月の旅人

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光と影の闘牛

光と影の闘牛




ラス・ベンタス闘牛場ガイドのIさんが同乗してくれたおかげで、最短距離を通って『ラス・ベンタス闘牛場』に到着。
が、着いたときにはもう20時になる寸前だった。ガイドのIさんいわく人気の闘牛士は3戦目に登場するそうで、それに間に合うようにと思っていたらしいが事故の渋滞のせいで予定が狂ったのだ。いや……Iさんはそうでも、私たちは初めて観戦するんだから入場場面から全部見てみたかったんだけど……。(;一一)ゞ 予定通りにトレドへ出発していれば、渋滞にも捉まらずに入場から見られたのだろうか。
「たら」、「れば」を言っていたらキリがないが、闘牛開始から1時間が経過したということは3戦目も始まっているに違いないと思ったら、案の定である。

「スペイン人は時間にルーズだ」とはよく言われる話だが、そんなスペインでも時間厳守のものが3つある。
まず1つ目は、マドリード~セビリア間を走る新幹線『AVE』の出発時間。いつもきっちりと守られていて、出発時間になるとアナウンスもなく滑り出すように静かに発車するらしい。
2つ目は、サッカーの開始時間。テレビ中継をする関係もあるのか、試合開始時刻にピッタリ始められるそうだ。
そして3つ目は、闘牛の開始時間。スペインのどこの闘牛場でも、開始時間になったと同時に演奏が鳴り響いて闘牛士たちが入場し、闘牛が始められるという。1日に6試合が約2時間かけて行われる。
あとは会社の就業時間くらいで、つまりそれ以外のことはたいてい噂に違わずやっぱりルーズなようだ。( ̄▽ ̄;)

そんなわけでとっくに観客は席についているため、外は人の姿がなく静かなものだった。待ち合わせ場所を決めてIさんと別れ、教えてもらったとおり階段を登って2階へ急ぐ。とは言っても、闘牛は牛が場内にいるときは出入りが禁止されていて入ることができないため、3戦目が終わるまで入口のドアの外で待つしかない。
客席入口外回廊テレビ中継で我慢牛は動くものに反応するため、牛が場内にいる間は出入りはもちろん席の移動も許されていないのだ。
私たちの席番のドアの外の回廊にモニターが吊るされているのを見つけ、人気闘牛士の戦いぶりを観戦した。モニターで見られただけでも、まぁ良しとしておこう。
それに、さすがに闘牛が国技なだけあり撮影の仕方が見事で、様々な角度から闘牛士を映すのはもちろん、牛も正面からや側面、背後などのショットの他になめるように映して表情を捉えたりし、その臨場感は小さなモニターからもありありと伝わってきた。人気のある闘牛士はやはり技も華麗なためか、予想に反して残酷なイメージはほとんど抱かなかった。


闘牛場はスペイン各地にあり、闘牛は3月12~19日に行われるバレンシアの『サン・ホセの火祭り』から開始され、10月12日前後に行われるサラゴサの『ピラール祭』とともに幕を閉じる。全国で年間15000回以上も開催されるというから驚きである。マドリードではラス・ベンタス闘牛場を中心に5月から9月末まで開催される。
闘牛場内1929年に完成したネオ・ムデハル様式のラス・ベンタス闘牛場は、収容人数約3万人、総面積80万平方mを誇るスペイン一大きな闘牛場である。1931年にマドリード市主催でこけら落としが行われたが、公式に開催宣言をされたのは1934年10月21日のことである。以降闘牛界の最高峰の闘牛場として君臨しており、毎年行われるサン・イシドロ闘牛祭の出場権を得ることが闘牛士にとっての夢であり名誉でもある。そして、その試合での勝利がその年の試合数を決定する大事な闘牛となるのだ。
ラス・ベンタス闘牛場は「La que da y La que quita(与えもすれば奪いもする)」ということわざが昔から闘牛士の間にあるという。ここでの成功は山ほどの仕事が舞い込むが失敗すれば試合ができなくなる、という意味だそうだ。
そんなことまでまったく知らないまま、私たちは3試合目の終了と同時に開けられたドアから客席に入った。係員にチケットを見せると、先導して席の場所を教えてくれる。そういえば席は階段状になっているただのコンクリートであるため座布団が借りられるはずだが、すっかり忘れて席に向かった。
「開いてる……?」
と首を傾げたくなるほど満席状態だったが、私たちが指定の席の段に足を踏み入れるとちゃんと周りの人たちが3人分ずれて座る場所を作ってくれた。スペイン人はずうずうしいから遅れたら席を取られていると聞いていたため心配していたが、みんな優しい人だったようで難なく座ることができた。(*^-^*)グラシアス♪

サリーダ・デ・トロス席に着いてホッとし、デジカメを出して構えたときにはすでに次の牛が登場していた。いきなり広い場所に出されてきょとんとした様子の牛を闘牛士がじっと観察し、表がピンク、裏が黄色の『カポテ』と呼ばれるマントをかざす。『サリーダ・デ・トロス』と呼ばれる場面である。闘牛士は1人なのかと思っていたが、最初は助手も場内に出て牛の性質や反射神経などを引き出し特徴をつかむ手伝いをするようだ。
このときの牛は当然ながらまだ無傷で、力があり余っている状態である。それなのに、時には両膝をついてカポテをかざす大技に出たりする闘牛士もいるらしい。もちろんそれが成功すれば拍手喝采が巻き起こるが、非常に危険なことこの上ない。幸いなのか不運なのか、私たちが観戦した日にそのような大技が飛び出すことはなかった。


闘牛は3幕で構成されている。
しばらくして、馬に乗って長い槍を持った2騎のピカドール(長槍士、または騎馬の闘牛士)が登場した。第1幕、『ピカドールの槍突きの場』である。
怯えないように目隠しをされ銅板入りの分厚い鎧を着せられている馬に牛が突進し、壁際まで力任せに押しやる。ものすごい力だ。
ピカドールの槍突きピカドールの役目は、そんな牛の体力とスピードを削ぎ、闘牛士が仕留めやすいようにすることである。牛の背中の筋肉が盛り上がっているあたり、つまり肩を槍で突き、筋を切る。それによって牛の頭を上げられなくさせるのだ。槍で突くのは3回までと決められているらしい。
さっと突いてさっと退場するのが上手なピカドールだが、グリグリと長く突き刺していたり牛が弱り過ぎたりしてしまうと、場内からブーイングが起こる。かと言って、牛の頭を下げさせないことには最後に対峙する闘牛士の身により大きな危険が及ぶことになるため、ピカドールは重要な役目を担っているのだ。


次に2人のバンデリジェーロ(銛打ち士)が長さ約60cmバンデリジョ(短い飾り銛)を両手に持って登場し、交代で3回ずつ計6本の銛を牛の肩に刺す第2幕『スエルテ・デ・バンデリジョの場』へと移る。
そうして牛をさらに猛り狂わせるのが、バンデリジェーロの役目である。ただ刺すだけではなく、“蝶のように舞い、蜂のように刺す”という美しい技が求められる。
初めて見るためハラハラするだけで、そのバンデリジェーロたちが美しかったかどうかまではよくわからなかった。うまく銛が刺さらずにポロリと落ちていたことを思えば、うまくはなかったのかもしれない。
バンデリジェーロの銛刺しそれでも、ピカドールの槍に突かれて血を流していた牛がさらに血を流し、黒い毛並みを赤く染めた。痛々しいことこの上ない。しかも、猛るどころかちょっと嫌がるそぶりを見せる。「もういやや~痛いね~ん~(>_<。)~」と無言で訴えているかのようだ。


そしていよいよ、ムレタという真紅のマントを持って闘牛士が牛に挑む、闘牛の見せ場である第3幕『スエルテ・デ・マタールの場』を迎える。
闘牛士の技が冴えると、芸術といわれるほどの美しいムレタさばきを目にすることができるという。その美しさのポイントは、牛がムレタに向かって突進してきたときに闘牛士の足が動かないこと。これが重要なのだ。カポテの場合にも同じことがいえるらしい。
このムレタの演技の時間は15分間。闘牛士がムレタで右に左にと牛を誘い込んではかわし華麗な技を披露して死闘を繰り広げると、観客から「オーレ!」と歓声が上がって闘牛士が讃えられ、興奮が高まっていく。
Iさんがトレドからの帰路で熱く熱く闘牛を語ってくれたおかげで、少しは闘牛士の技がうまいのか下手なのかを見分けることができた。
で、4試合目の闘牛士は明らかにイマイチだった……。
スエルテ・デ・マタールの場いや、正直に言うと素人目に見ても下手だった。f^_^;)
モニターで見た人気闘牛士はIさんが力説したとおり足を動かさず体スレスレに牛をムレタに向かって誘い込んでいたが、4試合目の闘牛士はその足が乱れまくり、体勢もまったく整っていなかったのだ。目の肥えた闘牛ファンからは当然ながらブーイングが起こり、牛も向かうどころかジリッと後退りしたりして、華麗さとは程遠い闘牛となった。


それでも闘牛場に出された牛は、生きては場外へ出られない。最期の瞬間は必ず訪れるのだ。闘牛士が肩から心臓へかけて剣を一突きにして貫き牛を倒すその瞬間を、『真実の瞬間(オラ・デ・ベルダー)』という。
この真実の瞬間を迎える直前は、場内が静寂に包まれて闘牛士の剣先に観客の視線が集まる。一度で決まれば牛の死も一瞬で訪れるが、何度も刺してしまうような事態に陥ると“闘牛の美”を損なうとして、闘牛士は場内から厳しい罵声を浴びることになる。
真実の瞬間そして、4試合目の闘牛士はまさにそうなった。刺しそこなったもののしばらくして限界が訪れ倒れ込んだ牛に、ずぶりと真剣が刺し込まれたのだ。本当に、美を損なうという以前に惨いだけである。初めて見る闘牛がこれというのは、かなりつらいものがあった。С=(ー_ー;)
ガイドのIさんが動物愛護団体が闘牛に反対していると言っていたが、それも大いにわかる気がした。
絶命した牛は3頭のラバに引きずられて退場し、流れた血を係りの人たちが掃き散らした。それでも砂にしみた血の跡が生々しく残る。


その退場から2分と経たないうちに次の牛が放たれ、5試合目が始まった。今度もまたムレタさばきが美しいとはとても言えない闘牛士で、牛もあまり闘争心がありそうには見えなかった。途中、向かってこない牛に焦れた闘牛士が「Hi…Hi!」とかけてけしかけ、ようやく牛が動くという場面も。
退場ところが最後の試合、つまり6試合目は4試合目と5試合目の闘牛士とはまったく違い、背筋も伸びたままで足も動かずとても華麗なムレタさばきを見せてくれる闘牛士が登場し、ようやくIさんが力説するような闘牛を生で見ることができたと思った。
実はこのときまったく知らなかったのだが、一日に登場する闘牛士は3人で、1人でそれぞれ2頭の牛と戦うらしく、最後を飾ったこの闘牛士こそ3試合目に登場したあの人気闘牛士だったのだ。そりゃあ見事な闘牛を見せてくれたはずである。
真実の瞬間も瞬く間に訪れたといった感じで、場内から拍手が巻き起こり白いハンカチが振られた。
ちなみに、右下の写真の左側が5試合目、右側が6試合目の闘牛士のムレタさばきの様子。
全然違うなぁ……。

見事な一突きで牛を倒した闘牛士には立ち上がった観客から惜しみない拍手と歓声が送られ、白いハンカチが振られるのだそうだ。
そして闘牛士に倒した牛の耳を与えるように要求する。闘牛士は牛の片耳や両耳、さらには尾まで与えらえること最高の名誉であり、勲章なのだ。
人気闘牛士(マタドール)のムレタさばき闘牛士(マタドール)のムレタさばき片耳は健闘賞、両耳は技能賞、尾は殊勲賞のようなものらしい。それでも観客が満足しない場合は、肩車をされて大門を出ることになるのだとか。
ということは、気持ち悪い……などとは決して思ってはいけないものなのかも。( ̄▽ ̄;)
そういえば6試合目の闘牛士は尾ももらったのだろうか。よく見ていなかった……。(;一一)ゞ

全試合終了後、観客に礼をしたあと助手3人を従えて1試合目の闘牛士から順に退場していった。そして人気闘牛士の番になると、ひと際大きな拍手が送られる。内から湧き出る自信からか威風堂々としているように見え、立ち去る姿さえ優雅な雰囲気が漂っていた。
闘牛士の退場トップクラスの闘牛士は1試合で数千万円を稼ぐというが、彼もそうなのだろうか。闘牛士はその技術と勇気から憧れの存在であり尊敬の的だが、もちろん危険な職業であることは言うまでもない。そのため契約金は試合前に支払われることが習慣となっている。
実力の世界であるたえ努力が実り幸運と才能に恵まれて闘牛士として生活できる人の数は限られ、さらに桁違いの契約金を手にする闘牛士などはさらに限られ、試合の契約がなく闘牛士をやめてしまう人も多いという。闘牛士になるためには闘牛学校に通い、国籍や性別に関係なくその資格を得ればなれるそうだが、実現した夢を維持し続けるのはとんでもなく難しいのだ。
ちなみに、闘牛士に国籍と性別は関係ないとはいえ、容姿端麗であることが条件らしい。理由は闘牛は芸術であり闘牛士もその鑑賞の対象となるから、だそうだ。лヾ( ̄- ̄;)へぇ~


闘牛場を出て、待ち合わせの闘牛像の前でガイドのIさんを待つ。5分ほどでやってきたIさんだったが、同行者がいた。同じガイド業をしている人たちだそうで、男性も女性もなんだかサバサバしたタイプの人だった。
そして、Iさんと女性ガイドさんが地下鉄の駅の場所と乗り換え場所、降りる駅の名前を私たちに教えてくれる。待ち合わせするくらいだから一緒にホテルまで戻ってくれるのかと勝手に思っていたが、そうではなかったらしい。しかもマドリードの地下鉄は治安が悪いから危険だと聞いていたのに、あっさりと薦められて戸惑った。私たちがあわあわとろくに話せないうちに「じゃ!」と去っていくIさんたち。( ̄□ ̄;)え……
かなり人が人混みがまばらになるまでその場でうろたえながらラス・ベンタス闘牛場の写真を撮ったり、おばさん1人の出店を見つけてNさんがひまわりの種を買ったり、タクシー乗り場を探してタクシーで帰ったほうが……と相談したりしたが、危険やったら私たちを放って帰って地下鉄で帰るように言わないだろう、という結論を出して「地下鉄で帰ろう!」ということになった。

メトロの切符売り場切符私たちが集まっていた場所から地下鉄の駅は目と鼻の先で、階段を降りるとすぐに券売所があり、短いが行列ができていた。
そこに並んで無事に切符を買い、それらの様子を記念にとデジカメでパシャパシャと写していたら、警察なのか警備員なのか、とにかくそれらしい制服の男性に何やら注意された。写真を撮ってはいけないと言われたのか、デジカメを片付けるともう何も言われなかった。
でも勇気を出して初めて乗る地下鉄なのにその記念の写真がないのも寂しいし、写真撮影禁止のマークもどこにも見あたらなかったため、みきちゃんと私は遠慮しながらも無事に乗ったメトロの車内でチラッと写し合った。
メトロ車内やっぱり誰も非難するような目で見るわけでもなく、いたって普通である。写真を撮ってはいけないわけではなかったのだろうか。言葉の壁が厚過ぎてさっぱりわからなかったなぁ……。
あっ、もしかして写真を撮りまくっていたら旅行者丸出しだから危険だと注意してくれたのだろうか。……いや、それにしては私たちって明らかに現地の人には見えないしな。(^。^;) うむむ……やっぱりわからない。


メトロ出口乗り換えも間違わず危険の危の字もなく無事に『サンチアゴ・ベルナベウ駅』に到着し、地上への階段をあがる。出たそこには、道路を挟んで目の前にまさしく駅の名のとおりサンチアゴ・ベルナベウ・スタジアムがそびえていた。
時間はもう22時半近くになっていて、さすがに日も暮れている。駅名と地図が光に浮かび上がって目立つ看板がちょうどそこにあり、写真に収めた。そのとき、キャップをかぶった180cmは軽くありそうな体躯のいい黒人が私たちのほうへやってきて、ちょっとビクッとしていた私たちの傍を通り過ぎて左の道に逸れて行きざまに「ピュ~ゥッ!」と大きく指笛だか口笛だかを鳴らした。
それに驚いたみきちゃんと私が大慌てで足早にホテルに向かって歩き始め、何も気づいていないのかいつもと変わらない様子のNさんを「早くっ」と急かす。
「あれ仲間呼んでたんちゃうの~~(>_<。)~」
「絶対そうやわ。怖い~っ/(>_<)\」
そう言いながらも足を止めず、ホテルがもう目の前という所で恐る恐る後ろを振り返ってみた。

……いない。

ただの通行人がちらちらと歩いている以外に、怪しげな人は誰も見あたらなかった。
「c=(ー。ー;)ほっ……良かった、ついて来たぁらへんわ」
後ろから仲間を連れてきていたらどうしようと怖い想像をしていたため、ほっとした途端にドッと疲れが押し寄せてきた気がした。心なしかヨロリとしながらホテルに着き(^。^;)、ロビーで添乗員のKさんに会う。私たちの帰りが遅いため心配させてしまったらしい。私たち自身、もっと早く帰れると思っていたのに気づいたら22時半を過ぎていてビックリだった。


夕食はKさんがホテルのレストランに話をつけておいてくれたためお礼を言って地下のレストランに向かうと、さっそくウェイターのおじさんが現れて給仕をしてくれた。他に2組ほど遅い食事を取っていたが、まぁ日本人の感覚からしたら遅いだけなのかも。
丸テーブルを囲んで座った私たちにウェイターのおじさんがドリンクは何にするかと訊ね、片手に赤ワイン、片手に白ワインのボトルを持ってにやりとする。そしてアルコールの飲めないNさんは別としてみきちゃんと私が半分ずつ飲もうと相談し合って赤と白をそれぞれに頼むと、なんとドリンクは何でも飲み放題だと言う。
絶品のサーモン料理ティラミス「え~っほんまに~っΣ( ̄▽ ̄*)」
驚く私たちにまたにやりとして、ワイングラスに赤も白も注いでくれた。さらにNさんにだけでなくミネラルウォーターも注いでくれる。ワインは赤も白もおいしく、料理も期待以上のおいしさで感動し、スペイン最後の夜を最高な気分で終える。
ツアーの人たちはJさんとの別れも楽しんで大盛り上がりの食事になったとロビーでKさんから聞いたときはその場にいられなかったことが大いに残念で、分身して闘牛観戦とこちらと両方にいたかったっ、などとファンタジーめいたことを思ったものだが、女友達3人だけののどかな夕食もまた楽しいものだった。うっかり油断して、ティラミスの上に降りかけられたチョコパウダーを吸い込んで咳き込んだりもしたけど……。( ̄▽ ̄;)あは…

フリードリンクだからとワインを飲み過ぎ、部屋に引き上げるときには足元がちょっとおぼつかなかった。
「グラシア~ス♪(* ̄▽ ̄*)ノ」とお礼を言って手すりをしっかと持ちながら階段をあがるみきちゃんと私に、ウェイターのおじさんも笑顔で手を振り替えしてくれる。部屋に戻ったくらいの短時間で酔いが冷めるはずもなく、先にNさんがバスルームを使うことになった。その間も酔っ払い2人はハイテンションのまま笑ったり写真を撮り合ったりして“酔っ払い”を満喫し(笑)、バスルームから出てきても私たちに呆れているのか無言のままデジカメの画像整理にいそしむNさんを残してベッドに倒れ込んだりする。……やっぱり呆れていたんだろうな。(笑)
とにもかくにも、思った以上にぎっしりと思い出ができた旅行の最後の夜は、こうして更けていった。



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