朝食後は出発まで少しだけできた時間の余裕を利用して、サンチアゴ・ベルナベス・スタジアムまで行ってみた。そこでベッカムに……会えなかった。代わりに全てが銀色のメタリックなベッカムがボールを今にも蹴ろうとしている姿のポスターを何枚も見かけ、Nさんがカメラに収める。少しだけスタジアム入りするベッカムに会えるかと期待もしてみたが、9時ではまだ早過ぎるのか閑散としていた。
プラド美術館は、1785年にカルロス3世の命により自然科学博物館として建築家フアン・デ・ビヤヌエバ設計で建てられたネオ・クラシック様式の建物である。だが途中フランスとの戦争によって建設工事が中断してナポレオン軍の宿舎兼火薬庫とされたり、独立戦争によってさらに建設が頓挫し、フェルナンド7世の時代にようやく工事が再開され、1819年に王立美術館として開館した。
とにかくまずは見るべきものをとにかく見てしまおうと急いで進むと、人だかりのできている絵画があった。何だろうと覗き込むと、まず最初に館内図に紹介されているボッシュの『快楽の園』だった。当時まだフランドルと呼ばれていたオランダの宗教画家ヒエロニムス・ボッシュの代表作で、とにかく写真を撮っておこうと思うものの人の頭を避けながらの撮影だったため、ただでさえ暗いのに腕を伸ばした不安定な状態でかなりブレてしまった。
プラド美術館の展示室はよく変更されるようだが、この『快楽の園』からしてすでにもらった館内図に示された場所と異なっていた。なんたってプラド美術館内の案内パンフレットすらあてにならないのだ。時間のないツアー観光客にとってはちょっと困りものである。
そしてすぐさま移動を開始し、1548年に制作されたティツィアーノの『ヴィーナスとオルガン奏者』2種類を見、その少し奥に2つ目の「これは見逃すな名画」であるエル・グレコの『胸に手を置く騎士』を見つける。ここは『エル・グレコの部屋』と呼ばれ、他にもグレコの名画が集められていた。
『聖三位一体』は父なる神と精霊である鳩、受難後のキリストが同一に神格であることが表現されている。キリストの姿がどこかミケランジェロの『ピエタ』に似ているのは、きっとローマで学んだときにサン・ピエトロ寺院で見たんだろう。

かつて王の私室に飾られていたという『ラス・メニーナス』は、世界三大名画の1つと謳われている名画中の名画である。スペインが誇る20世紀絵画の巨匠ピカソもこの絵にインスピレーションを受けて40枚以上の連作を残し、他にもモネやダリなど多くの画家が同じくインスピレーションを得たという。ベラスケスの『道化師 パブロ・デ・バリャドリード』の影響を受けて『笛を吹く少年』を描いたマネは、「画家の中の画家」とベラスケスを讃えた。
『ラス・メニーナス』は王女マルガリータを中心に明暗を駆使して描かれ、侍女や侍従、召使、犬が王女を囲んでいる。左側でキャンバスに向かっているのがベラスケス自身で、その黒い衣服の胸にサンチアゴ騎士団の紋章である赤い十字架が描かれている。フェリペ4世のお気に入りだったベラスケスは当時職人としての地位しか認められていなかった画家だったが、自分の肖像画を描くのはベラスケスただ一人とフェリペ4世に言わしめた画才だけでなく、宮廷内最高位である王宮配室長に昇りつめるほどの長年にわたる努力が実を結び、家柄や血筋をはじめ細部にわたって厳しい審査が行われる権威ある貴族集団『サンチアゴ騎士団』の入団を格別の計らいで許され、貴族に列せられた。その年の1659年に、赤い十字架の紋章を描き加えたベラスケス。それは、彼がこの世を去る前年のことだった。
1577年にドイツで生まれ、10歳のときに両親の祖国フランドル地方(英語ではフランダース、現在のベルギー)へ帰郷したペーター=パウル・ルーベンスは、17世紀バロック期を代表するフランドル絵画の巨匠である。
『三美神』の傍にまたもや『アダムとイヴ』が展示されていた。先刻の『アダムとイヴ』であるはずもないが、ものすご~くそっくりである。ちなみに左がマハを鑑賞する前に見た『アダムとイヴ』だ。どっちが何という作者か、それをチェックすることに気が回らなくてわからないままになってしまった。どっちかがティツィアーノだと思うんだけど……?
さらに少し迷いながら移動すると、ゴヤの『カルロス4世の家族』を見つけた。
王族はパリへ移るよう命じられたが、1808年5月2日、マドリードの民衆が立ち上がりフランス軍を襲撃した。だが圧倒的な数にものを言わせたフランス軍にたった数時間で鎮圧され、捕らえられた数百人が翌5月3日の未明にプリンシペ・ピオの丘で銃殺されてしまう。それでもこの事件は全ヨーロッパの独裁者になろうろうとしていたナポレオンへの戦線布告となり、以後6年間にわたる独立戦争の幕開けとなった。
ガイドのIさんがくれた館内図の3階にはこれといった案内が何もなかったが、何があるんだろうとチラリとだけ覗いてみることにした。というわけで、大急ぎで階段を登る。
イタリア中部のウルビーノで画家の子として1483年に生まれたラファエロ・サンティは、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロと並ぶルネサンス最盛期の三大巨匠の1人である。21歳のときにフィレンツェに移住したが、このときはまだただの田舎画家で名もなかったため、個人注文主を探して肖像画や聖母子などを描いていた。“聖母の画家”という異名を持つラファエロだが、数多く残されている聖母子の作品の大部分はこの時期に描かれたものだという。
フラ・アンジェリコは本名をグィード・ディ・ピエトロといい、フィレンツェの農村地方で生まれた。20歳以前の経歴はあまり知られていないが、1417年に画家として活動を始め、1425年にドミニコ修道士となって宗教書の写本装飾師としても絵を描いた。キリストの磔刑図を描きながら涙を流したほど信仰心の厚い人だったらしく、静謐で美しい光に満ちた宗教画や敬虔で愛らしい人柄から「天使のような(アンジェリコ)人」と慕われ、彼の死後いつしかフラ・アンジェリコが彼の名になっていった。1982年にローマ教皇ヨハネ・パウロ2世によって『福者』に列せられている。
アルカラ通りに出たとき、ふとビルの上を見上げると4頭立ての馬車とそれを操る人の像が見えて驚いた。Σ( ̄□ ̄*)すごいっ
お店から歩いて2、3分の距離にある『王宮』の入口は長蛇の列ができていたが、私たちはそれに並ぶことなく左に逸れて歩き進んだ。そして右側に見えてきたのは、アルメリア広場を挟んで王宮と隣接する『アルムデナ大聖堂』である。
『オリエンテ宮殿』という別名を持つ王宮は、1734年に焼失したイスラムの要塞跡に1737年に着工され1764年に完成したネオ・クラシック様式の建物である。現在国王は居住しておらず、公式行事などで使用される他は一般の見学に開放されている。
バイレン通りを挟んで王宮の隣にある『オリエンテ広場』には、レアル・マドリードのデイビッド・ベッカムがCM撮影をしたという場所がある。スペインのヴォーダフォンのCMだったかなぁ?
このスペイン広場はかつてアルバ公爵家から公園にと寄贈された土地で、サンチョ・パンサを従えたドン・キホーテの騎馬像と、その背後に作者であるセルバンテスの坐像が刻まれた記念碑がある。というか、それ以外には何でもない噴水があるだけのただの広場である。1350年に、セルバンテスの没後300年を記念して造られた。周囲は近代的なビルが建ち並ぶビジネス街で、市民の憩いの場となっている。もちろん観光客もよく訪れるが、治安が良くないため気をつけたほうがいいらしい。
みんなよく食べるなぁと感心してしまう。というか羨ましい。私もお出かけや旅先だけでいいから、大きな胃になりたいものだ。f ̄▽ ̄;)