法喜が語る

法喜が語る

コスタリカ


それは俺が専門学校の2年になる前の春休みの出来事だった。
スペイン語を勉強するのにコスタリカとは結構マイナーかもしれん。しかしコスタリカはジュラシックパークのココ島がある国で、国土のほとんどが国立公園に指定されている国である。軍隊を持たず永世中立国で国家予算のかなりのパーセントが教育費にまわされている。しかもしかもミスユニバースが選ばれる美人の多い国としても有名で、物価もやすい。こんなコスタリカは中南米では一番安全な国で、退職したアメリカ人の移住先としても有名である。
 なんてことはほとんど考えず、ただNHKのスペイン語講座の本に載っていて、面白そうだからと申し込んだだけなのだが。
 コスタリカへはロス経由一日がかりの移動だ。空港なんか本当にちっぽけなコスタリカの首都サンホセ。ここは高原地帯に属していて、気候が穏やかで暮らしやすい。
 空港に迎が来るはずだが、まだ来ていなかった。しばらくするとサングラスの渋いおっちゃんがタクシーで登場。このレオネルという人が俺を出迎えにきたのだ。なんでも普段はタクシーのうんちゃんをしていて、俺みたいな人が来ると、送迎をするらしい。
 コスタリカは本当に緑が多い。中米という事で家の警備が少し頑丈。窓なんかも鉄格子がしてあった。でも家は広いのが多いなー。俺が厄介になる家はモラビアというところにあって、少し金持ちが住んでいる地域らしい。町の中央には教会があって、サンホセの市内からバスで20分もかからないところにある。
 俺のホームステイ-先は、おばあちゃんが一人だった。なんでもお父さんが日本人だったとか。どこにでもいる小柄な真面目なおばあちゃんだった。俺の部屋は離れで、シャワーつきであった。庭にはランの花があり、小鳥を飼っていた。朝になると泣き声で無理やり起こされてしまったが、まあ目覚ましだと思えばいいだろう。
 食事は毎朝オレンジジュースとパンと紅茶とフルーツだった。何故コスタリカで紅茶かって?俺が最初の日にコーヒーより紅茶が良いと言ったからだ。俺はなんて馬鹿だったんだ。コスタリカといえばコーヒーの産地ではないか。しかし当時の俺は、コーヒーが嫌いだったんだ。それは不味い缶コーヒーのせいだ。そんでもってコスタリカでも最初はコーヒー嫌いでとおっていた。しかし語学学校にはただで飲めるコーヒーが設置されていて、たまたま飲んだらすごくうまかった。コスタリカに行って初めてコーヒーは美味いもんだと気が付いたのだ。しかし時既に遅し。もっと早く気が付けばよかった。
 学校は4週間のはずだったが、セマナサンタの週は学校がなくなるので、俺は無理やり4週間分の授業を3週間でやるはめになっていた。しかも俺が気が付かぬうちに。最初は一日4時間のコースで申し込んだのだが、いつも5時間きっちり授業があり、不思議に思っていたがまいいかで受けていて、セマナサンタの週に初めて気がついた。誰も教えてくれないんだもん。周りに日本語判る人がいないからしょうがないが、ちとびっくりした。
 学校はアメリカ人、スイス人が多くそこに日本人数名も混じっていた。授業はスペイン語ですすめられ、わからない事は英語でやり取りだが、俺は英語もわからんので本当にスペイン語だけの世界になってしまった。
 昼休みは他の日本人と合流して飯を食べに行ったが、授業中は日本人俺だけで本当にこまった。
 しょっぱなの日の行きかえりはステイ先のおばあちゃんと一緒に移動した。
学校には課外クラスがあり、サルサや料理講習などがあった。おばあちゃんが最初無理やりサルサの暮らすに俺をつれて行き、サルサをやる事になったが2回だけで俺は行かなくなった。サルサの先生は男の先生で妙にサルサチックだった。
料理のクラスも一度だけ出たが、その日はバナナのチップスだった。
 学校の前まではバスが行っていないので少し歩かなければならないけど、とても空が綺麗で気持ちよかった。
 まだスペイン語なんかさっぱり判らなかった時に、バスを待っているときに時間を聞かれすごくびびったりした。コスタリカのバスは回転する入り口から入らなくては行けなく、無賃乗車が出来ないようになっていた。しかもバスは個人の所有みたいですごく飾ってあったりした。
 コスタリカはカトリックの国で、タクシーの運ちゃんなんかが教会の前を通るとき、手放しで目をつぶり十字を切るので、乗っているほうはひやひやするほど熱心に信仰されている。
 サンホセの中心街なんかはにぎやかだが、本当に規模が小さくとても首都とは思えない大きさである。
 コスタリカの物価は安い。しかしそれは現地の物だけで、マックなんかで食べると日本と変わらず、いやそれ以上に高く、現地の人にとっては、マックに行くという事は、リッチな食事をする事になる。馬鹿馬鹿しいよなー。
現地のものは結構美味いものがある。しかし添えてあるポテトフライは油が悪いらしく、おなかの弱い人には要注意。俺が最高にびっくりしたのは、香菜である。食べた瞬間寒気がした。今でも苦手である。しかしこれがまたよく料理に使われているんだよなーー。どんなによけてもよけきれなく、一口食べれば一瞬にして食欲がなくなった。タイに行くようになって、少しは免疫がついたが、いまだに曲者だ、パクチーは。
 ツアーでトルトゥゲーロに出発。しかし最初からトラブルに。なんと車が故障してこない。代わりのジープはおんぼろ。コスタリカの道は悪路ばかり。道のあちこちが陥没している。もう嫌になるほどである。しかも気候が変わりやすく、雨が突然降って来たりして、車の中は隙間風と雨漏れ攻撃。最初に寄った国立公園はロープウェーや徒歩で見学。とても空気が美味かった。
宿泊施設までは馬とボートで移動。川に面した宿で大部屋。夕飯を食べた後は歌って飲んで過ごして、夜にワニが見れるところへボートで向かった。確かにワニがいたが、目しか見えんかった。とりあえず宿に帰ってお休み。翌朝は大西洋に行って散歩。そしてツアーの終了。あれ?このツアーは海亀が見れるのでは?そう我々は海亀を見ることが出来ていない。そこで他のツアー客から苦情が出て、金を返せ、おまえもそう思うだろということを聞かれたが、騒ぎにはならず。ま、俺はツアーを楽しんだ事だし。面倒な事は嫌なのでよかったよかった。
 そう言えばコスタリカのツアーはついていないことが多かった。火山口を見に行くツアーは雲で見れなかったし。
 学校が終わりセマナサンタは家でのんびり。ミサに行ったりパレードを見たりして過ごした。セマナサンタが終わると、俺はモンテベルでにハチドリと黄金の蛙を見に行った。しかし黄金の蛙は見る事ができなくて残念。モンテベルでの村は小さく、レストランはイタリア料理のが一軒しかなかった。びっくりした事に日本人の女性が働いていた。料理はそこそこだったが。山小屋の雰囲気がよかった。
 マヌエルアントニオ海洋公園では、道に迷い何度も同じところをくるくるしてあせりにあせった。だって何回も同じ人とすれちがうんだもん。ここはイグアナがそこらじゅうにいてびびる。ホースライディングで山を行くツアーに参加したが、土砂降りの雨で延期。翌日はなんとか目的地の滝まで行ったが、帰りが土砂降り全身濡れていないところがないほど濡れてしまった。もちろんパスポートも。しかし馬を走らせるのは気持ちが良いなー。
 コスタリカでの5週間は短く、自然とスペイン語を満喫できた充実した旅行になった。

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