あきぼう in Thailand
ここも文章ばっかりです。あしからず
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すんごいホテルだ!!
前回のイギリスに続いて、今回も大学生協のツアーを申し込んだ私たち。「ホテルに期待しない」が合言葉になっていた。
深夜にドン・ムアン国際空港に到着し、もう一組のカップルと共にガイドさんに拾われた私たちは、ワゴンに乗せられて市街へと向かった。急ピッチで建設が進められているという高速道路をぶっとばし、まずはカップルの泊まるホテルへ行った。
「えっ、これなん?」人が泊まるホテルとは言え、私とU子は思わず身を乗り出した。インペリアルクイーンズパークホテル。ガラス張りのロビーは大理石が敷き詰められ、スゴイ豪華な造りである。当のカップルも「こんなとこ泊まっていいの?」とささやきあっている。ガイドさんがチェックインの手伝いを済ませると、いよいよ私たちのホテルへ向かった。
「さっきあんなん見たからコワイなー」「めっちゃショック受けそう・・・」といいつつ到着したインドラリージェントホテル。・・・うをー!!スバラシイ!わんだほー! サークルの合宿やらこれまでの旅行では泊まったことのないレベルである。ドアはお兄さんが笑顔で開けてくれるし、ロビーも広くてきれいだし・・・。U子と私は部屋に入ってからも大興奮で、さっさと寝ればいいのに、ふかふかのベッドに寝転んでセルフタイマーで写真を撮った。
朝食も豪華バイキング。どっかの「コーヒーとパン2個」の朝食とはえらい違いだ。
でも、これってやっぱり経済格差のせいなんだよねー。そう思うとちょっと胸が痛んだ。タイの庶民はこんなところ泊まれないんだろうなあ。
市内観光
2日目はバンコクの市内観光である。まずは市内観光とくれば外せないワット・プラケオ、ワット・アルン、ワット・ポーである。「ワット」というのは「寺」のことらしい。ワット・アルンへ行くには渡し舟を使うのだが、その乗り場へ向かうときに市場を通過したのだが、干物やら魚のキョーレツな匂いがしていた。カゴにどっかり盛られた生魚にはハエくんがぶんぶんたかっているのである。ひ弱な日本人はカルチャーショックを受けてしまった。で、肝心の寺はというと、観光客で大賑わい。そして、とにかく金でキラキラである。きっとしっかりお手入れされているに違いない。敬虔な仏教国だというのもうなずける。
昼ご飯まで少し時間があるということで、ガイドくんに「実弾射撃をやらないか」と誘われた。軍隊が経営しているのだという。こんなところでもないと出来ないし、挑戦することにした。(4人で3000バーツ。1人750バーツ。後で、伝統舞踊を見ながら食べたディナーが二人で1050バーツぐらいだったから、冷静に考えるとスゴイ無駄遣い?)・・・他の人は最低1発はあたったのに、私はさっぱり。トホホ。まあ、スゴイ衝撃と音がひとつの経験になったといえばそんな気もする。
昼からローズガーデンへ出かけた。ここは外国人観光客のために作られた観光レジャー施設である。タイ文化ショーなるものが行われており、前半は伝統舞踊のショーやタイ式ボクシングの模擬試合。笑うところも作ってあり、学校のお遊戯会のようなカンジで、純粋に楽しめた。後半は屋外へ出て象の曲芸を見た。象もかわいいけど、象使いの少年にもびっくり。ホンマに子供である。プロ意識持ってがんばってるんだろうなあ。そして、ショーの後、U子と一緒に象に乗せてもらった。結構揺れるのだが、不思議な安心感があった。
盛りだくさんの1日は、あっという間だった。
バンコクの交通事情
バンコクといえば、渋滞。噂には聞いていたけれど、ホントに街の至る所が渋滞している。工事やらなにやらしているのに加えて、車の数も増えているのだそうだ。仕方ないと言えばそうなのかもしれない。
市内がそんな状態だからか、郊外へでて道が空いてくると、車は自分の力を発揮しようとするかのようにブンブンととばし始めるのである。マナーも良くない・・・というか、タイではそれが当たり前なのかもしれない。我らがドライバー氏も例外ではなかった。普通の道でも時速90キロ。割り込みは当たり前。追い越しもすごく急で、とにかく日本の車社会では考えられない乱暴さなのだ。一応優良ドライバーの私とU子はドキドキしっぱなしだった。
しかし、後日乗った市内のタクシーは至って安全運転であった。・・・ドライバー氏、これはどういうこと??
車道をどこででもガンガン渡る市民の姿にも参った。対面通行の道なら、半分渡って車道の真中で逆方向の車が途切れるのを待っているのである。最初、「右、左、右」と確認して道を渡るように教えられて育った私はバンコクの人々をスゴイと思って見ていたが、だんだん慣れてきて、彼らの後にくっ付いてスイスイ渡れるようになってしまった。(今や日本でも実践している程である)
暑さにやられる
タイ滞在二日目はアユタヤ観光であった。昔王都があったこの街は、戦争で破壊されたのだそうで、たくさんの仏像がバラバラになっていたり首なしになっていたりと、なんだかやるせない気持ちになった。一方で、国王の離宮は豪華な装飾が施されていたり、広々とした日本人墓地があったり、のどかな一面も持っているのだ。
そしてこの日、私たちは熱帯の暑さにへろへろになってしまった。気温は30度前後なのだが、私たちは成田までコートを着ていた身。ガイドくんが汗を拭きながらもすたすたと元気に歩いて行くのに、私たち二人は歩くペースも遅れがちで、ガイドくんは時折立ち止まって私たちを待たなければならなかった。しまいには「もう、(観光)ええわー」とぼやき始めるほどだった。
その夜、翌日の自由行動の相談をガイドくんに持ち掛けた。「ムアン・ボーランへ行こうと思うんだけど」と言うと、「あそこはすごく歩くから・・・」と言われた。どうも私たちが今日の暑さに参っていたのはバレバレだったようである。そりゃそうか。
ガイドくんは人懐こい笑顔で「楽しんできてください」と言うと、いつの間に買ったのか、バナナ一房の入った白いビニール袋を提げて帰っていった。
ミン・パレスの人々
「ミン・パレス」は、我らがインドラ・リージェントホテルに入っていた”香港式中華料理店”(ガイドブックにそう書いてあった)である。この5日間の滞在中、なんと3回も行ってしまった。「なんでタイで中華?」と思いつつ、おいしくてサービスも良かったし、近くて安全なので、ついつい足を運んでしまったのだ。
その3回目、最後の晩餐に訪れたときにはやっぱり覚えられていて、入り口に立っているお姉さんも先日とは違う質のニッコリ笑顔で迎えてくれた。店内でも、お兄さんがなにやら英語で話しかけてきた。しかし、どうも発音がなまっていて聞き取れず、ボールペンと紙を渡して、「今何て言ったのか書いて」と頼んだら、・・・そう頼んだつもりだったのに通じてなくて、タイ語講座になった。まあいいか。お礼に日本語講座もしてきた。
「バンコクは初めて?」
「そう。」「いつまでいるの?」「明日の飛行機で帰る」「・・・いつバンコクへ帰ってくる?」「・・・・・・いつか・・・」 つたない英語では、そんな簡単な話しかできなかったけど、なんだか楽しいひとときでした。
いつか。ホントに”いつか”ではありますが、またバンコクへ行けたら、絶対このお店に行きたいなと思っているのです。