明日の風

明日の風

2002年1月~


介護サービスの開始。
訪問介護    月・金 AM 10:00~12:00
ディサービス  火・木・土

往診      月二回(心臓の持病があるので)

人見知りの強い母は他人が来るのを嫌いました。
私とヘルパーさんが話していると警戒したり、笑顔を見せると馬鹿にしていると怒るのです。
ディサービスも車が好きなので喜んで乗り込みますが、帰ってくると「養老院だった」と怒っていました。

6月
梅雨時になると母は不安定になり不穏になりました。
私も母に手を焼いていたので優しく接する事ができない日々が続きました。
ディサービスに行っても問題行動(介護拒否、徘徊、頻尿、暴言等)が多く施設から電話が頻繁に掛かってきたものです。

9月
ディサービスから遠まわしに施設を変わって欲しいというような事を言われました。
なんで ?
介護が大変だと預かってくれないの ?
人手不足だからって、採算が合わないからって、手が掛からない人ばかり集めるの ?

結局、介護サービスはあくまでもサービスなのだ。
責任を持つのは私。
逃げ場はない。
私は八方塞の状態でした。
実家の兄ももう懲りてバトンタッチはしてくれない。
ヘルパーさんだけが私の愚痴を聞いてくれました。

母はいつも不機嫌でした。
帰りたがるのは兄のいる実家ではなく、母の生家です。
痴呆の人は自分が一番幸せだった頃に戻りたいようです。

10月
ディサービスと訪問介護を週一回ずつに減らしました。
不安感が強いので軽い精神安定剤を処方してもらいました。
母にはとにかく安心してもらって穏やかになってもらうために、私が怒らない事を約束しました。
(痴呆の人には怒ってはいけないと分かっていたのに、怒ってばかりだったのです)

こうして母は少しずつ穏やかになってきました。
私は怒るに怒れず、母の勝ちです。
まぁ母がおとなしくなれば怒る必要もないのだけど。


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