部屋とYシャツとわらG

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小学校2年生 3学期 と春休み下関帰省


2007/01/21
歩くように滑る 「障害児と生きる日常(32845)」 [ 最近のことの日記 ]
 Sと、地域の養護学校PTA主催の休日遊びのイベントに行った。

 今回は久しぶりのインラインスケートがあった。

 1回目(一昨年)は10分で泣いて終了。2回目(昨夏)はかなり楽しんだが、ほとんど私の手に引っ張られてすべるだけ。楽しまくりだった。

 そして3回目の今回…スタートからやけに積極的だ。ヘルメットやひざあても素直につけさせるし、スコート靴にいたっては、勝手に棚からとって、「ヴウー(はかせろ)!」とアピールしている。サイズがあるから適当というわけにはいかないのに…。

 履いてからも、やたらと進みたがる。今回は一人で立つ方法なども教わったので、片膝立てた状態でその上に両手をおくポーズなども、まねさせると自分でやってみて立てた! ほめまくって以降は、何とか自分で起きあがるようになった。

 一方通行でぐるぐる回るだけのコースだが、まあそれなりに足を交互に出しながら進んでいた。うまく体重を乗せないので滑らないのだが、まさに「歩くように滑って」こけなくなった。

 前回は、自力でやらせたい…と思っても全然だったので、まあよしとするか。

 手が離れているので、目を離せるか…というと、コースに立ち止まったり、逆走しようとしたり、寝転がったり…結局つきっきりで歩かされるのであった。
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☆2007/01/23
給食交流 「障害児と生きる日常(32845)」 [ 最近のことの日記 ]
 週に一度、交流クラスに給食を食べに行く。私が行ける曜日なので付き添うようにしているのだが周りの環境にも慣れてきた。

 Sは泣かなくなったし、何よりも「いただきます」まで待てるようになった(とはいえ、遅めに行くので3分程度だが)。

 本当は、周りの食欲に刺激されて、偏食改善…も期待しているのだが、こちらの方は相変わらずのマイペース。

 今日も、まず食パンの耳だけ食べる。他に好きなおかずがないので少しずつ食パンの内側を食べる。

 持ち込みの米せんべいを食べる。終了。

 野菜サラダがある日はそれをよく食べるのだが…。

 きれいに外側のコロモがなくなったコロッケを見せたり、野菜を大食いしたり、魚の皮をもらって食べたり…と、友だちを不思議がらせてばかりの交流ではあるが、少しずつSが自然にいられるようになってよかった。

 もう後2ヶ月でクラス替えなのだが、優しい子とまた同じクラスになれるといいなあ。
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2007/01/25
歯医者まとめて治療の日 「障害児と生きる日常(32845)」 [ 最近のことの日記 ]
 本日は待ちに待った治療の日。昨年の夏休みくらいから歯医者に行き始めたが、自閉症児Sは「身の危険」を察知して診察台に寝そべらない。

 もちろん、普通に治療するのは難しいので、「診察に慣れる」ことと「虫歯の治療をすること」を別だてにした。

 ほぼ全身麻酔のようなことを点滴でおこなって、4カ所の虫歯を一度に治療する…というある意味手術みたいな大事(おおごと)になったのだ。

 鼻で息ができないと危険なので、一ヶ月前から風邪をひいてはいけない…という難条件もクリア。そして今日も4人がかりで押さえつけての採血からスタートした。

 前回に続いて、すんなり注射を受け入れて一安心。注射針を点滴に代えて、「さあ、眠たくなる薬が入っていくよ…」となってから大抵抗。点滴の管がじゃまなのか、出て行くのはいいけど入ってくるのはいやなのか(笑)、力が入っていたが、だんだんと力が抜けて寝た。

 ストレッチャーで診療室に運ばれる様はまるで救急搬送患者なのだが…実はただの虫歯治療。

 一応、妻が部屋の中で付き添い、私は1時間半あまり待合室へ。歯医者さんの治療の音を聞くだけでも自分の歯がうずくような気がしてとてもじゃないけど見ちゃおれん…。一方で妻は、終わってから「工芸の作業を見るようで手際がよかったよ」などと楽しめて?いたようだ。

 時々、様子を見に行くのだが、その都度、何か顔周りの器具が増えている。

 体の拘束具はもちろんやるとは思っていたが、口のところに金具がついている。

 寝ているくせに「口を強くかんで開けない」というかたくなな態度(笑)だったので、口を開いた状態にするためにつけたらしい。

 日頃は口を開けて寝ているくせに。

 最後の30分間。

 目の上に何かテープが貼ってあるのをよく見ると…目の上にかぶせてあった。

 どうやら、寝ているくせに「目が開いてくる」ので、安全のために無理矢理テープで留められたらしい。

 そんな抵抗むなしく、見事に治療が終わった。

 「乳歯なのに堅かったです。 しばらく虫歯の心配はありませんね…」との歯医者さんのことば。

 牛乳が飲めなくても、魚の骨までかじるのがよかったのか?

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2007/02/04
雪国 「障害児と生きる日常(32845)」 [ 最近のことの日記 ]
 2月の初め、Sは特学のみんなと1泊2日の宿泊学習に出かけていた。

 もちろん我が家の場合はSへの親付き添い参加が条件。寒いからスキーも嫌いな私が行ってきた。

 新潟県の小さな旅館に泊まるこの行事、メインは「そり遊び」だ!

 旅館に到着して昼食…さあスキー場に出発だ! とその前にバスの周りで雪遊び。

 Sは日頃も「手袋30秒」の男なのだが、これだけ寒くてもこの日も10秒ではずして、あとは素手で雪遊び。

 では、バスに乗って出発…となったのだが、スキー場へのバスは、学校から乗ってきたバスではなくてそのとなりの違うバス…。

 私も「あれ、そっちだったのか!」と思ったのだが、さっきの席に乗るつもり?だったSは自閉症児のこだわりか、変更へのショックか、バスに乗ったものの大泣きであった。これから一番楽しい時間だというのに…。

 5分で到着し、ひとまず無理矢理降車。みんなには先に行ってもらい、トイレに行ったり、雪の中で泣きわめかせて少しずつ回復。

 ゲレンデに出ると、「ヴー」とリフトを指さす。

 「そりをやる人はあれには乗りません」などと言ってもまあ納得するわけもなく、またちょい泣き。転がったりしているうち(こういうとき雪上はけがもなくていい)にリフトの向こう側のそり乗り場にやっとたどり着く。

 しかし、滑り降りるためには、登らなければならない。1回だけでもやってしまえば来た甲斐があるし、たぶん楽しくてはまるだろうと思うのだが、その1回目までが大変だ。

 登る途中で立ち止まったりひっくりかえったり。手づかみで雪を食べて水分補給…。歩くのもういやだとまたひっくりかえる…。

 一番上まで行かずに、途中からまずは滑った。

 そりに乗り込むことは全然いやがらずに、うまく二人乗りでスタート。

 実は雪ぞりは私も初めてで、どうなるのか見当もつかない。草の上をダンボールとかで滑ったことはあるが、Sがどう反応するかも予測不能。

 でも、どうにでもなれとスタート! そりは20mくらい進んだあと、前方に大きな雪の固まりを作って止まった。

 どうやら、Sも私も足でブレーキをかけたことで、そこに雪がたまって進まなくなっていたようだ。

 「また、行く人?」の問いにSは元気よくハイタッチ!

 2回目からは前向きに登っていく。それでも山登りは大変で、上に行くたびに私は息も絶え絶え。

 次はかなり上の平たいところからスタート。

 Sの足を両手で持ち上げ、自分の足を上に伸ばすと猛スピードになった。50mくらいの距離だがとても楽しそう。

 すっかりはまって何度か繰り返すうちに、途中で一人乗りにしても、なんとか滑っていった(ただし人が前方にいない時じゃないとよけられず危険。他の場面では危険な人同士が滑っていてかなり怖かった)。

 途中で一度レストハウスに戻ったりもしたが合計8本くらいすべり、ご機嫌でそりへの印象のいいうちに、みんなより早く切り上げた。

 さて宿に帰って、入浴・食事。さすがに疲れたのか、就寝前にもう眠そう。Sは日頃は11時頃まで寝ない(以前はもっと深夜まで寝ない睡眠障害ありだったがこれでもよくなった)し、初めての場所では寝ないし騒ぐし大変になる。特にベッドで飛び跳ねられないと安定しないのかその傾向が強い。

 就寝時刻前に電気を消して準備。ちょうどそこへ校長がやってきて、添い寝。三人で川の字に寝ているのだが、ことあるごとに、校長へ甘えるふりをしながら、急に背中キック・顔デコピン・上に乗る…など、好き放題。ギャハハハと笑っている。

 笑ってる場合ではないが、私も謝りながらも笑ってしまった。(ある意味よくやった)


 そのうち、「本当に眠くなってきた」…と校長も退散。その時はまだ寝なかったが、その後、9時半にすっと寝てひと安心。

 私は小さな音でテレビを見ながら11時頃眠りについた。


 ところが、深夜2時に、オオカミの遠吠えが聞こえて目が覚めた。

 夢ではなかった。となりでSが「ワオー」と吠えている…。あー、はじまったか、数年前の熱海の夜は霊の気配でも感じたのか、走り回ったり泣きわめいて大変だったのだが…と思い出しながらびびったのだが、さすがに成長したのか、たち歩いているところを布団に誘うとおとなしく入り、30分くらいしゃべった?あとでまた寝てくれた。

 そして早朝5時にまたオオカミの遠吠え。今度は旅館前の除雪車の音に反応して起きたらしい。確かに結構な振動と音だ。十分寝ているので、もう無理に寝せるのはあきらめて、トイレに行かせ、二人で布団に入ってごろごろした。こうやって起こそうとするとまた寝るからなんて素直なやつだ(笑)。

 それにしても、昨年は「絶対無理」と参加を見送った宿泊行事、こうして参加できて無事に過ごして帰ってきたのだから、結構感心した。Sもがんばったけど、まわりの先輩たちや先生の存在が大きな安心だったのかも知れない。ありがとうございました!

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2007/02/12
初体験 日本文化 「障害児と生きる日常(32845)」 [ 最近のことの日記 ]
 昨日、つるつる滑り台のある公園で遊んでいたSは、駆けまわっていたかと思うと急にもぞもぞし始めた。

 「さては、おしっこか!? しかもせっぱつまっている…」と辺りを見回し、人気のない林に入り、たちションを…と始めた。

 ところが、すぐには出ない。

 「それなら、できればトイレでやろう!」と、たちションポーズをとらせた後に気づいた100m先のボロトイレに手を引いて走った。

 「まだだよ、まだだよ、まだだよ×50回」を私がつぶやきながら、Sは笑顔で走って到着。

 小便器の前でズボンをおろすが…出ない。

 なぜか小便器に向かって、後ろ向きになろうとする…。

 「あ、大の方だ!」と気がついて、あわてて隣に移動開始。

 この判断が遅れるとあやうく小便器に虹の橋が架かるところだった。

 ところが、入った先は公園の公衆便所だから「和式トイレ」だ! 

 今までSは、「紙おむつの中」 → 「洋式トイレ」 までは進化したが、和式は練習の機会がなくて未体験。

 しかし、そんなことは言ってられないので、あわててズボンを全部脱がそうとするのだが、靴もひっかかるし、もう間に合わなさそう…。

 ズボン・パンツを足下までおろした状況で、便器をまたぐのも難しくなってきたので、便器の後方から、後ろ向きのまま、私が手を引っ張った状態で、発射! 

 大爆弾が見事に便器の中に命中! 

 あー、間に合ってよかった。

 まだまだ練習することがたくさんあるんだなあ…。

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2007/02/17
楽器遊び 「障害児と生きる日常(34761)」 [ 最近のことの日記 ]
 地元の養護学校主催のイベントにSも参加。

 今日は中学校のブラスバンド部が演奏をしてくれたり楽器をさわらせてくれたり…という企画。

 昨年は少し怖がっていて慣れるのに時間がかかったのだが、今日はOK。

 ただし、前回「インラインスケート」をやりに来た学校だったため、「今日は違う」と納得させるためにわざわざ体育館に一度行って、「今日はやっていない」ことを見せないと行けなかった。面倒な男である…。

 しかし、一度見ると納得し、音楽会場で楽しんだ。

 楽器をさわらせてくれる時間帯…待っていると中学生数人のグループが吹きものや打楽器をもって交代でやってくる。

 ギロ?のようなゴリゴリ系の楽器については、Sはしつこいくらいにいじり続ける。


 木琴は、相変わらずグリッサンドの嵐。

 オーボエの音がうまく出て、みんなに拍手されるとご機嫌。「指の部分はお前がやれ」(言わないけど)とうまく伝えて、かわいい女子につきっきりでやらせる王様のような小学2年生であった。

 さすがにトランペットの音は出なかったので、悔しかったのか、手や頭を先に入れようとしていた。

 最後に自分たちのすぐそばで全体演奏をしてもらい、その際は、耳をふさいで各楽器の至近距離までいく…という謎の突撃を繰り返して楽しんでいた。

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2007/03/18
ボウリング 「障害児と生きる日常(34761)」 [ 最近のことの日記 ]
 養護学校PTA主催の交流行事にSと親子3人で行ってきた。

 インラインスケートとかブラスバンド体験とかいろいろとここでしかできないことに参加させてもらってきたが、今年度の最終回はボウリング大会だった。

 ガーターガードもついているそうだし、もしかしたら破壊好きのSはピンに向かってものすごいエネルギーを爆発させるかも…と思って参加した。

 球を積極的に持ちあげて、運ぶのは好きなのだが、投げるとなるとやる気なし(笑)。


 あまりの勢いのなさに、私が一緒に転がしたり、転がり始めた球をさわって勢いをつけたりとかいろいろとやるのだが、向こうまでたどり着かずに球が戻って来はじめて、係員を呼ぶことも…。

 そのうち、レーンの手前に球を置いて、片ひざついたSと一緒に手で転がす…という投法をおこなってやっとまっすぐ転がるようにはなったのだが、なかなかピンに当たらない。

 先のガーターガードにずーっと沿って球は進むのだが、なぜかピンの手前の最後だけガードがない。

 毎回、最初はまっすぐなのだが、球に勢いがなくて右か左にそれて、最後はガードのお世話になり、ピンの手前で消えていく…。

 奇跡の第1投目以降(5本くらい倒れた)は、1本も倒れない。

 ところが機械の得点板の表示は、2巡目以降、1投目はスプリットの3点、2等目は2点とたいてい表示されており、1本も倒さないのにいつも5点くらい入っている? 

 隣のレーンの人を見るとG(ガーター)の表示もちゃんとでている。もしかしたら高等部のお兄さんたちの参加が多かったから、小学生はハンデがついて、機械に名前を入力するときにハンデ入力とかがすでにされるのかも…。確かに同じレーンのボランティアのおばさまがガーターを出すとGと表示された。今時のボウリング場はすごい。

 途中ぐずったりしながらも、なんとか2ゲーム最後まで過ごすことができた。だから10回×2×2ゲームで計40投やったので、それだけでもえらかった。

 同じレーンの小学部のお兄さんは、順番を待つのと、音がうるさいのと、レーンに駆け出せないのとが複合した理由(推定)でパニックがだんだんひどくなって途中退場してしまった…。そんな後だけに「うちのSは今日よく持ったなあ」と思えた。

 ちなみに40投のうち1投は、Sのぐずりがちょうど激しくて代わりに私が投げたのだが、あまりの球の軽さと指穴の小ささで、投げたつもりがまだ手に残っていて、そこから「ポン」とすっぽ抜けてしまい、まるでソフトボールの投手のような球が飛び、激しく落ちてのガーターだった。おかげで得点をとりすぎるような影響はなかった(笑)。

 山場が一度あった。珍しくその回はSの投球に力が入っていた。そうとは知らずに一緒に強くSの手を押し出した私のパワーと合体して、かなりの勢いがついた。

 球は最初から左に向かいガーターガードを直撃した。しっかりと斜めに当たるとしっかりと跳ね返ってくる。(入力角と反射角は正しい?)

 今度は右のガーターガードに激しくぶつかって、そして跳ね返って戻ってきた。そして球は、右斜めからの完璧なラインを描きながら、1ピンの少し右側からピンのあるところに入っていく…。

 ガシャ、グワッ、ポテ、ポテ…と倒れていき、なんとストライク! いやあびっくりした。

 当のS本人は投げ終わると球の行方など気にしていないので(なるべく見せるようにしても目が見ていない)、わかっていなかったが、まわりのみんなが騒ぐのでなんだか驚いていた。

 1ゲーム目だけで順位を決めるのだが、Sの初ボウリングは67点(実際は20点くらいか)58位(78名中)という結果であった。

 ひとまず、ボウリングにはあまり興味がない…ということがよくわかった。

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2007/03/24
下関帰省 1 「自分らしい生き方・お仕事(65529)」 [ 最近のことの日記 ]
下関への道のりは新幹線だけでも約六時間。
乗り物好きとはいえ、自閉症児Sがこの時間、耐えるのは大変・・・。よくがんばった。

特筆すべきは、うちに飲みに来てくれた二人の友人。

よく飲み、よくしゃべり、代行屋と帰っていった。

すごく楽しかったのだが、ほとんど記憶とび・・・。

夜打ったお礼のメールにはthank_vouとなっており、yとvの区別がなく、かなりの酔いを推測させる。太ってない相手でセーフ。少しアウト?

夜中三時半と四時半に吐いた。

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2007/03/25
下関帰省 2 「障害児と生きる日常(34761)」 [ 最近のことの日記 ]

二日酔いの、私とその父(じいさん)を含む一行(プラスばあさん・妻・S)は朝から母方の墓参りに出かけた。ここは昔は山の中の一角と思っていたのだが、墓地を増やすために切り開くうちに、関門橋が目の前に見えるは、違う方向には海峡ゆめタワーが見えるは、旧市内を見渡せるは、海は見えるは、もう大変な一等地である。

 Sは相変わらず墓のまわりの囲いの上をぐるぐる回ったり、アクロバチックだ。

 急に動きが止まる。

 ズボンの上から股間をさわる…。

 ムムムム…これは…。

 墓地なのでやむを得ずその辺でというわけにも行かず、すみっこまで連れて行き、金網のところで立ち小便をした。いい景色で気持ちよさそうだったので私もしたくなったが、大人なので我慢した。




 その後、関門橋を渡って門司港駅へ。いわゆる「門司港レトロ」と呼ばれている街(いつのまにかあのさびれた倉庫街がそういうことになったらしい)に行った。ところで、関門橋を渡るのはまだ生まれて3回目くらいだ(笑)。地元というのは案外そういうものなのか、安い関門トンネル(人道は無料、車も橋より安い)は多分100回といわず通っていることであろう。

 我が家のケチぶりを示す話だったが、今回はSをよろこばせようとじいさんも素直に橋を通ったのだった。

 さてその門司港レトロ、昭和レトロを装って最近建てられたもの…がずいぶん多いようにも思ったが、写真の門司港駅は「本物のレトロ」だ。昔からぼろかった。駅前広場でフリーマーケットなど行われていたが、その様子は都会のフリマとは何か違い、東南アジアの市場のようであった(行ったことないけど)。

 そして、昼食へ。旅行中のSはとにかく食べない。1泊2日食事抜き…なんてことも過去にはあったが、昨年の下関帰省ではまあまあ食べた。

 今回も1日目はあまり食べていない。

 彼の食べそうなものとして私のチョイスは…瓦そば。

 川棚温泉名物(今は下関だが合併前は豊浦郡)の元祖瓦そば「たかせ」が、なぜか門司港に進出していた。



 錦糸卵とか甘く軟らかく煮た牛肉とかが上に乗った茶そば(ゆでた後、瓦の上で焼く)をモミジおろしとかレモンを入れた特製ダレに入れて食べるのだが、結構おいしい。

 でも他店の「瓦そばもどき」は一つまちがうとかなり変な味となる…。

 この店になぜかあったので頼んだ「ふぐのからあげ」をSはまず食べ始めた。 

 そこに、このブランドもの瓦そばがドーンと3人前置かれた。これをSは食べまくった!

 案の定、茶そばの焦げたところばかりを食べる。

 しょうがないので、牛肉や錦糸卵ばかりを私たちは食べていたのだが、はたからみると、小さな子にそばだけ食べさせて自分たちはいいところを食べている一家のようであった。

 昼食にSは大満足。お礼に帰りのトイレで、旅行となると便秘がちな便までしっかりとしていった。



 さてこの写真は一部上のヘリポートがきれているのだが、黒川紀章氏設計の高層マンション「門司港レトロハイマート」の31回展望室にのぼった。

 高いところ好きのSはすぐに窓に張り付き、じっと下を見ているのだがその景色はこんな感じだ。

 彼はガラスがなくてもこういうところの端まで行ってしまうのだろうか?

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2007/03/26
下関帰省 3 「障害児と生きる日常(34761)」 [ 最近のことの日記 ]
 今回帰省中に忙しかったのはここで1泊2日の家族旅行にさらに出かけたからだ。

 実家を起点にしていると、私たちにとっては旅行でも、じいさんとばあさんは自分の家にただいるわけだから、奮発して別府の鉄輪温泉にご招待したのだ。

 こっちが帰省できて、じいさんばあさんも元気で…という時期がいつまであるかわからないので、今年何とか実現したかったのだ。親孝行だな、今の俺。(笑)  

 ばあさん(私の実母)は、ここ数年「メニエール病」が出ており、めまいがしたり、吐いたりとかも時折あるらしい。まあかといって死ぬような病気ではないのだが、帰省の前日にも一人で倒れて、竹のかごでアタマを打ったり?ということもあったので、別府旅行までは何かと安静にしてもらった。

 食事も鉢盛りをとったり外食したり(これはバーミヤンがあったおかげでS大喜び)、朝食の洗い物は私たち夫婦でやったり。親孝行だな、今の俺(再笑)。それなのに、すぐに勝手に人んちの洗濯物を取り込んだりするので、結局お礼を言う前に文句を言ってしまったり、冷たく突き放したりするのであった…。

 で、下関から別府まで車で行くのだが、そんな遠距離運転も大丈夫…な人が、うちのじいさん(私の実父)だ。彼はトラック運ちゃん(厳密には石油タンクローリー)歴40年(推定)以上のベテランである。長距離運転はお手の物で、昔小学生の私は仕事帰りに石油タンクローリーで甲子園球場に乗り付けたこともある。(その時に「ここは観光バスの駐車場です」と注意されても、「あいとるんやけー、ええやないか」と強引な父に結構感動した(笑))

 さあ、そんな頼りになる父…のはずが、今年はやはりちょっと感じが違う。本人は今までと同じつもりだろうが、もうすぐ70歳ともなるとやはりどこかあぶなっかしい。運ちゃん引退からもう10年以上すぎてもいる。

 下関で高速に乗った後、いきなり「ありゃ、こりゃ、どっちかいのう?(あれれ、これは、どっちなのだろう?)」と言いながら、広島方面と福岡方面に別れる道の真ん中で止まった日には(もちろん高速入り口で止まっては行けない)、これから先が不安なのであった。

 さらにカーナビが古くて使い勝手が悪い。「俺のアタマに道は入っとる」と豪語する割にはすぐに「ありゃ?」というので結局私は昔ながらの地図を見ながらのナビ役。さらに、気がつくとすぐ30kmオーバーしているようなスピード狂じいさんをなだめながら私は眠れないのであった。

 さて、そうやってお昼には別府に着いて、別府駅ビルのなんてことない店で食事。カレー屋とかたこ焼き屋とかが集まっている場所で席にいろいろと持ってこられる。ところがこのなんてこともない店の豚骨ラーメンが、びっくりするほどうまかった。

 私はかなり豚骨ラーメンにうるさく、しかも博多ラーメンだと今ひとつ満足しないどちらかというと肥後ラーメン寄りの下関人の好みなのだが、その私をして満足させる角煮ラーメンセットであった。

 ちなみにSもじいさんのラーメンをとって食べていたが、そんな中、私はあまりとられないように素早く食べた。

 さて別府では、鉄輪(かんなわ)温泉地獄巡りへ。これは私が小学生の修学旅行で来た道でもある。

 しかし我が家のように、メニエールで目が回るばあさん、観光地ではダッコマンに変身しがちなS…などさまざまな困難を抱える場合は、8つも地獄に行かずにホテルに近いところだけにした。

 「地獄に無理に行かんでもそのうち本当に行くからええ」(地獄巡りで無理して全部に行かなくても、本当に死んだら地獄に行くからその時見るからいい)というじいさんのせりふには妙に説得力があって笑えた。 (まあ地獄行きはあんただけでたぶん他の人は天国かも知れないぞ)

 行ったのはまず白池地獄。

 そしてかまど地獄。ここは我が家のようにたくさん行けない人にはうってつけだった。

 本来ならかなり遠い場所にある他の地獄が、スケールこそ小さいが、プチ「血の池地獄」、プチ「海地獄」などあるのだ。

プチ血の池地獄


プチ坊主地獄


プチ海地獄


 すみません、「プチ」は私が勝手につけただけで、実際は「地獄の○丁目」とかいう表記だったように思う。

 そして最後に「足湯コーナー」。

 誰も何も教えていないのに、Sは勝手に靴を脱ぎ、靴下を脱ぎ、ズボンのすそをめくり(笑)、その青いお湯に入ったのだった。まわりのお客さんの様子を見てまねをしたのだと思うが、どちらかというと新しい体験が苦手なはずの自閉症児が、えらく積極的なので驚いた。

 そして、この足湯コーナーの横にある温泉卵もおいしかった。

 せっかくそばにあるので次は「金龍地獄」へ。ここはいわゆる地獄巡りの数に入っていない。たぶん、そういう組合(地獄組合?)に入っていないのか入れてもらえないのか…。どうせ共通券ではなくバラで買っていたので気にせずにそこに入った。「大勢に与せず」みたいな姿勢が気に入ったので…。

 ちなみに中には、大きめの仏像や竜やバナナ園があり、まあ他にそう驚くことはなかった。

 関係ないが、今はもうないようなのだが、30年も前にやはりそういう正規の地獄?ではない「ヘビ地獄」とかいうのに入ったら、半径10mくらいのすり鉢状のあり地獄のような形の中に、何千匹(何万匹)というヘビが入っていて、下は重なり合うようにニョロニョロ、がんばって上の方まで来ているヘビも結構いて、私はのぞき込んで気絶しそうになったのであった。

 ある意味、インディ・ジョーンズのあのシーンよりすごかったのだが、やはり動物愛護の観点から問題だったのだろうか? もうないと思うとうれしいようなさびしいような。

 さて、今回の旅行では地獄巡りをそうそうに切り上げてホテルに行った。

 宿泊は、つぶれたホテルを買い取って最近リニューアルされた「もと湯の宿 黒田や」というところ。

 応対もみなさんにこやかで、とにかく食事がおいしかった。部屋も和洋室で広々していたし、文句なし。

 温泉は小さめだが「源泉かけ流し」。

 Sは最初は緊張して温泉の中を立ってうろうろしていたが、そのうち湯につかるようになり、その後は一緒にあがろうとしてもまた戻って温泉に入る…くらい気に入ったようだった。

 強いて文句を言うとしたら、男性用露天風呂が白池地獄の駐車場ととなりのホテルおにやまから丸見えだということくらいか。これは見られてどうのというよりも、向こうも駐車場からふと目をやるとおっさんたちが裸でびっくり…という感じで、見られているこちらが何か悪いこと(露出系の犯罪?)をしているような気になるので(隠してたけど)ぜひ見えなくして欲しい。すると、すでに屋根はあるし、まったく露天風呂ではなくなるからやらないのかもしれないが。

 夕食を個室で食べる際に、スリッパを脱ぐのだが、部屋でスリッパをそろえるのを教えたこともあり、Sはこだわりとしてピシッとそろえる。人のまでそろえる(笑)。これには仲居さんが感心して、「僕、えらいねー」とほめまくっていた。

 「お行儀のいい僕」と呼ばれたS…その後は走り回ったり、超音波(奇声)を発したり、何度もトイレに行ったり、その際廊下で泣いて寝ころんだり…かなり大きな印象を与えたとは思う…。

 それでも全体的に笑顔(ちょっと目が点になっているけど)なホテルのみなさんであった。

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2007/03/27
下関帰省 4 「障害児と生きる日常(34761)」 [ 最近のことの日記 ]
 本日は別府旅行2日目。それにしても一晩中湯煙が出ている街ってすごい。

 本当は遊園地に行く予定であった。行き先は今はそう流行っていない「別府ワンダーラクテンチ」。

 実は私も小学生の時に行ったのだ。

 当時、お化け屋敷の中に、足下がはしごになっているところがあり、その下に網が張ってはあるがかなり怖かった。暗闇にはしごなんて今ではまずないかな…。お化けと高さの両方の恐怖から焦ってか、クラスの女子が靴を落としてしまったのを覚えている。

 ちなみにその靴は、後からお化けが届けてくれたらしい(笑)。

 古い遊園地のその風情は、関東でいうと「浅草花やしき」といったところか。

 ところが天気予報は雨。

 そしてラクテンチに向かう車中で雨は強くなってくる。あきらめて、予定変更。これまた多分その当時(30年前)に行った水族館に行くことにした。

 しかし、このマリンパレスは、全面リニューアルして立派なものになっていた。当時の面影を残すところは皆無。

 一度つぶれた?という話も聞いたような気もするので、別会社でやっている現代的な水族館というところか。下関の懐かしい水族館も現代的な海響館というのに生まれ変わっていたが同じような感じだった。

 まさか混んでるなんてことは想定していなかったのだが、ものすごく混んでいた。それもそのはず、このあたりの小学校の春休み初日で、しかもこの雨でラクテンチ・城島ゆうえんち・サファリランドなど他の施設に行くつもりだったみなさんがみんなここに来てしまったかのようであった。

 人混み嫌いで、生物に特に興味のないSが、人をかき分けてまで水槽を見るわけがない…と思っていたのだが、しながわ水族館、下関海響館、そしてこの別府マリンパレス「うみたまご」と3回目にしてだいぶ興味が出てきたらしく、気に入ったものは見るようになった。

 どちらかというと光やガラスの形状や座りやすさが気に入ると近づいて長居するようにも見えるが、そのあたりは基準がよくわからない。

 2番目によく見ていたのは「イワシ」。ライトアップされてきらきら光るのがたくさん泳いでいたから見ていて楽しかったようだ。まあ他にこんなに珍しい魚がたくさんいるのに、日頃食べている魚をずっと見ているのもどうかとは思うが…。

 1番は…

 お姉さん。

 水槽の掃除をスーツ着て潜ってやっているお姉さんに釘付け!

 掃除をする吸盤みたいなものを反対側から一緒に追いかけるのには笑った。

 掃除中のところなんてそれまで誰もいなかったのだが、Sの粘りに少しずつ人が集まり、そのうち携帯で写真を撮る高校生男子まで現れた…。水中でえさをやるときならともかく、掃除中…。

 ずっと、観客の動きを無視していたお姉さん…ちょっと困っているようであった。

 帰り道は、高速道路でものすごい霧に遭遇。

 「恐ろしいねえー」とか言いながら寝てしまうばあさんと妻にあきれていたが、私もつい目を閉じてしまい次に開けたときには、霧が晴れ渡っていた。(30分経過)

 一人で(Sも起きているが車ではおとなしい)平気で霧の中を運転したじいさんは、さすがは元プロ運転手であった。

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2007/03/28
下関帰省 5 「障害児と生きる日常(34761)」 [ 最近のことの日記 ]
 5日目になるこの日、父方の墓参りに行った。

 父方の墓は山陰の豊浦郡豊北町(今は下関市)の生家付近にあるのだが、その家はあまりに山奥すぎて電気も引けなかったのでもう誰も住んでいない。住まないうちにかやぶき屋根の家は数年のうちに朽ち果てて、竹が生え放題の土地になっている。

 しかし、水はわいているし、花も柴も現地調達できる。その家の跡地付近は風がなく穏やかな気候で、昔の人はこういう自然条件のところを探してうまく家を建てたのだろうなと思う。

 墓はその家の位置からさらに高台にのぼったところにあるので、「墓参り」というよりは「山登り」である。



 写真はその墓地から見える景色だ。

 一族の墓がある5m四方の場所だけは草がほとんど生えていない。これは手入れがいいのではなくて、すべて「土葬」だったので、何かの成分が土に入っているのだと思う(そうでないと霊の力ということになりかえって怖い)。



 たくさんあるのは、一族の墓という立て方ではなくてすべて一人ずつ埋葬していたからだ。江戸時代にアメリカに渡って戻ってきた女性のお墓など明治期まではしっかりした墓石のお墓が多いのに、かえって現代に近い方がただの石を置いただけになっており、わらG家の栄枯盛衰を思わせる…。

 私のじいさんの墓なんて、真ん中に石一つ、まわりを石で取り囲んだだけなので、油断しているとSがその上に立っていた…。

 さて、もう一カ所墓地がある。一度家の跡に戻ってそこからまた反対側の山に登る。



 なぜ、こちらにも行くかというと、先祖の誰かがよその名家に養子に行き、でも自分の家の方も絶えそうになったのでまたもどり…とかそんな経緯で、親戚のようなそうでもないようなそういうお墓がたくさんあるとのこと。どれが一族のものでどれが他人(当時の使用人の方)のものだかわからないような状態で、以前は草ボウボウで入れなかった場所なのだが、今は整地されたのでなるべく行くようにしている。

 結構「横溝正史シリーズ」のようなすごいムードを出している場所だ…。


 さて、墓参りの後は「角島(つのしま)」へ行った。ここの海は美しい! そして造った大橋もまるで海の上を走っているかのようだ。トンボロのできかけみたいな地形で、連絡船でしか行けなかったこの島が今では簡単に行けるようになった。



 島には大きな石造りの灯台(映画「四日間の奇蹟」にも登場)などたくさん見所があるのだが、橋を渡る料金は無料だからびっくりする。地元の方は無料にしても、どうせ開発するなら地域の収入になる方法を考えればいいのに…。たぶん500円取っても普通文句言われないと思われる。うちの父は文句いうだろうが…。

 橋の手前にあるオブジェは、去年もSの滑り台となっていたが、今年はもはや慣れたもの、その先に立って海を見渡していた。





 角島の特産品を取り扱うみやげ屋「和田水産」のひげおやじの紹介で、有名な灯台の反対側にある「牧ノ原 風の公園」(名前が違うかも)にお散歩に行った。こちらは駐車場も無料、牛がのんびり放牧されていたり、行くまでの道も昔ながらの島の道路だ。

 Sは、石の段が続くところを歩くのが好き。(平均台のように上に乗って歩き続ける)


 Sは、風に吹かれるのが好き。(「うほーい」とか声を上げながら喜んで時々タオルをとばす)

 Sは、水に入るのが好き。(海に走り出したりしてがけを降りないように必死で手をつかんでいた)

 何もなくて、でも暖かい風が吹いて目の前に美しい海があって…すばらしい場所だった。
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2007/03/29
下関帰省 6 「障害児と生きる日常(34761)」 [ 最近のことの日記 ]
 本日は最終日…もうほとんど新幹線で過ごす一日だ。 

 映画「長州ファイブ」(たぶん井上馨とかあのあたりの長州藩の人物を描く映画?)にちなんだ「長州ファイブ」という駅弁があり、うに・めんたい・ふぐ・あんこう・くじら…がそれぞれ入っているという下関の名産品を寄せ集めたかのようなうまそうなお弁当1300円であった。

 見本を見ると、どう見ても「有頭えび」が主役に見えるが…それは数には入れていないようだ。

 でもせっかくこの数日おいしい海の幸を食べていたのに、今ひとつのウニ、今ひとつのめんたい、今ひとつのふぐフライ、今ひとつのアンコウ、今ひとつのクジラカツ…を食べるのもかえってがっくりしそうだし、腹痛もあったため断念してパンを買った。

 Sは、新幹線の中で、家であげた鳥の唐揚げをよく食べ、お赤飯も1パック完食した。



 ところでこの旅の間に気がついたことがある。

 下関や門司や別府で外食をするときに気がついたのだが、Sが不意に出す「超音波 (奇声)」への反応が、関東地方のそれよりも大きいということだ。といってもずっと大声を出したりするわけではなく、一瞬、高い声で「うほほーい」と声を出す程度なのだが、その瞬間のまわりの人のリアクションが大きいのだ。

 別に悪意があってにらんだりするわけではない。

 「え? 何?」という感じで驚きの表情を浮かべて、かなりびっくりしている。

 で、まわりを見渡してSを見て、「なんだ子どもの声かー」とわかると2回目以降は気にしないでいてくれる。そんな感じだった。

 都会に比べて地方の方が自閉症児が人数的に少ないこともあるかもしれないが、まだ外に積極的には出にくい環境にあるのだろうなあ…と思った。

 今、我が家のある街は、都会ではないが、自閉症の人が人数的には多いので、理解者も多い。そういう意味では恵まれているなあと思った。

 今回の下関への帰省、Sがとてもがんばったし、楽しそうでよかった。

 ちなみに私も、とてもよくがんばってえらかった(笑)。

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2007/03/30
下関帰省 追加1 「障害児と生きる日常(34761)」 [ 最近のことの日記 ]
下関の実家にはもう12歳になる犬の「リョウ」がいる。

ゴールデンレトリーバーらしき?雑種で、耳がたれてかわいいヤツなのだが、猟犬らしく散歩でぐいぐい引っ張る力は強いし、しつけはなってないし、大変なものだ。

昨年、Sと初対決の際には、Sに目玉を触られたり完全に支配下に置かれながらも、お互いに謎の愛?が生まれ、Sが帰った次の日には一晩中悲しく鳴いていたそうだ。

そんな二人(二匹?)の関係、1年ぶりとなると最初はややSが警戒していたが、すぐにうちとけた。

リョウは外で飼っているのだが、家のせり出した部分からドアを開けてかまえるようになっている。

そのせり出し部分でリョウと遊ぶのだが、リョウの喜びそうなボール(手触りがよくて光るので今回Sのために買ったもの)を見せびらかし、さらに微妙にリョウの手(足?)が届かない位置に置いたりしてからかっていた。なかなか意地悪なヤツだ。

しばらくからかった後、最後にボールを高いところでみせびらかして、ぽろっと落として、ボールをあげていた。

リョウの表情が「兄貴、ありがとう!」という感じだったが、Sは8歳なので本当はリョウの方が兄貴なのだ…。

ちなみにSは暇があるとその犬部屋の前に行き、床にうつぶせになっている。

犬目線になって見つめ合う二匹(いや二人)には、私たちには計り知れないコミュニケーションが存在しているのかも知れない。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆2007/03/31
下関帰省 追加2 「ひとり言・・?(65535)」 [ 最近のことの日記 ]
うちの母(下関の実母)はここ数年、メニエル病で、調子が悪いとめまいがしたり耳が聞こえにくい。

私たちが来る日の朝、めまいがして転んで竹のかごを崩壊させたりして、今回の旅行予定も心配だった。

何かあるたびに、聞こえていないことが多いので、病気の影響なのかなと思う反面、そういえば以前から人の話は聞いていないのでは…とも思う。ようするに、自分が言いたいことだけしゃべって人の話は聞いていないのだ。

今回もいろいろとすっとぼけていたが、聞いていなくてあきれたいくつかの場面を紹介すると

<その1>

2階から食事に下りてきたSが、眠いのか、少し泣きそうな顔になっていた。

母 「お父さんになんかしかられたんやろう?」

私 「いや、しかっちょらんよ。少しねむいんやろう。」

 1分後

母 「お父さんになんかしかられたんやろう?」

私 「いや、しかっちょらんよ。ねむい時はこうなるけー、ちょっとほっとき。」

 さらに1分後

母 「お父さんになんかしかられたんやろう?」

私 「しかっちょらんって言いよろうが(怒)!」


<その2>

Sの食事の時、まわりが食べ始めてもまだその気にならないSは食卓に近づいてきては、ちょっとさわったりして、少しずつ慣れていこうとしていた。

その様子を見て私が「今少しずつその気になってきたケー、今『Sくん、食べよう』とか言うなよ」

1分後、急に

母 「Sちゃん、食べりーね。座りーね。」

S 「うーーー」と言って逃げていった。


<その3>

私  「おー、入ったー」

テレビのアナウンサー 「ゴーーーール!」

父と母は隣の部屋にいたが、サッカー中継を見ていた私の声とテレビの音はかなり大きかった。


父  「どっちが入れたんか? 日本か?」

母  「ああ、あれ、○○さんに送ってもらったんよ。1本よ。」

しばらく沈黙。

私  「日本が1点 シリアが0点」

父  「おー、そうか」

母  「○○さんが送ってきたときに・・・・・・・(果てしなくぺらぺら)」

下手に途中で話すと余計話が混乱するので、すきをついて父と私は情報を交換したのだが、「日本」のことを「なんらかのいただきもの1本」と勘違いしたままの母はその話をずっと聞いていない二人にするのであった。

結局、自分がしゃべれればいいから、うちの母の場合、聞く機能の衰えはあまり関係ないらしい。


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