浅草寺と駒形堂


二人の漁師 檜前浜成・竹成(ひのくまのはまなり・たけなり)
兄弟の網にかかった一寸八分(約5.5センチ)の金色の観音像を
二人の兄弟の主人・土師中知(はじのなかとも)が屋敷を寺に改装
して供養した。これが浅草寺の始まりという(この三人を祀った
のが三社様) 雷門から南へ歩いて数分の駒形橋のたもとのところ
に駒形堂があり その裏の川で観音像を拾いあげたらしいです。

 昔のお寺は身分の高い人しか参拝できなかったのですが浅草寺は
身分の低い人でもお参りとか願いごとができる有り難い庶民信仰の
お寺として広く親しまれました。

(補足)
 今の待乳山(真土山と書いた)と鳥越神社のところが小高い丘で 
 そのまわりが湿地帯で浅い草がいっぱい生えていたそうです。
アシとヨシは同じ種類で葦の茎で作った すだれはヨシズと呼ばれ,
今でも浅草田んぼ吉原田んぼの言葉がのこっています。


   業平(平安)のすみだ河から夜(世)が明けて

               いま(平成)台東に文人五百 

 (いくら昔ったって のべで五百人はいね~でしょ???
                        横丁の熊さん)


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