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2018.05.29
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カテゴリ: 探訪
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月読神社を出て大住車塚古墳に向かいます。この古墳は府道251号線(富野荘八幡線)に面しています。


北側から 、「大住車塚古墳」 のエリアに入りました。


この古墳は前方後方墳で、車塚は全長が66mと推定されています。
ここは墳丘の上を歩くことができます。前方部は幅が18m、高さ1.5mなので少し高まっている位の感じで登って、後方部に向かいます。


「大住南塚古墳」 が並んでいます。 こちらも前方後方墳です。
こちらは全長71m、 後方部一辺37m、高さ4.1m以上、前方部幅30m、周濠を持つと考えられています。発掘調査による復元では、周濠長103m、幅73mと推定されているそうです。南塚古墳の方は、周濠の一部が現在も池として残っているとか。 (案内板より)



車塚古墳の後方部は一辺30m、高さ4.5m。こちらも周濠を持ち、周濠長98m、幅60mが現況でデータです。この大住車塚古墳は、地元では チコンジ山古墳 と呼ばれているそうです。 (案内板より)

両古墳の周濠は長方形 だそうです。これらの古墳は古墳時代中期の造営で、 南塚古墳は4世紀おわり頃、車塚古墳は5世紀初め頃と推定されているとか (資料1,案内板より)
また、車塚古墳の「主体部(棺をおさめたところ)は、竪穴式石室か粘土槨 (かく) と考えられています。副葬品は不明です」 (案内板より)



道路に面するところに、この石標と案内板が設置されています。
昭和49年(1974)6月11日に国の史跡に指定されています。所在地は京田辺市大住八王寺です。


府道沿いに南東方向に進みます。


            萱葺き屋根の大きな民家と黒板塀があります。

                  門前に、この駒札が立っています。


覆屋の下に三体のお地蔵様が並ぶのを眺めつつ少し先に歩むと、「天津 (あまつ) 神社」です。ここが今回最後の歴訪地です。

石鳥居をくぐると、境内の左側に駒札が立っています。


社伝では天禄年間(970-972)の創祀と伝わるようですが、明かではないとか。若宮社または若宮八幡とも呼ばれていたといいます。

石鳥居の先に、拝殿、瑞垣に囲まれた本殿があります。 拝殿に「天津神社」の扁額 が掲げてあります。


祭神は天御中主尊(アメノミナカヌシノミコト)と仁徳天皇です。

天御中主尊は天之御中主神と同一でしょう。造化三神の一柱で、神名の由来は、高天原の神聖な中央に位置するという意味合いであり、高天原の主宰神であり、宇宙の根元神だとか。記紀神話が形成されていく上で、新しい段階で創造された高度に観念的な神だそうです。 (資料2)


本殿は一間社流造で、元和3年(1617)社殿修造の棟札が最古のものとして残り、その後6回の造替・屋根葺替の棟札が伝わっているそうです。「小屋組のない屋根や簡素な妻飾りなど古様」 (資料1) を見せる部分もあります。

向拝の木鼻は彫りの深い造詣です。

        本殿の頭貫の木鼻はシンプルな形ですが大きな刳り抜きが見られます。
  本殿の背面


本殿前には石段の両脇に石灯籠があります。刻銘から文化元年(1804)建立のようです。
現在の本殿はこの頃の様相を見せているそうです。駒札にも、文化10年(1813)の棟札が伝わると記されています。 (資料1,駒札)


境内末社として 「水分神社」 が勧請されています。その左側には 「樹齢七百五十年 老松の跡」碑 が建立されています。この神社の古さを想起させる松だったことでしょう。 

「伊勢神宮遙拝所」 と刻された石標があります。

この天津神社の西隣には 「法華寺」 があります。室町時代の木造大日如来坐像が安置されていて、この像は東寺講堂の仏像に近似しており、15世紀末の康珍造立の可能性が指定記されているといいます (資料1) 。レジュメに仏像の画像紹介がされてはいたのですが、今回の探訪先ではなかったのが残念です。
尚、当時のホームページを拝見すると、本堂の主尊は久遠実成本師釈迦牟尼仏だそうです。

この辺りの地図(Mapion)はこちらをご覧ください。


天津神社の南隣が 大住にある浄土宗の「来迎寺」 です。ここも今回は門前を通過するだけになりました。天文2年(1533)に開創され、元和5年(1619)に再興と伝わるとか。
松井の来迎寺より30年余早く開創されている同宗同名のお寺です。ひょっとしたら当時の住職の間での関係があるのかもしれません。そんな想像をしてしまいます。
本尊は阿弥陀如来立像で、この仏像は天津神社の東側にあった西念寺の旧仏とされ、平安時代後期の造立と推定されているそうです。 (資料1)


JR学研都市線(片町線)「大住駅」前に設置された地域案内地図です。
この大住駅やJR「京田辺駅」、近鉄京都線「新田辺駅」と「酬恩庵(一休寺)」との位置関係がよくわかります。

 これでご紹介を終わります。

ご一読ありがとうございます。

参照資料
1)  龍谷大学REC「京都の歴史散策35 ~松井・大住を歩く」 2018.5.10
  (当日配布のレジュメ 元龍谷大学非常勤講師 松波宏隆氏 作成)
2)『日本の神様読み解き事典』 川口謙二[編著] 柏書房  p56

補遺
京都府埋蔵文化財情報 第87号 ​  京都府埋蔵文化財調査研究センター
日蓮宗 瑞応山法華寺 ​ ホームページ
法華寺 ​  :「京田辺道中記」(京田辺観光協会)

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探訪 京都・京田辺 松井・大住を歩く -1 天神社、仲谷古墳群、女谷・荒坂横穴群、松井横穴墓群 へ
探訪 京都・京田辺 松井・大住を歩く -2 松井の来迎寺 へ
探訪 京都・京田辺 松井・大住を歩く -3 両讃寺、月読神社、様々の発祥地 へ
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Last updated  2018.05.29 23:20:03コメント(0) | コメントを書く


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