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2018.05.15
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カテゴリ: 探訪
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前回は、出町橋とその西詰に立つ「鯖街道口」碑のところまででした。賀茂川と高野川の合流点に架かる橋です。そこからほんの少し南で御土居は今出川通に達します。ここは 京の七口の一つ「大原口」 です。今出川通で鴨川に架かる橋が 「賀茂大橋」 です。


この「史跡 大原口道標」が今出川通と寺町通の交差点の北東角に立っています 。(文字Xを記入したところ)
御土居が現在の河原町通より少し西側に南北方向で築造されていたそうです 。そして一筋西が寺町通であり、この寺町通の東側に寺々が並んでいたのですから、この位置に道標があるのは納得できます。
東方向に所在するものとして、「下かも、吉田、真如堂、比叡山、黒谷、坂本城」までの距離が刻されています。

江戸時代の1678年に出版された 「新板平安城并洛外之図」 を見ますと、 今出川通から賀茂川に架かる橋が描かれていて 、この時代には賀茂川と高野川の合流地点は今出川通よりももっと南側だったようです。現在と地形が異なることもわかります。 (資料1)

河原町通の西側にあった御土居跡は碁盤目状の町割り区画の中に取り込まれ市街地化してます。そこで、寺町通を南進します。今出川通から丸太町通までの区間の寺町通は、現在は 「京都御苑」 の東側を平行しており、この 京都御苑の中に「京都御所」がある のはご存知のとおりです。

寺町通の西側には 京極小学校 があり、東側には 本禅寺・円龍院・心城院・清浄華院等の寺々 が並んでいます。京極小学校の少し南に位置するのが 「梨木神社」 です。この境内地の南側には低階層ですがマンションができ、景観がかなり変わってしまいました。

                                      (2014.7.19)
「廬山寺」 です。(赤色の丸を付けたところ)
廬山寺を訪ね、その境内の墓地を拝見した折に、事前の知識が無かったため、そこに御土居があることを発見(?)したのが、御土居の実見・探訪に関心を持ち始めた一つの契機でした。2014年は再訪だったと思います。先日、5月12日に久しぶりに御土居を眺めてきました。

山門を入るとすぐ本堂が見えます。境内の南東側に進むと、境内地の東側にある境内墓地への参道が見えます。左の塀の内側が廬山寺にある「 源氏の庭」 です。
(建物内・庭の拝観はは有料です。) 境内墓地の方はエチケットを守れば、一応自由に拝見できます。

境内墓地の東端、 この樹木が繁ったところが「御土居」です。


墓地内の通路を横切り、東端に近づくと 「史蹟 御土居」碑 が立っています。

北方向に進むと、御土居の側面には今は石垣が積まれていて、この箇所以外は手前に墓石が並んでいます。
余談ですが、


その一隅に 「元祖定朝法印」と刻された墓石 があります。 仏師定朝の墓 です。
ここを初めて訪れた時に、御土居と仏師定朝の墓があることに驚きました。非常に印象深い体験でした。尚、定朝の墓は蓮台野の方のお寺にもあります。既に別途ご紹介しています。

本筋に戻ります。

定朝の墓石からもう少し北に歩むと、御土居上に設けられた墓所への石段があります。

その傍から、御土居上の状態を眺めることもできます。
御土居が境内の境界になっていて、その東側は建物の壁面が見えます。その建物は河原町通に面しているという位置関係になります。

現在では、南北方向の御土居で史跡として現存するのは、この廬山寺に約50メートルほどの長さの御土居だけです。 築造された当時の御土居の大きさから考えると、御土居の幅や高さとしては一部が残っているといえそうです。所在地は「上京区寺町広小路上ル北之辺町」です。
この辺りの地図(Mapion)はこちらをご覧ください。

廬山寺の南東方向 に隣接する形で、河原町通に面して 「京都府立医大附図書館」 があります。ごく最近、そこに御土居が復元されているということを知りました。


                                       (2018.5.4)
御土居の痕跡を残すために、さつきつつじでかたどった御土居が河原町沿いに復元されています (青色の丸を付けたところ)。 (資料2)

河原町通西側歩道の北側から眺めると、復元御土居はこんな景色です。


復元御土居の中にこの 「史跡 お土居址」説明図 が設置されています。

これより以南の御土居跡はもはやその痕跡すらうかがえない形で市街化しています。河原町通が御土居跡の外周と考えて、御土居のあった軌跡線をほぼ想像する手がかりになるくらいです。

東本願寺は烏丸通の西側、七条通の北側にあります。その東本願寺の東、河原町通の西側に、 東本願寺の「渉成園(枳穀邸)」 というかなり広い庭園があります。(文字aを記入したところ)   
 印月池中の北大島(2015.4.7)

                                 印月池中の南大島

その庭園には、印月池という大きな池があり、その池中に北大島・南大島と称される2つの島があります。これらはこの庭園に設けられた回棹廊の北側にある築山を含めて、庭園の北東方向から南西方向に一直線上に並んでいます。
「近年の古地図研究によると、秀吉の御土居はまさにこのラインを通っており、徳川家光から周辺の土地を寄進された直後の1643(寛永20)年頃、渉成園の造営を想定して御土居とその外側を流れる高瀬川の流路を東側(現在の下京区土手町通あたり)に変更していたことが判明しました」 (資料3)
このことを、かつて渉成園を探訪した折りに頂いた冊子資料で知りました。
ここでも、御土居跡が転用されて残っていたのです。

更に南に向かえば、御土居は消滅します。御土居南部の軌跡はJR京都駅の構内を東西に通過し、油小路通を南に下ります。御土居の南端は現在の九条通の北側沿いから南側沿いに曲折する軌跡となりますが、東西方向になります。 御土居の南辺は九条通あたりに築造されていた のです。つまり、御土居跡はJRの線路の下、道路、九条通沿いの建物下になっています。


「東寺」 の五重塔と南大門を西側から眺めた景色です。この南大門が九条通に面しています。この門から南、100m以内の距離にかつては御土居が見えたのでしょう。



九条通南側のバス停「羅生門」の東側で少し離れた位置に、この道路標識が立っています。(文字bを記入したところ)
現在は「九条御土居」という表示に「御土居」の外観上での痕跡が残るだけです。
「史跡御土居」の残る北部には、大宮土居町・旧土居町・紫野西土居町という風に、地名の中にも御土居の痕跡が残っています。この九条通沿い周辺を歩いてみて、また地図も確かめましたが、町名のなかに「土居」を含めたものはありません。


九条通に南面した 「矢取地蔵尊」のお堂 です。(文字cを記入したところ)
このお堂の西側に小さな 「唐橋花園公園」 への入口通路があります。

          その公園内、お堂の北東側に、 「羅城門遺址」碑 が立っています。


九条通を南に渡り、少し南に下がって振り返ると北の正面にこの矢取地蔵尊のお堂が見えます。 この付近が京都七口の一つ「鳥羽口」だったようです。
「東寺近辺には鳥羽・大坂方面に対して鳥羽口という関が設けられて」ていて、「通行税徴収を目的とした経済関」でもあったのです。 (資料4)

御土居は南辺の東西方向から、南北方向に転じて、西辺になります。直角に曲折しながら一番最初にご紹介した「市五郎稲荷神社」の史跡御土居に繋がって行きます。この御土居西辺もまた市街化の進展で外観での痕跡はなさそうです。発掘調査ができる機会に御土居跡の確認が順次できるだけでしょう。御土居の西辺では過去に少なくとも6箇所で発掘調査が実施されているようです。


「千本通」 の西側にJR嵯峨野線が平行して北に延びています。その西に南端が七条通に面し、東端がJRの高架の西側に隣接する形で、 「京都市中央卸売市場」 があります。


JRの高架に比較的近いところに、この標識があります。
京都七口の一つ「丹波口」です。 (文字dを記入したところ)
つまり、 この付近に丹波口を設けて、御土居の西辺が南北方向に築造されていたのです 。この御土居跡巡りでは、この標識のところが御土居の軌跡を外見的に示す最後の地点です。

何年か越しに現地を実見し、再訪もして積み上げてきた探訪の全体を何とか編集できました。
ご一読ありがとうございます。

参照資料
1) ​ 新板平安城并洛外之図 ​ 2コマ目 :「古典籍総合データベース」(早稲田大学図書館)
2) ​ 御土居跡コース ​ 京都歴史散策マップ :「京都市埋蔵文化財研究所」
3) 『名勝 渉成園 -枳穀邸-』 真宗大谷派宗務所(東本願寺)本廟部 参拝接待所
4) 『街道の日本史32 京都と京街道 京都・丹波・丹後』 水本邦彦編 吉川弘文館 p116

補遺
「平安京左京七条一坊四町跡・御土居跡」 ​ 2009年 京都市埋蔵文化財研究所
「平安京左京八条四坊八町跡・御土居跡」 ​ 2014年 京都市埋蔵文化財研究所
「平安京右京二条二坊十一町・西堀川小路跡、御土居跡」 ​ 2014年 京都市埋蔵文化財研究所
「平安京右京四条二坊十一町・西堀川小路跡、御土居跡」 ​ 2015年 京都市埋蔵文化財研究所
「平安京左京九条二坊十六町跡・御土居跡」 ​ 2015年 京都市埋蔵文化財研究所
「平安京右京四条二坊十一町・西堀川小路跡、御土居跡」 ​ 2015年 京都市埋蔵文化財研究所
「平安京左京八条四坊八町跡・御土居跡」 ​2016年 京都市埋蔵文化財研究所
「平安京左京八条四坊九町跡・御土居跡」 ​ 2016年 京都市埋蔵文化財研究所
「御土居跡」 ​ 2017年 京都市埋蔵文化財研究所
「平安京左京八条四坊八町跡・御土居跡」 ​ 2018年 京都市埋蔵文化財研究所
京の七口 ​  :「京都通百科事典」
京の七口 ​  :「京の霊場 数の資料室」

   ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)

探訪 京都・御土居跡巡り -1 市五郎稲荷神社・北野中学校内の御土居、紙屋川 へ
探訪 京都・御土居跡巡り -2 北野天満宮境内の御土居 へ
探訪 京都・御土居跡巡り -3 平野・鷹峯の御土居と紙屋川周辺 へ
探訪 京都・御土居跡巡り -4 鷹峯の御土居、大宮の御土居ほか へ
探訪 京都・御土居跡巡り -5 大宮交通公園の御土居跡、紫竹の御土居、賀茂川 へ
探訪 京都・御土居跡巡り -6 賀茂川景観・御土居跡の軌跡 へ

こちらもご覧いただけるとうれしいです。
探訪 [再録] 京都・寺町通を歩く -3 廬山寺(紫式部邸宅址)その1
  9回のシリーズの中で、No3,4で廬山寺をご紹介しています。
観照 [再録] 京都・洛中 廬山寺 源氏の庭に桔梗咲く
スポット探訪 [再録] 京都・下京 「渉成園」(枳穀邸)細見 -1 高石垣・園林堂・傍花閣ほか
  3回のシリーズでご紹介しています。
探訪 京都・洛中 千本釈迦堂周辺を歩く -1 紙屋児童公園・上品蓮台寺
  上品蓮台寺の境内に仏師定朝の墓所があります。

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Last updated  2018.05.16 21:09:03
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