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皆さん、たくさんのコメントをありがとうございました。成田空港へ到着しました。最後のトラブルは総武本線でした。船橋駅での人身事故の影響で列車にウヤと大幅な遅れが発生しています。とまれかくまれ、ここまで来ればもう大丈夫です。当初アップ日時:2007/08/31 04:37:33 PM
2007/08/31
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位置通報じみてますが、サンフランシスコ国際空港におります。これから日本航空1便で成田へ向かいます。何故サンフランシスコ便みたいな田舎路線が未だに1便なのかはよく分かりません。戦後国際線を再開した際の最初の路線だったのでしょうけど。列車番号は「1」だけどローカル線の特急みたいな感じですね。一応ファーストクラス付きではありますが、古いスカイスリーパーが充当されるようです。使用機材到着遅れのために1時間程度の出発遅れがコールされています。ダラス以降はトラブル頻発ですね。私もつきを使い果たしたのかも知れません。まあ、終盤なので着けば構いません、遅れくらいは気にならないのです。次の寄港地は成田空港です。次のレポートは帰国レポートとなる予定です。当初アップ日時:2007/08/31 04:11:48 AM
2007/08/31
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位置通報です。現在の位置はダラスフォートワース空港です。結局、遅延幅は30分で収まりました。次の目的地はサンフランシスコです(誠に残念ながら、帰路ではLAトランジットは無いのです)。当初アップ日時:2007/08/30 11:07:37 AM
2007/08/30
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ダラス行きの飛行機に搭乗したものの、いつまで経ってもプッシュバックがかかりません。目的地が悪天候の為に、出発抑止がかかっているのです。なんだか分かりませんが、出発抑止をいいことに、便振替を出し倒しているようで、後から後から乗って来ます。取り敢えず、隣がデブじゃないので、大丈夫です。アメリカの国内線で、三人掛けの真ん中がアサインされ、両隣が、アメリカンファッツだったらもう最悪です。今回はアイル席ですので、多少の延着には耐えられます。ダラスには何時到着しますことやら…。当初アップ日時:2007/08/30 08:05:49 AM
2007/08/30
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今はまだマイアミにいます。アドミラルクラブで暇を潰しています。凄い規模です。追記:今まで訪れたラウンジ中で最大の規模でした。当初アップ日時:2007/08/30 06:07:41 AM
2007/08/30
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貧困が滝のように流れる国からアメリカまで戻って来ました。写真的な成果はありません。確定レポートは作れないかも知れないのですが、それでなお、行ってよかったと思ってますです。チャベス政権下で治安は荒れ放題と聞いて行ったのですが、実際に目にしたのは、「滝のように流れる貧困」でした。チリでもアルゼンチンでもブラジルでも目にしなかった巨大なスラム街が首都を取り囲んでいました。40年前のABC諸国みたいな感じでした。これからアメリカ国内を転々とします。次の寄港地はダラスです。当初アップ日時:2007/08/30 06:12:57 AM
2007/08/29
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アメリカン航空のラウンジはアドミラルクラブと言います。今回の旅程では、サンフランシスコ・ロスアンゼルス・サンジュアン・カラカス・マイアミ・ダラスフォートワースと6空港でお世話になりました。ラウンジサービスには 結構差が在りました。国内線ラウンジでも、シャワーやインターネット端末機サービスがあるケースもありました。この面ではユナイテッド(レッドカーペット)よりも良いですねぇ。ワンワールドもなかなかです。今後はスタアラとの選択に迷いそうです。当初アップ日時:2007/08/30 05:05:06 AM
2007/08/28
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ユナイテッドと異なりプレミアムYが在りません。ちょっと残念…。追記:日記記入率100%を維持するために書いた記事。一昨年はUAのプレミアムYを心行くまで楽しんだので、ちょっと期待はずれであったことは事実です。と言ってもシートピッチが僅かに広いだけで、それほどのものではありませんけど…。当初アップ日時:2007/08/30 06:15:36 AM
2007/08/27
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毎年晩夏になるとNTTドコモは海外携帯電話機の特例キャンペーンを行うようです。今年はSIMPURE Nと言う機種が対象になっていました。1人でも割引か、いちねん割引+ファミ割に加入していると、500円+消費税で海外携帯電話機を購入できます。型落品とは言え、破格のお値段です。即買いしました。海外携帯電話機はこれで2台目です。これまで使っていたものよりも随分小さく軽くなりました。海外携帯電話機の特例キャンペーンで、買い換えや買い増しカウントされません。9月下旬までやるようです。今後海外に出掛けるドコモユーザーの方は検討の価値あるキャンペーンだと思います。しかし…、新しい携帯電話の日本語入力にはなかなか手間取りますね。当初アップ日時: 2007/08/30 05:04:49 AM
2007/08/26
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現在はロスアンゼルスで乗り継ぎ便を待っています。グローバル携帯を買い増ししましたが、なかなか慣れません。次の目的地はプエルトリコです。当初アップ日時:2007/08/26 11:38:54 AM
2007/08/26
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現在は、成田空港で出発待ちです。Fクラスラウンジにおります。全面改装されて、随分良くなりました。とっても、いい感じです。JLとAAの搭乗券も一括発券になってました。いろいろと変わるものですね。はい。マイスターさんから、資源のことに触れていただきましたが、これから行くベネズエラは南米では珍しいOPEC加盟国でございます。チャベス政権下で荒れまくっているようです。どんなところなのか…、非常に楽しみです。治安状況はブラジルサンパウロ並みに酷いそうですので、真剣に、緊張感を最高レベルに高めて行って参ります。どんな旅行になるのかなあ…。そろそろボーディングタイムです。それでは、行って参ります。
2007/08/25
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皆さん、コメントありがとうございました。お返事を書く間もなく(マイスターさん、済みません)、南米ベネズエラに出発します。先ずは北米にFクラスで移動します。やっぱFクラスはJLですねえ。昨年はBAのFクラスで悲しい思いをしましたですけど、今年はJLでございますね。あはは。嬉しい…。グローバル携帯電話を持っていきますので、実況レポートを書けるかも知れません(南米に入ると書けないかも知れないですけど…)。背景を不在モードにしました。帰宅したら元に戻します。【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/08/25
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皆さん、長い間お付き合い頂きありがとうございました。福井の私鉄(福井鉄道とえちぜん鉄道)の乗り潰しと、小松市の伝統的な祭りである「お旅祭り」のレポートです。宜しければ、読み返してみてくださいませ。一番の写真的な収穫は、えちぜん鉄道のアテンダントさんでした。あはは。【カメラ画像入り本編】(1)福井鉄道・えちぜん鉄道共通一日フリーきっぷ(2)勝山永平寺線(3)永平寺(4)アテンダント(5)福井鉄道市内区間(6)三国突堤(7)三国芦原線(8)福井鉄道専用軌道(9)西武生駅(10)福井・高岡・小松(11)お旅祭り(12/終)子供歌舞伎【大画像を紹介した番外編】(番外)国鉄色画像の生サイズ【旅先で書いた実況編】【実況】えちぜん鉄道三国港駅近く(福井県内)【暫定】北陸本線高岡駅付近【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/08/25
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明日から南米に出かけます。グローバル携帯は持っていきますけど、使用できるかどうかは微妙です。更新が1週間途絶えるかも知れませんけどお許しください。旅行準備で結構忙しいです。さて、今回から新シリーズでございます。シリーズ名は「アトミック下北」と致しました。使用した切符はこれだけです。JR東日本の通年商品です。「青森・函館フリーきっぷ」です。往復に寝台特急「あけぼの」のB個室寝台が使用可能で(別に新幹線と白鳥を使っても良いのですが)、7日間有効です。フリー区間は奥羽本線の弘前駅から青森駅まで、東北本線の三沢駅から青森駅まで青函海峡線(含む江差線と三厩線)全線、江差線全線、函館本線の函館駅と森駅の間です。こうかくとあまり広く聞こえませんけど、フリー区間の端から端まで、楽勝で300キロを超えます。乗りでのある切符です。ただし、ダイヤは薄いですけど。このフリー切符を使って、青函トンネルツアー(竜飛海底しかもう行けません)に一日、レンタカーを使った下北半島原子力関連施設ツアーに一日、JRバスを使った十和田湖ツアーに一日を各々使いました。シリーズ名は「アトミック下北」にしましたが、原子力関連は3分の1くらいです…。一度は行きたかった六ヶ所村の再処理関連施設、そして、原子力船むつの原子炉なんかを見たのです。非常に印象深いものでした。あまり天候には恵まれなかったのですが…。南米旅行が入るので、直ぐに途切れてしまうのですが…。宜しければお付き合いくださいませ。【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/08/24
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皆さん、コメントありがとうございました。お返事が遅れて済みません。さて、今回は小松市のお旅祭りで開催された子供歌舞伎をご紹介します。この曳山(山車)が子供歌舞伎の舞台になる訳です。お旅祭りのハイライトです。曳山は小松に8台あるそうですが、子供歌舞伎が上演されるのはそのうち2台だけでございます。開演直前の曳山(山車)でございます。黒子がたくさんいますね。さて、公演が始まったところです。子供歌舞伎の名前のとおり、この俳優達は皆さん小学生のようでございます。ストーリーは職業上金沢城築城を担当し、金沢城の構造上の秘密を知ってしまった建設技師を抹殺せよ、という命令が役人に下ります。役人の娘です。この娘は、殺害対象となっている技師と恋仲になっており、助命を嘆願するのでございます。懊悩する役人…。恋に身を焦がす舞いみたいです。色々と紆余曲折はあるんですけど、最終的に、技師を加賀国外に逃がしてやるというエンディングでございました。この子供歌舞伎を楽しんだ後に、特急「はくたか」で越後湯沢経由で帰京したのでございます。最後の画像は富山駅での撮影分です。この前数年ぶりに災害から復旧し全線開通した高山線の車両です。JR東日本の小海線の車両みたいにセンスのないエンブレムでございました。所属は「金トミ」でございます。このキハ120を撮影して、この旅程を終えたのでございます。越後湯沢から上越新幹線で帰京いたしました。以上で、シリーズ「福井の私鉄」を終了致します。長い間お付き合い頂き誠にありがとうございました。次回からは「青森・函館フリーきっぷ」を使った小旅行のレポートを開始いたします。このツアーのハイライトは下北半島の原子力施設群レポートでございます。シリーズ名は「アトミック下北」にしようかなと思っています。是非引続きお付き合いくださいませ。【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/08/23
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いきなり山車の画像から始めます。今回も小松市で開催されていたお旅祭りをレポートします。お旅祭りはこのような山車(曳山)が出動します。しかし、実際に動くのは数台限りで、残りはこのように格納庫での展示になっておりました。小松市の指定文化財にもなっているようです。どの山車(曳山)も天井が素晴らしい細工なんですよね。次の山車(曳山)に行く前に、お旅祭りの自己紹介を引用します。【引用始め】お旅まつりは5月15日を中心とした13日から16日の四日間開催される、橋北の莵橋神社(お諏訪さん)と 橋南の本折日吉神社(山王さん)の春季祭礼です。両社の神輿(みこし)が神具や大獅子、多数の子供獅子を供として、氏子の住む各町を渡御(とぎょ)してまわったので、お旅まつりと言われています。350年の歴史を持つ この お旅まつりは、江戸時代の慶安四年(1651年)に莵橋・日吉の両社の神輿が、前田利常公の隠居城であった小松城に渡御し、加越能三州の泰平を 祈願したことから始まります。 その後、小松の町衆の祭りとして曳山がつくられ、歌舞伎芝居が演じられるようになって240余年、今日に至っています。 祭りの華は、豪華な「曳山」を舞台として繰り広げられる子供歌舞伎で、浄瑠璃と三味線にあわせ、華麗な衣装をつけて熱演する子供達の芝居は、さながら錦絵のようです。元来、子供歌舞伎の役者は、男子がつとめることになっていたと伝えられていますが、近頃は八歳~十二歳の女子が演じています。昭和二六年より輪番制になり二町づつ曳山子供歌舞伎を上演。昭和五九年より上演二町に加え、残る六町はすべて組み立て展示しています。平成二年からは八町の曳山が曳揃えられ、祭りを いっそう盛り上げています。 【引用終り】この山車(曳山)は可動状態みたいですね。私が訪れた時にはやってませんでしたが、8基の山車(曳山)が勢ぞろいするシーンがあるみたいです。この山車(曳山)も天井が見事でございます。こんな感じに天井の蒔絵を外して展示しているケースもございました。この辺りは徳川幕府の時代らしいですよね。隠れた贅沢をせざるを得なかったのでしょう。表立って贅沢をすると厳罰が来てしまうのかも知れません。先ほどの自己紹介の引用にもございましたが、山車(曳山)のうちの2基は子供歌舞伎を上演する訳です。ここで子供歌舞伎が上演される訳です。実際には、この山車(曳山)は市街の中心部に移動した上での上演になるのですけれども…。次回で子供歌舞伎観覧記をご紹介します。【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/08/22
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一発番外を入れます。八丁掘さんからこんなコメントを頂きました。「おお!!!!!これは懐かしい。一枚いただいてもよろしいですか?(2007/08/22 12:32:08 AM)」調子に乗って、生サイズの画像を載せます。非常に暗い環境で撮影したので、ISO800まで感度を上げても、露出時間は25分の1秒なのです。感度を上げた関係でかなりノイズが乗っていますが…。一番下だけは、感度を落としてノイズを減らしています。お粗末さまでした!。次回から本編に戻ります。【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/08/22
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まだ、ベトナムボケです。でも、再び北陸レポートに戻ります。前回のレポートでは、西武生から福井に戻るところまで掲載しました。今回は福井駅で撮影した画像からです。暫定レポートでも掲載した、復活の国鉄色です。車体の下の方にある、幅の狭い帯が60Hz用を示しているようです。そうこうしているうちに、419系食パン電車が入ってきました。この電車で高岡まで東に進み、ここで投宿したのでした。ここから日付が変わります。朝の高岡駅構内です。キハ28とか58が全然見当たりません。高岡は、氷見線と城端線を受け持っているので気動車がたくさんいるのですが、みんな40系………。涙。少し引いて撮影してみました。奥の方に、忍者ハットリ君気動車が見えます。高岡の気動車をもう一枚だけご紹介します。40系の社号と窓枠です。これだけ撮影して高岡を後にして、今度は小松に参りました。小松駅前です。小松に来たのには理由がありました。これです。小松はこの日が「お旅祭り」の日だったのです。町内ごとに、このような山車を出すお祭りです。江戸時代の日本海側が内航海運で非常に豊かでした。それで、このような豪華な山車を作った町が沢山あります。この凝った細工が素晴らしい…。今回はここまでにします。次回も小松レポートです。【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/08/21
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皆さん、ベトナム実況レポートに沢山のコメントをありがとうございました。実況レポートでは書きませんでしたが、機内で見た映画が往復とも非常に良かったのでした。往路の全日空では「憑神」を見ました。原作がしっかりしているだけあって、中々の出来です。でも浅田次郎にしては泣けませんでしたですね、楽しめましたけど。復路の日本航空では『舞妓Haaaan!!!』を見ました。流石は宮藤官九郎でした。爆笑のギャグ映画でした。抱腹絶倒でございました。おかげで寝不足です。あはは。さて、実況レポートに付けていただいたコメントのご紹介とお返事を続けてまいります。福井県在住のデコちゃん6902さんのコメント蚊に注して行動してください。怠り無いと思いますが、貴殿のブログが途切れるのが堪らないから・・・・(2007/08/19 10:10:10 AM)ご指摘のとおり、熱帯マラリアに罹患するとただ事ではすまなくなってしまいます。今回は大丈夫のようでした。ベトナム戦争の際の米軍も衛生には随分気を使ったようです。常連さんのmaman.mさんのコメント『それでも「遊覧船」の趣』イメエジ(笑)は、ワイルドだけれど平和な「観光地」ですね。「デコちゃん」さんもおっしゃっていますが、ワイルド過剰にならぬよう、楽しんでくださいますよう。(ペルーはたいへんなことになってしまって...どこにいて何があっても運・不運と割り切るしかないのでしょうが。)(2007/08/19 05:56:06 PM)そうなんです。かつては死と破壊で埋め尽くされた場所が、今はこうなんですよ。状況は改善する、見本です。絶望したら行けませんね。いつか良い日は来るのだなあ、と、しみじみしました。striking unlimitedさんのコメント『ベトナム川くだり』数年前に家族の仕事の通訳で行きました。日本語と英語が出来て大学院卒+大学の学位2つなら、給料を月3000(US)ドル出す、とでっかい会社の社長さんに言われました。それぐらいならアメリカや日本では普通ですが...。川くだりの値段を考えるととんでもない所得格差です!!! (2007/08/20 04:40:34 AM)そうなんですよね。この川下りのボートの漕ぎ手の賃金は、一日で数万ドンしかないそうです。日給千円あるか否かなんですね。この国の賃金格差には…。まあ、その分、食糧を自作地で自給してたりはするのでしょうけど…。ファダイママ☆さんのコメントお久しぶりです。びっくりです。サイゴンにいらっしゃるんですね。お気をつけて、素敵な旅を!(2007/08/19 03:53:06 PM)本当にご無沙汰してます。お久しぶりのコメント嬉しいです。久しぶりに海外に出ておりました。サイゴンは楽しかったですよ~。マダム・ローさんのコメントお久しぶりです。禁煙されてるんですね!良い事です。お忙しいとは思いますが、お体お大事に。シンガポール実況も楽しみにしております。(2007/08/19 04:33:47 PM)うわー、お久しぶりです。ブログはちょこちょこ覗きにお邪魔してます。今回の旅程も強引な日程にしてしまいました。余り身体を大事にしてないですね…。反省です。マービンガーデンさんのコメントそちらは雨ですか!こちらは、かんかんでりの猛暑で大変です。それでは、素敵な旅を!!シンガポールの実況も楽しみにしております。確定のレポートを今から楽しみにしております。それでは、お体をお大事になさってください。(2007/08/19 05:30:53 PM)ご無沙汰してます。週末にちょこちょことお邪魔しております。最近はモノポリーより簡単な億万長者ゲームにはまっておりました。はい。東京の気温よりも、サイゴンの気温のほうが低いのには参りました。サイゴン到着時の最初の印象は「涼しい」でした。あはは。ファダイママ☆さんの2本目のコメントうちも春巻です~(*^.^*)体調に気をつけて下さいね。(2007/08/19 08:01:44 PM)ベトナム料理においては、春巻は非常に重要な地位を占めております。ベトナム人が大好きなライスペーパーで巻くのです。美味しいもんでした。生も美味しいですが、揚げても美味しいものでございました。tougei1013さんのコメントかなり艱難辛苦を地で行く国のようで、今一番行きたい国です。(2007/08/19 11:21:43 PM)ご指摘のとおり、ご苦労の多かった国なのです。是非、皆さんに、行ってみて頂きたい国でございます。常連さんのmaman.mさんのコメント『ボートピープル受け入れでは息切れの市民運動でしたね』小田氏信奉世代の私なので、あまり客観的な意見を言える立場ではありませんが日本の市民運動はムードに弱いのかなと思います。目移りが早いのか、それだけ日本が平和だからなのか。手塚治虫さんの創作童話(漫画ではなく)でボートピープルにまつわるたいへん心に残る話があります。ところで事故!? なんというか・・・幸いにもご無事ということも併せ、さすがです(笑) (2007/08/20 12:01:15 AM)コメントありがとうございました。「ベ平連」と言って何のことだか分かってもらえる人も少なくなってしまいましたですね。あの全世界的な盛り上がりが懐かしく思い出されまする…。それにしても、トラブルによく遭う私でございます。さて、最後に帰着レポートにつけていただいたコメントをご紹介します。帰着レポートには、殆んど無人の215系電車の車内の画像を付けましたが、佐倉辺りからガンガン混雑し、最後は悲惨なラッシュ時の電車になってしまいました。電車の中も暑かった……。ワブ!さんのコメントお帰りなさ~い。サイゴンより成田のほうが暑いんですか!(*o*)今年は熊谷と岐阜で40.9℃と山形が持っていた日本記録を抜きましたからねぇ。残暑も まだまだ厳しそうですね。(2007/08/20 07:17:00 AM)いやあ、今年の日本の酷暑は殺人的でございますね。電力需給は大丈夫なのかなあ…。刈羽柏崎は停まったままだし…。日本本土よりも沖縄の方が涼しい時代になりました。修理屋マイスターさんのコメントお疲れさまでした!確定レポート、期待致しておりまする。今日一日、大変ですね♪(2007/08/20 09:29:17 AM)ご声援ありがとうございました。夜行便で到着と言っても、ファーストクラスなので、B寝台並みには眠れるはずだったのですが、『舞妓Haaaan!!!』が余りに面白くて睡眠不足でございました。でも、おかげさまで乗り切れております。かちょー。さんのコメント帰着日に出勤ですか!お若いですねぇ! おいら20代の頃にやった事ありますが、午後は眠くて仕事になりませんでした。どうかご無理をなさいませんよう・・・。(2007/08/20 08:59:26 PM)うわー、お久しぶりです。お元気になさってましたか?。コメントありがとうございました。我ながらタフなもので、2時間くらいの睡眠が確保できれば何とか通常業務をこなせております。まあ、帰路はファーストクラスでしたから、もともとかなり楽でした。昨年はYで帰って、そのまま出勤をやってしまいましたですが、あの時は結構堪えました。ということで、皆さんのコメントをご紹介させていただいた訳でございました。皆さん、沢山のコメントを、ホントに、ホントにありがとうございました。ホントに励みになるのでございます。次回から、再び北陸レポートに復帰いたします。【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/08/21
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皆さん、ベトナム実況レポートに沢山のコメントを誠にありがとうございました。まとめてお返事させていただきます。最初に「出発レポート」に付けていただいたコメント群です。修理屋マイスターさんのコメントベトナム経済に興味津々です。中国とは全く違う経済発展らしいですね。今回の株安、円高で中国経済の先行きが懸念されますね。ベトナム経済はどう動くのでしょうかね。お気をつけて!!(2007/08/17 06:09:08 PM)中国経済が、不道徳・拝金主義・人命軽視・何でもありと言う感じとすると、ベトナムは、政治統制・出身地方差別・器用貧乏・生真面目と言う感じでしょうか。元分断国家のベトナムには、色々と悩みがあるみたいです。かなり解消してますが、2千万の戦争犠牲者と、数百万のボートピープル流出で人口ピラミッドが余りにいびつでしたし、南ベトナム出身者を今一つ信じきれない政府です。はい。meneaterさんのコメントチャオ!雑貨好き婦女子、憧れの地です!(笑)食べ物も美味しいそうなので、出来ましたら画像のアップ、お願いします!お気をつけて~!(2007/08/17 07:02:56 PM)いやあ、いつもご愛読ありがとうございます。お詳しいですね。ベトナム人の手先に器用さはもう病的なレベルです。食い物も素晴らしいのですよ…。余りこの面での収穫はないのですが、数少ない収穫を確定レポートでご紹介します。常連さんのmaman.mさんのコメント南米とばかり・・・失礼しました。ベトナム、いいですねぇ。notoshunさんの切り口、写真とともに、たいへん楽しみです。(2007/08/17 09:36:51 PM)南米は、この次の週です。いつぞやのブラジル旅行の際と同様に、シンガ=東京=サンフランシスコのFクラス往復航空券を軸に、別途、東京=サイゴン=シンガ=バンコク=香港=ソウル=東京のチケットをゲットして組み合わせています。また、3旅程の旅になります。tougei1013さんのコメントベトナムいってみたいですレポート楽しみにしております。(2007/08/17 11:23:22 PM)ベトナムは、90年代以降非常に人気のあるデスティネーションになっています。デイリーではありませんが、東京=ホー・チ・ミン市はNHとJLのダブルトラッキングになってますし、コードシェアながら、関西以外に福岡からも飛んでます。魅力的な場所なのでございます。確定レポートをお楽しみに!。もりっちぴょんたさんのコメント気をつけて行ってきてください~^^ベトナム記事。楽しみに待っていますね♪(2007/08/18 12:04:44 AM)ありがとうございます。意外にもベトナムは結構危険が一杯なのです(船舶事故に遭いました)。気を付けて行って参りました。続いて、ホー・チ・ミン市に到着した際に作った、NHの機内エンタメとかイミグレレポートにつけていただいたコメントでございます。鉄道趣味人の大家ibukino-johさんのコメント『ANAのY。』ANAの場合、Yでも国際線はグレード高そうですね。プレミアムエコノミーなど、一度乗ってみたいです。763ERは、国内線で関西→東京で何度か利用してますが、国内線では前方のビジネスクラス(クラブANA)も一般席扱いなのがいいです。(ただ国内を飛んでる763ERは国際線には入っていないのでは?クラブANAの座席ではなく一昔前のビジネス席なので…とも思ってしまいます…) (2007/08/18 10:16:59 AM)コメントありがとうございます。国内線に入っている763はエアジャパン便に入るケースがあるみたいです。あのビジネスに当たるとしょげます。プレミアムYはスタアラは大体やってますけど、3人掛けに3人のプレミアムYと、3人掛けに2人のノーマルYだったら、ノータイムで後者を選択します。シートピッチはまあまあですが、それほどの有り難味はありませんでした。合格開運男さんのコメントすごい時代ですね。更新楽しみにしています。(2007/08/18 04:20:05 PM)ベトナムは現時点では3Gは余り普及してません。でも、2Gパケット通信でドコモが提携しているのでこのレポートを送れたのでした。常連さんのmaman.mさんのコメント『脊髄反射..........』年代のせいですね、「メコンデルタ」という文字面を見ただけでモノトーンの独特の情景が思い浮かび、なかなかカラーイメージが湧きません。どんな画像がレポートされるのか、とても感慨深い思いを抱えながら、楽しみにさせていただきます。(2007/08/18 05:36:39 PM)コメントありがとうございました。私も年代が近いせいか、メコンデルタと言えば、合衆国陸軍の空中機動部隊とか、合衆国海兵隊の河川舟艇部隊が目に浮かびます。映画「地獄の黙示録」の世界でございました。ただ、私の場合は、ベトナム戦争の末期の印象なので、ニュースフィルムはカラーと言う印象でございます。案山子の屁さんのコメントベトナムの報告楽しみに待ってます。(2007/08/19 02:29:56 AM)ご声援ありがとうございました。確定レポートを作るのが楽しみです。ニュースフィルムで見た世界が、あの場所にそのまま残っていました。【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/08/20
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7月末から連載した、「風林火山 諏訪フリーきっぷ」を利用した信州旅行のレポートです。毎度お馴染みのリンク付き目次にして置きます。それにしても…、シリーズ・タイトルに【鉄】を振りませんでしたが、各日記の題名は鉄道車両の形式ばかりでした。これなら【鉄】を付けても良かった出寸ね。(1)謎のキオスク(2)はまかいじ(3)甲府城(4)下諏訪駅(5)小海線(6)甲斐小泉周辺(7)岩魚(8)オープンセット(9)岡谷太鼓(10)辰野駅へ(11)クモハ123-1(12)クモハ123(13)ミニエコー(14)215系(15)EF64(16)E351系(17)下諏訪駅再び(18)下社秋宮(19)旧中仙道(20)下社春宮(21)三角八丁(22/終)スタンプラリー【実況】小海線甲斐小泉駅 【実況】風林火山オープンセット【実況】中央東線辰野駅でクモハ123の到着を待ってます~。 【実況】これがクモハ123-1【実況】臨時特急「はまかいじ」【実況】臨時快速「ホリデービューやまなし」号 【実況】中央東線上諏訪駅【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/08/20
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日本航空で時刻通りに成田に到着致しました。空港快速で都内に向かっています。NEXじゃないと、「鉄」旅行みたいな感じですね。これから出勤です。さすがに少し消耗しそうです。それにしても……、サイゴンより成田の方が明らかに暑いとは…。末世ですなぁ…。当初アップ日時: 2007/08/20 07:09:38 AM【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/08/20
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ベトナム滞在も後僅かでございます。空港で出発待ち中です。毎度お馴染のタンソンニャット共用ラウンジでスタアラゴールドの特権を享受しています。前に比べて食い物が大幅に改善しています。春巻が美味しい…。やっぱ、ベトナムと言えばベトナム戦争と米軍撤退後のサイゴン陥落、大量のボートピープルの発生、中越戦争の勃発、カンボジア内戦への介入なんですよね。現在のベトナムは経済成長の道をひたすら走る普通の国民国家みたいな感じですけど…。戦争の遺跡はそこいら中に残っている訳です。今回は行きませんでしたけど、戦争犯罪証跡記念館には、米軍や韓国陸軍が無茶苦茶やったことは記録され展示されています。ソンミ村とかですね。ベトナム反戦運動は、当時隆盛を極めた学生運動と結び付き、日本でもかなりメジャーな社会運動になって行きました。小田実氏が逝去したと言うニュースが少し前に流れましたけど、ベトナム戦争当時の小田氏の人気は大したものでしたね。ベトナム戦争のころには日本本土にもたくさんの米軍基地があって、ベトナム特需は日本経済にかなりの恩恵をもたらしたと言われています。日本はベトナム戦争と無関係ではなかった訳です。鉄的には米軍向けの貨物列車を思い出します。横浜線をよく走っていました。当時の日本人に加害者意識があったのも、むべなるかな、でありました。酷いことに、ベトナム戦争末期の沖縄返還の際に、日本本土の米軍の多くは沖縄に引っ越すことになりました。ベトナム反戦運動の激しい本土には、刺激的なものは残して置きたくなかったのでしょうか。このつけは、沖縄県民が一手に引き受けることになりました。当時の雰囲気は、米軍&ベトナム共和国=悪、北ベトナム&ベトコン=善、という図式で考える人が多かった訳です。この図式が正しければ、北による統一で、全ての問題が解消し、「めでたしめでたし」になるはずでした。しかし…、75年にベトナムが統一された後も、凄まじい状態が続いたようです。ボートピープルがあれだけ発生したことだけ見ても、「かなりの確率で死亡するリスクを取っても、祖国から出て行きたい」と考える人がたくさんいた訳です。北朝鮮よりはましでしょうけど、北の相当過酷な統治が行われたと考えてよいでしょう。あのボートピープルを見て、ベトナム反戦運動は何だったのかなあ、と感じてしまう訳です。南ベトナム政府も全然誉められる状態ではなく、秘密警察の長官がスパイ容疑者を撃ち殺すシーンや、僧侶の焼身自殺のシーン〔マダムニューの「人間バーベキュー」発言もありましたね〕を見れば、誰だって、これはまともな政府じゃない、と感じると思います。でも、ボートピープルは発生しなかったので、北ベトナム政府よりは「まだ我慢出来る政府」であったと推測していますけど。ベトナム統一後も、なかなか幸せはやって来ない訳で、文革末期の中国が人海戦術で国境を越えて攻めて来るわ、隣国のカンボジアには自国民の4分の1を殺してしまうような政府が出来て、国境を侵犯するので、軍隊を派遣せざるを得ないは…。インドシナの戦火は延々と燃え続けた訳です。戦時体制を解く訳には行きません。ベトナム国民は、物質的な窮乏に耐え、人的な動員に応じざるを得なかった訳でした。こんな歴史を持つ国ですので、興味津々のものが満載なのです。今回は時間の関係でほんの2箇所しか回ってませんけど、また来たい国の上位です。多分また来るでしょう。ベトナムは、美食とエステとアオザイだけのデスティネーションではないのです。さて、この後は、SQでシンガポールに行って、更にJLのFクラスで東京に戻ります。今回の旅程ではトラブルは1件だけで済みそうですね。昨日のメコンクルーズで小型船同士の正面衝突に遇いました。後ろの席だったので無傷でした。電車も舟も最前は危険ですな。次のレポートは東京からの帰着レポートになる筈です。お付きあい頂きありがとうございました。当初アップ日時: 2007/08/19 06:37:05 PM【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/08/19
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まだサイゴンに居ます。雨が降って来てしまいました。さっきまで、旧南ベトナム大統領官邸なんかを見てました。画像は中央市場ですな。街の中心部です。天候がこんな感じなんで、ちょっと早いですが、空港へ向かうことに致します。次の寄港地はシンガポールです。はい。当初アップ日時: 2007/08/19 02:01:00 PM【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/08/19
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サイゴンよりもメコン川の上流のあるミトーに行って来ました。今は再びサイゴンにいます。maman.mさんから「モノトーンになる」旨のコメントを頂きましたが、正にご指摘の通りでして、映画「地獄の黙示録」みたいな風景ばかりでした。ワイルドで楽しい一日でございました。画像はジャングルクルーズの舟です。こんな舟でメコン川の支流を走り回った訳です。はい。明日は、午前中はサイゴン市内を歩き、午後にシンガポールへ移動します。当初アップ日時: 2007/08/19 09:18:55 AM【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/08/18
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皆さんコメントありがとうございました。ベトナムからも実況レポートをお送り出来るようです。便利な時代になりました。昨晩の全日空の夕方便でホーチミン市に着きました。機材は763ERでした。機内エンターテイメントは、日航の方が全日空より上と言う印象を持っていたのですが、大分改善されておりました。映画「憑神」がおもしろかったのでした。久しぶりにYにしたのですが、飯も悪くない…。ホーチミン・タンソンニャット空港のCIQも速くて快適でした。今日は、メコンデルタをフラフラするつもりです。当初アップ日時: 2007/08/18 09:09:18 AM【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/08/18
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これよりベトナムに行って参ります。更新がちょっと途絶えるかも知れません。当初アップ日時:2007/08/17 04:34:54 PM
2007/08/17
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皆さん、コメントありがとうございました。お返事が遅れていてすみません。今晩も深夜営業の歯科医院に行っておりました。まあ、健康のためには仕方がない治療なんですけど、身の毛もよだつ体験です。ひー。まだまだ通わねばなりません。とりあえず治療の準備段階で溜め込んだ歯石をガンガン取りました。恐るべき分量でございました。はー。あ、言い忘れておりました。明日から久しぶりに海外に出ます。ちょっと気が早いのですが、不在モードにしました。背景色を紅色にして見ました。帰宅した時点でいつものブラックバックに戻します。今回のお題は「西武生駅」にしてみました。感じにすると西武鉄道みたいですけど、全然関係ありません。福井鉄道の車両基地とか本社社屋がある駅なのです。この画像は西武生駅のホームから撮影したものです。これは福井鉄道の本社社屋です。結構風情がある社屋なんでびっくりです。やるなあ。こちらが西武生駅の駅舎です。木造の古臭い建物です。クラシックでいい駅舎でございました。待合室でございます。かつては当然有人駅であったのですが、今では無人駅です。本社社屋と車両基地があっても無人駅なのですねえ。ホームから撮影した駅舎です。構内には電気機関車が留置されておりました。購入した車両なんかを回送するために使っているのでしょうね。別のアングルからです。日没間近で結構厳しい環境でございました。車両基地です。なんだか名鉄の車両ばかりのように感じました。小田急からの転入車両はもう居ませんでした。廃車されてしまったのかしら…。名鉄のモ600かしら…。この編成は現役ではなさそうです(架線がありません)。保存車両なんでしょうねえ。モハ141と言う形式のようです。元長電と言う説も聞きましたが、根拠を見つけられませんでした。こんな感じで、西武生駅の福井鉄道の車両群を堪能して、福井駅前に戻ったのでございます。次回のレポートは福井駅から先をご報告します。ただし、帰国後になってしまいますが…。【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/08/16
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皆さん、コメントありがとうございました。特に、鉄道趣味人の喜多山栄さんのコメントは情報量が多くて参考になります。どうも、私は、中京圏の私鉄に弱いので…。前回の日記でご紹介した、えちぜん鉄道の6100形の内装は、愛知環状鉄道の時代から余り変わっていないとの情報提供を頂きました。 →喜多山栄さんは仙台空港鉄道に乗って →私鉄完乗を果たされたみたいです。 →次のターゲットは舎人線でしょうか。愛知環状鉄道の内装って進んでいたんですね。福井鉄道の車両は名鉄からの転入と言うのは知っていましたが、複電圧とは知りませんでした。美濃町線とか岐阜市内線とか、ちょっと前の名鉄には実に魅力的な路線があったのですが…、全部消えてしまいました。鉄子でもターゲットになるくらい魅力的だったのですが…。残念です。福井県にお住まいのデコちゃん6902さんからは、福井鉄道の「ビア電」運行に関して情報を寄せていただきました。「5時から2時間掛けて福井~武生間を往復飲み放題おつまみセットが付き3000円日曜は予約制」だそうです。結構魅力的ですよね。有益情報をありがとうございました。さて、今回は、福井鉄道をレポートします。この画像は福井鉄道の路線図です。福井~武生までを運行しています。時刻表でございます。日中は20分に一本です。同じく路線図ですけど、こっちは車内のものです。法定検査表です。名古屋鉄道株式会社とありますね。福井鉄道に転入してからは、まだ、時期が来ていないようでした。案内板です。余り新味はないですね。客室の様子です。名鉄の雰囲気は残っているでしょうか…。併用軌道と専用軌道の境目です。この橋の向こうは専用軌道になるのでございました。このかまぼこ型のシェルター(雪覆い)が北陸らしいでしょうか。積雪によるポイント凍結を防ぐためのものです。石勝線辺りになると物凄い規模のシェルターが人里離れた信号所に付いてますが、走行速度の遅い福井鉄道ではこの程度で済んでいます。列車交換の際に撮影したものです。新しい電車は似合いませんな。しかし、新しい電車しかないのです。名鉄からの大量転入によって、福井鉄道の旧式車両は殆んど駆逐されてしまったのです。除雪車も居ました。余りヘビーデューティ仕様じゃないのが、市街地を走る路線っぽいです。山間部を走る路線だと、JRの除雪車みたいなゴツイ奴が必要になります。西武生駅でございます。ここに車両基地と本社社屋があります。次回の日記でご紹介します。終点の武生新駅です。JR北陸本線の武生駅までは十分歩けます。武生新駅に留置されていた車両です。新しいのばっか…。この武生新にはちょっとしか居ませんでした。直ぐに折り返して西武生駅に向ったのでございます。やっぱ車両基地を見ないと…。次回は西武生駅をご紹介します。【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/08/15
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皆さん、越前蟹にコメントをありがとうございました。恐らくは日本最強の蟹です。死ぬまでに一度は食べてみたい…。漫画「築地魚河岸三代目」にも登場した(maman.mさんのご指摘の通り)、あの越前蟹でございますね。シーズンにもう一度訪れたいものでございます。すんません、ちょっと、今回は手抜きです。えちぜん鉄道の三国芦原線で三国港駅から福井に戻る過程をレポートします。最初の画像はアテンダントさんです。電車の客室乗務員はやっぱ珍しく、ついつい、撮影させてください、と頼んでしまいます。6100形の車内です。近郊タイプのセミクロスでした。愛知環状鉄道を走っていたときと内装は変わっているのでしょうか…。愛知環状鉄道時代に乗車しているはずなんですが、記憶がないのです。運転台です。プレート類です。「名鉄住商工業」と言う表示が、愛知環状鉄道出身であることを雄弁に語っておりました。バックライト液晶方式の車内案内板です。見やすい。これは良いですね。JR東日本みたいに、動画じゃなくとも十分です。えちぜん鉄道の路線図です。丸く作っているのが珍しい(いや、珍しくもないかも知れません)。三国港駅も見納めでございます。運転台から見た風景です。こんな感じの車窓を楽しみつつ、田原町まで戻ったのでした。田原町では、先ほど乗った1102(阪神電車の車体を使っている車両)とすれ違いました。田原町からは福井鉄道に乗り換えました。福井鉄道880号機の車内プレート類です。「880」の字体がいかにも名鉄でございましょ。その昔、明治時代は、官営鉄道もこの字体だったらしいのですが、今では名鉄くらいしか使用していない字体です。鉄道発祥の地、英国の伝統的な鉄道字体だそうです。今度は福井鉄道の専用軌道を終点の武生新まで乗り潰すことに致しました。次回は福井鉄道を再びレポートします。【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/08/14
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今日も暑い一日でした。昨年のこの季節は、青春18きっぷを握り締めて狂ったようにムーンライトシリーズに乗っていたものですが、今年はどうもテンションが上がらずに、ずっと東京におります。まあ、次の週末からは海外に行きますので、良しとしています。さて、皆さん沢山のコメントをありがとうございました。本文でご紹介しておきたいものをいくつか引用いたします。福井県にお住まいのデコちゃん6902さんのコメント福井の地元から一つ。写真の駅蕎麦は多分北海道産の物でしょう。この会社は北海道に広い蕎麦畑を持っていますから。土日のフリー切符はえちぜん鉄道が800円。福井鉄道が500円(通し切符は1200円)。最進ニュースえちぜん鉄道の福大前と新田塚との間に新駅が2つできました。つまり福井大学前~日華化学前~八ツ島~新田塚となります。しかも新駅二つは電車の市内電車化に備え、ホームがコンクリートの低いホームの上に木造の(撤去用)ホームを持っています。田原町で両線を接続して三国港~武生新の直通電車ができます。(2007/08/12 11:20:12 PM)地元にお住まいのデコちゃん6902さんは、あっさりと市内電車化とお書きになっております。北陸地方では半ば常識と化しているのですが、JR西日本の富山港線のLRT化の成功で、北陸三県では、通常の鉄道のLRT化を真剣に考えるケースが増えています。LRTにすると低床車を導入できますので、ご老人の利便性が向上します。利便性の向上を通じた利用者増を狙っている訳です。富山では、地鉄市内線と富山LRTの一体化が模索されております。同様に福井でも、えちぜん鉄道と福井鉄道のLRT化と一体運行を模索中なのです。地域鉄道の再生の切り札になるかも知れません。今後の議論に注目したいと思っています。セレブスタイルな旅・豪華客船クルーズさんのコメントいよいよ三国ですね。三国といったら「東尋坊」。ここは言わずと知れた景勝地で、風景は絶景ですが、「自殺の名所」というありがたくない異名に恥じない(?)くらい、厳しい荒波と断崖が受けていました。添乗員時代、東尋坊の現地ガイドの方が「波が穏やかでも、東尋坊の高波をなめたらいけないよ。先日穏やかな天気だったのに、突然、高波にさらわれた人がいたんだよ」と言ってました。危険な岩場に近づこうとする方がいて、ガイドさんは即座に大きなメガホンで「危険だよー」と注意するのです。メガホンはガイドさんにとって必需品だそうです。(2007/08/12 01:36:11 PM)三国周辺で定番中の定番の観光地として東尋坊がございます。普通の筋ならば当然東尋坊を訪れるのですが、今回は見送ってしまいました。その代わり、最近重要文化財に指定された三国突堤を味わうことにしたのです。三国訪問の詳細は、この後にご報告します。常連さんの修理屋マイスターさんのコメントこんばんは。なるほど・・・・・・ セコハンですが、結構近代的車両で運用してますね。アテンダントのお嬢さんがいると、車内も華やかですね♪ そうそう、旧国鉄趣味?の方のH/P、ご紹介してましたかね? (2007/08/12 12:23:41 AM)あっ!もひとつ! 宮崎在住の、高校生の鉄のブログです。今後の育成のために?一言お願いします!(爆!)(2007/08/12 01:00:05 AM)有益情報ありがとうございました。普通列車「ながさき号」のレポートは一見の価値が十分にあります。宜しければ是非ご覧下さい。国鉄末期まで、夜行の普通列車は結構たくさんありました。現在は夜行列車は殆ど残っておりません。若いうちにもっと乗っておけば良かったと後悔しきりです。さて、本題に入ってまいりましょう。前回の日記では、福井駅からえちぜん鉄道の三国芦原線に乗り込むところまでご報告しております。乗り潰しが目的ですので当然終点まで参りました。三国芦原線の終点の三国港駅です。ローカルな雰囲気が漂ういい駅でした。ここで折り返して福井に帰る訳ですね。レールの末端部です。終着駅ですので、車止めがございますね。延伸の計画とかはなかったのか…。で、ここから三国港駅周辺を散策することにしたのでございます。漁協の看板です。音に聞こえた三国のえちぜん蟹の紹介ですね。三国で採れた越前蟹にはタグを付けてます、という看板でございます。いか釣り舟でしょうか、沢山の照明を積んだ漁船が次々に出港しておりました。これが三国港の見所なのです。今回の題名にした三国突堤と言う堤防です。三国港は九頭竜川の河口部にありまして、自然の地形のままだと、上流からの土砂が堆積してしまい、直ぐに使えなくなってしまうと言う厳しい環境にあったそうです。そこで、川の流れを速くして、土砂の堆積を防ぐために突堤を築いたそうです。案内板の内容を引用してみます。『三国突堤』明治初年の三国港は、漂砂埋設により河口の水深が3尺5寸(1.05m)しかなく、400石以上の船舶は空船でも出入困難であった。地元民は再三に渡り築港を県に嘆願。三国港を守るこの突堤は、オランダ人御雇用工師エッセルの設計により、明治10年5月24日に着工され、工事を引き継いだオランダ人、デ・レイケにより、幾多の障害を克服、明治13年12月14日に完成した。突堤は長さ286間(520m)、幅5間(9.1m)、河口水深は10尺(3.0m)以上となり、今もなお防波堤・防砂堤・導流堤としての機能を果たしている。工事費の36%を地元民が負担する等、地元の情熱と強力が成功をもたらした築港といえる。明治の大建築がこんなところに残っている訳です。なかなか優秀な設計で、工事後100年以上経過していますが立派に機能していると言うものです。これが三国突堤の基礎工事の説明図です。粗朶沈床と言う基礎となる木組みを沈め、その上に石を積み上げていくと言う工法が採られたそうでございます。国土交通省港湾局の説明文を引用します。防波堤の構造は「粗朶沈床(そだちんしょう)といわれるもので、粗朶(クヌギやナラなどの苔枝を束ねたもの)をかご状に組んで、その中に石を入れ沈めたもの」を基礎として、その上に砕石を投じ、直径1.5mの巨石を被覆石として2~3割の法面勾配で積んだものです。この工法はオランダ土木技術を用いており、直接石を沈める方法より、波の影響を受けにくく安定した構造になっています。 粗朶沈床の模型でございます。こんな工夫をしなければ建築できなかった難工事であった訳でございますね。明治初期の偉大な築工工事でございますので、重要文化財に指定されております。ちなみに三国港突堤は、「明治三大築港」と言われております。他の二つは三角港(熊本県)、野蒜(のびる)港(宮城県)です。三角港は見ましたけど、これも素晴らしい作品です。せっかくなので、三国突堤の上を歩いてみました。物凄い風で砂が舞っておりました。カメラが壊れる恐怖を感じて早々に撤収しました。突堤の後は温泉でございます。三国には温泉もあるのです。妙に立派な建物でございました。海側から見るとこんな感じです。この三国温泉「ゆあぽーと」でお湯に浸かってしばし寛いだのございました。以上で三国港レポートをお終いにします。この後は、再びえちぜん鉄道三国芦原線で福井口まで戻り、更に福井鉄道に乗り換え、終点の武生新まで乗り潰しを行います。次回は三国港駅からレポートを再開いたします。【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/08/13
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実は最近またブルーなのです。奥歯が欠けてしまいました。積年の蛮用に耐えられず崩壊したのでしょうか…。久しぶりに歯医者通いを始めました。今日も歯科医院に行っておりました。はー。憂鬱です。歯科医院も因果な商売ですよね。患者に嫌われて…。さて、皆さん、コメントありがとうございました。本編に入る前に、頂いたコメントのうち、本文でご紹介したいものを掲げて参ります。最初は、永平寺そばに関する、情報量の多いコメントをご紹介します。セレブスタイルな旅・豪華客船クルーズさんのコメント永平寺の水雲達(修行僧)が厳しい修行に耐えるべく、せめて食事だけでも最高のものをという想いで作られた精進料理のひとつが「永平寺そば」です。質素な精進料理ですが、味のレベルは最高です。年に数回、このそばを食べることを認められる日があるそうで、彼らの励みにもなっています。すべて永平寺の厨房を任されたことのある住職さんからのお話でした。(2007/08/11 12:47:14 PM)へええええ、知りませんでした。年に数回しか食べられないんですね、修行僧は。まあ、あんなに美味しいものを食べていたら修行にならないかも知れません。常連さんのmaman.mさん『ふふふ、その出汁の昆布は・・』古くから、北海道からの昆布なのですぞ。(と、北海道と福井の関係として聞いています)たしか、福井は鰊ソバも美味しいはずです。さすがに厳しい修行で知られるだけあって、質実剛健の男性っぽい面構えの伽藍あれこれが素晴らしいです。曹洞宗、宗教としては教えの本質が福井人の気質に合わなかったと何かで読みましたが、救済道ではなく、修行の結果も全く個人に帰結する修行道ともいえるので、八百万の神々に拠り頼むお陰信仰の好きな日本人全般に、なじみにくい宗派なのかもしれませんね。少なくとも好奇心ばかりで修行嫌いの私には無理っぽい修行です、あはっ^^; (2007/08/11 12:19:22 PM)ほほー、北海道産を持ち込んでいるんですね。それで鰊そばなんですね。同じくmaman.mさん『蕎麦、黒さが美味しそう』白っぽくて上品な細さの更科蕎麦よりも、噛むとそば粉の香りが立ち上がる、黒くて少し太さのある十勝蕎麦のファンなので、永平寺蕎麦にはたいへんそそられます^^; アテンダントさん、体の前に下がる肩掛け鞄やゆれる車内で上手に体のバランスを取って応対する様子は、幼い頃(私にもありました!)憧れの「バスガイドさん」のようです。旅籠屋の名残りのような「えちぜん勝山駅」の風情もなかなかのものがありましたが、道駅としては、この福井口駅の方が、私の中では上位です(~_~メ) (2007/08/11 11:28:55 AM)あの客室乗務員さんは器用に切符を売ってました。結構揺れるんですよね、えちぜん鉄道って。大したものです。成人46さんのコメント永平寺蕎麦・・・ウマソー♪ このアテンダントさん、妙に、色気ありますね~! notoshunさん、いつも、お目が高い(爆)(2007/08/11 10:38:47 PM)えへへ、速攻で写真撮影をお願いしてよかったです。さて、本題です。前回はえちぜん鉄道の三国芦原線で田原町まで移動し、福井鉄道に乗る手前までレポートしました。今回は福井鉄道をご紹介しましょう。福井鉄道田原町の出発時刻表です。結構フリークエントなんです。この福井鉄道は田原町から福井駅前まで進み、ここでスイッチバックして、武生まで行く私鉄でございます。併用軌道と専用軌道を持つ路線です。これが福井鉄道の車両です。確認してませんけど、恐らく名鉄からの転入車両です。悲しみのセントレア開港に伴う名鉄路線大整理で名鉄での働き場所を失った車両が大挙転入したようです。トコロテンで、福井鉄道も大量に古い車両を廃車したみたいです。コカコーラのラッピング電車なんでこんな色です。まるで名鉄の電車みたいですね。あっという間に福井駅に到着いたします。北陸三軒の駅舎は北陸新幹線開業を見据えバンバンきれいになっていますが(圧巻は金沢駅ですね)、福井もまたこんな感じの駅舎になってしまいました。福井駅では北陸新幹線の工事が進められておりました。在来線の特急銀座もいつまで持ちますやら…。福井駅でもう一回そばを頂きました。今度は福井蕎麦です。これも美味しい。うんうん。何だか麺類ばかり食べていました。再びえちぜん鉄道に乗ることに致しました。今度は三国芦原線の乗り潰しでございます。次回はえちぜん蟹で有名な三国をレポート致します。【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/08/12
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おはようございます。今日も暑い日になりそうですね。さっそくレポートに入ってまいります。永平寺の表札です。古くからご愛読いただいているなぎパパ0110さんから「私の出身高校は、名古屋の愛知高校。曹洞宗の高校です。たしか1年の夏、永平寺で1泊させられました。強制で(ノ_・。) 夕方、そして翌日早朝、座禅ヽ(´~`; 食事は、精進料理。 麦飯→おかず→麦飯→おかず→麦飯・・・。 食べ方もあるそうです(;^_^A(2007/08/10 11:27:24 PM)」とコメントいただきました。現在の永平寺では一泊二日の修行を体験できるそうです。一泊二日で8000円で厳しい厳しい修行を体験できるそうな。真冬がお勧めです。私も参加を狙っています。福井の私鉄レポートを続けます。前回の日記の最後の部分でご報告した「永平寺そば」からご紹介しましょう。これが永平寺そばです。福井県はなぜか蕎麦文化なのです。古くから米作を行っていそうな土地なんですが、蕎麦が美味しいのです。何でだろう…。蕎麦が美味しいと言うと、山ばかりで米が出来ないとか、水が不足して米が採れない土地が多いのですけど。何故、永平寺そばが美味しいのか…。永平寺本山へも納入しているヤマサ製麺のそば紹介を引用します。【引用始め】永平寺そばこそ噛みしめて食べるそばである。雪深い越前平野ではぐくまれたこの越前そばは、四季を通じて味わうことができる。色が黒く腰のしっかりしたこのそばを噛みしめると、そば本来の味がにじみでてくる。この妙味を何にたとえよう。良質のそば実を厳選し、いまだに量産にはそぐわない石臼による一本挽き。当地における伝統の味と製法をかたくなに守りつづけています。"永平寺そば"は、一般に越前地方で呼ばれている"越前そば"よりも太めで、こしのしっかりした麺です。【引用終り】なるほどねえ…。せっかくですので、胡麻豆腐も付けてみました。これもまた美味しいのでした。うんうん。何ゆえ永平寺で胡麻豆腐なのか。それは胡麻豆腐は胡麻と葛粉を練り上げた精進料理だからです。精進料理が非常に、何と言うか発展していまして、どれもかなりのレベルの味なのです。ウーム、永平寺恐るべし。永平寺から、えちぜん鉄道の永平寺口までの移動に使ったバスの切符です。永平寺口から福井口までお世話になった車両です。またMC6100形です。愛知環状鉄道からの転入車両です。勝山永平寺線はこの車両形式ばかりでした。この帰りの車両にはアテンダントさんが乗っていました。素晴らしい…。アテンダントの清水さんです。早速、撮影させてくれるようにお願いしました。ご快諾を頂きました。はい。勝山永平寺線を福井方向に進みます。可愛い駅の連続でした。勝山永平寺線と三国芦原線の乗換駅の福井口駅であります。ここで、三国芦原線に乗り換えることに致しました。えちぜん鉄道の6100形のアンテナ群です。妙にアンテナが多い…。ダイバーシティにしているのかしら…。福井口の駅舎です。車両基地があって、二つの路線の乗換駅ではありますが、ちょっと小ぶりの駅舎でございました。福井口の脇を北陸本線が走っていました。福井口の車両基地です。ちょっとクラシックめな車両が寝ていました。福井口駅に進入する三国芦原線の車両です。1102ですね。阪神電車から買った車体を使っているようです。兄弟の1101は事故で廃車になったそうです。1102の車内プレートです。武庫川車両と言う表示が元阪神らしいですね。1102の車内の様子です。この車両にもアテンダントさんが乗っていました。ちょっとだけしか乗りませんでした。三国芦原線でえちぜん鉄道を下車致しました。この田原町は、えちぜん鉄道と福井鉄道の乗換駅でございます。ここで福井鉄道に乗り換えることにいたしました。次回は福井鉄道の市内区間をレポートします。【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/08/11
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うー、今日も暑いです。さて、前回は、九頭竜川に沿って走るえちぜん鉄道勝山永平寺線を軽くレポートしましたが、今回のお題は永平寺です。禅寺の名刹中の名刹であります。曹洞宗の教育機関としても機能しております。とにかく、修行中のお坊さんが多かったと言う印象でございます。さて、早速永平寺の自己紹介を引用しましょう。【引用始め】曹洞宗大本山永平寺は、今から約750年前の寛元2年(1244年)、道元禅師によって開創建された出家参禅の道場です。室町時代には天皇から「曹洞宗第1道場」の勅額を贈られ、日本の禅修行の場として歴史を刻んできました。33万平方メートルにも及ぶ広大な敷地には、山門・仏殿・法堂・僧堂・大庫院・浴室・東司などの 修行の中心となる「七堂伽藍」 など、70余棟の建物が、樹齢600年を越える老杉の巨木に囲まれながら 静かにたたずんでいます。150名の雲水たちによって、荘厳な雰囲気の中、 今も750年前に道元によって定められた厳しい作法に従って禅の修行が営まれています。 【引用終り】「出家参禅」の看板に偽りはありません。建物の価値も素晴らしいのでしょうが、この寺の魅力は修行僧の真摯な態度にあると思います。早速画像をご覧頂きましょう。国体で使う火を採火したと言う碑がありました。さすがにお寺ですので、「聖火」と言うワーディングは避けています。こちらは永平寺全体の案内図です。とにかく規模が大きいのです。全ての建物に入れる訳ではありません。このお寺は禅僧のブートキャンプとして機能しています。年中無休24時間多数の僧が修行しているのです。こちらが入場ゲートです。ここで参拝料か参観料か忘れましたが、入場料金に該当するものを支払い境内に入ります。最初にこの吉祥閣と言う建物に通されます。この中で、永平寺の全体像についてレクチャーを受けるのです。吉祥閣の中の巨大な広間です。天井の細工が素晴らしい…。長い渡り廊下を案内されます。山寺ですので、当然アップダウンがあります。禅堂でございますな。中には入れませんでした。多分修行中です。永平寺は修行基地として常に稼動しているせいか、時間によって入れる場所が変化するようです。更に渡り廊下を進むのです。この画像は渡り廊下から撮影したものでございますな。見事な祠堂です。廊下を通って、標高が最も高い建物に通されるのでございました。孤雲閣・承陽殿でございますね。この見事な伽藍は法堂でございますな。天保時代の作品だそうです。撮影している時も一個分隊ほどの若い修行僧がきびきびと動いておりました。禅寺の修行と言うものは、陸軍の内務班みたいな感じだと聞いたことがございます。たしかに、軍隊的なキビキビした態度でございました。仏殿でございますな。山門です。見事な出来栄えです。素晴らしいとしか言いようがない。院庫と言う建物です。書庫みたいなものでしょうか。最後の画像は祠堂殿でございます。この永平寺を堪能した後で、えちぜん鉄道の永平寺口駅行きのバスに乗るために、門前町を移動してバス停に向いました。古くからご愛読いただいているセレブスタイルな旅・豪華客船クルーズさんに、「永平寺門前のお店の「永平寺そば」や「胡麻豆腐」はとってもおいしいです。とくにおそばのダシは精進料理というせいもあって椎茸と昆布を使っています(カツオ節は使いません)」とコメントしていただきました。notoshunはろくろく予習せずに永平寺に来たのですが、野生の勘で両方とも食べたのです。あはは。次回は、「永平寺そば」と「胡麻豆腐」からレポートを再開することにいたします。【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/08/10
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先日知ったショックなニュースがございます。東京モーターショーの目玉企画であった「アンゼンジャーショー」が、今年は開催されないようなのです。マッドハシリーヤ将軍にはもう会えない…。非常に悲しい…(2005年のアンゼンジャーショーレポートのその1とその2があります、宜しければ!)。まあ、「大人の事情」があるんでしょう。仕方が無いですね。さて、本題に入る前に、コメントの紹介から入らせていただきます。常連さんの修理屋マイスターさんから、「京福電鉄って、京都、滋賀で走ってる鉄道会社と同じですよね?」と頂きました。京福電鉄は、その名前の通り、京都と福井で別々に鉄道事業を行う会社でした。京都と福井を結ぶ計画があった訳ではないらしいのですが…。福井の京福電鉄は消滅しましたけど、京都の京福電鉄はいまだに健在です。嵐山本線と北野線が運行されています。ただし、非常に短い路線になっておりますけど。さて、これが現在のえちぜん鉄道の車両です。えちぜん鉄道は勝山永平寺線と三国芦原線の2路線が営業中ですが、先ずは、勝山永平寺線に乗ることに致しました。京福電鉄の面影は車両には残っていません。えちぜん鉄道に譲渡された後に殆どの車両が塗替えになったようです。この車両はMC6100形でして、元は愛知環状鉄道を走っていた車両のようです。車内はこんな感じでした。単行のワンマンカーです。妙に厳密に指差喚呼を行っていました。連続事故以降の厳密な安全教育を偲ばせるものがありました。こんな感じの小さくて可愛い駅が続きました。とりあえず勝山永平寺線の終点の勝山駅まで乗ってみました。こちらが勝山駅でございます。クラシックな木造駅舎が良い雰囲気を醸しています。待合室の雰囲気も古風で大変良い感じでした。駅務室にはこのような古い金庫がありました。勝山駅で折り返して、福井方向に向いました。しかし、そのまま福井駅に戻るのも芸がないので…。この永平寺口で下車することにしました。永平寺口駅では列車交換を行いました。すれ違い、去って行く勝山行きの列車です。やはりMC6100形でした。永平寺口も、勝山駅同様に小さくて古風な駅でございました。その昔、京福であった頃にはこの駅から永平寺へ支線が延びていたのですが、運行停止命令中に廃止されてしまいました。現在は、永平寺にはバスで行くことになるのでした。せっかくここまで来たのですから、永平寺に寄ってみることにいたしました。次回から、しばらく、永平寺での撮影分をレポートしてまいります。【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/08/09
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今回から福井シリーズをお送りします。以前ご紹介した藻谷浩介氏の講演会の中で、藻谷浩介氏が「福井県。何のとりえもない福井県。日本地図で、どこが福井か当ててみろっていったら、日本人で一番分からないのが福井県なんです。そんな地味で面白くないところでやったってどうせダメだろうと思ってたんだけど(notoshun注:失礼過ぎです)。これは、ホントに、申し訳ありませんって謝るしかないだけど、客増えたんですよ。」と評した、えちぜん鉄道に乗りに行くのが目的でございました。この人が講師をやっていた藻谷浩介氏です。子供っぽい表現はさておき、中々の講師でした。この講演は、山形鉄道フラワー長井線利用促進協議会主催で、山形鉄道の車両基地の中で開催された渋い記念講演でして、内容も、死にかけた赤字ローカル線がこのようにして生き残った、と言うストーリーで中々のお話でした。2回に分けて公演内容をご紹介しておりますので、宜しければ見てください<藻谷浩介講演その1 藻谷浩介講演その2>この講演の中で藻谷氏が触れている通り、福井県にはかつて京福電鉄と言う鉄道がありました。これが設備の老朽化を放置し、車両故障や何やで、短期間に2回も正面衝突事故を起こしてしまい、禁断の「事業停止命令」を受けて、全線運転休止に入ってしまったのです。まあ、実際のところ酷い運行だったみたいです。で、誰もが、これで京福電気鉄道の福井線は死んだと思ったのですが、第3セクター(えちぜん鉄道)として奇跡の復活を遂げたわけです。これに乗りに行くのが第1目的でした。これだけでは時間も余りますので、他にも色々と行った訳です。maman.mさんじゃないですが、福井県は魅力的なものがたくさんありまして、この旅程だけでは時間が足りなくなってしまったのです。で、この旅程の高々2週間後に更にもう一度、今度は敦賀市を訪れることになるのですが、これは別のシリーズとしてレポートします。前置きはこの位にして、そろそろ本題に入ります。最初の画像です。見る人が見ればどこだか直ぐに分かりますけど、上野駅の出発案内板です。このシリーズでは、「北陸フリーきっぷ」を使用しました。往復にB個室寝台を利用できて、21400円とお手頃価格なので、ついつい使ってしまいます。妙に頻繁に北陸に行くのは、この切符の存在が大きいのです。もちろん、この日も「特急北陸」のB個室寝台ソロで移動しました。特急北陸を富山で降りたところです。別に、終点の金沢まで乗っても良いのですけど、飽きるんですね。富山で降りて、富山始発の「特急しらさぎ」名古屋行きに乗り換えることにしました。前にもご説明しましたが、北陸本線の金沢=富山間はは在来線有数の特急銀座です。特急銀座は新幹線になってしまうのが、世の常でして、北陸新幹線の工事が着々進行中です。もう一つの在来線特急銀座は鹿児島本線の博多と鳥栖の間です。こっちも新幹線になってしまいます。金沢と富山の間を走る特急・急行は、 はくたか 越後湯沢=金沢 しらさぎ 富山=名古屋 サンダーバード 富山=大阪 おはようエクスレス 富山=福井 北越 新潟=金沢 北陸 上野=金沢 能登 上野=金沢 きたぐに 新潟=大阪 トワイライトエクスプレス 神戸=札幌 日本海 青森=大阪とこんな感じになります。特に、サンダーバード・はくたか・しらさぎのJR西日本の681系・683系系列はごくごく頻繁に走ります。北陸が「日本の中心」にあると言う実感がありますよね。始終、「名古屋行き」特急とか、「大阪行き」特急とか、「新幹線連絡で東京行き特急」が来る訳です。富山から福井までお世話になった683系の車内です。683系の一部はほくほく線で160キロ運転をやってます。JR各社には交直両用特急は数あれど、683系はある種最強の形式かも知れません。ただ…、ビジネス旅客への傾倒が強く、今一つ面白みに欠ける嫌いはありますけど。この列車で福井に移動し、目的のチケットを購入しました。これです。「福井鉄道・えちぜん鉄道共通一日フリーきっぷ」とちょっと長い名前の切符です。この切符で、福井を中心に運行する、えちぜん鉄道と福井鉄道の2社全線に乗車できる訳です。切符を購入後、早速えちぜん鉄道の乗り潰しに着手いたしました。次回は、えちぜん鉄道の様子をご報告します。【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/08/08
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信州旅行シリーズも今回でお終いにします。今まで数回の日記で三角八丁(さんかくばっちょう)をレポートしてまいりましたが、この三角八丁では、スタンプラリーをやっていました。これが商品一覧です。私は緑が当たりました。こんなオルゴールです。結構嬉しいものです。抽選会場(秋宮近く)から下諏訪駅に戻る途中に見かけたアンティークショップ(?)です。エイリアンみたいな人形を売っていました。この「三角八丁其の八」に合わせて、JR東日本が「駅からハイキング」をやっていました。この駅からハイキングは、電車+ウォーキングで各地の名所を回る企画で参加すると、ポイントが貯まったり、結構良い感じの企画です。毎週末どこかで開催されています。地元の協賛が大体しっかりしていて楽しめるケースが多いです。JR各社ともやってますが、東が一番お勧めです。この画像は、「駅からハイキング」の参加賞の万治の石仏キーホルダーですね。これが最後の画像です。こんな電車で東京に向ったのでした…。あ、忘れてました。もう一枚。下社秋宮の近くで振舞われていた「御柱恵みの雑炊」です。これは美味しかった!。うんうん。以上で、「風林火山 諏訪フリーきっぷ」(横浜川崎市内発3日間で9000円)を使った小旅行のレポートを終りにします。主な見所は、 甲府市の「風林火山博」 北杜市の「風林火山オープンセット」 中央線辰野支線のクモハ123電車 中央線臨時快速に投入された215系電車 下諏訪町の三角八丁 でございました。割と安く上げた旅行の割には楽しめました。成功旅行でした。次回からは「北陸フリーきっぷ」を用いた福井旅行をお送りします。フリーきっぷの区間外なのですが、福井鉄道と「京福電鉄改めえちぜん電鉄」の2社共通一日乗車券を購入し、乗り倒しを行いました。その他、小松の「お旅祭り」も見てきました。宜しければ、引続き、お付き合い頂きたく…。それでは、シリーズ「中央線中央部」を終りにします。ご愛読ありがとうございました。【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/08/08
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何となく「新幹線の運転士」でぐぐっていたら、映画「新幹線大爆破」が引っかかってきました。また見たいです。ついでに、鉄道映画で「動脈列島」も見たい…、「皇帝のいない8月」も見たいです…。さて、本題に入ってまいります。この信州シリーズも、今回を含め、後2回でお終いにします。前回は下社春宮をレポートしました。今回は下社春宮の参道からレポートを再開します。鳥居越しに眺めた下社春宮でございますね。これを背にして南に下っていく訳です。道路の真中にこのような建造物が現れました。下馬橋と言うものです。橋と言いつつ川はありません。早速諏訪町の紹介文を引用します。春宮参拝の折はこれより下乗下馬 殿様でも籠や馬から降りなければならない場所です。その形から太鼓橋と呼ばれ室町時代の建立といわれています。元文年間(1730年代)に改修され、下社では最も古い建物です。現在この橋を通ることができるのは一年に二度の神行行事の神様がお乗りなった神輿だけとなっております。どのように撮影しても逆光になってしまいます…。距離を開けてズームで撮影して、やっと絵になってきました。「化粧屋」と言う商店です。三角八丁(さんかくばっちょう)のスタンプラリーのために訪れました。理髪店のような、美容院のような、マッサージパーラーのような…。微妙なお品書きでした。「化粧屋」には何故か足湯がありました。上諏訪駅と言い、足湯が結構流行しているのでしょうか…。下馬橋、化粧屋の遥か南にまだ鳥居がありました。下社の境内が巨大であったことが分かります。それにしても通常の道路に鳥居が立っているので、信号器と鳥居が隣接していました。ちょっとシュールです。地元町内会のショップです。出店、露店、何と表現したら妥当なのか…。信州らしい食材が並んでいました。鯉は諏訪湖のほとりなので当然ですが、わかさぎのから揚げ(これは美味しいのです、小さくて美味しい…)、さらには「さなぎ」です。信州には虫を食べる文化があるんです。結構美味しいですよ。何故か羊飼いが下諏訪の町を闊歩しておりました。羊毛目的の飼育でしょうか…。町内会と思しき祭り装束の行列が歩いておりました。にぎやかなものです。諏訪大社のお膝元ですので、この周辺の祭りは実力がありそうです。御柱を見たいです(7年に1回なので、かなり先です)。こんなものを撮影しながら、中央本線の下諏訪駅に戻って参りました。次回で最終回です。信州シリーズが終わったら、5月実施の北陸シリーズをお送りするつもりです。福井の私鉄を味わう旅でございます。引続き、是非是非、私の趣味的な旅行にお付き合いください。【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/08/08
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うー、この時間でもまだ暑いです。冷房が効かない。いや、効いているけど能力が不足しているのです。恐るべし…。さて、続けてまいります。今回は、諏訪大社の下社春宮をご紹介してまいります。最初にこの建物が目に入ります。秋宮に比べると扉が現代的なのが残念…。春宮幣拝殿です。もちろん重文です。左右にあるのが、左右片拝殿です。これも重文です。左右片拝殿の案内板でございますね。幣拝殿の内部です。鏡が安置されていました。ご神体でしょうか…。左右片拝殿の内部でございます。非常に静かな場所でした。なんか感動してしまいました。やはり神様が居るのかな…。春宮と秋宮を合わせた下社全体の案内板です。こんなところで、春宮を切り上げ、境内を退出いたしました。春宮を出てからは川沿いに上流方向に歩きました。「万治の石仏」と言う名所を見に行ったのです。「万治の石仏」の案内板でございます。もちろん、伝説がございます。下諏訪町による紹介文を引用します。昔、近所の人たちは浮島の阿弥陀様と言いお参りしていたが、一般にはあまり知られていなかった。これを世に出すきっかけを作った人は今は亡き岡本太郎画伯。下諏訪の歴史的な情緒を愛し、しばしば訪れた画伯が、昭和49年の諏訪大社御柱祭に来た時、これを見て、「世界中歩いているがこんな面白いものは見たことがない」と絶賛、新聞や雑誌に書かれ、知名人が次々と訪れるようになり、随筆や小説にも登場一躍有名になった。おむすびのような自然石のテッペンにチョコンと首がはめこんであり、首と胴が極端にちぐはぐで、またその表情がユーモラスである。胸に袈裟となぞめいた絵が彫られている。太陽・月・雲などと見られる模様と逆さ卍(まんじ)。手を組みその右に南無阿弥陀仏と大きく彫られ、万治3年(1660年)の年号と、ややわかりにくいが、「願主明誉浄光・心誉廣春」とある。願主のこの二人は僧籍にも見当たらず記録もない。この石仏には不思議なことがいっぱいある。諏訪大社春宮の大鳥居建立に関連しての伝説では、明暦3年(1657年)諏訪氏三代藩主忠晴が、春宮に石の大鳥居を寄進しようとした時のこと、それを請けた大工がここにあった大きな岩を刻んで鳥居にと、ノミを入れた途端その岩から血が流れ出した。恐れをなした石工が仕事をやめたところ、その石工の夢枕に諏訪明神が立たれ、神のお告げで良材を見つけることができ鳥居は完成した。そのようなことから初めに鳥居にしようとした岩に阿弥陀如来を彫り祭ったというのがこの石仏で、背にそのノミの跡という傷が残っている。五代藩主忠林(ただとき)が、各村に命じて描かせた諏訪藩主手元絵図(東山田の図)には、この場所に「えぼし岩」とある。万治3年から70余年も後のことなのに石仏が描かれていないことも謎とされている。へええ…。岡本太郎が絶賛と言うのが何とも凄いです。芸術的なんです。そういわれるとそんな感じのする石仏でした。早速画像をご覧頂きましょう。これです。確かに芸術的です。現在美術みたいです。もう少し寄ってみました。裏から見るとこのように見えました。はい。この万治の石仏で三角八丁の二辺を歩いたことになります。次回は春宮参道をご紹介します。でもその前に…。川べりで撮影した野草です。明るい画像が欲しくて撮影しました。壁紙にしようかと思っていたのですが、明るすぎて使えませんでした。涙。【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/08/08
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今回は三角八丁(さんかくばっちょう)其の八をレポートしていきます。そもそも三角八丁とは何か…。自己紹介を引用します。「ぶらりしもすわ三角八丁」は、一切主催を持たず、下諏訪における既存機能を緩やかに連携して、個々の組織が「三角八丁」というステージの上で、其々が其々の個性でエンターテーメントを発揮する、同時開催複合イベントで、気軽に下諏訪を歩いて楽しんでもらおうと、2004年秋にスタートしました。「三角八丁」は、下諏訪の旧市街地を指す言葉で、その語源は江戸時代まで遡ります。(旧市街地を囲むように、諏訪大社春宮、 秋宮を直線で結ぶ線と、其々の社から伸びる参道の交点までの距離が八丁《約880m》と等距離であることから、三角八丁となった)この言葉は、下諏訪に住む年配方でなければ知らないくらい廃れてしまっていた言葉ですが、若者や町外の人にとっては新鮮な言葉です。また「八丁」には、江戸の距離単位という「歴史性」・「学問性」、また、「三角」には下諏訪の旧市街地の物理的な表現も網羅されているオールマイティな言葉なのです。と言う感じでございます。下諏訪の旧市街は三角形(秋宮と春宮とその参道の交点が頂点)の道路に囲まれています。この三角形沿いで色々な催しをみんなでやってしまえ、と言うイベントなんです。私も良く知らなかったのですけど、私が行った時が第8回目の開催だったみたいです。ちなみに、春宮と秋宮を結ぶ道路が旧中山道でございます。下諏訪は江戸時代から栄えた旧街道の宿場町であり、温泉町でもあった訳です。最初の画像は美術館です。旧中山道に沿って立ってます。この美術館の前に、地元有志のテントがあります。ここで「御柱の恵み雑炊」を振舞ってました。後で紹介します。非常に美味しいものでありました。昔風の商店です。こんな建物が旧中山道沿いに沢山建っている訳です。なっかなかの雰囲気です。ここが本部です。ここで、案内図やスタンプラリーの受付をやってました。これまた渋い…。皇女和宮が宿泊した「上段の間」を公開している宿屋がありました。下諏訪宿の格式の高さが偲ばれます。それにしても…。和宮降嫁…。懐かしい響きです。これも地元有志です。お祭りの際の装備でパレードを行っていました。この画像は出動準備中の様子です。宿場町には本陣が付き物ですが、下諏訪にはしっかり残っていました。現在の目で見ると、建造物は…なんですけど、その代わりと言ってはなんですが、庭園は素晴らしいの一語に尽きます。旧中山道をちょっと引いて撮影してみました。江戸時代も現在も宿泊施設がた~くさんあります。殆どが温泉宿か湯治場です。温泉特別養護老人ホームなんかもありました。温泉旅館の看板です。何となく重みがありました。小さな祠がありました。道案内の標識が良いでしょ?。下諏訪町の汚水(下水)のマンホールの蓋です。没個性でした。残念。岡谷市も没個性でした。奥ゆかしい長野の県民性でしょうか…。旅館の壁からはこんな標識が出ていました。宿場町であることを誇りに思っているのですねえ。新宿も品川も宿場町だった筈ですが、影も形もございません。「信玄ゆかりの矢除石」にも行って参りました。これが問題の「矢除石」でございます。もちろん伝説の石です。早速紹介文を引用します。信玄が戦場におもむく途中、慈雲禅寺に立ち寄った際に、当時の住職である天桂和尚が境内の大きな岩の上に立ち「弓で射てみよ」と言ったそうです。大勢の家臣が至近距離から射たにもかかわらず、矢はまったく当たらなかったとのことでございます。不思議に思った信玄が尋ねると、「この岩には矢除けの力がある」との答でした。和尚から念力のこもった矢除けの札を授かった信玄は、勇躍戦場に向かったそうでございまする。と、今回はここまでに致します。次回は下社春宮などをご紹介します。【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/08/07
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今日も酷く暑い日でした、東京は。もう全然生きる気力が沸きません。暑い~。言っても涼しくなりませんけどね。今回は諏訪大社の秋宮をご紹介します。と言っても、何を隠そう神社建築に弱いので、きれいだな、大きいなくらいの感想しかないのです。情けないですね。小学生並みです。これが入口です。看板は「下社秋宮」でした。この諏訪大社は四つの社で構成される非常に変わった編成です。諏訪湖の南岸に上社本宮と前宮があり、諏訪湖北岸に下社春宮・秋宮があるのです。非常に古い神社で、ひょっとすると日本で最古の神社である可能性があります。境内の中央に存する神楽殿であります。国の重要文化財だそうです。巨大な注連縄が飾ってありました。素晴らしい…。諏訪神社は変わってまして、ご神体が季節によって春宮と秋宮を移動するのです。こういうのもちょっと珍しいですよね。寄進された木材でございます。こちらが拝殿でございます。「左右片拝殿」と言うそうです。もちろん、国の重文です。荘厳で重厚でした。素晴らしい…。三角八丁の起点は実質的にここ下社秋宮なんです。でもこの時間には人出は少なかったのでした。殆どの人は旧中山道に行ってました。神楽殿の内部です。境内のご神木ですね。非常に太い…。最後にもう一回秋宮を撮影してみました。「力」を感じさせる境内でした。重みが違いました。【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/08/07
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早朝に画像サーバのデーモン様が停まってしまっていました。午前1時から午前5時頃まで画像が見られなかったみたいです。すみませんでした。ところで、デコちゃん6902さんに掲示板に福井県へのお誘いを書き込んで頂いております。丁寧な福井県観光情報のご紹介ですので、本文で引用させて頂きます。高校野球が始まりました。福井県は勉強はできなくても野球だけはと言う福井商業です(内緒) 甲子園へ行きましょう。テレビではつまらないです。老人の気まぐれですからお叱りにならないで・・・・ようやくNHKの朝ドラ「チリトテチン」の放送前情報がHPに掲載された。皆さん見てくださいね。デコも知らない福井県の魅力が一杯です。今年の若狭湾(福井県西部)は面白いよ、見所一杯です。勿論朝ドラも楽しみです(^_-)-☆今は敦賀の街を歩くのがカッコが良いんだって、駅から港までアニメの銅像を見ながら・・ 住み良さ日本一、福井県へ是非遊びに来て下さい。9月15日(東尋坊)・16日(永平寺・朝倉遺跡)のウオーク(歩いて観光)にお出で! 10月20・21日の食祭街道若狭路ウオークにも歩きに来て下さい。素晴らしいコースです。来年7月より越前海岸ドライブウエーが無料になります。(お値打ち)朝ドラ「チリトテチン」のロケも無事終了したようだ。代わって小浜市(福井県)を中心に海水浴場の海開きとなった。。「五木ひろし」さん特別出演(ロケ跡)(11月1日放送分)など今年は話題が多いぞ。放送開始前に是非「チリトテチン」ロケ現場を偲んでください。来てね福井県へ・・・(2007/08/06 10:36:36 PM) ありがとうございました。実は、今レポートしている信州の次の旅行先が福井県なのでございます。確定レポートのアップ待ち行列に入っております。ちょっと視点は違いまして、福井県の鉄道を中心にした旅行です。JRのフリー切符(北陸フリーきっぷ)のフリー区間の設定の問題で石川県と富山県には行きやすいのですが、福井県にはちょっと行きにくく、今まで後回しにしておりました。長野県南部&山梨県レポートが終わり次第、notoshun流福井県レポートをお送りします。敦賀の松本零士作品のモニュメント群は大したものでございました。さて、本文に入ってまいります。最初に上諏訪駅構内で撮影した画像をご紹介します。JR東日本長野支社の115系です。既にこのシリーズで何回かご紹介している車両ですが、晴れていると印象が違いましたので、もう一度掲載して置きます。飯田線を走ってきた、JR東海の313系電車です。飯田線の始発駅は辰野駅なのですが、辰野で折り返す列車は殆どなく(完全にゼロだったかな)、中央東線に直通するようにダイヤが設定されています。大体の列車は南諏訪駅で折り返すようになっています。岡谷から南諏訪まではJR東海の車両も割と頻繁に目にすることが出来るのでした。さて、上諏訪駅から普通電車に乗って中央線を西に一駅戻りまして、下諏訪駅で下車しました。下諏訪駅の乗車記念印です。長野支社管内の駅ですので、絵入りの乗車記念印でした。もちろんモチーフは諏訪大社です。下諏訪駅の駅前広場に飾ってある「御柱」でございます。7年に一度開催される長野県諏訪大社御柱祭りは大変有名です。正式には「式年造営御柱大祭」と言うそうでございます。次回の御柱祭は平成22年寅年の予定だそうです。なお、駅前の「御柱」は1998年の長野オリンピック開会式の際に、オリンピックスタジアムの選手入場門として使われたものだそうでございます。早速、下諏訪駅周辺を歩くことにしました。いきなりこんな看板がありました。日教組が強そうな雰囲気です。下諏訪駅から秋宮へ続く坂道です。諏訪大社は4つの社で構成される独特の形式の神社です。下諏訪駅周辺には秋宮と春宮のふたつが存在します。この周辺にはたくさんの温泉があります。温泉めぐりも楽しそうです。ちなみに三角八丁(さんかくばっちょう)開催中は、宿泊客しか入れない旅館の温泉も、日帰り客に開放されます。火の見櫓でございます。あまりに空が青いので撮影しておきました。三角八丁(さんかくばっちょう)の会場の一つ(町営四つ角駐車場)でございます。鯉のぼりの飾り方が変わってますよね。温泉街の入口でございます。このような巨大なモニュメントがございます。もちろん、モチーフは諏訪大社でございますね。下諏訪は映画のロケ誘致にも熱心な街でした。ここでは下諏訪で撮影された映画の展示が行われておりました。「今、会いにゆきます」関連の展示が多かったのでした。諏訪湖オルゴール博物館「奏鳴館」でございます。日本電算サンキョー株式会社のコレクションを収蔵する博物館でございまして、中々充実しているそうです。入館料がちょっとお高めですけど、中々良さそうです。ただし、この日は時間的な余裕がなく入館を見送りました。諏訪大社の秋宮は直ぐそこでした。諏訪大社の秋宮の表札です。今回はここまでにします。次回は空き宮の境内から再開します。【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!【過去日記へのリンク】2005年のテニアン旅行(1)発端(2)出発(3)フリーダムエア(4)テニアン上陸(5)ホテル (6)二日目の朝(7)「タガ王朝」関係(8)タガビーチ (9)旧大日本帝国関係(10)潮吹き海岸(11)ハゴイ空軍基地(12)日本海軍ウシ飛行場と上陸海岸(13)スーサイドクリフ(14)日本海軍通信所(15)再びハゴイ空軍基地へ(16)日本海軍航空指揮所(17)日本海軍発電機棟と燃料庫(18)その他の軍事施設(19)二日目の日没(20)三日目はサイパン(21)サイパン島内(22)サイパン島内の続き(23/終)帰路北マリアナ方面より帰投致しました
2007/08/07
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今日は暑かったですね。酷い一日でした。汗臭い一日になってしまいました。本日8月6日は原爆記念日でございました。真夏になると戦争を思い出すのは日本人の性でございます。一昨年の2005年は広島への核攻撃60周年式典が開催されたテニアン(エノラゲイが発進した米陸軍航空隊ハゴイ基地があります)に行きましたが今年はどこにも行っておりません。でも、戦争関係の本は読んでおります。はい。以下は半藤一利著「ノモンハンの夏」からの引用でございます。その時ソ連軍を指揮したジューコフはスターリンに対して次のような報告を行った:日本軍の下士官兵は頑強で勇敢であり、青年将校は狂信的な頑強さで戦うが、高級将校は無能である。作者の半藤一利はこのジューコフの見解を「あっぱれな正答である」と書いております。微妙な感覚です。これは全くご指摘のとおり、と言わざるを得ないのですが、何故に日本の組織は阿呆なエリートと有能な下士官を量産してしまうのか…。教育システムに根本的な失陥があったのかも知れません。多分今も…。さて、書き出しとは全然関係なく本題に入ってまいります。今回からは三日目の行動をレポートします。一日目の目玉は、NHK大河ドラマ「風林火山」のオープンセット、二日目の目玉は「クモハ123-1(ミニエコー)」であった訳ですが、三日目の目玉は「三角八丁(さんかくばっちょう)」でございます。下諏訪駅周辺の諏訪大社や旧中山道周辺で開催される大規模縁日みたいなものです。ここに至るまでの道筋をレポートしてまいります。一発目の画像は岡谷市のマンホールの蓋でございます。余り「ご当地デザイン」と言う感じではありません。ちょっと残念。こちらは岡谷駅舎でございます。冬の青春18きっぷシリーズで飯田線を降りた駅でございますね。久しぶりの岡谷駅でございました。さて、ここからは特急電車で東に向うことに致しました。スーパーあずさ6号でございました。今回の御題にしたE351系特急電車でございます。平成6年登場のJR東日本の野心作でした。現在のJR東日本の列車の形式には皆「E」が付けられていますが、その最初のケースになったのが、このE351系でございました。JR東日本初の振子車両であり、山岳路線である中央東線篠ノ井線の劇的な高速化を目指して開発されました。制御装置はVVVFインバータ制御であり、最高速度160キロも視野に入れた設計ではありましたが、色々問題が生じて生産両数は伸びず、僅か5編成の生産に留まりました。振子車両が災いして車体が狭小トンネルの壁面と接触したり…。このE351系が原因ではありませんが、事故損失も生じております。「ついていない」形式です。何となく215系電車に境遇が似ています。結局E351系の増備は打ち切られてしまい、中央東線の女王の座は振子車両ではないE257系のものとなった訳です。ご承知の通り、E257系は房総の183系も置換え、JR東日本直流特急電車の主流の座を手に入れたのでした。早速車内を見てまいりましょう。最初は多目的トイレでございます。二十世紀末期の列車らしく広いです。トイレでございます。これを撮らないと満足できないのです。グリーン車のシートでございますね。こちらは普通車でございます。とにかく空いておりました。あっという間に上諏訪駅に到着です。ちょっと前の日記でご紹介した上諏訪の足湯でございます。こちらは上諏訪駅舎でございます。ちょっと没個性かなあ。上諏訪駅の周辺をちょっとだけ散策して、三角八丁が開催される下諏訪駅に移動することに致しました。それにしても史蹟「虫湯跡」とありますが…、何なんだろう…。不勉強にして知らないのです。と書いてお終いにしようかと思ったのですが、調べてみました。以下は観光案内の引用です。「諏訪の殿様も利用した虫湯」八十二銀行上諏訪駅前支店の入口に建てられている碑。これによれば、江戸時代、ここには「虫湯」という上諏訪の名湯のひとつがあったといわれ、「蒸湯」とも呼ばれていたそうだ。利用は武家に限られ、この地を治めていた高島藩主もこの湯で入浴し寺社に参拝したという。今回はここまでに致します。次回は上諏訪駅の構内撮影分からレポートを再開します。【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!【過去日記へのリンク】春の青春18きっぷ第10旅程(108)第10旅程(109)風っ子ビューコースター(110)たぬき(111)證誠寺(112)八剱八幡神社(113)風っ子くるり号(114)君津市長(115)久留里線上総亀山駅(116)亀山湖周辺(117)亀山湖(118)上総亀山駅での併結作業(119)第10旅程の終りに
2007/08/06
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本日早朝に、120万アクセスに達しました。ちょっと嬉しいです。皆さん、ご愛読ありがとうございました。でも、残念ながら、キリ番はゲストさんでした。最近は会員さんのアクセスよりもゲストさんのアクセスのほうが圧倒的に多いので仕方がありません。1200001 2007-08-06 00:38:46 ***.mediatti.net 1200000 2007-08-06 00:38:28 ***.bbexcite.jp 1199999 2007-08-06 00:36:51 ☆☆YUURIさん ちなみに、前後賞さんは、もろにアダルトサイトへの引き込みアクセスだったりするのが悲しいですね。まあ、仕方がないことでございますけど。さて、前回、前々回の日記にたくさんのコメントをありがとうございました。古くからのブロガー仲間のしゅう_shuさんからはクモハ123-1「ミニエコー」についてコメントして頂きました。ありがとうございます。「小野から塩尻への下り坂でATSのベルが鳴っていたのを思い出しました。」と頂戴しました。私が乗ったときには残念ながら鳴動はありませんでした。クモハ123のようにワンマン対応の開放運転台の場合は、制御信号音がもろに聞こえるのが醍醐味です。「ジリリリリ~ン、チャンポンチャンポンチャンポン……」のATS絶対停止予告音は全国共通ですよね。ATCの「チン」も好きですけど。常連さんの修理屋マイスターさんからは、215系登場時の思い出について、「こんにちは! わぁ~懐かしい! 215系ですね! 横浜在住時に、すぐに乗りに行きました! 出来たばかりの時は、いつも二階建て部分はいっぱいで、階下ばかりでしたが・・・・・(笑) サンライズシリーズにも似てますね。」と頂戴しました。ありがとうございます。現在の215系の境遇からは想像も出来ませんが、登場時の215系は正にスターでした。新生JRの新思考を体現する形式と受け取られておりました。今でもそれなりに人気はありますけど…。野辺山SLランド情報もありがとうございました。実は知りませんでした。台湾の製糖鉄道とは…、魅力的ですね。攻略リストに追記しました。さて、そろそろ本題に入ってまいります。今回のレポートは、勝沼ぶどう郷駅周辺でございます。早速駅舎をご覧頂きましょう。こちらが勝沼ぶどう郷駅舎です。モトは勝沼駅でした。結構な大きさなんですね。勝沼は葡萄及びワインの生産で著名な町でした。現在は勝沼町は、塩山市などとの合併によって甲斐市と名前を変えております。このアングルで駅舎を撮影すると、この駅舎の設計意図が分かります。南欧の葡萄産地風の建物にしたかったんですね。凸凹した壁といい、空の青さと言い、スペインかイタリアのようでした。こちらは勝沼ぶどう郷駅のホームと駅舎を結ぶ地下道の看板です。著名なワイン蔵がこの駅の周辺に散在していることが分かります。勝沼ぶどう郷駅の「看板に偽り無し」と言うわけです。駅前の観光案内図でございます。右上に「JR東日本小さな旅」のロゴが見えます。JR東日本が売り出している日帰り観光のブランドです。東京からだと日帰り旅行に最適な場所と言う訳です。鉄道標識ではありません。鉄道標識に似せた看板です。勝沼ぶどう郷駅が東京起点で111キロの位置に在ることを主張しておりました。花巻でも同じようなものを見たような気がします。東京起点500キロか、555キロか忘れてしまいましたが…。何故か頭上をヘリコプターが飛び交っていました。マスコミのヘリでもなく、自衛隊のヘリでもなく、県庁のヘリでした。何をしていたのか…。この勝沼ぶどう郷駅の構内には保存車両がございました。EF64型電気機関車です。EF64-18でした。保存状態は極上でした。EF64型電気機関車は勾配線区用の電気機関車として開発されました。EF64の前のナンバーのEF63は碓氷峠専用の協調運転専用の補機であり、前の前のナンバーのEF62は碓氷峠用協調運転用の主機でございました。EF64は勾配線区といっても碓氷峠みたいな極端な勾配ではない線区用の機関車であった訳です。開発期間中は奥羽本線の板谷峠を念頭に置いていたみたいですが、ご承知のとおり(余り有名ではないかな…)、板谷峠を含む奥羽本線は直流電化から交流電化に変更されてしまい、ここでは働けませんでした。結局EF64は中央本線や篠ノ井線などで活躍することになりました。書き忘れていましたが、登場は昭和39年でした。EF64には0番台と1000番台がありますが、殆ど別形式でございます。以前の日記でご紹介した高崎のEF64-1001は80年代に登場した実質新形式の機関車なのでございます(過去日記へのリンクはこちら)。こっちも素晴らしい機関車です。EF64を堪能した後に駅舎に戻りました。こちらの画像はEF64の案内板でございます。勝沼ぶどう郷駅のホームでございます。ここがフリー区間の東端でして、ここから宿泊場所の岡谷に向けてゆるゆると西に下る訳でございます。何故か頭上をヘリが飛びつづけていました。何を監視していたのか…。訓練とも思えないし…。夕暮れ近くです。月がこのように見えました。大望遠ズームで撮影してみました。日暮れまで時間があったので、途中下車を繰り返して中央東線を西に向いました。最初は塩山駅です。山梨市駅でございます。特急停車駅は全部降りると言う気分でした。でも、山梨市駅で日没になってしまいました。山梨市駅から甲府駅までは、珍しい、スカ色の115系だったのですが、撮影できませんでした。二日目最後の画像は乗車券面です。JR東日本の指定席販売機では、JR全線の任意の区間の乗車券をクレジットカードで購入できます。180円区間だろうが230円区間だろうが、このような名刺サイズの切符を購入しました。ご注目いただきたいのは、無効印ならぬ乗車記念印です。JR東日本長野支社管内の駅には、このような美しい乗車記念印が配備されているケースが多いのです。次回は3日目の朝の岡谷からレポートを再開します。是非、引続き、私の鉄道旅行にお付き合いくださいませ。【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/08/06
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前回はクモハ123という、やや「変り種」の鉄道車両をネッチリとご紹介しました。このクモハ123で辰野から塩尻まで移動した後をご紹介してまいります。先ず、塩尻から小淵沢まで185系で運行される「特急はまかいじ」で移動しました。何回もご説明してますが、185系特急電車が中央本線を走行するのは「はまかいじ」だけです。「はまかいじ」以外の特急電車はE257系かE351系での運行になっております。185系に乗車するのが珍しくて、何回もアコモデーションを撮影しております。ただし、今回の撮影分はグリーン車です。グリーン車としてはかなり安っぽい部類になってしまいました。現在の185系特急電車のグリーン車の座席はこのような感じです。肘掛がない…。リニューアルの際に1-2シートにしなかったんですねぇぇ。こっちは普通車でございます。窓が開くのです。しつこいようですが…。窓が開く特急電車は185系くらいなものでございます。車両設計を行い際に、165系や167系の代替として急行電車や普通電車に充当することを念頭に置いて、このような設計にしたようです。小淵沢駅で見かけた小海線の車両です。NHK大河ドラマ「風林火山」のラッピングを施してありました。特急「はまかいじ」を小淵沢で下車し、ここから後続の列車に乗って、更に中央線を東上いたしました。土日の中央東線にはこの形式が臨時列車として走ることがあるのです。運行は結構頻繁です。JR東日本が1992年に投入した10両編成の全車が二階建ての215系電車です。もともとは通勤ライナーとか快速アクティへの投入を考えていたようです。着席定員をとにかく稼ぐというコンセプトでした。しかし、乗降に時間を要し、東海道線での運用は程なく終り、湘南新宿ラインに異動したものの、湘南新宿ラインの全車E231系化で、ここからも撤退し、現在は東海道本線で細々とライナー運用に就いているのですが、土日はライナーが運休なので、波動輸送用として、中央本線に出張って来ている訳です。当初の目的通りに運用できなかったと言う意味で、この215系も「変わり種」になるかも知れません。4編成しか落成しませんでした。中央本線での運用では、このように「ホリデー快速ビューやまなし号」としての運行です。上りの運転区間は小淵沢から新宿までです。ハザには指定席と自由席と両方あります。ロザは全車指定です。青春18きっぷでも利用可能な列車であります。215系のエンブレムです。ちょっと象形文字みたいなエンブレムです。「DDL」と言う表示です。the double decker linerと言うことのようです。これを投入した頃の思い入れは大したもんだったでしょうな。意欲作です。でも、当初の運用に耐えられなかったので失敗作でした。後継形式もありません。車内をご紹介しましょう。この画像はハザの2階席です。このような「ちょっと高級なボックスシート」でございます。アジアの空港特急でよく目にするタイプです。網棚と言うか、棚があるのがちょっと異様です。快速アクティとしての運用を考えたからでございましょうか。こっちは1階席です。2階建てグリーン車(E231系とかE531系)の車内はさんざんご紹介してきましたけど、良く似ています。シートが、ボックスシートかリクライニングシートかの違いですね。JR東日本は2階建て車両のイメージを完全に固めているようでした。車両の両端部は一階建になっておりました。二階席から撮り下ろして見ました。こんな列車で東に向ったのでございます。この画像は甲府駅到着直前の車窓でございますね。E257系特急電車が見えます。甲府駅付近では富士山も見えました。いつ見てもいいもんです。今回は甲府では下車しません。そのまま東に向かい、「風林火山 諏訪フリーきっぷ」のフリー区間の東端の勝沼ぶどう郷駅まで行くことにいたしました。勝沼ぶどう郷駅を出発していく215系電車です。何とも言えないデザインでございますね。類似する形式がありませんよね。勝沼ぶどう郷駅の駅舎です。かなり立派な感じです。この駅で1時間ほど過ごすことになりました。次回は、勝沼ぶどう郷駅周辺での撮影分をご紹介いたします。【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!【過去日記へのリンク】臺灣鐵路(1)発端(2)出動(3)二二八和平公園(4)台湾總督府(5)中正紀念堂の外観(6)中正紀念堂の内部(7)官邸藝文沙龍(8)旧臺北高等商業學校(9)旧臺北廳廳舎(10)旧臺灣總督府民生部殖産局附属博物館(11)旧臺北放送局(現二二八紀念館)(12)國立臺灣大學醫學院附設醫院(13)MTRで北投へ(14)北投温泉博物館の内部(15)逸仙公園・國父史蹟紀念館(16)日没待ち(17)西門町での夜景撮影(18)夜の中正紀念堂(19)夜の総統府(20)高雄市内(21)台北行き自強號(22)高雄駅構内(23)雨の台中車站(24)台中バスターミナル(25・終)中正機場
2007/08/06
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皆さん、コメントありがとうございました。今回もクモハ123をレポートします。車輌のディティールに迫っていこうと思っておりますが、その前に、頂いたコメントをご紹介いたします。最初は、鉄道ブログの大御所ibukino-johさんから頂いたコメントです。『荷電・チッキ。』荷電(にもでん)は、30年前の東海道線(東京口)電車などには、熱海方に2両つながれている姿が当たり前のようにありました。また「ムーンライトながら」の前身である「大垣夜行」にも、大垣方に2両、荷電が連結されていました。他の夜行列車にも、長岡夜行や長野夜行(のちの松本夜行)に連結され、主に新聞の輸送に使われていました。これらは荷物専用車ですが、客荷合造車という車両もあり、古くは北上線のキハユニ26、身延線のクモハユニ44などに乗車したことがありました。チッキは使ったことがないですが、乗車券を見せれば、別料金を支払い荷物を運んでくれるサービスで、今でも地方の改築されていない駅舎や廃駅となり保存されている駅舎など、出札口の隣に一段低い受付があるのですが、あれが手小荷物の受け渡し口として使われていました。鉄道では姿を消しましたが、空港では航空券発売・搭乗手続きカウンターの隣に荷物預けカウンターがあり、搭乗券を見せて荷物を預けるように、乗車券を見せて荷物を運んでもらうなど、似たような手続きをしていたのだと思ったりもします。(2007/08/05 09:56:48 AM)いつもながら濃厚なコメントをありがとうございます。そうです。コメントして頂いて思い出しました。新聞輸送だったのですよね。荷物電車の末期(86年頃に全廃されたと思います)は新聞輸送ばかりだったと耳にしたことがございます。客荷合造車も懐かしいです。先週の小樽で、久しぶりに、キハユニ26を目に致しました。もちろん、保存車輌であり、もう動かない車輌ですけど、中には入れたのが良かった…。後日詳細にレポート致します。チッキについては存在はずっと知っていましたが、一回も使ったことがないのです。どこの駅にも「鉄道小手荷物」の看板があって、専用の窓口があったりしたのですが、実際にどのようなサービスだったのか…。もう一つのコメントをご紹介します。同じく鉄道趣味人の喜多山栄さんから頂いたコメントでございます。『新性能電車の定義』こんばんは。いろいろな新機軸を盛り込んだ車両が開発された新車が次々と登場していますが、ツリカケ駆動とカルダン駆動の違いで新性能電車を定義することは21世紀に入った今でも有効だと思います。ただ、2両ユニットという基準は105系電車が登場した時点で有名無実になっていますね。本稿の単行電車も然り。最近では改造を最小限にするためか、JR西日本の103系や113系で見られるような2両ユニットの両端に運転台を取り付けた車両も出てきましたね。(2007/08/05 12:36:43 AM)コメントありがとうございました。ご指摘の通り105系の登場で、新性能電車の定義からユニット方式は消滅したも同然でございましたですね。新性能電車登場時は、主に首都圏と関西圏の輸送密度が濃厚な路線での長大編成での運行が前提であった訳ですが、全国の電化の進展で、「直流電化の閑散線区」が次々と登場する中、端編成での運行がMUST項目に成って行きましたので、止む無しでございますね。それにしてもJR西日本の改造は強引でございますよね。もう前面フォルムが全然113系じゃないのですから…。山陰本線で改造車を初めて目にした時には驚愕しました。はい。常連さんの修理屋マイスターさんからのコメントもご紹介させていただきます。101系の香りを残してますねぇ。単行用に屋根と床下の機器がいっぱいですね。連結を殆ど前提にしてないので非貫通なんですね。車内がどうなってるのか興味深々です。昭和の香りが、もうここまで・・・・・・(笑)(2007/08/05 12:46:03 AM)コメントありがとうございました。クモハ123-1の前面デザインは103系の高運転台タイプによく似ております。悲観通タイプな訳ですが、クモハ123は全車改造車ですので、タネ車に応じて外観も相当異なっています。2扉もあれば3扉もありますし、前面非貫通もあれば全面貫通タイプもありました。JR東海に存在した、クモヤ145牽引車から改造したクモハ123は前面貫通タイプでございました。このクモハ123-1は、もともとはクモニ143からの改造でして、往時のままの前面非貫通でございました。さて、ここから本題です。今回のお題はクモハ123-1のディティールでございます。最初は銘板からご覧下さい。 近畿車輛 昭和53年製造 日本国有鉄道長野工場 昭和61年改造 JR東日本長野工場 平成2年改造 JR東日本長野総合車両所 平成5年改造となっています。何回も改造されていますけど、改番は一回だけみたいです。JR東海のクモハ123みたいに、最初は101系であった訳ではありません。クモニ143として新製され、荷物電車廃止に伴い旅客車への改造となったと言う割と簡単な経歴だそうです。 →JR東海のクモハ123の来歴はこちら前面の表示を並べてみました。方向表示は「辰野⇔塩尻」となっていました。始発は松本から出てくるようですが、日中は立つのと塩尻の間を往復運転しています。全検は当然「長総車所」でございますね。今度は側面です。運転台が結構広いのです。乗務員扉が結構後になっていますよね。続いて側面表示をご紹介します。当然のことながら、狭小トンネル対応車両でございます。「・クモハ123-1」と、車号の前に「・」表示がございますね。保安装置はPとSnでした。さすがは保安装置に金を惜しまないJR東日本です。D51やクモハ123にもATS-Pを積んでいる訳です。客室内です。2扉でデッキなしのロングシートは中々の迫力です。長い長いロングシートでした。運転台でございます。この辺りは103系と余り変化はありませんけど、色々と機器類が増えているような気がします。スコップとか、たくさんのビニール傘が見えますね。冬場に使用するものでしょうか…。こちらは客室の端です。右の機械は切符の自動販売機かと思ったのですが、違いました。ATS-Pの機器でした。結構大きいものなんですね。多分、床下に積むスペースが取れなくてこんなところに積むことになったのでしょう。車内の改造プレートです。ワンマン利用案内表示です。文字が多過ぎて読み難いですな。扇風機のスイッチです。これも懐かしい装備となってしまいました。冷房化改造に伴い、扇風機の数が減らされておりました。元々は扇風機のスイッチがあったと思われます。この車両で、辰野から塩尻まで移動することにいたしました。最後に塩尻で撮影した画像を掲げて、今回は終りにします。大満足でございました。クモハ123の長寿を祈ります。塩尻からは再び中央東線を通ってフリー区間に戻り、フリー区間の東端の勝沼ぶどう郷駅まで参りました。この区間では、「ホリデービューやまなし」号に乗車いたしました。次回はこの列車をご紹介します。【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/08/05
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色々と不調でして、ちょっと更新が途切れました。これから追いつきます。さて、今回のお題はクモハ123です。電車の命名法についてはどこかでまた改めてご紹介しますけど、平たく言えば「新性能電車で直流の通勤型」と言うカテゴリーに当たります。でも、結構変わっているのです。辰野駅に入線するところでございますね。クモハ123の特徴は単行可能、と言うか、単行させるために作られた形式なのでございます。以前にもご説明しましたが、新性能電車と言う呼称は微妙な呼称でございます。色々な定義があるのでございます。従来の吊り掛け式電車(モーターが車軸に引っ掛けられている方式)に代わって登場したカルダン式電車(モーターを台車の台枠に取り付ける方式)を指すのが多数派みたいです。具体的には、日本国有鉄道の101系電車が、新性能電車の嚆矢となったとされております。中空軸平行カルダン駆動方式を採用し、それまでの72系電車とはもう全然走行性能が違うのでございます。駆動方式以外にも新機軸がございまして、ユニット方式と申しますか、編成運転を前提にして、電気設備などを分散して積載する方式となったのです。つまり、101系以降の新性能電車は2両以上じゃないと運行できないのが普通でした(国鉄末期になると単行できる形式も登場しましたけど)。しかし、輸送密度の関係で、直流電化区間でも単行運転したいケースも出てきます。それ以前に、普通電車に繋いで走る荷物車や事業車では単行が必須と言うケースもあったのでございます。そこで、単行可能な形式として、クモユ141(郵便車)とか、クモニ143(荷物車)とか、クモユニ147(郵便車と荷物車の合造車)といった、単行可能な形式が作られていきました。その昔は、郵便車という車種があったのです。郵便物を鉄道に積んで、郵政省の職員が仕分けをしながら運搬すると言う車輌なのです。この車種は郵政省所有車でした。既に全滅して20年以上経過していますけど…。先週末は小樽に展示されている古い車輌を見に行きましたけど、郵便車がたくさんありました。後日ご紹介します。ちょっと年配の方だと、中央本線の普通電車の端に、こんな形の荷物車が付いていたのを覚えていらっしゃるかも知れません。大抵、定期の旅客電車にくっ付いて走っていたものです。この1M運行可能なクモユ141、とかクモニ143は短命な形式に終わりました。と言うのも、日本国有鉄道末期の悲惨な営業の状態の中で、郵便の鉄道輸送は全廃され、荷物電車も全廃されていったのです。今やチッキも死語でございますね。蛇足ながら、スト権ストの悪影響は甚大でした。あの当時、鉄道輸送、特に貨物や荷物は一体いつ目的地に到着するか全然分かんない状態でした。これでは客がドンドン離れていっても仕方がありませんでした。郵便車や荷物車全廃の中で、余剰になった、クモニ143やクモヤ145やクモユニ147を旅客輸送用に改造したのがクモハ123なのでございます。はい。新造車は一両もない形式です。また、タネ車がばらつきますので、同一形式ながら、JR東海・JR西日本・JR東日本の車輌の外観にはかなりの相違がございます。ちなみに、JR東日本にはクモハ123は1両しかありません。クモハ123-1だけです。色々な意味で希少な車輌であることは間違いありません。また、ローカル線区専用(じゃなきゃ単行しませんよね)だけありまして、辺鄙なところを走っております。なかなか見る機会がないのです。今回は、久しぶりに中央本線の中央部に来ましたので、ねっちりとクモハ123を楽しむことに致しました。次回は、クモハ123-1(長モト所属)のデティールをご紹介いたします。【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/08/04
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すんません。ちょっと不調で、更新に若干時間を要しています。次回こそ、JR東日本のたった一両のクモハ123をご紹介します。【引用:WIKIの説明】中央本線の塩嶺トンネル完成に伴い支線化した辰野~塩尻間(中央本線辰野支線)の輸送力適正化を目的として、1986年に長野工場(現・長野総合車両センター)でクモニ143-1から改造された。松本運転所(現・松本車両センター)に配置され、同年11月のダイヤ改正にあわせて使用開始された。車両の愛称は「ミニエコー」と名付けられた。【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/08/03
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直ぐに続けてしまいます。九州地方の台風は猛烈な風と雨をもたらしているようです。被害が小さいと良いのですが…。さて、早速本題に入ってまいります。前回までは、何回かかけまして、小海線は甲斐小泉駅の近くに設けられた、NHK大河ドラマ「風林火山」のオープンセット見学をレポートしました。今回からは再び鉄道趣味路線に復帰です。小海線で小淵沢駅まで戻り、再び中央線に乗ったのですが、その前に、小淵沢駅で駅弁を購入しました。「竹の子ご飯」です。もちろん、メーカーは丸政です。評判の良い駅弁メーカーである丸政の作品だけあって、中々の仕上がりです。素朴な食材で仕上げてありますけど、美味しいのでした。次の目標は、中央本線の旧線を通って辰野駅に出ることだったのですが、みどり湖経由の短絡新線と違って、旧線の辰野経由(辰野支線などと呼ばれることもありますね)は非常にダイヤが薄いので適当に途中下車して時間を潰しました。この駅は富士見駅ですね。静岡以東には、ほとんどどこにでも、富士見と言う地名がございますですね。茅野駅でも下車しました。ここから蓼科によく行ったものでございます。ここから先はJR東海の車輌に乗車しました。ご存知の方も多いと思いますが、JR東海の飯田線(かつては旧型国電の聖地でした)は中央本線の辰野駅から分岐して、東海道本線の豊橋駅まで延々と走ります。車輌はJR東海の313系ですけど、車掌はJR東日本の制服を着ています。飯田線の北端を走る列車は、殆どが中央本線に直通し、諏訪くらいまで走るのです。JR東日本の区間ではJR東日本の車掌が乗務する訳です。列車が発車する時の車掌の姿は大体同じです。危険が生じた場合に即座に列車を停止させられるように、車掌ブレーキに手をかけています。昔の車輌であれば、紐を握っていたのですが、JR東海の313系ではこのようなスイッチ式の車掌ブレーキでした。やっと辰野駅に到着しました。この駅こそ、飯田線と中央本線の分岐駅であるのですが、みどり湖短絡線が開通してからは、通過する殆どの列車が飯田線の車輌となるため、JR東海の車輌ばかり目に入ってきます。会社境界駅ですので、ここで車掌も交代します。左側がJR東海の制服です、右側がJR東日本の制服でございました。飯田線にしかない119系電車です。下り電車です。こちらはお馴染みの313系「一般型電車」です。JR東海の電化区間(ちなみに交流電化区間はありません、全部直流電化なのです)であれば、東海道本線の130キロでぶっ飛ばす区間から、身延線や飯田線みたいな狭小トンネルと急勾配の山岳ローカル線まで、どこにでも居ます。万能選手でございます。この辰野駅まで延々とやって来た理由はただ一つ、JR東日本のクモハ123を撮って、更に乗るためでございました。次回はJR東日本のクモハ123をネチーッとレポートします。なお、クモハ123はJR東日本・JR東海・JR西日本の3社に分布しておりましたが、JR東海のクモハ123は今年の3月に絶滅しました。往時のJR東海身延線のクモハ123は、以前の日記でレポートしております。宜しければご覧下さいませ。 【鉄】春の18きっぷ (20)クモハ123-5043 【鉄】春の18きっぷ (24)クモハ123-601 今回はここまでにさせて頂きます。(了)【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/08/02
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暑い日が続きますねえ。東京はもう酷いものです。でも西日本には台風が着々と接近しています(と言うか、九州縦断コースを北上中ですね)。本来であれば、今週末は金曜日から博多に乗り込んで、山笠を見に行こうと画策していたのですが、台風で断念しました。7月の三連休に続いて二回目の台風による旅行キャンセルです。ショボーン。さて、本題に入りましょう。前回までに、NHK大河ドラマ「風林火山」のオープンセットをレポートしました。今回はこのオープンセット「風林火山館」で開催されていた岡谷太鼓の演奏を撮影した画像をご紹介いたします。演奏スタンバイです。大量の太鼓の斉奏なのです。奏でると言うよりは打つ、という感じです。ところどころで、こんな感じにポーズを取ります。ちょっとお洒落なのです。太鼓の群舞と言う感じでございましょ。音量も凄いんです。迫力がありました。この岡谷太鼓には指揮者が居るのです。オーケストラみたいです。太鼓は神社への奉納と言う色彩がございます。岡谷に限らず、諏訪湖周辺は神様に近い場所なのです。諏訪神社もありますしね。太鼓の撮影はこの辺で切り上げまして、「おやかた」の他の施設を見て回りました。最初は物置です。続いて馬小屋です。弓のための「射撃訓練場」です。記念撮影場です。武者姿の役者さんと記念撮影が出来ます。ただし、有料でした。謎の囲炉裏です。寒い信州では、このように玄関に囲炉裏を設けて、帰宅したら直ぐに暖を取れるようにしたのでございましょうか…。以上で、大河ドラマ「風林火山」のオープンセットでの撮影分はお終いです。このオープンセットに隣接して、武田信玄関係(大河ドラマ撮影関係)の資料館が設けられておりました。大河ドラマのスチルや衣装が展示されておりました。「北杜市風林火山館」ともお別れでございます。ここから、また数キロ歩いて、小海線の甲斐小泉駅に向うのでございました。どこから見ても山がきれいな土地でした。画面で見るとあっという間に、甲斐小泉駅なんですが、実際には小一時間も歩いています。大汗をかきました。甲斐小泉駅の駅舎は妙な形状でした。無人駅なんですけど。甲斐小泉駅から再び小海線に乗って、小淵沢に戻ることにしました。小淵沢への入場です。ダイヤモンドクロッシングが美しい…。次回は、中央線の旧線を辿って、辰野駅に出るところまでをレポートします。引続き、私の旅にお付き合いくださいませ。【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/08/02
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