大陸が眠るまで。

~5~





次第に温められた大地が、おだやかに芳香を立ち上らせる。
魔術士と戦士の二人はお互い言葉を交わすことなく、シティス=テラへ続く街道を黙々と歩き続けていた。
声に出される言葉はないとはいえ、バフォラートの心の中の舌はいつもより滑らかに回っている。

(何だかふわふわするな)

石畳の上ではないのだから当然のことなのだが、踏みしめる土の感触や草の感触、そうしたささいなことに可笑しさがこみ上げてくる。
やはり少し、何か変なのだろうか?

一気に内面へと流れかける思考を、一陣の風が救った。

(ん?)

知らず知らず下がっていた視線を上げると、いつの間にか風除けが消えてなくなっていた。
前を歩いていたはずの広い背中が見当たらないのである。
ぽっかりと空いた空間を埋め合わせるように、彼方から数匹の小鬼(ゴブリン)がわらわらとこちらに向かってくる。
素早く辺りを見回すと、戦士は右後方の数歩退がった位置に陣取り、静観の構えである。

(なるほど)

一人でやってみろということか。この程度の試験しか与えられないのが不満とはいえ、望むところだ。
ちょうど試してみたかったこともあることだし。

杖をかざした魔術士は彼方に焦点を合わせるように薄目をあけ、囁くように詠唱した。

『野を渉る風よ、しばし止みてこれを見よ。雫は踊れや、朝日のか弱き調べに乗せて――』

魔物の群れを取り囲む無風の陣の中で水蒸気が凝固し、広い範囲で氷片が塊を形成する。

始点と終点を決めるだけで、あとは流れに任せてやる。
精神のはたらきを抑圧し、拘束し、それによって追い立てるように高められた果ての先には、長々とした虚無が横たわるのみである。
丘を這い、穂並みを撫ぜる風のようにゆるやかに昇り、降るのがよい。
この程度のことはカノン魔道学院で2回生にでもなれば誰でも知っている基本中の基本なのだが……そこは独学の悲しさというものである。

結局今までの半分ほどの時間で、呪文は完成した。
以前と異なり多少のゆがみはあるものの、水晶のような輝きがゴブリンを包み、直後しゅるしゅると結晶を解いていく。
遠距離の先制攻撃に不意を衝かれ、士気を阻喪した小鬼たちが散り散りに逃げていった。

「ほぉ」

よりによってこちらへ逃れてきた小鬼を蹴飛ばしつつ、戦士は意外の呟きを漏らした。

(割に器用なんだな)

魔道に関してほとんど造詣のない彼から見ても、先週より明らかに詠唱の洗練度が増している。

自ら問題点をみつけ、改良することができている。
部分的な手直しを繰り返すことで成長していく型の人間のようだ。


そのような評価など知る由もなく。当の術士は記憶の中で再生される自らの姿を観察している。

(まだまだだな)

ひとつの限界を超えたとはいえ、その先に見つかるのは途方もない広がりである。
それでもどんなささいな限界であれ、それを自らの手で壊し、乗り越えたことに価値がある。……そう信じたい気分だった。



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