月の旅人

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学問都市サラマンカと石と聖者の町アビラ

学問都市サラマンカと石と聖者の町アビラ




6時半にモーニングコールが鳴り、もぞもぞと置き出して、7時少し前に窓の向こうで朝陽が顔を出した。
いいお天気になることを期待しつつ用意を済ませ、朝食へ向かう。シリアルとベーコンエッグで少なめに済ませ、また1人でホテル前に出てバスが開くのを待った。
8時にホテルを出発しトイレ休憩を取った後、添乗員さんがこれから観光する『サラマンカ』と、その次の『アビラ』、『セゴビア』、そして宿泊地『マドリード』までの道のりを記した地図を車内に回してくれた。次いで『サラマンカ旧市街』の地図も観光ポイントをペンで記入して回してくれる。
サラマンカ旧市街つまり、サラマンカでは現地ガイドさんがつかないのだ。( ̄- ̄;)うむむ…

トルメス川の畔に広がる人口約16万人のサラマンカは、『学問の都市』と呼ばれている。その呼称のとおり、1218年にアルフォンソ9世によって創立されたスペイン最古のサラマンカ大学を中心に、学問と文化の町として栄えてきた。サラマンカ大学は、ローマ法王にボローニャとパリの大学に次いで3番目に大学として認められた。1255年のことである。その歴史は21世紀になった現在も続き、活気溢れる学生の町として名を馳せている。各国からスペイン語やスペイン文化を学びに留学生が訪れ、近年では日本人の留学生も増えているらしい。
サラマンカはポルトガルと隣接するサラマンカ県の中心都市で、紀元前217年に古代ローマ人によって作られた町から始まったと言われている。西ゴート族やモーロ人に支配を受けながら銀の道の中継地として様々な文化や美術様式を吸収し栄えてきた。その多くの芸術文化遺産によって、1988年、サラマンカ旧市街は世界遺産に登録された。さらに2002年にはヨーロッパ文化都市にも指定され、スペインが有する世界人類遺産の10の町のうちの1つとなっていて、夕陽を浴びると石材の酸化鉄の具合で歴史的建造物の数々が黄金色に輝くことから『黄金都市』とも呼ばれている。


そんなサラマンカに入ったのは11時を過ぎた頃。
アドベンチャー・トンネル(笑)そんなに狭くて低いトンネル、このバスが通れるのか!?(・_・;)ハラハラ…
と思うような石造りのトンネルをじりじりと進んで無事に通過し、思わず車内からJさんに拍手が巻き起こったその10分ほど後、『マヨール広場』にバスを横付けする。当初そこから徒歩で見学してローマ橋で集合の予定だったが、再びマヨール広場での集合に変更された。来た道を折り返さなくてはならないなんて、その分時間がもったいない気がしたが仕方ない。さっそく降り立ち、マヨール広場に入る。
マヨール広場サラマンカのマヨール(中央)広場は数ある広場の中でもスペイン一美しいと賞されている広場である。王位継承戦争の際に忠誠を尽くしたサラマンカに報いるため1729~1755年にかけてフェリペ5世の命で建造され、アルベルト&ニコラス・チュリゲラ兄弟の設計により調和の取れたチュリゲラ・バロック様式の回廊で囲まれた広場が完成した。88のアーチから成る回廊の柱にはコロンブスやセルバンテス、現在のスペイン国王フアン・カルロスを始め歴代国王の肖像などが刻まれ、北側の正面にはアルベルト・ガルシア・デ・キニョネスにより建築された時計台のある市庁舎がある。かつて祭りや闘牛、宗教裁判などで、サラマンカ市民が一堂にこの広場に会したという。
サラマンカ市民は「マヨール広場の時計の下で」というのが、待ち合わせ場所のお約束となっているそうだ。
貝の家

添乗員さんの先導について観光客で賑わっているマヨール通りを下ると、左手にサラマンカの民間建築を代表する建物『貝の家』があった。
一風変わったその名がついたのは、写真を見てわかるとおり壁面を埋め尽くすホタテ貝の装飾のため。その数は実に約400個にもなるという。この家は15世紀後半にサンチアゴ騎士団の1人であったロドリコ・アリアスによって建てられた邸宅で、ゴシック様式とルネッサンス様式、ムデハル様式が混在するイサベル様式の典型的な建築の1つである。
家の窓はどれも装飾が異なり、繊細な装飾を施した鉄格子に覆われた窓から木戸も何もない窓まで様々だ。
この貝の家は現在、公共の図書館や文化サロン、観光案内所として使用されている。
邸内は見学できるのか人が大勢出入りしていたが、添乗員さんが入っていったのは貝の家ではなく、その向かいに建つ『クレレシア』だった。

クレレシアは7000平方mの敷地を誇り、現在は『ポンティフィシア大学』本部と『クレレシア教会』から成っている。バロック様式の傑作とされる建物で、サラマンカの歴史上最も影響力を持ったイエズス会の教会であり、1617年にフェリペ3世夫人の多大な援助を元にそれまであった数々の住居やドミニコ会の教会を取り壊して着工された。
クレレシア教会イエズス会とドミニコ会には後のイエズス会の創始者である聖イグナシウス・デ・ロヨラがサラマンカへ勉学に訪れた際ドミニコ会が20日間にわたって監獄に繋いだことがあることから確執があり、サラマンカでイエズス会の勢力が大きくなり始めるとかつて創始者がこの地で受けた屈辱を晴らすためイエズス会の教会を建てることになり、サラマンカの中心に広大な敷地を買い占めてクレレシアが建造され、イエズス会の権力の象徴となった。が、1767年には勢力を誇ったそのイエズス会が失脚してスペイン追放という事態に陥り、その当時はまだ未完だった。アイルランド人による神学校などに分割されて建設が続けられ、着工から100年以上の歳月を経てどうにか完成までこぎつける。
このクレレシアの平面図は、何かの形を形成することが当時の流行だったため精霊の象徴である鳩を形作っている。
十字架のイエス・キリスト見学したのは、クレレシア教会の部分のみ。内部はいくつかの祭壇があり、主祭壇はフアン・フェルナンデスによるゴシック様式の作品である。
でも私がクレレシア教会でいちばん印象に残っているのは、スポットライトに浮かび上がった十字架のイエス・キリスト像だった。やけにリアルで痛々しく、けれど美しい、そんな像だ。


サラマンカ旧市街の散策は現地ガイドさんがおらず説明があるわけではなかったため別に添乗員さんについて行く必要はないと言われていたが、このクレレシア教会で早くも一行と離れてしまった。その見学の早さといったらただ事ではなかったのだ。……いや、他の人がついていったことを思えば、私たちが遅いだけ?(;^_^A
新カテドラルの部分3人だけになってクレレシア教会を出てさらに通りを下ると、アナヤ広場の向こうにカテドラルが見えた。
このカテドラルは12世紀建造の旧カテドラルと16世紀建造の新カテドラルがほぼ1つの建物として存在し、ロマネスク様式の旧カテドラルはスペインで最も調和の取れた美しい塔とされる『雄鶏の塔』を持ち、1445年にイタリア人画家ニコラス・フロレンティーノにより描かれたレターブル(祭壇の装飾衝立)は聖家族の生涯、聖母マリアの出生から戴冠までを描いた53区画から構成され、当時の建築や衣装を現代に伝えている。
私たちが見学したのは、1513~1560年にかけて建造され18世紀の1733年まで増築が成されてきた、ゴシック様式、ルネッサンス様式、バロック様式が混在する新カテドラルだ。基本は後期ゴシック様式で、セビリアのカテドラルが“ゴシック最後の溜め息”とされるのに対し、こちらは“ゴシック最後のあがき”といわれているらしい。あがきって……。( ̄▽ ̄;)
添乗員さんからカテドラルの見学は有料だと聞いていたため入るのを迷いつつ、とりあえず正面に回ってみる。そしてそのファサードの見事な浮彫に驚愕した。Σ( ̄□ ̄*)お~っ!!
ファサードの浮彫十字架のキリストを始め、その両端の聖ペテロと聖パウロ、その下のキリスト降誕の浮彫など、その細やかさに圧倒される。
思いの向くままに何枚もシャッターを切っていると、そこへ高槻のKさん夫妻が通りかかった。私たちと同じく、一行と別行動のようだ。←自分たちははぐれただけであることは棚上げ(笑)
私たちは知らなかったのだが、実は新カテドラルのどれかの入口の左の装飾には宇宙服を着た宇宙飛行士の姿が刻まれているらしい。さらに、アイスクリームをなめているライオンもいるそうだ。1985年から行われた修復作業中の1992年に加えられたものだとか。石質がもろくもとの装飾がわからなくなり、主任建築家が独断で彫ったもの。ファサードは人類の歴史を現すものであって、20世紀の人類の歴史を現すのが自分の使命だ、というのが理由である。当時はもちろん大騒ぎになったようだが、現在も宇宙飛行士とアイスクリームをなめるライオンの姿がニタッと笑っているのだ。
知っていたら絶対見つけてズームで撮ったのにっ。おもしろネタを1つ逃してしまった。/(>_<)\ああっ… (笑)

それほどじっくり見学できる時間があるわけでもないため、もし有料だったら出ればいいやってことで、思い切って中には入ってみた。ところが、どこにも入場料を支払うような場所はなく「じゃあ、いいんやんな?」とそそくさと奥に進む。
実は、有料なのは新カテドラルの正面入口のすぐ右側に入口がある旧カテドラルだけで、新カテドラルは無料だったのだ。( ̄。 ̄;)な~んだ…
ドーム天井幾重ものアーチが織り成す高い天井を支える並木のような円柱の周廊を進むと信者席の並ぶ場所があり、ちょうどその上部がネオ・ゴシック様式のドームになっていた。席に座ってデジカメを上に向け、さっそくドームを撮る。何枚かみきちゃんも撮っていたが時間短縮のためドームは「頼むわ」と私に任せ、他を撮影するために移動していった。
任されたからにはいい写真を撮ろうと奮闘していると、そんな私の肩をとんと叩いて声をかけてきた小柄で細身のおじさんがいた。たぶんスペイン語で何やら言いながら、私が座っている席の少し前で人が囲んでいる場所とドームを交互に指し示す。そこのほうが見やすいよ、と言ってくれているのかと思い「グラシアス」ととりあえずにっこり笑いながら立ち去るおじさんにスペイン語でお礼を言い、席を立って前に行ってみる。そこで、おじさんの言っていた意味がようやくわかった。ちょうどドームが綺麗に映る位置に鏡の台が設置されていたのだ。何人かの人が囲んでいたのは、その鏡の台だった。
そっか、これを教えてくれてはったんかぁ。ええ人やなぁ。( ̄▽ ̄*)♪
さっそくデジカメをその鏡に向けて写してみる。うまい具合に、デジカメも映らずにドームだけを写せた。いくつもドームのある教会やカテドラルを見てきたけど、親切にこんな仕掛けをしてくれている所は初めてだ。
さっきのおじさんといい、この鏡の台といい、なんて親切♪(*^^*)
パイプオルガンせっかく撮影可能なのにステンドグラスがほんの少しかないのはちょっと残念だが、チュリゲラ兄弟によるパイプオルガンや聖職者席などは見事。でも金の施された綺麗な柵に阻まれ、近くには寄れなかった。

ドームの撮影を終えて周廊を再び時計回りに回ろうと歩き出したとき、突き当たりの少し奥まった祭壇に短い列ができているのを見つけ、何だろうと思って私も並んでみる。
その祭壇にあったのは、ミイラ化した肘から先の腕だった。ちょっとビックリ。Σ( ̄- ̄;)!! 小さなガラスの棺に入れられていたが、誰かの聖体だろうか。
ちょうどその祭壇のある礼拝室から出てきたとき、みきちゃんが前を通りかかった。腕のミイラのことを話すと「うん、見た」と返ってきた。Nさんもやってきたため同じように話すと、彼女はまだだったようでさっそく見に行く。
何を隠そう(隠してないけど)、Nさんはホラー好き。ホラー映画もよく見ているようだが、「あれは怖かった!」という言葉は聞いたことがない。「おもしろくない」か「しょぼい」というコメントが多く、いったいどんなホラーなら怖いんだろう……と、ホラー映画は絶対見ない大嫌い派の私には大いに謎である。……おっと、話が逸れた。
戻ってきたNさんと3人でさらに周廊を回り込むと、Nさんが怒ったように言った。「もう戻らな時間ないで」と。
時計を見ると12時10分になろうかならないかという時刻。「なんで? 30分までやしまだ時間あるで」と答えたのは私。なんと、私は集合時間を30分だと思い、Nさんは20分だと思っていたのだ。どっちだ……とみきちゃんに訊いてみると、「聞いてない……」と言う。……どっちが本当かわからない。そんなわけで、もし20分だったらいけないからとマヨール広場に戻ることにした。戻ってみてもし30分だったらその辺りをうろうろしよう、と。

結果、Nさんが正しかった。
時間ぴったりにマヨール広場に到着したが誰もいないため、やっぱり30分だったのか……? と思ってマヨール広場の写真を撮り始めたそのとき、バスが待っている方角の入口から添乗員さんが駆けてきて私たちを手招きした。まだ誰も戻ってきていないのではなく、すでにバスに乗り込んだあとだったのだ。/(>_<∥)\あちゃ~っ
大急ぎで駆け出し、出入口のまん前に停まっていたバスに乗り込む。ドライバー席から立ち上がったJさんが笑いながら拳骨を振り上げる中「ごめんなさいっ」と謝り、恐縮しきって座席に戻る。ほぅ……と溜め息をついたとき、隣に座ったみきちゃんが言った。「1分遅れやったわ」と。そうか、1分かε=(-。-;)ほっ、とちょっと申し訳ない気分が軽くなった気はしたが、時間にはもう他の人はみんなバスに乗り込んでいたわけで、遅刻には変わらずなんだか複雑な気分だった。もし30分に戻ってきていたらいったいどうなったことか……恐ろしや。
アマポーラの赤い絨毯ローマ橋
バスが走り出して5分もしないうちに、トルメス川にかかるローマ橋が見えた。そのすぐ後にはアマポーラが咲き誇る花畑が見え、その鮮烈な赤が目に焼きつく。
しばらく川沿いに走ってカテドラルが見えたが、サラマンカの観光はたくさんの見所を見逃した感じがした。歩行者専用とはいえ現役のローマ橋もさることながら、サラマンカ大学も見ていない。一面装飾で埋め尽くされているというそのファサードの一角に彫られている“幸運のカエル”を、ちょっと見てみたかった。他に、添乗員さんが地図に丸印をつけくれていた『サン・エステバン修道院』はも。
街そのものが世界遺産に指定されているサマランカで1時間の散策というのは、やっぱり無理がある。事前にガイドさんがつかず自分たちで見ることを知っていればちゃんと計画を立ててもっと効率よく見たのになぁとも思うけど、これは言っても仕方がないことかな。┐( ̄- ̄;)┌


レストランはサラマンカ旧市街から10分ほどしか離れていない場所にあった。ここで、ちょっと衝撃の事実に出くわすことになる。
少し塩辛いもののなかなかに美味なスープに満足し、次いでメイン料理が運ばれてきたときのこと。
珍しく同じレストランで食事をすることになった関東からの一行と、料理が違ったのだ。関東組にはドーナツ状に何かをスモークサーモンで包んだ見るからにおいしそうな、それでいてちょっとリッチな感じの料理が運ばれていったため、私たちも同じものが出てくることを疑わず期待して待っていたら、なんと前夜とまったく同じ料理。Σ( ̄□ ̄∥)!? ひどくガッカリした。こっちは肉続きなうえ変わり映えのしないメニューなのに、なぜ同じツアーでこんなに料理が違うのかとショックを受ける。料理の恨みは怖いのだ。←大袈裟(笑)
昨日と同じメニュー!?スープ関東組はバスだってゆったりで快適なのに、料理までも差があったとはっ。まさか今回だけじゃなく、今までも……?
話をしないのかとっても静かな関東組だったが、この後の日程も同じなんだからそっちに参加させてほしいかも……とチラリと思った。グルメを取るか、楽しい会話を取るか、それが問題だ。 ←いやいや、それ以前の問題(笑)


クアトロ・ポステスドーナツ状のスモークサーモンの映像が頭に渦巻く中レストランを出発し(笑)、1時間20分ほどでバスが停まった。到着したのは『アビラ』。……の見える、『クアトロ・ポステス(四本柱展望台)』。( ー_ー)フッ
アビラの観光は、なんとここから眺めるだけなのだ。虚しい……。(ーー;)
関東組はなぜかアビラの観光は飛ばすとドライバーさんが言い張り添乗員さんとケンカしたらしいが、結局は立ち寄ることにしたのかバスが展望台に停まっていた。ちょうど入れ違いになるようにバスを降り、クアトロ・ポステスの傍へ行く。
このクアトロ・ポステスのある高台は、かつてエルミータ(小聖堂)があったといわれている場所である。
『石と聖者の町』と称される人口約4万7000人のアビラは標高1311mの高地にあり、県庁所在地としてはスペイン国内で最も高所にある。アビラの特徴はなんといっても、旧市街を囲んでいる“頑丈な箱”ともいわれる城壁だ。1090~1099年にかけて建造され、全周2500m、幅平均3m、高さ平均12mで、6つの大門と3つの小門からなる9つの城門を持ち、88の防衛塔と約2500もの銃眼付胸壁でできた城壁は約900m×450mのほぼ長方形になっている。中世の城壁がこれほど美しく完全な形で残っているのはヨーロッパでも珍しいとされ、中世要塞の見本となっている。
ローマ時代にはアゥエラと呼ばれていたこの町は、カスティーリャ王アルフォンソ6世の娘婿ラモン・デ・ボルゴーニャがレコンキスタを成し遂げた11世紀にイスラムの再侵入を防ぐ要塞とするために城壁を造ったことによりできあがった。城壁は、キリスト教徒たちのレコンキスタの象徴でもあるのだ。

石と聖者の町といわれるようになったのは、中世の石積みの家がたくさん残されていることと、聖ビセンテや聖女テレサなどの聖人たちゆかりの地であるためだ。
聖ビセンテは、ローマ帝国時代の4世紀始めにクリステタとサビーナという妹たちと3人で聖ヤコブの聖体の一部が保存されているという先祖伝来の銀の聖櫃を守り、礼拝していた人物である。
ところがある日聖体は盗品だというぬれぎぬを着せられたうえ財産を没収され斬首の刑に処せられてしまう。だが、城壁外に放置された3人の遺体はまったく腐敗せず、野犬から守るように現れた1匹の大蛇が「この場所に聖堂を建ててビセンテ兄妹を祀れ」と言い残して消えてしまった。その言葉どおり建てられた『サン・ビセンテ教会』が、北の城門の外にある。ただし現在の教会は12世紀にロマネスク様式で再建されたもの。
アビラの眺望聖女テレサ(サンタ・テレサ・デ・ヘスス)は最も偉大な聖人の1人で、1515年にこのアビラで生まれた。宗教的な苦難を探し求めてわずか7歳のときに家出を試みたが連れ戻され、19歳で修道院での修行を始めて47歳のときにカルメル会をより戒律の厳しくして改革し、新しく『裸足のカルメル会』を起こす。裸足のカルメル会は基本的に修道院内だけで生活し祈りと観想中心の生活を送る観想修道会で、底冷えする厳しい寒さのアビラでも裸足で過ごした。苦難を課すことでイエス・キリストの魂に近づこうとしたのだ。
その後スペイン全国を巡礼して各地に修道院を作り、サラマンカの郊外で67歳で亡くなった。その生涯で宗教に関する書物を多く著している。
1622年に聖人の列席され、1970年には教会博士に認定された聖女テレサ。その名がついた食べ物もあり、卵の黄身入り砂糖菓子イエマス・デ・サンタ・テレサはアビラの名物菓子である。
聖女テレサの生まれた家の跡地は現在、サンタ・テレサ修道院となっている。

中世の街並みをそのままに残している旧市街や城壁外にある多くの歴史的建造物により、全長2500mの城壁に囲まれた難攻不落の要塞都市アビラは1985年に世界遺産に登録された。


結婚の誓い私たちがクアトロ・ポステスにいる間に、花婿さんと花嫁さんがカメラマンを従えてやってきた。この時期は結婚式が多いようだ。なんといってもこの旅行中に見た3組目のカップルである。
十字架の台の両端に跪き誓いの儀式らしきものをしていたが、アビラではよく見られる光景なのか2人の希望なのか、それともカメラマンの注文なのかはわからない。
私たち一行がアビラを眺め花婿さんと花嫁さんの写真を撮りまくっている間に、Jさんはすぐ傍のスタンドでガソリンの補給をしていた。眺め終えてスタンドのほうへ移動したが、よほど空に近かったのかなかなか満タンにならないようで、その間にみきちゃんとNさんは再びアビラの撮影に挑戦し、最大限に望遠にして城壁の細部を写していた。
ガソリン補給のため以外に長く25分ほどの滞在となり、クアトロ・ポステスを出発する。
その2、3分後、アビラの城壁沿いの道を走り、綺麗に積み上げられた城壁の石を眺めながら通過した。展望台から眺めるだけかと思ったから、傍を通って驚いた。それならせめて、ここでもバスを停めてほしかったな。
アビラ観光を楽しみにしていたという金沢のHさんも、とても残念そうだった。
車窓越しに城壁を眺め、バスは次の目的地セゴビアへ。



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