【亞】の玉手箱2

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5.仙人にも怖いものが~昔我が家に仙人

5.仙人にも怖いものがあった~少女時代の思い出「仙人」シリーズ



    奥さんには「姿を消す術」きかず
 (1983年名タイ寄稿)


仙人、と書いてきたが、名前はある。
本名は〇辺〇〇郎。
一時期、大仙瞑想と名乗っていたが、
名前を捨てて我が家の食客でいたころの
ニックネームは「0(ゼロ)ちゃん」である。


私が仙人と出会った当時、彼は40歳代であったはずだ。
顔つきは、古い話で恐縮するが「イエスの方舟」の
千石イエスに似ていたと記憶している。


ある日、「近々、東か西のリーダーが死ぬ」
と仙人が予言したが、あまり気にとめなかった。


しかし、三ヵ月後にケネディが本当に暗殺されて、
わたしや家族、学校の友人たち
(仙人は皆の人気者だった)も慄然としたものだ。


仙人が我が家を訪れたのは
「熊本の山奥で数理学を研究していたとき
 夢の中にこの家が出てきたから」
という理由(!?)だった。


そのまま、5年間も居候を決め込んだが、
居候させた父も父だ。
もちろん、母は信用せず反対したのだが、
途中からあきらめていた。


しかし、仙人にも怖いものがあった。
というより、いたと言うべきだろう。


あるとき、仙人の奥さんから
「名古屋に行く」との電報が届いた。
すると、仙人は大事にしていた尺八と硯(すずり)と、
細字1000字を書いた一粒の米粒だけ持って逐電した。


仙人といえども奥さんには頭が上がらなかったらしい。
姿を消す術もきかなかったということだ。


その後、何回か葉書が届いたが、
消印の郵便局名はどういうわけか、いつも消えていた。


          続く (2018年名タイ寄稿)


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大好きな平野遼の珠玉の逸品、水彩『歩く人』
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平成15年(2003年)に運命ともいうべき出逢いがあり、手に入れました。
我が家の玄関にいてくれる~❤
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