そのJさんがなかなか現れない。見える限り道は混んでいるようでもないため、それ以外の理由としか思えなかった。……寝坊だな。←決めつける(笑)
ホテルを出発してまもなく、変わった形の橋が見えてきた。こういった橋も万博開催に合わせて作られたものだそうだ。
そんな歴史的な黄金の塔なのに、なんと1枚も写真に収めていない。その横に咲き誇っていたジャカランダという紫色の綺麗な花の撮影に励んでいたのだ。光の加減でなかなかうまく色が出ず、何度も挑戦していたのが災いした。
5つの身廊を持ち、大きな翼廊には製作に80年を費やしたという全面にキリストと聖母マリアの生涯の45場面が刻まれた高さ20m、幅13mの世界最大の金色の木製祭壇衝立を有し、精霊の降臨を表すステンドグラスが輝く『中央礼拝堂』、祭壇にセビリアの守護聖母が祭られイスラム支配からセビリアを奪還した英雄フェルナンド王やその息子で賢王といわれたアルフォンソ10世、スペイン中世期の王たちの遺体が安置されている『王室礼拝堂』、7000本ものパイプを持つ18世紀バロック様式のパイプオルガンがある『聖職者席』、16世紀ルネッサンス様式の卵形をした『参議会室』など、内部はまるで絵画や彫刻の美術館のような絢爛豪華さで、セビリアを訪れたなら必見の場所。
あれこれと説明を聞いていた場所は、『アルカサル』の入口『ライオンの門』の真ん前。アルカサルはスペイン語で“王宮”を意味する。このアルカサルはスペインで2番目に古い王宮だそうだ。
『ヒラルダの塔』はイスラム寺院だった頃の12世紀末(1198年)に完成したミナレットだった。セビリアのシンボルであるこの塔はイタリカのローマ遺跡から運ばれた石で土台が造られ、その上にレンガを使って造られていた。約400年の間にキリスト教徒によって上部に装飾が付け足されたが、アラベスク模様の壁面や基本の形はすべてそのまま残されている。70mだったミナレットは1400年に頂きの部分だけを変えて十字架が掲げられ、1568年にも上部だけを改築して装飾され高さが28m伸ばされたのだ。頂きには十字架に変わってブロンズの女性像が乗せられ、これが風を受けて回転する様子から“風見”という意味のヒラルディヨと呼ばれるようになり、それからヒラルダの塔という名で定着した。
ヒラルダの塔の説明が終わってからさらにその塔に近づき、セビリアの守護聖母の名がつけられている『ビルヘン・デ・ロス・レイェス広場』で立ち止まった。この広場の中央には街灯の役目も果たしている噴水があり、ヒラルダの塔がまさに広場から伸びている感じでそびえている。そしてセビリア・バロック建築の特色である深い赤とベージュ色の壁を持つ18世紀建造の司教館が、広場をまるで庭のようにして堂々と建っていた。
花盛りの季節のサンタ・クルス街は、街の散策を始めた最初の路地からして見事な美しさだった。特に説明する場所もないのに何人かの希望に応じてガイドさんに止まってもらい、その場で予定外の撮影大会になったほどだった。
店内に入ると温度計や壁掛けに絵皿やティーカップなどの黄色と青が基調の陶器や闘牛士と牛の人形、さらに何度も見かけた牛の看板の置物もあり、闘牛士っぽく衣装を着せかけたアルコールのミニボトルまであった。
そこからまた小路を通り抜け、花のアーケードの下をくぐったり根が宙に浮いた感じのインパクトのある大木や満開にオレンジの花が咲く庭園を抜けて大通りへと出、そこに待っていたバスに乗り込む。
この『スペイン広場』は、1929年に開催されたイベロ・アメリカ博覧会の会場として建築家アニバル・ゴンザレスの設計により建造された。オルレアン公女マリア・ルイサがサン・テルモ宮殿の一部を市に贈与して造られた市内最大のマリア・ルイサ公園の一角にあり、彫刻されたレンガと絵タイルが用いられ両端に塔の建つ200mの半円形の建物で、それに沿うように池が配置されている。建物の壁には池に面してスペイン各地の地図や歴史がタイルに描かれた58のベンチが並び、池には陶器製の手すりや欄干を持つ4つの橋が架けられていて、それぞれカスティーリャ、アラゴン、レオン、ナバラの4つの王国を表している。この建物は現在、政府関係機関の事務所として使用されているそうだ。