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【厳冬期の南会津】
2011年2月12日(旧暦正月十日)に昭和村で撮った写真です。どうしてもお会いしたい方がいらっしゃったので、南会津町田島から舟鼻峠を越えて昭和村へ出掛けました。思っていたとおり、舟鼻峠を越えた所は怖かったです。山の斜面からいつ雪が落ちてくるかと心配しながら車を運転していました。
そして、目的の村まで行く入口を左に曲がって、車を走らせていたら、最初にあった村に下の写真のようになっている家がありました。この家は2階建ての家です。この年の冬は特別雪が多かった訳ではないと思います。最近は雪が少なくなりましたが、小生は猪苗代で2度ほど、同じくらいの雪を経験しています。
雪が降ると、しかもそれが吹雪になるとどれくらい怖いかというと、信号機の真下へ行っても信号が何色なのかまったく判らない状態になります。ライトを点けた対向車がセンターラインをオーバーしてきても、目の前に来るまでまったく判りません。そうした時は当然、気温は氷点下ですし、風速1mで体感温度は1度下がります。上の写真は、目的地の村で撮った写真ですが、中央奥の雪が盛り上がっている所の下には、2階建ての家があります。もうかなり以前から廃屋になっているので、そこまで上がっていくことは出来ません。
『会津藩家世実紀』
寛文五年五月八日
「吉利支丹宗門之者、寛永二十年会津入封之節ハ、御領中ニ壱人モ無之、御蔵入之分ハ諸代官加勢申付、本尊ヲ為踏、家捜イタシ厳致穿鑿、同年十二月吉利支丹宗旨之義、七人組之内ニ而能々致穿鑿、毎年正月之内日限ヲ定寄合、寺檀那共ニ無相異之次第、郷中ニ有之行人乞食迄、不審成者入念可相改旨被仰出、正保元年十二月、来正月モ例之通可相改哉之旨及言上候得ハ、只改候而者其徒不相顕」
と記されていて、南会津でも同じように行われたと記されていますが、この旧正月明けの切支丹穿鑿が行われていたとは到底考えられません。また「吉利支丹宗門之者、寛永二十年会津入封之節ハ、御領中ニ壱人モ無之」と記されていますが、この時にはまだ、まだ転んでいないキリシタンが牢にいたことは、他の記述から明らかです。