その後の音楽活動としては、麻生レミをヴォーカルとしてフラワーズを結成し、新宿のジャズ喫茶でのライヴ活動を展開(横尾忠則の世界初のピクチャーレコードに一部収録あり)し、麻生レミはジャニス・ジョップリンのコピーを中心として一世風靡する(雨の後楽園でのグランドファンクレイルロード来日公演で前座をつとめる)も解散する(当時は、どのバンドもコピーおおはやりであり、又まったく通じない英語もどきの歌詞を、あたかも英語のように歌っていた・・・麻生もその一人)。その後、ボーカルにジョー山中、リードギターにスリーファンキーズに最後に加入した早瀬正男が結成していたビーバーズから石間秀樹(石間の大活躍するキッカケとなる)を迎え、フラワー・トラベリン・バンドを結成(日比谷野音でのライヴは相当迫力があった・・・同時にこの時期は極めて暴力的であり、ライヴ中にバンドメンバー(ドラム)を椅子からステージ下へ蹴り落とすなどの姿もみられた)し、1960年代末から1970年代初めにかけて、日本のロックシーンをリードする存在(いかなるバンドでも、ソロでも“おはこ”は”ルート66”のみ)の一人だった。歌手としての致命傷は声量が無いこと、必ずフラットすること。また演奏としては、タンバリンに加え、比類稀なるリードトライアングルが主なものであり、これは現在も変わらない。この時期の口癖は常に一言「I'm so tired.」であった。ただし自虐ギャグ(自虐ネタ)にもなっているとおり、自らにはヒット曲と言えるものはない。知名度はありながら必ずしも経済的に恵まれた状況ではないと言われるが、それを特に隠さないことでも知られる。
内田はお笑い芸人との仕事も多く、ビートたけしとは映画『コミック雑誌なんかいらない』『エロティックな関係』などで共演。撮影現場で数々の逸話を残し、たけしに多くのネタを提供した。またダウンタウンの松本人志にも注目し、1992年に放送されたダウンタウンの特番に出演。収録現場に現れた内田は「おい、しりとりをやろう!」といきなり言い出し、急遽松本とのしりとり対決が収録される事になった。これに飽き足らなくなった内田はさらに「おい、今から原宿を走ろう!」とこれまた突然言い出し、クリスマスムードに賑わう原宿の中を、松本が内田を追いかけながらしりとりを行うという企画に発展。松本を困惑させた。 家族 妻の樹木希林とは新婚当初の2年間以外、30年以上にわたり別居状態。樹木の話では両者おのおのの仕事があるため、ファックスで連絡を取りあっており、定期的に顔も合わせているという。2005年12月に内田の自宅が空き巣の被害に遭い金品を盗まれた際、内田は報道のカメラに向かって犯人に向けたメッセージと前置きを置いて「お前が盗んでいった物の中に時計があるだろ。ありゃあ俺の女房からのプレゼントなんだよ」「金なんかどうだっていいからよ。あれ(時計)だけは返せ。俺んちのポストにでも入れとけよ。ヨロシク」と盗品を返すように訴えた。娘は元タレントの内田也哉子であり、娘婿が婿養子として家族となった本木雅弘。結婚時に娘に送ったファックスの内容は「ロックンロールよろしく」「ジョンレノンが死んだ時以来のショック」。 エピソード 芸にも音楽にも厳しく、リハーサルで機材へクレームをつけるレイ・チャールズを殴ったり、ルー・リードに「日本人をナメるな」と啖呵を切ったり、「鏡に映った自分の顔が笑っていた」のに腹が立って鏡張りのホテルの部屋を破壊して拳を血まみれにするなど、その類のエピソードには事欠かない。 オノ・ヨーコから「マリファナ吸って、酒飲んで、女とばっか。そんな事が本物のロックだと思ったら大間違いだ」と説教され、「あんたたちが俺たちに教えて来たことじゃないか」と憤慨したものの、それがきっかけで映画を作るようになったとインタビューで語っている。 1991年東京都知事選挙に立候補、選挙活動を行ったことがある。その際に政見放送で延々ロックソングをアカペラ(「パワー・トゥ・ザ・ピープル」、「コミック雑誌なんかいらない」など)を歌い、英語で主張を演説した。選挙公報は「NANKA変だなぁ! キケンするならROCKにヨロシク! Love&Peace Tokyo」とだけ手書きでかかれた物だった。マスコミへのアピール時に政策をフリップ(放送用の手書きボード)に書き込む事を求められた際、「GOMISHUSHUSHA NO TAIGUU O KAIZEN SURU」(ゴミ収集者の待遇を改善する)と、所々綴りが誤記されたローマ字で政策を書いた。以上、数々の伝説的エピソードを構築する(彼は基本的に記述の際にはローマ字を多用する傾向がある。これは一説には漢字が苦手だからという話があるが、真偽は不明)。この模様は映画『魚からダイオキシン!!』にて一部垣間見る事が出来る。結果、無所属(政党推薦候補除く)ではトップの票を獲得。しかしメディアからは「売名出馬の泡沫候補」と批判されることもあった。 タレント・グッチ裕三が彼のものまねをする際にしきりに「シェケナベイビー」(Shake it up Baby)と言っているが、これは彼がカバーしたロックンロールの名曲「ツイスト・アンド・シャウト」を歌う様子を表現したものである。