LIVE FOR LIFE

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彩の足跡 3


中学校に入学しました。
ここから私のこれからの出来事に大きな展開がまっていたのです。
それも悪い方向にいってしまったのです。
小学校までついてきた私の体力が中学に入ってからついて
いかなくなってきてしまったのです。
左半身がうまく利かなくなってきたのです。
体力だけはありません。 学力も・・・
私はいつの間にか 周りの友達からおいてきぼりをされて
体力だけならともかく学力までもが私を襲ってきて英語の時間などは
先生のいったことをついていくだけで 恥をかくばかりで周りからは
笑い声までもがきこえてきたのです。
「いじめ」が始まったのです。
暴言・・廊下を歩いていれば「馬鹿!」「アホ!」・・・
持ち物のなくなり・・上履き・筆箱・教科書・ノート
又 ノートには「馬鹿」「死ね」「ブス」・・・などかかれていました。
上履き・靴には画びょうが入っていることもありました。
黒板にも大きく私の名前をかかれ「大魔人」とも大きくかかれました。
机の中にかみそりがあったこともありました。
そして男子の中で嫌われている相手と無理やり風紀委員をやらされ
その男子は周りからいじめられている分 私にあたりちらしていたのです。
小学校に仲良かった友達みんな 私の前から離れていったのです。
私のことを冷たい目でみるようになり 私はだんだん 
登校拒否になっていったのです。
それを知っても先生達は見て見ぬふりでした。
助けてもくれませんでした。
担任の先生も見てみぬふりで私は自分でどうしたらいいのか?
わからぬ 精神安定剤を飲み何度も死のうとしました。
私の思いとはうらはらでいじめはどんどん悪化していく
ばかりエスカレートで 
私は左手が利かないことを知りつつも
音楽の時間にリコーダーの練習のときに
左手で穴をふさぐことは困難でした。
それを音楽の先生はわかっているのに私のできないことをみんなの前で
「これぐらいできないでどうするの!」と怒鳴られました。
恥というよりか 悔しかった。
周りからはクスクス笑い声がきこえてきていた。
体育祭のときも私がリレーなどでれるて走れないことも知っていながら
私をリレー選手にされたりしていました。
私はできないことを先生に伝えても
先生からも何もありませんでした。
自分でどうすることもできなかった私は家にある大きな石を
自分の足の上から石を落としたのです。
周りに怪我をしたふりをしたのです。
音楽の時間のリコーダーを使う練習「卒業式・入学式」の練習のときは
全校練習のときは又 先生や周りの人からイヤで遅刻をして
学校にいくこともありました。
母は私の嘘をみやぶっていたのですが
黙って私の嘘を優しく見守っていたような感じでした。

そんな2年生になってクラス替えがあった。
私は小学校に好きだった人と同じクラスになることを願っていたものの結果残念でした。
ノボも私から離れていきだしたのです。
クラス替えで私はほんのつかの間だけど夢をみさせてくれた
出来事があったのです。
それは席が隣になった吉原クンが私の状況を
知っていなから優しくしてくれたのです。
周りの女の子と同じ扱いをしてくれたのです。
私はうれしかった。「私にもこんなに優しくしてくれる人がいるんだ」と
天にも昇る思いでいた。
野球部の主将! 女の子のあこがれの的の吉原クン。
自分では手が届かないことがわかっていました。
それでも どんどん ひかれていってしまった。
そして始まった2人の交換日記!
ほんのわずかな時間 私は学校にいくのが楽しくなりました。
苦手な英語の時間も私の順番が回ってくると横で教えてくれていました。
でも みんなのあこがれです。私はみんながくると
私の出番はまったくなかったです。
そんなとき私に声をかけてきてくれた女の子がいたのです。
同じクラスの山下さん。この山下さんは華道部のクラブに
入っていて違うクラスに華道部の部長の友達がいたのです。
この華道部の部長三縄さんとの出会いが私をまた 変えていったのです。
中学に入学してから辛い出来事ばかりあった私に山下さんと三縄さんは
私と仲良くしてくれたのです。
この2人を通して小学校のとき仲良かった友達もほんのわずかですけど
戻ってきてくれたのです。
この2人の出会いで私は思いきって吉原クンに告白をすることになり
私の書いた手紙を吉原クンのかばんの中にそっといれ
吉原クンからの返事がきて「手紙ありがとう。今まで通り 友達として
つきあっていこう」とかいてありました。
私はそんな大それたことなど考えていませんでした。
私の気持ちを知っても吉原クンの態度がかわっていかなかったことに
感謝していました。
それに比べノボは私にとって最悪になってきたのです。
ノボはもう~私の元に戻ってくることはなかったです。

その頃 私は”友和・百恵コンビ”に興味をだし
ファンにかわっていったのです。
この2人がコマーシャルをしていた”セシル”のチョコレートを
バレンタインに三縄さんに渡してもらったことがあったのですが
そのときに一緒にいた友達に私のみている前で
このチョコをばらまいていたのです。
私の好きになったノボはどこにもいませんでした。
周りから嫌われていた私は何をするにも自信がなく
なり情けなくなってきました。
何をするにも周りからは笑いの声でした。
何をするにも引っ込みじあんになってしまったのです。
3年になり吉原クンとは違うクラスになったのですが隣のクラスでした。

この当時から流行になった百恵さんの”赤いシリーズ”。
私はテレビに釘付けになり特に”赤い疑惑”にはまり
百恵さんのセリフをみんな覚えるためカセットテープにとり
それをノートに書き写し覚えました。
当時 流行していた歌謡曲で好きなものはみんな覚えていったのです。
これをすることで学校での生活から脱出していたのです。
登校拒否になった私と親との毎朝 格闘でした。
朝から大喧嘩になった日も多かったです。
学校にいきたくない曜日は決まっていました。
体育のある日は学校にはいきたくなかったです。
両親は病院にいき「左半身のこと」を”診断書”をかいてもらい
それを学校の方に提出をしているのにもかかわらず体育の先生は受理して
くれなく 私のできないことを無理やりにやらせ
それをみて他の人は笑っているだけでしした。
私の中学校生活は人間不信を思わせることばかりで良い思い出は
なかったです。
救いは吉原クンと出会えたことと
三縄がこれからの私をかえさせてくれることになっていくのです

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