ガイドのIさんが同乗してくれたおかげで、最短距離を通って『ラス・ベンタス闘牛場』に到着。
牛は動くものに反応するため、牛が場内にいる間は出入りはもちろん席の移動も許されていないのだ。
1929年に完成したネオ・ムデハル様式のラス・ベンタス闘牛場は、収容人数約3万人、総面積80万平方mを誇るスペイン一大きな闘牛場である。1931年にマドリード市主催でこけら落としが行われたが、公式に開催宣言をされたのは1934年10月21日のことである。以降闘牛界の最高峰の闘牛場として君臨しており、毎年行われるサン・イシドロ闘牛祭の出場権を得ることが闘牛士にとっての夢であり名誉でもある。そして、その試合での勝利がその年の試合数を決定する大事な闘牛となるのだ。
席に着いてホッとし、デジカメを出して構えたときにはすでに次の牛が登場していた。いきなり広い場所に出されてきょとんとした様子の牛を闘牛士がじっと観察し、表がピンク、裏が黄色の『カポテ』と呼ばれるマントをかざす。『サリーダ・デ・トロス』と呼ばれる場面である。闘牛士は1人なのかと思っていたが、最初は助手も場内に出て牛の性質や反射神経などを引き出し特徴をつかむ手伝いをするようだ。
ピカドールの役目は、そんな牛の体力とスピードを削ぎ、闘牛士が仕留めやすいようにすることである。牛の背中の筋肉が盛り上がっているあたり、つまり肩を槍で突き、筋を切る。それによって牛の頭を上げられなくさせるのだ。槍で突くのは3回までと決められているらしい。
それでも、ピカドールの槍に突かれて血を流していた牛がさらに血を流し、黒い毛並みを赤く染めた。痛々しいことこの上ない。しかも、猛るどころかちょっと嫌がるそぶりを見せる。「もういやや~痛いね~ん~(>_<。)~」と無言で訴えているかのようだ。
いや、正直に言うと素人目に見ても下手だった。f^_^;)
そして、4試合目の闘牛士はまさにそうなった。刺しそこなったもののしばらくして限界が訪れ倒れ込んだ牛に、ずぶりと真剣が刺し込まれたのだ。本当に、美を損なうという以前に惨いだけである。初めて見る闘牛がこれというのは、かなりつらいものがあった。С=(ー_ー;)
ところが最後の試合、つまり6試合目は4試合目と5試合目の闘牛士とはまったく違い、背筋も伸びたままで足も動かずとても華麗なムレタさばきを見せてくれる闘牛士が登場し、ようやくIさんが力説するような闘牛を生で見ることができたと思った。
片耳は健闘賞、両耳は技能賞、尾は殊勲賞のようなものらしい。それでも観客が満足しない場合は、肩車をされて大門を出ることになるのだとか。
トップクラスの闘牛士は1試合で数千万円を稼ぐというが、彼もそうなのだろうか。闘牛士はその技術と勇気から憧れの存在であり尊敬の的だが、もちろん危険な職業であることは言うまでもない。そのため契約金は試合前に支払われることが習慣となっている。
私たちが集まっていた場所から地下鉄の駅は目と鼻の先で、階段を降りるとすぐに券売所があり、短いが行列ができていた。
やっぱり誰も非難するような目で見るわけでもなく、いたって普通である。写真を撮ってはいけないわけではなかったのだろうか。言葉の壁が厚過ぎてさっぱりわからなかったなぁ……。
乗り換えも間違わず危険の危の字もなく無事に『サンチアゴ・ベルナベウ駅』に到着し、地上への階段をあがる。出たそこには、道路を挟んで目の前にまさしく駅の名のとおりサンチアゴ・ベルナベウ・スタジアムがそびえていた。
「え~っほんまに~っΣ( ̄▽ ̄*)」
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