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【伊那高遠の風景】
これまでに伊那谷を何回も訪ねてきましたが、この4枚の写真は保科正之公が高遠藩主であられた時にも高遠藩領内であったところで撮った写真です。伊那高遠にお住まいの方は、何処で撮った写真かすぐにお判りになられるだろうと思います。
最初の写真に写っている道路は、南アルプス北部を縦走した帰りに通ったことがあったのですが、バスに乗り込んだらすぐに寝てしまったのでまったく記憶にありませんでした。ただ、伊那高遠のキリシタンはかなり広範囲に広がっていたようで、国道や県道を走っていると様々な不思議なものを見付けることが出来ます。
そして、会津に残っている民俗的習慣が、伊那高遠にも残っていることを確認することが出来ましたし、天竜川やその支流沿いにも同じ習慣が残っていることも確認することが出来ました。そして、その習慣は、間違いなく会津藩領内にも残っています。但し、史料にはそうした民俗的習慣は記されていません。『新編会津風土記』にも『会津鑑』にも『会津藩家世実紀』にも記されていませんから、旧高遠藩領内を丹念に巡ることによってしか知ることが出来ません。
「保科正之公はキリシタンだったんです」とある方からお伺いして、そうした習慣が残っているところにも、保科正之公と共に山形最上経由で高遠から会津に入って来られた家々があることも理解することが出来ました。「○○マキ」という同族集団です。これは会津盆地にもありますし、現在は新潟県に属している、かつては会津藩領内だったところにもあります。
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