天使がふたり

1.出産~怒涛の1週間

2004年6月20日(生後0日)

5月10日から入院生活が始まって約40日後の6月20日。
朝いつものように看護婦さんの回診で「変わりないです」て答えてすぐ、
トイレに立ったらシーツに血が付いてた。急いでまだ部屋にいた看護婦さんに
「なんか出血してる」って伝えた。

それからはあっと言う間。Tシャツ&短パン姿の長船先生が見に来てくれた。
山本先生に連絡するとすぐ手術に来てくれるそう。
とりあえず、絶対安静で動けないけどおしっこがしたくてベットの上でさせてもらった。
手術用に血を採られて、みんなが朝食中に電気かみそりでお下の毛をそられて。
ばーちゃんに来てもらって、パパに連絡して、2時間後ぐらいには手術室へ。
麻酔は下半身だけ。点滴入れるのが痛かった。
aimiのときは手術台の上に乗せられてブルブル震えが止まらなかったけど
今回は、手術室の看護婦さんや先生が優しく話しかけてくれたり真っ裸になっても
タオルをかけてくれたからか、落ち着いてた。
切腹の時も焦げ臭くて「レーザーで切ってるんですか?」て聞いちゃったり、
長船先生たちとも子供の名前を話したり、リラックスしてた。
入院が長くて慣れ親しんだ先生たちだったからかな。
上の電気のカバーに映って切開されてるのがぼんやり見えたのがちょっと怖かった。
蛙の解剖みたい。
赤ちゃん誕生。赤ちゃんの「けっ・・・けっ・・・」って産声が聞こえてきたときは感動して涙が出た。
なかなか赤ちゃん見せてもらえなくて、その間に出血がひどかったからだと思うけど、ぼーっとしてきた。
見せて貰った赤ちゃんは、タオルにくるまれてて、泣き顔がaimiに似てると思った。
その後も、眠くないのに意識はボーーっとしてて、足もだるくて辛かった。
山本先生が「出血が止まらないから子宮とります」の問いに「はい」って答えた。
予定してた自己血もとれなかったから輸血するよりいいだろうって判断。
私はいつの間にか、眠ってた(たぶん貧血で気を失ってた)

手術室から出るとばーちゃんが涙顔で迎えてくれた。
「赤ちゃんは藤田学院へ行くって」
たまに戻る意識の中できいた。
栃木から駆けつけてくれたパパは、すぐ赤ちゃんの病院へ。
救急車には機材がいっぱいで一緒に乗れなくて自分の車で行ったらしい。

藤田から戻ってきたパパが話してくれた事実。
「隠してもしかたないから先生に言われたとおり言うけど・・・」
肺が開かない。薬を使ってもまだ動かなくて量を増やして様子を見てるって。
もうひとつ。
肛門がふさいでる。これは2,3日中に応急処置としてお腹に袋をつける手術をして
半年後に肛門を作る手術をすれば大丈夫とのこと。
しばらく信じられないような、でもとにかく生きてて欲しいってまとまらない考えが頭の中ぐるぐる・・・
きっと大丈夫って信じるしかない。
私は動けないし。





2004年6月21日(生後1日)

翌日からも、3リットル出血したという貧血はひどくて傷の痛みより辛かった。
ベッドを起こしただけで、肩の痛みと頭痛で動けない。鼻の酸素も手放せない。
でも早く会いに行きたいから頑張って動いた。とりあえず車椅子でトイレに連れてってももらうことから。
パパは朝、赤ちゃんの呼吸が落ち着いてきたと報告をうけて予定通りアメリカ出張へ出かけた。
その日愛知県はすごい台風だった。その中、パパと入れ替わりに千葉から義母が来てくれた。

2人のばーちゃんが赤ちゃんに会いに行ってくれた。
手足をバタつかせて元気そうだったし、半年後の手術のあとには普通に生活できるって私を安心させてくれた。





2004年6月22日(生後2日)

赤ちゃんの手術は夜22時頃行われた。0時すぎに無事終わったとばーちゃんからメールが入った。
小さな体で、まだ呼吸も不安定なのに、全身麻酔にも耐えて頑張ったね。
赤ちゃんも頑張ってる。早く会いに行ってあげなくちゃ。





2004年6月23日(生後3日)

義母が帰って行った。「ママの体が一番大事だからね」って言ってくれる優しい人。
本当にありがとうございました。
夜から搾乳開始。看護婦さんが搾ってくれて15CCくらい冷凍バッグに入れた。
頑張ってママのおっぱい届けるからね。





2004年6月24日(生後4日)

パパがアメリカから3週間の予定の出張を切り上げて帰ってきてくれた。
so-のこと心配だったんだね。来週いっぱい休みをもらってくれたって。





2004年6月25日(生後5日)

面会から帰ってきたパパが持ってきてくれた赤ちゃんの写真は、生まれたときとは
別人のように細くて見るのが辛かった。
産まれたとき2100gだった体重が1800g近くまで減ってた。
パパはそれからインターネットで、鎖肛のこと調べたみたい。
肛門を作った後も自力排便が難しいことを知った。
不安は募って大丈夫って思いたいのに赤ちゃんがかわいそうで辛くなる。
でも今から考えてもしかたのないこと。とにかく今できることを考えたいのに
先のことばっかり考えて暗い顔してるパパに腹が立って泣いちゃった。
赤ちゃん産んだときからというより、妊娠中の出血を何度も乗り越えてくれた赤ちゃんを
産まれてきたらいっぱい褒めてあげようって思った日から、赤ちゃんがどんなでも
育てていけないなんて思わなかった。
大変かもしれないけど愛情いっぱい育ててあげたい。
私たちができることはそれだけなんだよね。
今は、早く大きくなれるように母乳を搾って届けてあげなくちゃ。





2004年6月26日(生後6日)

初めての面会。
NICUまでの道のり、赤ちゃんに近づくにつれ緊張してきて、ドキドキ・・・
保育器の中の赤ちゃんは、細くて小さくて、繋がれた管でかわいそうになっちゃったけど
目を開けたり手を動かしたり、乳首を吸ったりあくびしたり、いろんな動きをママに見せてくれた。
目はきれいな二重で鼻も大きくてパパ似のかわいい男の子だった。
初めての抱っこさせてもらったとき、小さいのに手術頑張ったねって涙が出そうになった。
いろいろ不安はあったけど、赤ちゃんを見るとそんなこと全部忘れてただかわいくて、愛おしくて・・・
ママたちのもとへ生まれてきてくれてありがとう。
早く帰っておいで。

ママはまだふらふら。
夏前から病院にいてこんなに外が暑くなってるなんて知らなかった。
貧血で頭も痛くなるし、長い間立っていられない。
ママも頑張って元気になって、もっと会いにいかなくちゃ。

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