Diary of Heavenly-Alica

<うそつきのぱらどくす考>




 先日、近所の本屋でPC雑誌や小説とともに「 図解雑学パラドクス(ナツメ社刊) 」という本を買いました。

 タイトルどおり、様々なパラドクスを図解入りで説明してある本で、益体もないバカ理論をこねくり回すのが好きな私は、面白そうだなと思い買ったわけですが...

 一番よく聞く有名なパラドクスはこれです。

 「 わたしはうそつきである 」

 どうパラドクスなのか?

 この「わたし」が本当に「 うそつき 」なのなら、「 わたしはうそつきである 」という男の言葉は「 真 」となり、「 うそつき 」でない、つまり「 正直者 」ということになります。が、そうすると、「 正直者 」が自分のことを「 うそつきである 」という「 嘘 」を言っていることになり、「 うそつき 」となってしまう。とするとこの「 うそつき 」は...結局は、この「わたしはうそつきである」という命題の真偽が堂々巡りという矛盾に陥るわけです。
 仮にこの男が「 わたしは正直者である 」と言ったとしたら、この男が「 うそつき 」ならば言葉どおり「 嘘 」をついているわけですし、「 正直者 」ならば「本当のこと」を喋っているのですから、この「 わたしは正直者である 」という命題自体は「 真 」であることになるわけです。
 ところが、この「 正直者 」が「 うそつき 」に変わると、前述のように命題の真偽がつけられなくなってしまう...
 とまぁ、こういうふうな、他人をケムに捲くための単なる言葉遊びの類なわけです。
 ところが!!!
 この本の冒頭では、最もシンプルで、最も歴史が長く、いまだ解決されていないのが、この「 うそつきのパラドクス 」であると述べられていたのです!

 うそっ! こんなアホなこと、賢く偉い学者が何人もよって何年も真剣に考えていたとは...バッカじゃないの!?(← 失礼やな!)
 それならば、ここはひとつ、益体もない屁理屈をこね回すのが好きな私がこの命題を展開してみましょう。

 「 わたしはうそつきである 」

 ここで考えるべきは、まず「 うそつき 」の定義です。
 「 言うことすべてが嘘である人 」を指すのか、「 言うことの幾つかが嘘である人 」つまりは「 本当のことも言うことがある人 」を指すのか? ということです。
 「論理的」にではなく「社会的」には、「 ひとつでも嘘をついて、それがばれた人 」は周囲から「 うそつき 」と呼ばれるものです。
 河内には(だけじゃないかもしれませんが)、「 うそつき 」を指すのに「せんみつ」という言葉があります(『せんだみつお』の略ではないw)。「1000回喋っても、そのうち本当のことは3つしかない」ということらしいですが、3つとはおそらく、「村八分」の二分と同じく嘘ではシャレにならない「火事」と「葬式」でしょう。残りのひとつはおそらく「自分自身が死んだこと」、これは嘘にできないでしょう。
 このように、うそつきにも本当のことを言うときがあるということです。

 前者、「 言うことすべてが嘘である人 」の場合は、この人物(仮に『A』とします)の言葉は論理的にそれこそ「隅から隅まで嘘」であると解釈しなければなりません。

 これらを踏まえた上で、Aの「わたしはうそつきである」を解釈すると...

1.「 うそつき 」の定義が「 言うことの幾つかが嘘である人 」を指す場合

 このAの言葉は「 真 」であるということになります。
 Aが「 正直者 」ならば、この言葉には合理性がありませんから、必然的にAは「 うそつき 」であることになります。
 このときAは、自分が周囲から「 うそつき 」という評価を受けていること、もしくはA自身「 うそつき 」を自認していることを、たまたま「 正直 」に話しただけということです。
 これはごく自然な解釈であり、理論遊びをしているのでなければ、普通は誰でもこう受け取る類の解釈でしょう。

2.「 うそつき 」の定義が「 言うことすべてが嘘である人 」を指す場合

 実はこの場合も、Aの言葉は「 真 」であるということになります。
 この第2の場合の定義は、「『 うそつき 』とは、いつ、いかなる場合でも、その発する言葉のすべてが『 嘘 』である人物である」ということを意味します(物理の試験問題でよく見る『但し、空気の抵抗は0として、計算に入れないものとする』という付加条件と同様、『こんな条件、現実の世界のどこで起きるねん!?』と突っ込みたくなる類の定義で、Aに対して『現実に、こんな人間がちゃんと社会生活を送れるのだろうか?』などという老婆心的な心配をしてはいけない、一種のお約束であるわけです)。

 まず、Aが「 正直者 」なら、「定義1」の場合と同じく、この発言自体が論理的に成立しませんから、Aはやはり「 うそつき 」であると断定できますね。
 次に、Aは「 うそつき 」なのですから、重要なのは、Aの言葉は「トータルで意味のある文章」として成立しているのではなく、「『 本当 』を『 嘘 』に変換した単語の羅列を文章化しただけのもの」と考えなくてはならないということです。
 すると、この「わたしはうそつきである(I am a liar)」の単語のひとつひとつ、「わたしは(I)」「うそつき(a liar)」「である(am)」すべてが「 嘘 」であることになります(正確には『a』と『liar』も分けなきゃならないのですが、結論に大きな影響はないのでここではひとまとめで展開します)。では実際に「 嘘 」から「本当」に再変換してみましょう。

 まず、「わたし」は一人称単数ですから、本当は二人称または三人称の複数であることになります。
 次の「 うそつき 」は単純に「 正直者 」を指します。
 最後の「である」も単純に「ではない」となります。
 わたしは  ⇒再変換⇒  あなたたち (もしくは『かれら』や『わたし以外のすべて』)
 うそつき  ⇒再変換⇒  正直者
 である  ⇒再変換⇒  ではない

 となり、これを元の文章構成、文法になるだけ従ってつなげると、このAの言った言葉は以下のような意味になります。

 「あなたたちは正直者ではない(You are not honest)」

 つまりAは、A本人以外の複数の誰か(もしくはA本人以外のすべての人)のことを「 うそつき 」だと言っているわけです。
 この場合、Aの指し示す人たち(Bとします)がBが本当は「 うそつき 」なのか「 正直者 」なのかは、この命題にとってはどちらでもよいことです。要はAはBのことを「 うそつき 」だと思っていて、それを「うそつきの掟」に従って口に出すと、形而上的な「 わたしはうそつきである 」という論理的に破綻した文章らしきものになるだけのことなのです。
 要は「うそつきA」さんの「暗号」であったわけです。

 どうですか?
 これで、この命題に頭を悩ませていた方々に納得していただけたものと...え? 納得できない? 本来この命題が持っている条件下で展開してみろ?
 う~ん、いいんですけど、結局この命題を真剣に考えている人って、考え落ちしているところがあるんですよね...

 「 わたしは『 うそつき 』である 」
 どうして「 うそつき 」の部分のみを嘘の対象だと断定するのでしょうか? 別に先述の「単語のすべてが嘘である」という意味じゃありません。もしかして、Aがこだわっているのは「 うそつき 」の部分ではなく「わたし」の部分かもしれないのに...要は、「 うそつき 」であるAが、Aの目の前にいる人物Bに対して「あなたはうそつきである」と言う意味で言っているということもありえるのになぁ...
 もちろん、この場合もこの命題は「 真 」です。Bが本当に「 うそつき 」か否かは真偽に関係なく、Aがそう信じているだけのことですから。

 それでもやはり「 うそつき 」にだけこだわって、展開してみろと?
 ...わかりました。そこまでおっしゃるのなら仕方ありません。やってやろうじゃないですか! おう、やらいでかっ!
 でも、その前にお願いがあるのですが...

 2乗して「-1」になる数字を具体的に示してほしいのですが...もちろん、「虚数i」や「√」なんて特別な記号を使わずに、単なる数字で。
 「1÷0」の解でも結構です。

 屏風に描かれたトラを退治しろとおっしゃるのなら、まず屏風からトラを追い出してもらわないと...
 そう、そうなのです! 「わたしはうそつきである」とは、まさしく「屏風に描かれたトラ」、「絵に描いた餅」なのです!(← いや、あの、後のほうはちょっとニュアンスが違うような...)

 このAの発したとする言葉の矛盾に真に悩むべきは、聞き手である私たちではなく、実はこの言葉を発する予定のA本人なのです。
 Aが「 正直者 」ある場合、「正直者の掟」に従う限り、この台詞を発することはできません。しかしAが「 うそつき 」であっても、やはり「うそつきの掟」に忠実ならば、口にするより先にA本人が冒頭のパラドクスに陥り、この台詞は口にできなくなるのです。
 それでもAが「わたしはうそつきである」と口にするなら、Aは「この世界のルール・約束ごと(法律とかという意味じゃなく、森羅万象を司る物理法則みたいなもの)」を破っているわけであり、それに対してこの言葉を「この世界のルール・約束ごと」にのっとって論理的に解明しようとする行為自体が、「『整数』の範疇で『小数』を説明する」とか「現代の法律下において、幽霊が起こした事件(非合理)を裁判所(合理)で審議する」ようなものであり、不毛の極致であるわけです。
 つまり、本来の意図に従った場合、この命題の結論は以下のようになります。

 「人間の言葉の概念の範疇では、この世に『わたしはうそつきである』という言葉は存在しない。よってAはこの言葉を口にできなかった」

 これが正解です。

 「現に口にできるじゃないか!」とおっしゃるなら、前述の「2乗して『-1』になる数字」を示してください。これも目の前に「ルート・マイナス・1」という形で一見存在しているようで、実はそんなもの具体的数値としては存在しません。存在していないから、当然示すこともできません。無理に示そうとすると、新たな記号(つまり、2乗して『-1』となる数を『i』と呼称する、というご都合主義的条件)を付加して、「±1i」と表現するしかないわけです。この命題にとっての「新たな条件」が先述の「定義1」「定義2」なのです。
 それでもなお、Aが「わたしはうそつきである」という言葉を発してしまったのなら、

 「Aは『この世の摂理』に対する反逆者であった」または「Aはこの世の者ではなかった」

 が別解となります。

 しかし! 友人のひとりにこの話をして、己が頭のよさをひけらかしてやろうとしたところ、「 お前の理論は既に破綻している 」とケンシロウの決め台詞のように言われてしまいました。

 実はこの「うそつきのパラドクス」には結構色々なヴァリエーションがあります。
 「わたしはうそつきである」はAひとりで自己完結してしまっている「うそつきのパラドクス」ですが、複数ヴァージョンも存在するそうです。

 ソクラテス:「プラトンはうそつきじゃ」
 プラトン :「ソクラテスは正しい」

 この複数ヴァージョンでいくと、私の論理展開は破綻してしまうのですが...

 長くなったので、この話はまたいずれ! (←逃げたな...)


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