つまり、サラマンカでは現地ガイドさんがつかないのだ。( ̄- ̄;)うむむ…
そんなに狭くて低いトンネル、このバスが通れるのか!?(・_・;)ハラハラ…
サラマンカのマヨール(中央)広場は数ある広場の中でもスペイン一美しいと賞されている広場である。王位継承戦争の際に忠誠を尽くしたサラマンカに報いるため1729~1755年にかけてフェリペ5世の命で建造され、アルベルト&ニコラス・チュリゲラ兄弟の設計により調和の取れたチュリゲラ・バロック様式の回廊で囲まれた広場が完成した。88のアーチから成る回廊の柱にはコロンブスやセルバンテス、現在のスペイン国王フアン・カルロスを始め歴代国王の肖像などが刻まれ、北側の正面にはアルベルト・ガルシア・デ・キニョネスにより建築された時計台のある市庁舎がある。かつて祭りや闘牛、宗教裁判などで、サラマンカ市民が一堂にこの広場に会したという。
イエズス会とドミニコ会には後のイエズス会の創始者である聖イグナシウス・デ・ロヨラがサラマンカへ勉学に訪れた際ドミニコ会が20日間にわたって監獄に繋いだことがあることから確執があり、サラマンカでイエズス会の勢力が大きくなり始めるとかつて創始者がこの地で受けた屈辱を晴らすためイエズス会の教会を建てることになり、サラマンカの中心に広大な敷地を買い占めてクレレシアが建造され、イエズス会の権力の象徴となった。が、1767年には勢力を誇ったそのイエズス会が失脚してスペイン追放という事態に陥り、その当時はまだ未完だった。アイルランド人による神学校などに分割されて建設が続けられ、着工から100年以上の歳月を経てどうにか完成までこぎつける。
見学したのは、クレレシア教会の部分のみ。内部はいくつかの祭壇があり、主祭壇はフアン・フェルナンデスによるゴシック様式の作品である。
3人だけになってクレレシア教会を出てさらに通りを下ると、アナヤ広場の向こうにカテドラルが見えた。
十字架のキリストを始め、その両端の聖ペテロと聖パウロ、その下のキリスト降誕の浮彫など、その細やかさに圧倒される。
幾重ものアーチが織り成す高い天井を支える並木のような円柱の周廊を進むと信者席の並ぶ場所があり、ちょうどその上部がネオ・ゴシック様式のドームになっていた。席に座ってデジカメを上に向け、さっそくドームを撮る。何枚かみきちゃんも撮っていたが時間短縮のためドームは「頼むわ」と私に任せ、他を撮影するために移動していった。
せっかく撮影可能なのにステンドグラスがほんの少しかないのはちょっと残念だが、チュリゲラ兄弟によるパイプオルガンや聖職者席などは見事。でも金の施された綺麗な柵に阻まれ、近くには寄れなかった。


関東組はバスだってゆったりで快適なのに、料理までも差があったとはっ。まさか今回だけじゃなく、今までも……?
ドーナツ状のスモークサーモンの映像が頭に渦巻く中レストランを出発し(笑)、1時間20分ほどでバスが停まった。到着したのは『アビラ』。……の見える、『クアトロ・ポステス(四本柱展望台)』。( ー_ー)フッ
聖女テレサ(サンタ・テレサ・デ・ヘスス)は最も偉大な聖人の1人で、1515年にこのアビラで生まれた。宗教的な苦難を探し求めてわずか7歳のときに家出を試みたが連れ戻され、19歳で修道院での修行を始めて47歳のときにカルメル会をより戒律の厳しくして改革し、新しく『裸足のカルメル会』を起こす。裸足のカルメル会は基本的に修道院内だけで生活し祈りと観想中心の生活を送る観想修道会で、底冷えする厳しい寒さのアビラでも裸足で過ごした。苦難を課すことでイエス・キリストの魂に近づこうとしたのだ。
私たちがクアトロ・ポステスにいる間に、花婿さんと花嫁さんがカメラマンを従えてやってきた。この時期は結婚式が多いようだ。なんといってもこの旅行中に見た3組目のカップルである。
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