPを最後に、GPから引退。
イギリスからオーストラリアのゴールドコーストに移住
ヒストリックバイクのレースを楽しむ生活を送っていた。
2002年に胃と喉頭にガンが発見され、’03年3月10日まで、闘病生活を送った。

おれがバイクに興味を持ち始めた、1983年にスズキが「RG250ガンマ」を発売
レーサーレプリカ時代が幕を開けた。
’82年のシルバーストーンの事故から奇跡のカムバックを果たし
RG500を駆るバリー
その姿は、チャンピオンを争うケニーやスペンサーよりも、誰よりも格好良かった。


「今度こそは再起不能だろう」と言われた、シルバーストーンでの大クラッシュ
スズキからワークスマシン「ガンマ」を得ることが出来なくとも
市販レーサーの「RG500」で、ワークス勢と戦う姿は
「汚れた英雄」の北野晶夫のイメージをダブらせた。

センチニアルTTクラシックで、RGを駆る姿を「RIDERS CLUB」で見て
「一度でいいから、サーキットを疾走するバリーの姿をこの眼で見たい」
いつかは、と夢見ていたのだが・・・・


RR3

BARRY SHEENE
1950年9月11日生まれ。
5歳の時に元レーシングライダーの父から貰ったヘルメットには
ディズニーの「あひる」が描かれていた。
子供の頃から好きだった数字は「7」
’74年AMAのオーガナイザーの粋なはからいで
ゼッケン7番を与えられ、「7番は自分の番号」と宣言。
’76ー77年 2年連続で500ccクラスのワールド・チャンピオンとなり
FIMから「チャンピオンはゼッケン・ナンバー1でなくてはならない」と
通告を受けても「ゼッケン7」は捨てなかった。

プロフィールは、ライダースクラブ発行 
 BARRY SHEENE「A WILL TO WIN」より参照
本書は、2003年11月22日現在、絶版となっています。
復刊を、切に願います。



Aikaze’s Soliloquy

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