横浜の税理士佐藤亜津子の「中小企業が元気であるために!」

私の「税理士史」その2

私の「税理士史」その1からの続きです

  3.受験生活・前半戦。

  周りは就職活動をスタ-トした頃でした。
  私もさんざん遊んでいた日々に別れを告げ
  必死に勉強しました。

  今思えばさんざん遊んだからできたのでしょう。
  (とはいえ当時も「30分飲み会」と称して授業後よく飲みには行っていました)

  1年目に簿記・財務諸表論に合格することができました。

  ここで普通は就職するのでしょうが
  図々しい私はまたもや両親を説得し
  「もう1年だけ」と受験生活を始めます。

  法人税・相続税・消費税の3つをスタ-トさせるも
  ボリュ-ムの多さにへこたれ、法人税と消費税に絞りました。

  結果は・・・全部ダメでした。

  当時はひどく落ち込んだはずですが、意外と覚えていません。
  しかしさすがにいつまでも勉強だけでは、と思っていたところ
  友人からの紹介により会計事務所でアルバイトを始めます。

  とても優秀な友人からの紹介でしたので
  まず間違いない、と思い2つ返事でした。

  初めて先生に会った時に「何がしたいの?」と聞かれ
  「コンサルティングとか・・・」と言ったのは覚えています。
  先生はどう思ったのでしょうね?


  4.初めての仕事、受験生活・後半戦。

  その先生は当時35歳。
  修業時代をバブル期で鍛えられ
  27歳で独立してすでに2、30件のお客様がいました。
  パソコンにも強く、自分でシステムを組むような方でした。

  一方の私は
  サ-クルの卒業生名簿作成時に「初期化」の意味がわからず
  さんざん苦労したトラウマからか
  それ以来全く触ったことはありませんでした。

  そんな私に「スイッチはここね」「電源切る前にフロッピ-抜いてね」
  1枚の表を作るのに何と!6時間!!かかったこともありました。

  忙しい方で1から10まで教えてくださる、と言うわけではありませんでしたが
  待ってくれました。
  きっとイライラしただろうに、と思います。

  私も忙しい先生に対してなかなか質問できずにいました。
  今振返ると、もっと遠慮せずいろいろ聞いてみればよかった
  と思います。

  1年後正式に社員となりました。
  そしてその先生が以前勤務されていた先生の事務所でも
  仕事をするようになります。

  その先生は不動産業に強い先生で
  また別のタイプの方でした。

  「税理士は税法知っていて当たり前。その他に何ができるかが勝負だよ」
  いつも言われていた一言です。
  今でもずっしり響きます。

  一方受験生活はというと・・・
  キツかったですね。
  何がって「受かるぞ!」と思い続けることが一番大変でした。
  でも受からないことには終わらない。
  無理矢理自分にムチ打っていました。

  このころになると睡眠はせいぜい4時間。
  起きあがれないのではないか、と自分のベッドで寝ることもなく
  いつもコタツで寝ていました。

  そんなこんなで消費税・法人税・相続税と合格し
  ようやく税理士試験に受かりました。

  でもこの頃の私はまだ「税理士」になっていません。
  ここからがスタ-トでした。

私の「税理士史」その3に続く



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