失われた時を求めて

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沖山秀子

大先輩。大学の学園祭で黒テントを美男子と観に来ていた。

映画青年だったので気になる女優でした。


出演作品

赤目四十八瀧心中未遂(2003)
陽炎座(1981)
十九歳の地図(1979)
黒木太郎の愛と冒険(1977)
真剣勝負(1971)

喜劇 男は愛嬌(1970)
どですかでん(1970)
アッと驚く為五郎(1970)
喜劇 女は度胸(1969)
わが恋わが歌(1969)
いつか来るさよなら(1969)
神々の深き欲望(1968)


アートと放埒な生き様は切っても切れないものだと考える人は少なくない。

実際、そうした「破滅型」アーティストの実例はいくらでもある。こと、ジャズ界には、麻薬、酒、そして恋愛と切っても切れない人生を送ったミュージシャンが多い。マイルスをして「惜しいことをした」と言わしめたファッツ・ナヴァロ(tp)は重度の麻薬中毒によって26歳でこの世を去っているし、麻薬と大酒が“バード”チャーリー・パーカー(sx)の寿命を縮めたことは誰の目にも明らかだ。リー・モーガン(tp)に至ってはその女癖の悪さから、33歳で愛人にピストルで撃ち殺されている。

沖山秀子(1945~)、女優、歌手。その生き様は著書『直射日光』に詳しいが、女優としての絶頂期に突如結婚→初婚後すぐに一夜のアヴァンチュール→飛び降り自殺……その後は酒、刑務所暮らしと、およそ時代錯誤とも思えるような「破天荒」な人生を生きた人である。

この日は沖山唯一の録音作品である「サマータイム」収録時のメンバーである、渋谷毅(p)、中牟礼貞則(g)を従えての久々のステージ。アルバムと同じく、「ここではない、どこか別のところ」から響いてくるような声(振動)に、渋谷、中牟礼が繊細に反応する。すばらしいステージだった。



この日のステージを語るのに、その生き様をバックグラウンドとした、沖山の人間としてのパワーを外すわけにはいかない。しかし同時に、沖山の歌唱力と、渋谷、中牟礼の音楽力ともいうべき、演奏技術の底の深さなくしては、それが「音楽」に昇華することはなかったはずだ。ほとばしる沖山のエネルギーを、きちっと音楽的文脈の中に置き直す2人の妙技によって、初めて沖山のブルースは形を得ることができたのだと思う。

突出した存在、社会から逸脱した精神が、凡庸な日常を生きる人間に新鮮な光を与えるということがあるのは確かだ。しかしその光は、すぐれたテクノロジーによって昇華されることなくしては、決して受け手に届くことはない、「生の光」である。そしておそらく、そのテクノロジーのことこそを、人々はアート(技術)と呼んできたのだ。

アルコールがガソリンだとのたまうミュージシャンもいれば、女と寝ない奴に小説は書けないと豪語する文豪もいる。けれど、まったくそういう生活を見せないアーティストのほうが(実は)数としては多数派である。

作家の村上春樹は毎朝5:30に起きて30分~1時間のロードワークをこなす。読者から「そんなに健康的な生活を続けていたら、作家として必要な“心の闇”が失われてしまいませんか?」という質問を受けた村上はこう答えたという。「そんなことで失われてしまう程度の心の闇では、とうてい作家としてやっていけませんよ」

なるほど。不健康な生活や、破天荒な言動というのは、芸術の糧になることはあっても、アートそのものではないということだ。



とはいえ、ライブハウスのような「前近代的」空間には、まだまだこうした「破天荒」型アーティストと出会う機会が残されている。今の日本においては、これもライブハウス巡りの魅力の1つと言えるのかもしれない。





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Last updated  2009/09/05 06:50:14 AM
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