とある田舎の喫茶店

とある田舎の喫茶店

彼女のいる日常









 こんな世界にいれば「この世界の中で一番美しいものはなんだ?」という問いに「この世界そのものだ」と答えてもなんら否定はしないし、共感もできる。
 それは俺だけじゃなく、この世界にいる多くの人々も共感できることだと思う。
 ベネツィアを思わせるマク・アヌの街全体を焼く太陽。
 大昔の名残が今でも残っている、遺跡と言うにふさわしい街、ドル・ドナ。
 エリアにしたってそうだ。水平線の彼方に見える馬鹿でかい遺跡は圧倒的なスケールで冒険者の心を躍らせてくれる。
 極めつけはこの世界にしか存在しえない神秘的な場所、ロストグラウンド。
 これらを全て美しくないと言う人間が、いったいこの世界にどれだけいるだろう。
 この世界は美しい。
 それはまぎれもない事実だ。

 だけど俺はすべてを肯定することはできない。
 なぜなら俺は、この世界そのものよりも美しいものを知っているからだ。
 それは―――いや、その人は、今俺の横で沈むことのない太陽を静かに見つめていた。

「贅沢すぎるよね。この世界ってさ」

 みずみずしい唇から紡ぎだされた言葉は、すぐには理解できるものではなかった。

「贅沢って……どういう意味です?」

 俺の言葉にも彼女は深い瞳を遠くに向けたまま。その姿には、有名画家が描いた人物画、そのモデルが視ている“本当のもの”を見ている者に考えさせてしまう、そんな芸術にも似た雰囲気があった。
彼女は横にいて、だけど横にはいない。
 それは俺にとっては心を空虚にさせることであり、自身が望んでいることもでもある。

「この街を真っ赤に染め上げる太陽。すごく綺麗……。だけど、この太陽は沈まない」

 何が言いたいのだろう。どこか詩のような、独り言のような言い草に、俺は――今まで何度こんな思いをしてきただろう――惹かれ、そして寂しくもあった。

「この街はずっとこのまま。ずっと綺麗なまま。これって贅沢すぎるよね」

 ……ああ、なるほど。
 彼女はきっと、これほどまでに美しい世界の、その反面を見て憂いを抱いているのだ。
 まるで天女の纏う羽衣のような柔らかさを持った金色の髪が、俺の視界の端で風に撫でられてほどけた。

「初めてここを訪れる人はきっと思う。わあ、綺麗だなって。だけどそれは一回だけ。見たこともない美しい光景だからそう思う。毎日見ていたらそれは非日常の風景ではなく日常になってしまう。そうなったらこの綺麗な街並みも、心の中では色褪せてゆく。今この街を歩いている人たちのように」

 顔をわずかに背後に向ければ、視界の中を何人かのPCが通り過ぎていった。
 彼女の言うように、彼らはきっと、初めてここを訪れた頃よりもこの街の美しさに対する感動は色褪せているのだろう。
 だがそれは当たり前のことだ。それを彼女は何故指摘するのか。
 その答えは彼女の表情の中にあった。

「こんなに贅沢な世界は、私にとっては眩しすぎる」

 その言葉の意味を、俺は直感で理解した。いや、してしまった。
 できなくていいのに理解してしまった自分に嫌悪を抱いた。
 眩しい。それは俺が、彼女自身もわかっていてあえて言う“言い訳”だ。

「まさか、やめるんですか……? The worldを」

 彼女は答えない。
 なぜそこで肯定しないのか。俺はその理由を無意識にも悟っていた。
 この世界からいなくなる――俺と一方的に縁を切ることへの後ろめたさ。
 そして、彼女自身にこの世界への名残惜しさがあるからだ。

「正直に言ってね、やめたいわけじゃない。だけど気づいてしまったから。この世界の希薄さに」

 所詮、この世界は作り物。この世界の全てはゲームという枠の中に収まっている。
 どれだけリアルの風景よりも美しくてそれに感動を覚えても、それは日常の中にほんの一瞬だけ現れる非日常にすぎない。
 きっと彼女にとってはこの世界そのものが、そんな一瞬の非日常にすぎないのだろう。
 この世界を非日常だと思いながらも日常だと思い、またその中に非日常を求めている俺のような人間とは違い。
 だから、非日常が日常へと還った今、彼女はこの日常の世界からいなくなるのだ。日常はすでにリアルという名で存在しているのだから。
 日常は二つもいらない。
 彼女の伏せられた目は、そう呟いていた。
 そんな目を、彼女は俺へと向けてきた。
 いつも少しでも長く自分に向けていて欲しいと思っていた彼女の目。
 だけど今は、その目を向けられることで、胸が締め付けられた。

「勝手にこの世界からいなくなることを、私はあなたに謝らない。だからそんな私を疎ましく思って。そしてなるべく早く、私のことを忘れて欲しい。そうすることで、あなたはつらい思いをしなくてすむと思うから」

 ずるい言い方だ。
 俺の気持ちの一端をわかっているから、彼女はそう言うのだ。
 だけどそれは、俺にとっては『慰め』でしかない。そんな幻想のような答え、俺は望んでいない。
 だから、俺は彼女の言葉を受け入れない。


「ひとつ、聞きます」

 そう言って彼女の視線をまっすぐ自分の目へと向けさせた。一方的な意見を押し付けるだけの目ではなく、こちらの意見を強制的に届ける目に。

「あなたにとって、俺は、日常の中にある一欠けらの非日常でしかなかったんですか?」
「……それは……」
「いや……わかりきったことですよね……。“だから”あなたはここからいなくなるんだ」

 ずるい言葉だ。だけどここでずるい言葉を言わなければ、この先ずっと、どんな言葉も、彼女の耳には届けられなくなる。
 彼女がずるいことを言ったように、俺もずるい言葉で返す。
 そうすることで、彼女を引き止められるのなら、俺はいくらでもずるい言葉を彼女に投げかける。

「日常になってしまったこの世界を、俺を、あなたは捨てるんだ。日常は二つもいらないから」
「―――っ」

 一瞬、彼女の顔が怯えるように強張った。それは肯定を意味していた。そしてそれは俺に対しての怯えじゃない。自身がこれからしようとしていることへの怯えだ。
 日常は二つもいらないという理由で、俺という人間を捨てるということへの。

「あなたにとっての俺が、いらない日常になってしまっても、俺にとってのあなたはいらない日常なんかじゃない。あなたはそれをわかっているのにこの世界を、俺をあっさり捨てるんだ。まるであってもなくてもいい物のように。俺があなただったら、俺は絶対にそんな簡単にあなたを捨てたりはしない。俺は、あなたほどひどい人間じゃない」

 自分でもわかっている。俺の言い分は身勝手すぎる。彼女の考えなど歯牙にもかけない、傲慢で、なんの説得力もない言葉だ。
 だけどいい。説得力なんていらない。そんな安いものはいらない。
 彼女の身勝手な言葉なんて素直に受け止める気なんてない。
 彼女は、卑怯だ。

「あなたは……私の何を知っているの?」

 静かに、しかしさきほどまでとはあきらかに違う空気を、彼女は纏っていた。
 それは怒気。
 沸々と彼女の心の奥底にあったものが湧き出していた。

「あなたは私のことを何にもわかってない。わかろうともしてない。わかってる? 今のあなたの言葉には、私の意思なんかこれっぽっちも入ってないっ」

 それは、今までに見せたことのない感情だった。
 いつも俺の数歩前で、近くにいるのに手を繋げないところにいた彼女。
 彼女はいつも俺と同じ高さにはいなかった。
 彼女は気づいていない。
 今、俺の手によって、一歩階段を下りたことに。

「私は私の考えがあってこのゲームをやめる。簡単に“捨てる”だなんてあなたに使って欲しくない。……あなたなら私のこと……私が簡単な気持ちでこのゲームをやめるわけじゃないって、わかってくれると思ってたのに」

「簡単な気持ちじゃない? いくら言葉を見繕ったところで、この世界と俺を見限るという事実は揺らぎはしない。それはあなた自身がわかっているはずですよ。あなたは綺麗ごとを並べているだけです。非日常だった世界が日常になってしまったから。そんな大仰で詩人のようなことを言っても俺には言葉を美化しているようにしか聞こえない。俺からすればあなたは自己満足で感動的な理由をつけて去ろうとしているだけです」

 まるで付き合っていた彼女が別れ話をしてきたために、振られるくらいなら自分が振ってやると言わんばかりに冷たく突き放す彼氏のようだ。
 俺は客観的に自分を見てそう思った。
 彼女も、それに限りなく近い感情を抱いたはずだ。そんな俺の考えを証明するかのように、彼女の目には涙が溜まっていた。
 彼女がはじめて見せる涙。横ではなく数歩ななめ前を常に歩いていた彼女は、笑うことはあっても泣いたり本気で怒ったりすることはなかった。俺は常に、彼女の残像と並んで歩いていた。
 だけど今、彼女の目には涙が浮かんでいる。
 それは彼女にとって俺との関係が涙を浮かべるに値するというなによりの証拠であって、俺は表面上には出さずとも、それを心の中だけで、それこそ心底、“うれしい”と思った。
 しかし俺はそれだけのことで笑顔をつくったりはしない。
 妥協なんかしない。

「私は……私は――っ、あなたならわかってくれると、そう思ったから言ったのに。あなたの気持ちをわかっているつもりだったからああ言ったのに!」

 はじめての彼女の怒鳴り声。
 ひどい。彼女の今にもこぼれそうなほどに涙を浮かべた瞳はそう言っていた。
 しかし俺は辛辣な言葉を吐き出し続ける。
 残像ではなく、彼女自身と並ぶために。

「なるほど。つもり、ですか。じゃあ言わせてもらいますけど。あなたは俺の何を知っているんですか?」
「―――っ」
「あなたはずっと俺の斜め前を歩いていた。そんなあなたは、俺の何を知っているんですか?」

 打ち震えるように、彼女の目は見開かれていた。
 わかってくれると思っていた人がわかってくれないという事実からくる悲しみと怒り、そして怯えが、彼女の目に浮かんでいた。
 その姿は、もはや俺の知っている彼女ではなかった。
 いや、今まで俺は彼女のことを知らなさ過ぎたのだ。
 それは同時に、彼女にも当てはまる。

「たしかに俺はあなたの横に並びたいと思っていた。それはあなた自身も感じていて、だからあんな別れの切り出し方をした。あなたはそう言いましたよね。だけどあなたはもっと根元の部分をわかってない。それをわからないまま、あなたは俺のことをわかったつもりになっているんですよ」
「私はわかってる! あなたが私と縁を切るなんてことに「はいそうですか」って簡単にうなずくわけがないってことも! あなたが私の横に並びたがってくれていたことも!」

 その声には確信めいたものが伺えた。
 だけど違う。それは確信なんかじゃない。
 そう思い込んでいるだけだ。

「さっき言いましたよね。あなたならわかってくれると思って、って。はっきり言います。俺はあなたの気持ちなんかわからない。わかるわけがないでしょう。なぜなら俺はあなたと出会ってから今の今までずっと、あなたの気持ちがわからなくて、それをわかりたいと思い続けていたのですから」
「―――っ」

 はっと彼女の表情がわずかに変わった。驚きが入り混じったのだ。
 俺はそれをうれしく思った。
 変わってくれなければ困る。
 なにせ今のある意味告白の言葉なのだから。
 俺の気持ちに気づいていながらも、実際に言われるのと言われないのとでは大きな違いがある。
 それは俺にとっても、彼女にとってもだ。
 だけどまだだ。
 すべてを吐きさなければ意味がない。
 吐き出して、俺の気持ちを理解してほしい。理解したうえで、答えを出してほしい。
 そう願いながら、俺は心を決めるように一度目を閉じ、そしてまっすぐ彼女の目を見据えた。

「さっき言いましたけどもう一度言います。あなたにとっての俺がいらない日常でも、俺にとってのあなたはいらない日常なんかじゃない」

「―――っ……そんなこと――。……じゃあなに? あなたにとっての私はなに?
この世界をリアルとは違うもう一つの日常だと思い、その中で非日常を求めているあなたにとって、私は必要な非日常だとでも言うの? それこそ自分勝手じゃないの? 非日常なんて時が経てば必ず飽きちゃう。必ず日常に溶け込んじゃう。あなたにとって私が必要な非日常なら、あなたはきっと日常になった私に飽きるっ! 今の私と同じように私を捨てる!
だってそうでしょ!? 非日常は日常に溶け込むもの。必ず飽きてしまうもの。それをわかっているからあなたはこの世界をもう一つの日常だと思っているんでしょう!? 違う? 私何か間違ってる!?」

 間違ってる。
 俺は心の中で即答した。
 いや、たぶん、彼女は本当はわかっているのだ。心の底では、自分の言い分に穴があるということに。
 だけどそれを本能的に認められない自身がいるのだ。

 さきほど彼女は言った。
 「あなたの気持ちをわかっているつもりだったからああ言ったのに」と。
 それを俺に否定されたら、彼女にはどうすることもできないはずだ。
 なぜなら彼女は、「彼女にとっての俺はいらない日常」だと、別れを決断することで認めてしまっているのだから。
 そんな彼女が「俺にとってのあなたはいらない日常なんかじゃない」と訴える俺のことを今さら受け入れられるはずもない。

 自分はひどい人間だ、と。彼女自身がそう思ってしまっている。
 自分の意見を、「俺のことをわかっていて決断をしたのだ」ということを受け入れてほしい。あなたもいつか私と同じように自分を捨てる。それを認めてほしい。
 そうすれば、自分はひどい人間だと自覚しないですむ。自分は正しいと、そう思えるから。

 それは、彼女の立場から考えれば当然の思いだと思う。
 立場が逆だったらきっと俺も同じ思いになっていただろう。

 だけど俺は彼女の意見を呑むことなんてできない。
 だから俺が与えてしまった苦しみを、彼女から取っ払う中和剤を俺は投げつけなければならない。
 さきほどまで容赦なく冷たい言葉をぶつけていた冷徹な表情の仮面をはぎとり、空気を変えるように、わざと大きくふっと息を吐いた。

「あなたはなにごとも自分の物差しではかりすぎです。人は誰だって完全に誰かを理解することなんてできないんですよ。あなたは俺のことを自分が思っているほど理解できていなかった。わかりやすく言いましょう。あなたから見た俺の気持ちは「この世界での友達を失いたくない」くらいだった。だけど違ったんですよ。俺は心の中ではもっと強くあなたを想っていました」
「え……?」

 彼女は再び驚いたように目を丸くした。
 自分で言った言葉に、俺は包み隠さず、照れ笑いを彼女に見せた。

「……だけど態度には出さなかったから、あなたがそれをわからなかったことはしょうがないことなんです。あとこれは完全に俺の予想というか、今までの経験からなんですけど……」

 正直賢明な彼女ならばわかっていると思ったが、それでも俺はすべてを説明しようと思った。
 そうすることで、彼女の苦しみがなくなると思ったから。

「あなたが俺の本当の心を理解していたのなら、きっとあなたはこのゲームをやめるにしても、もっと別の切り出し方をしたはずです。……そう、友達の前から両者が納得のいく上で別れる、でなく、告白してきた相手をきっぱり振るという形で」

 それが彼女らしい選択だと思ったから、俺はそう言った。
 そしてなんの恥じらいもなく平然と告白している俺の姿に思考がついていけていないのか、目を丸くさせている彼女に、俺は言葉を続けた。
 彼女の頭の中がまだ整理できていない状態でなければ、こんなこと言えないだろうから。

「だからもしこの世界を去るというのならば、俺を思い切って振ってください。あなたはつらいかもしれませんが、すみません、それしか俺には納得できる別れ方っていうのがないんです。
でも最後にこれだけは言わせてください。
俺にとってあなたは必要な非日常なんかじゃない」

 そして、すべてを理解して驚きつつも頬を赤く染め、口に手を当てている彼女へと、思いの全てを凝縮した言葉を告げた。

「俺は、日常の中にあなたがいてほしいんです」






/////




 なんだかんだ言ってその時の自分を、俺は誇りに思っている。
 思い出すと顔から火が出るどころじゃないくらいに気障ったらしくて意味不明な告白だったけれど、今現在の状況を顧みれば正しい行動だったと胸を張って言える。
 なぜならあれから俺は―――

「おーい、追いてっちゃうよー」
「あ、すぐ行きますからちょっと待ってくださーい!」

 彼女が手を振って待ってくれている。その身を包む羽衣を風に揺らしながら。
 俺と一緒に歩いてくれるために、彼女は微笑を浮かべて待ってくれている。
 俺にとっては、それがどんなことよりもうれしい。
 この沈むことのない太陽のように、この世界は彼女にとって非日常から日常に変わった。
 だけど彼女はここにいる。この日常を受け入れてくれた。
 もう彼女は沈むことのない太陽に飽きることはない。
 だから俺は心の中で決めた。

 絶対、どんなことがあっても、俺はこの日常を自ら手放したりはしない。
 彼女がいる日常を、大切にしていこう、と。




~~あとがき~~

今回のは構成を考えずに勢いで書いた作品。
The worldというものの捉え方の違い。そしてそこからくる心のぶつかりを描きました。
ちょっとだけ詩的な語りを意識しました。

今回のは.hackをやっていなくても理解できるはず。
なのですが、ぶっちゃけ今まで書いた中で一番理解しづらいかもしれません。内容的に。

今までこれを合わせて8作書いていますが(フリーページ)、うち4作がなんと告白シーンがあります(愛の告白だけではないですけど。

告白は個人的に好きなんですよ。
普段は隠れている感情が表にでてきて感情がぶつかりあう。
感情のぶつかりあいというのは大好きです。それがプラスのものならば。

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