片栗の花

アラビアのロレンスを求めて

ツアー に明日、参加しました。

画像を削除しました。画像を見たい方は GOOのブログ を見てください。

モロッコは次のような国です。
 首都 ラバト 110万人、大都市カサブランカ 300万人
 人口2600万人の半数が20歳未満です。
 産業 リン鉱石が世界3位
 時差 日本より9時間遅れ 気候 11~21℃
 通貨 DH ディラハム= 100サンチーム CT
 お土産 銀製品、革製品、化石、岩塩、バラ製品

1日目
10時集合なので前日成田空港周辺のホテルに宿泊しました。
ホテルのバスで8時に空港へ、そこで集合時間まで待ちます。
朝こそ混雑しましたが、一段落すると閑散としました。

日本円7万円をドルに両替しました。係りの人が気を利かせて
1ドル紙幣を多くしてくれました。
東京からモロッコ最大都市のカサブランカまではエアーフランスで
行きます。パリにて乗換え時間が4時間もありあり1日かかりです。

東京⇒カサブランカ(モロッコ)
 東京        パリ     カサブランカ
12:05  0:30  4:05  7:10  日本時間
12:05 17:30 21:05 22:10  現地時間
     (12時間半)   (3時間)     所要時間

* カサブランカの時差は9時間。パリは時差7時間です。
  パリは4月から サマータイム で1時間時計を早めています 


* 飛行コースは新潟、シベリアをつき抜けロシア北部を通りストック
  ホルムを目指しそのあとパリを目指して旋回したように思いました。

* 行きは飛行機の高度は11582m。ストクホルムからは11887Kmを
  常に保っていました。 帰りは11255m 。11277mでした。
  成田~パリ間はいずれも9730Kmですが、高度が違うのは道路と
  同じように飛行航路が往復で上下に違っているのでしょう。
  (距離は往復で同じなので飛行コースは同じように思いました)

* 行きより帰りのほうが1時間速いのは偏西風の影響だと思います。
  飛行機の速度は行きは約800Km/h。帰りは820~930Km/h

* 上空の温度は約-60℃。帰りのほうが温度が高かった約ー50℃。

2日目
昨日の疲れも癒えぬままに観光バスで出発しました。
スタッフはドライバーとアシスタント、日本語を話すガイドのアラミさん。

1 首都ラバト

  王宮(国王が普段いる所で、国王が実質的な権力を持っている)
  モロッコの政治の中心で、王宮、議会、官庁、大使館等が集まる。


  モハメッド5世廟(国王の祖父)と ハッサンの塔

  モハメッド5世はマダガスカル島へ追放されたりもしたが、
  44年間フランスの保護領だったモロッコを1956.3.に独立させ、
  5年後に亡くなった。聖者マラブーとして崇められている。



  霊廟の屋根はピラミッド型で緑の花崗岩タイル。シマメノウの棺、
  床はポルトガル産の黒大理石。壁は石膏彫刻、
  イスラムの教えに法り遺体は棺の下に土葬されている。



  隣にあるモスクは未完成のままです。柱と未完の塔が残っている。
  1755年の地震により塔は1/3、周辺の壁などが崩壊しました。


2 メクネス  世界遺産指定の1200年の歴史をもつ古都
  首都として栄えたのは1996年から55年間のみ。
  ムーレイ・イスマイルは民俗混乱の世に安定した統一国家を築いた。
  周囲が25kmもある城壁を町の回りに巡らせ、門、貯水設備、王宮
  などを建設。「モロッコのヴェルサイユ」と呼ばれる。
  (イスラム教の最初の町で、最初に城壁を作り以後街のモデルになる)
  アトラス山脈を越えてサハラへ向かう出発点にあたる。
  町の周辺は農業地帯で小麦、野菜、オリーブ、葡萄などがとれる。
  ワイン工場があり、モロッコ各地に出荷する。



  この日はフェズに宿泊する。

3日目
世界文化遺産都市 フェズの市内観光をしました。



今日は国王の2歳の息子の割礼の儀式があり町は花火が
打ち上げられ、民族衣装での踊りがいたるところで繰り
広げられ、若者が車やバイクで騒ぎまわり夜遅くまで
多くの人々で賑わいました。酒が一切入らない?だけに
節度が保たれているように思いました。


1 カサ・ブランカ、ラバト、マラケシュに次ぐモロッコ第4の都市。
  「アフリカのアテネ」と呼ばれ、貿易で数百年もの間、繁栄を極めた。

2 フェズの旧市街メディナは1000年以上の歴史をもつ最も古い都
  9Cにイスラム教が流入して以来、信仰・文化の中心として
発展し続けた。モスク、イスラム神学校、大学などが建てられた。

3 世界一複雑な巨大迷路の町

  香料や野菜,果物などを売る店がずらりと並ぶ。
  唯一の輸送機間はロバ。

4 イベリア半島の高い教養や雰囲気を身に付けた人々が、
  住み着きイスラムの文化人で賑わい、職人工芸が発達した。
  モザイク、木彫、漆喰、陶器、織物、金銀真鍮、なめし革・染色

ブー・ジュルード門(ブルーゲート)最大の門 フェズ・エル・バリの表玄関。
   外側は青(フェズの色)、内側は緑(イスラムを象徴)の彩釉タイルの
   アラベスク模様を施す。



モロッコ人の一般家庭を訪問(ミント・ティー)



職人芸の見学(フェイズ焼き、真鍮細工、なめし皮染色)





4日目
今日はアトラス山脈(2178mのザード峠)を越え
サハラ砂漠の入り口の町エルフードまでバスで移動しました。
フランス人が作ったリゾート地イフラン(モロッコで
最も有名な別荘地帯)で化石の標本を手に入れました。



りんごの白い花が咲き、赤いけしの花ポッピーが
鮮やかな色をつけていました。
アトラス杉林、コルクの森‥‥
緑の町が少しずつ砂漠の風景に変っていきました。



ホテルに入る前に化石工場を見学しました。
見事なアンモナイトと直角石(オウムガイ)の化石です。
モロッコは化石と鉱物の宝庫です。



職人さんが丁寧に三葉虫の化石を掘り出しています。



5日目 西の砂漠の入り口の町 エルフード
  エルフードの手前のエルラシディアは人口18万の軍隊の町です。
  隣国アルジェリアとの関係は微妙なものがあるようです。砂漠の
  真ん中にも駐屯地がありました。どこも隣国との関係は難しい
ようです。ホテルの前に従業員のストライキ中のテント。
日本語で書かれていました。



早朝4時15分ホテル出発して4輪駆動車でサハラ砂漠の入り口
メルズーカ大砂丘へ。高台までラクダに乗り日の出を拝む。
日の出

帰りにベルベル人のテントに立ち寄りミント・ティーを飲む。



高さ200mの断崖絶壁が続くトドラ渓谷。
ヨーロッパからロッククライミングに来るそうだ。





(地下水路)
 道の両脇に土が盛り上がっていて、この真中には深い穴があいている。
 これは高アトラスかの地下水を引くために作られた人工の地下水路。
 粘土質の地質まで地面を掘り地下水路を作り水が流れる。



カスバ街道を通ってワルザザート着
エルフードからワルザザートまで1000ものカスバ(土の家が建っている。
部族間の争いが激しく、敵からの攻撃を避けるため山や丘の中腹に
要塞で囲まれた家カスバを築き、その中で暮らした。
外部からの熱を防ぐために壁は厚く、窓は小さい。
外気は42度を越えても中は18度くらいで涼しい。冬は暖かい。
現在はヨーロッパに出稼ぎに行き新しい家を作って住むようになった。

(映画の撮影スタディオ)
  アラビアのロレンス、ラビエータ、シェルタリング・スカイ
(バラの町)
  250Kgのバラから1lのエッセンス、25lのオイルが取れる。
  バラ水、バラ石鹸、バラクリーム
(アルガンオイル)  モロッコだけの木(オリーブに似ている)
  クッキー、サラダのドレッシング、化粧品

6日目 ワルザザート発     
【世界遺産】アイト・ベン・ハッドゥーの集落   
 日干しレンガの城壁 外は32度ですが、中は25度でした。
 先住民ベルベル人がアラブ人からの支配を逃れ移り住んだ
 カスバ化した村
 アラビアのロレンス、シェルタリング・スカイのロケ地です。



マラケシュまでの街道沿いの丘の斜面に一体化したかのように
日干しレンガで造られた家、家が並んでいました。



赤茶色の山肌が続きます。鉄分のせいでしょうか。街道沿いには
化石よりも色々な鉱物を多数置いてある店が並んでいました。
鉱物が産出されるのだと思います。
店に並んでいるものには着色したり、人工的に作った物もあるので
注意が必要です。私も石にだまされたのは初めてです。



マラケシュ着
郊外の大きなレストランでChez Ali で
モロッコ料理を食べた後、『ファンタジア』ショウを楽しむ。
ベルベルダンス、馬に乗ってのアクロバットなど

7日目 マラケシュ

標高450mの高原にあるオアシスとして発展してきたモロッコ第3の都会。
2番目に古い町。サハラ砂漠を旅する隊商が黄金や象牙をもたらし、
物資の集積地、商業都市として栄え、工業都市としても発達している。
モロッコの44%のオリーブオイルがここで生産される。
カサ・ブランカを白い町と呼んだのに対して、赤い日干し煉瓦の建物
が特徴のマラケシュは、赤い町と呼ばれる。
現在ではヨーロッパ人の避寒地として、フェズやラバトを凌ぐ繁栄を
保っている。ホテルのプールで泳いだり日光浴をしているヨーロッパ人
が多数いました。パリから3時間ですから気軽に来れるのでしょう。



クトゥビア・モスク(本屋のモスクの意味)
  大学、図書館、コーラン学校が兼ねられ、モスクの周りに本屋がある。
クトゥビア塔 サハラ砂漠に向かって建つ見張りを伴う。高さ77m、



サアード王朝大廟墓群サアード王朝の御廟所。16世紀



エル・バヒヤ宮殿(輝く宮殿)
19C末アラウィー朝の大宰相ムーレイ・ハッサンの片腕バ・アフメドの邸宅
スペイン・アンダルシア出身の建築家とフェズの工人1000人が7年
かけて完成させた。庭にはオレンジ、ジャスミン、ゼラニウムが。
壁面に彩釉タイル、天井に彩色細密画を描いた愛妾用個室。
大理石を敷きゼッリージュを張り、水盤を配した大広場。
4人の妃と24人の側女のための中庭。
フランスの保護領時代、初代総督リヨテ将軍がここに住んだ。




「お祭り広場」ジャマ・エル・フナ広場
 アラビア語で「死人の集会」見せしめのために公開で処刑した場所。
 南モロッコの農民と商人が集まるマラケシュの中心。
 日中は大道芸人を、夕方からは屋台を目当てに大勢の人が集まる。
 蛇使い、曲芸師、講釈師、歌い手、占い師など。



8日目 カサ・ブランカ
マラケシュから車で4時間かけて出発地点のカサブランカへ
戻ってきました。

カサ・ブランカはモロッコ最大の都会。
モロッコ産業の半分の建物・工場はカサ・ブランカにある。
近代的な銀行・商社・運輸企業などの建物があり経済の中心。
大型客船・貨物船が出入りするアフリカで最大の貿易港。
モロッコ経済を支えるリン鉱石の輸出港としても重要。
ポルトガル人がこの地をカサ・ブランカ(白い家)と名付けた。
100年前、人口1万人の町を現在の姿に変えたのはフランス人。
第2次大戦時アメリカに亡命するヨーロッパ人のビザ取得と中継地。
ナチスに抵抗するフランスのレジスタンス活動の本拠地もあった。

ハッサン2世大モスク
 「アメリカの「自由の女神」のごとく、北アフリカの象徴とする」
  と国王が宣言し、1986に建設し、13年後の1993.8完成
  モロッコ最大のモスクで、高さは200mで世界一。
  礼拝堂は2万5000人の信者を収容、広場には8万人集まれる。
  図書館、博物館、5千人収容の女性用礼拝室が隣接。



国連広場:1920年に造られた。現在は官庁街。


ノートルダム・ド・ルールド教会
  モロッコでは珍しいキリスト教教会。1950年代半ば。
  800のステンドグラスは、名匠ガブリエル・ロワールの作品。
  教会前にいた102歳のおじいさん。




9日目 カサブランカ~パリ~成田着

朝3時半起床。エアーフランスは荷物の重量チェックが厳しいという
ことでしたがホテルに体重計があったのでそれで確認することが
出来ました。ホテルからの朝食を持って4時15分空港へ向いました。
出国手続きも順調にすみ、少し余裕がありました。
パリでの待ち時間も少なく、予定どうりに翌朝成田に8時到着しました。

パリ~成田間 9730Km
飛行機の高度 11255メートル、11277メートル
気温       -50℃   (成田では15℃)
飛行機の速さ 820~930Km/h

* 帰りは行きのときより高度が300~500Km低い。
  (距離は往復で同じなので飛行コースは同じように思いました)
* 行きより帰りのほうが1時間早いのは偏西風の影響だと思います。

カサブランカ(モロッコ)⇒東京
カサブランカ      パリ       東京
16:15   19:20 20:30  8:00 日本時間
 7:15   12:20 13:30  8:00 現地時間
    (3時間)       (11時間半)   所要時間

*カサブランカ時差9時間、パリ7時間の時差。

パリ空港での機内持ち込み荷物のチェックで私の持っていた玉子型
の鉱石が、たぶん爆弾にでも見えたのかリックサックを開けさせられ、
航空券までチェックされてしまいました。



© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: