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「イエスを仰ぎ見なさい(2)」 2014年5月8日
インターネットのテレビ局CGNTV(Christian Global Network
Television)の番組「みことばに聞く」に当教会の牧師が出演しま
した。2013年7月15日放映「 世を愛された神
」
「イエスを仰ぎ見なさい(2)」
甲斐慎一郎
ヘブル人への手紙、12章1~14節
先回は、「イエスを仰ぎ見なさい(1)」の第一回目として、イエス
を仰ぎ見ることを妨げる「自分と他の人」から目を離さず、「自分
と他の人のこと」を考え、「自分と他の人」に期待し、求めること
について学びましたが、今回は、どのようなイエスから目を離さず、
そのイエスのことを考え、そのイエスに期待し、求めるかについて
考えてみましょう。
一、信仰の創始者であるイエスから目を離さず、そのイエス
のことを考え、そのイエスに期待し、求める
神は、「万物の創造者」また「万物の創始者」です。さらに「す
べての良い贈り物、また、すべての完全な賜物は上から来るのであ
って、光を造られた父から下」ります(ヤコブ1章17節)。そして
神は、私たちの「うちに良い働きを始められた方」です(ピリピ1
章6節)。
「神は、むかし父祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に
分け、またいろいろな方法で語られましたが、この終わりの時には、
御子によって、私たちに語られました」(ヘブル1章1節)。神は、
御子イエスによって私たちに語られたということを信じるのが信仰
であり、イエスは、私たちが信仰を持つことができるようにしてく
ださる「信仰の創始者」(2節)です。
私たちは、「十字架の上で、私たちの罪をその身に負」う(第一
ペテロ2章24節)ために生まれてくださった信仰の創始者であるイ
エスから目を離さず、そのイエスのことを考え、そのイエスに期待
し、祈り求めて、「私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって
走り続けようではありませんか」(1節)。
二、信仰の導き手であるイエスから目を離さず、そのイエス
のことを考え、そのイエスに期待し、求める
ヘブル人への手紙の12章2節の日本聖書協会の口語訳は、イエ
スは「信仰の導き手」であると訳されています。神は、良い働きを
始められた方で、信仰の創始者ですが、完成するまでには、アブラ
ハムとサラのように、「さまざまの試練の中で、悲しまなければな
ら」ず、「信仰の試練」を受けます(第一ペテロ1章6、7節)。
このように信仰は、紆余曲折を経て完成していくのですが、イエ
スは、信仰の試練を受けている私たちの「信仰がなくならないよう
に」祈ってくださる方であり(ルカ22章32節)、私たちの信仰を
正しく導いてくださる「信仰の導き手」(2節、口語訳)です。
私たちは、「ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめを
ものともせずに十字架を忍」ばれた(2節)信仰の導き手であるイ
エスから目を離さず、そのイエスのことを考え、そのイエスに期待
し、祈り求めて、「私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって
走り続けようではありませんか」(1節)。
三、信仰の完成者であるイエスから目を離さず、そのイエス
のことを考え、そのイエスに期待し、求める
神は、天と地を「完成された」方で(創世記2章1節)、「終わ
りの事を初めから告げ......望む事をすべて成し遂げる」と仰せられ
る(イザヤ46章10節)「万物の完成者」です。そして、私たちの
「うちに良い働きを始められた」ことを「完成させてくださる」方
です(ピリピ1章6節)。
神は、さまざまな信仰の試練を受けている私たちを正しく導いて、
私たちが終わりの日に「よくやった。良い忠実なしもべだ」(マタ
イ25章21節)と、神からお誉めのことばを受けるまで、私たちの
信仰を完成してくださる「信仰の完成者」です(2節)。
私たちは、「罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者
の右の座に着かれ」た(ヘブル1章3節、12章2節を参照)信仰
の完成者であるイエスから目を離さず、そのイエスのことを考え、
そのイエスに期待し、祈り求めて、「私たちの前に置かれている競
走を忍耐をもって走り続けようではありませんか」(1節)。
次回は、2014年5月15日「耕地を開拓せよ」です。
甲斐慎一郎の著書 → 説教集