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10月に入って、仕事が一気に暇になって、毎年、...いや毎度恒例の不安感倍増状態です(爆ほんま、うちのような小さい自営業者は風にあおられやすいですwって、いいますか、その人の性格にもよるんでしょうけどね^^見てくれからは想像出来ないと、よく言われる私のミステリーな部分でもありますwとかく、家電業界は大型量販店同士の過剰なまでの競合で、非常に厳しい状況です。でも、辛いのはうちのような小さな電気屋さん以上に、量販店同士のようです。主に価格で勝負しあう、量販店では、価格合戦がシビアですからね。うちらのような電気屋も、もちろん価格は量販店に負けないようにと頑張ったら、当然利益はほとんど無くなってしまいますが、量販店と違って、商品のみだけじゃなく、工事やプラスアルファになりえる商品の取り扱いもあるぶん、ましなような気がします。実際、某大型量販店の社長がここ2,3年が勝負だそうで、家電品の価格競争もそれで落ち着かざるを得ないのでは!?って事を言ってますし。と、頭では思っていても、冒頭のとおり暇になってきたら、私の場合やっぱりマイナス思考のスイッチがオンになるわけでしてwまぁでも、暇だからっていっても何もやることが無いわけでもなく、やりもしないって事ではなくて、小さいお店の最大の武器である、小回りのきく..、痒いところに手がとどくって所を最大限アピールするべく、こういうときこそせっせと、お客様巡回をするわけです^^もちろん、直ぐに商売に結びつくことも早々無いわけですが、お客様の信用を得るって意味では、大きな利益だと思っております。ま、そのかいあってか仕事がまた忙しくなってきてくれて(忙しいってほどではまだないなw)、単純な私は今度はプラス思考スイッチをオンに出来てちょっとほっとしたりしてるんですけどねw
2005年10月27日
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スロットを休止して、まだ1週間とちょっとしかたってないですが、今のとこ禁断症状が出るわけでもなくいたって順調ですw子供が生まれた時にはじめた禁煙の時に比べたらまったく苦にもなってません^^スロット辞めてるおかげで小遣いが残っている..ってのは辞めて正解だと思う反面、こんなに勝ててない、負け犬だったんだな~と改めて感じるわけでしてwこのまま順調に小銭をためて行きたいとおもいますw
2005年10月24日
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一応今回を持ちましてスロの稼動は休止にしようかと思います。まぁ普段からスロのことを日記に書くことも少なく(稼動自体ほとんど無かったし)、別にこのページではどうって事の無いことのような気がするけどwまぁ辞めると決めた理由は、勝てないってことと、なんといってもスロが面白く感じれないって事ですかね。昔は負けても、負けても打ちたいなぁと思える機種があったし、地道に立ち回っていたら結構収支もついてきてたんですが、最近は一応番長とかは面白いとは思えるほうなんだけど、それでも昔のように情熱をもって打ち込めるってほどじゃないし、おまけに勝てない(爆子供もどんどん大きくなってきて、私としてはあちこち旅行やなんかに連れて行ってやりたいのに、スロで散財してたらどうしようもないですしね。それに、この先家の増築も考えてるんでちょっとは貯めておかんとねぇ^^;まぁ数ヶ月に1回くらいは打つかも知れんけど、今は打って負ける事に、ものごっつ~損した気分(負けた金額以上に)になるので、ちょうど潮時かと。嫁さんは、私以上に負けてますしねwまぁこのページはこの先も細々と続けていくつもりですので、今後ともよろしくです^^
2005年10月13日
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もう後半は帰りたくて帰りたくてしょうがなかったんですが、飛行機のチケットの日にちの変更なんかの仕方がTELでじゃうまく伝えれないので、ただひたすら帰る日を待ち続け、ようやく帰宅日となったわけです。バンフ周辺で歩いていけるところは片っ端から歩いて見てきたので、思い起こすことはありませんwもちろんお土産も抜かりなく購入済み。世話になった宿のフロントへお礼を言い、バス停へ..。来る時いい加減つかれたので、カルガリーまでバスで行って、そっからバンクーバーまで飛行機で向かいたかったんですが、もうすでに往復のバスのチケット買ってるし、払い戻しとかややこしいことは避けたかったんで、おとなしくバスでバンフへ^^;でも、厄介なことに昨日から腹の具合がなんかおかしい^^;今から長距離だってのに不安でしょうがないが、帰りの飛行機にもし乗り遅れたりしたらと思うとぞっとするので、正露丸を飲み、昼の最中からただひたすら眠る作戦に出ましたw幸いにも腹痛は落ち着いていてくれ、行きと同じくこれまた、ただの一度もトイレ等休憩で下車する事無く、シートをキープし続けました(爆そして、バンクーバー国際空港へ到着。到着したのは夜でして、空港内は人がまばら..。またもや見渡す限り日本人らしき姿は見当たらず^^;とりあえず、今晩は空港内で寝ることにしました。居心地のよさそうなベンチを見つけて、寝る前にトイレに行っておこうかと、万が一に備えて荷物を持参したワイヤーキーでベンチにくくりつけていると、警備のおばさんに「駄目だ」と、注意を受けて仕方なくそのままトイレへ^^;いくら治安のよいバンクーバーといってもやっぱちょっと不安ですね。幸いにも荷物は無事でしたが、一人旅の時はこういうときも不便なんだなぁとつくづく思いました。一眠りを終え、外も明るくなってきた頃、まだ出発まで時間はあったものの、一応搭乗ゲート付近へ移動。腹が減ったな~と思っていたところハンバーガー屋を発見し、朝から果敢に巨大ハンバーガーをほうばりました。その頃、日本人らしき女の子が一人いるのを発見^^ためらいも無く話しかけてみると、やっぱり日本人wどうやら、こちらにワーキングホリデーで来てるらしいが、一時日本へ帰るとの事。更に飛行機も同じ便のようなので、それまでしばし行動を共にさせてもらいました。なんか、話していたらちょっと感覚私と、というより世間一般の人からずれてる感じですが、この際おかまいなしで(英語がちょっとのようですが話せるようなのでなにかと頼りになりますし (爆しかし、逆にハプニングが起きたのは彼女の方。やっと搭乗時間が来て受付に行くと、私はすんなりOKでしたが、彼女はなんか不備があったようで延々2,30分止められてました^^;まぁでもその後はすんなり搭乗できたんですがね。帰りの機は横にこれまた日本人かなと思える兄ちゃんが座ったんで、話してみると....、...残念、中国人の方でしたwしかし、旅行中中国人の方多数見ましたが、みんなほとんどの人が流暢な英語を話しておられ、やはり日本人は英語力が無さ過ぎるんだなぁと痛感させられました^^;そして、関西国際空港へ到着..。空港に友人が迎えに来てくれており、帰りにその友人宅へお邪魔させてもらって、飯や酒をご馳走になり、なんといっても日本語でもてなしてもらえて、心のそこからホッとできましたwほんと、結構前の旅行の話ですが、こうして文章にしてみてもかなり鮮明に覚えていますわ。タイトルにあります、人生観を変えた..って言うのはやはり大げさでは無かった気がします。現に今、昔から言葉や頭ではわかっていた、「聞くは一時の恥、知らぬは一生の恥」って言うのが、この旅行を期に確実に身にしみて、それからの私の生活で実施してますもんwこれに伴い、自分自身おっくうがっていたようなことや、つらいなぁと思えるような事なんかでも、この旅行を思い出せば、行動する..いや、行動出来るんだって言うことを思い出させてくれ、自分自身の尻を蹴ってくれますもんw行った時は辛く感じたことも、今ではすべてが私の糧であり、今現在も将来カナダで住みたいという思いは日増しに強くなってます^^もちろんその道則は現状況を考えたら、険しい道則でありますが、この旅で学んだ、行動力、..やれば出来るんだってって事が、私の今心の原点にある限りそれに向けて頑張っていくつもりです。最後に今更ながらですが、この旅行を通じてお世話になった皆様へ ほんと感謝です。特にMさんにはまことに感謝しております。ちなみにMさんは今、無事病院への就職をされ、レントゲン技師として、大きい全国規模の病院で、病院のオープニングスタッフとして全国を転々とされており、一昨年ひょんなことから、私の住む町で再会し、当時の話に花を咲かせたんですが、今は何処に行ってるのかわかりません。たしか、今度はどっかの島へ行くって行ってたと思いますがwお互い当時と置かれている環境なんかも違い、この先生きてるうちに再会できるかどうかもわからん状態(TELなんかも何故か全然お互いしませんし^^;)ですが、また共に旅をしてみたいもんですwちなみに新婚旅行でもカナダへ行ってきたんですが、嫁さんはバンクーバーならいいけど、バンフへ住むのは乾燥しすぎて顔が痛いから嫌らしいですw
2005年10月07日
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ついに海外一人旅がはじまり、親切なお医者さんやカナダ滞在のプロスノーボーダーの方の助けを得て、いよいよバンフ行きの長距離バスに乗り込みました。到着までは、車内にて引篭もり生活開始ですw途中の休憩所なんかでは勝手がわからないので(何分休憩とかわからんから^^;)トイレも行かないでただひたすら座席に着席wどうもバンクーバーからバンフまで行かれる人は少ないようで、途中の経由地点でどんどん乗ってる人が入れ替わっていきます。何処に止まっているのか、また次は何処に到着するのかさっぱりわからんのでまったくもって気が抜けませんwただ、出発前におおよその到着時間はわかっていたので、それを目安に起きては寝ての繰り返しです。車内で唯一話したのは、途中から乗って来られた品のあるおじいさんでして、私の横に座って色々私にわかりやすいようにゆっくり話してくれました。内容はともかく印象に残ったのは、「バンクーバーは雨が多いんだよ」って事ですwただ、これが一番はっきりヒアリングできたからなんでしょうがね(爆そのおじいさんも途中で下車して、そこから先は乗ってくる人はとんと少なくなり、降りていく人ばかりで車内は一気にガラガラになっていきました。そこからはとにかく夜中ってこともあり、ただひたすら寝てましたが、熟睡して目的地を越えてしまったらいけないので、一応到着時間を計算に入れながら、アナウンスで「バンフ」って言葉が出ないかひたすら意識してましたwでも、夜中..、更にはなれない環境で気が張っていたこともあり、どっと疲れが押し寄せて...。..あぶなかったです、寝過ごすところでしたw眠りから覚めたら、途中止まってきたきたとこは道沿いの停留所と思われる場所や、トイレ休憩なんかによるちょっとしたドライブインだったんですが、まだ夜が明けきらぬ暗いさなかでしたが、なんか明るくてきれいなとこに止まっており、ひょっとして?!と思っていたら、運転手さんがバンフだぞ~、だれかここでおりるんだろう!?ってな感じのことを言ってます^^;そうなんです、搭乗の際荷物は行き先を書いたタグを付けてバスのトランクに入れていたので、それを見て運転手さんがバンフで降りてない人が居るのを確認して教えてくれたのでした^^;あぶなかった^^;そして、お礼を言って降りてみると、バスのターミナルでして、ここは暖房もきいていて、きれいで、すげ~居心地がいいです。宿が万が一駄目だったとしてもこれで、寝場所は確保できたな..と、ほっと一安心wほんま、待合所みたいなとこも暖房効いてて、椅子も座り心地がいいし、もちろんトイレも完備。十分やっていけそうです(爆で、とりあえず抑えていた宿 YWCA BANFFへの道を地図上ではわかっておりますが、外に出て確認してみます。薄暗いバンフの街なみ..。すげ~自然を感じます^^で、重いスノーボードの道具なんかはとりあえず置いておき、散策してみました。小さい街で、すぐ一周してしまいました^^でも、バンフアベニューというメインストリート沿いには食べ物やはじめ色々店が連立しており、不自由なく生活できそうです。その後うっすら明るくなってきた頃に、宿に向かってみます。受付にはお姉ちゃんが居て、さっそく事前予約していたことを伝え、チェックインの手続をしてもらうことに..。しか~し、どうやらチェックイン手続をしようにも、パソコンがダウンしており10時頃に出直してくれないか!?ってな事を言われました。時間は後3時間ほどあったので、とりあえず街にぶらつきに行くことにしました。ここから街までは5分ほど歩けば行けるんですが、荷物が重たいからどうしようかなと思ったんですが、荷物を置いとかせてと言うと、なんの問題も無くOKといってもらったので、時間まで街をぶらついてました。そして、時間が来て戻ってみると、また問題が..。どうやら予約していたのは、ドミトリーだったんです。ドミトリーって言うのは1部屋に2段ベットを何台か並べてあり、数人でそこで共同生活する部屋なんです。普通の部屋に比べて宿泊料金はもちろん安いし、私のような一人旅なら知り合いを作るいい機会だろうが、もちろん外人ばっかり^^;ある程度落ち着いたらいいかもしれないが、ほっとできる空間がどうしても欲しいwきいてみると今日は2人部屋なら空いており、明日以降ならシングルの部屋も空くとの事で、今日はとりあえずちょっと値段は高くなるが2人部屋へ泊まることにし、明日以降は一人部屋へ移るということにしてもらいました。でも結局、料金があんまり変わらなかったし、手続の会話もめんどくさいのでそのままずっとその部屋で滞在しましたwさて、ここでの生活なんですが、最初の数日間は街で買い物したり、近くの観光ポイント(歩いていけるとこ)マリリンモンローの映画で有名なボウ滝やバンフ国立公園を散歩したりして大自然を堪能しました^^この時期日本人の観光客はあんまいないようで、あんまみかけませんでした。そんな中一人の日本人のおっちゃんと出会い(旅行者)東京弁であんま話自体もあわないような感じの人でしたが、日本人が恋しかったんで、無理やり話をあわせて晩飯に韓国焼肉の店で飯一緒に食ってきましたwその人は一人旅が好きで、あちこち一人で旅してるそうで、今回も一人でやってきてるらしい。帰り際、その人もスキーをするらしいので、明日バス停で待ち合わせて一緒に行こうかということになったんですが、起きれず中止wでも次の日には一人で滑りに行き、大自然を心のそこより堪能しました。北海道にもいった事がなくて、シャンパンスノーってのをはじめてここで体験できました^^最初WAXがあわないようで今一滑らないので、ゲレンデのチューンショップみたいなとこに板を持っていったら、WAXを塗り替えてくれ(もちろん有料)て、再度出陣。すげ~~気持ちいい。なんとも雄大な光景、そしてただっぴろい山。基本的にゲレンデというか山でして、日本のようにここは滑っちゃ駄目とか無いのでほんま自由にすべることが出来ます。ただ、当然危険なところもあるわけで、すべて自己責任の上での滑走となります。リフトを乗り継いで上がると、何キロも滑って降りることになり足はパンパン。おまけに間違って別の方向に滑ったらここはどこだ?ってことにすぐなりますwそんな中現地人と思わしき若いグループが片隅に鎮座してるところを気持ちよく滑り降りると、すげ~歓声を上げて喜んでくれ、言葉もよくわからんが意気投合して、ビールおごってもらって楽しいひと時を過ごせました^^その後はバンフでの生活は、購入してある飛行機のチケットの日時までひたすら帰りたいのを我慢の生活^^;もう、今日にでも帰りたいという思いの中、なかなか終わらない一日、一日を過ごしておりました(今 考えると死ぬほどもったいないですが^^;)飯は、日本人店員のいる和食の店(テイクアウト可能なリーズナブルなお店)や、スーパーで適当に買い物してきたものを宿で食べたり、マクドをテイクアウトして、公園で食べたりって感じでした。そして、いよいよ帰る日がやってきたのでした^^続く
2005年10月06日
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そしていよいよ、この旅のメイン!?となる一人旅となる当日がやってきました。1週間ほどお世話になった宿のジミーさんとも別れの挨拶をして、タクシーで空港へ向かおうとすると、偶然にも向かいにある「都ホテル」から日本人のツアーの皆さんがバスで出発するとこでして、混じって行きたいなぁ..とwまぁ当然そんな事が出来るわけないし、おまけに何処行くかも知りませんしね。そして空港へ到着。Mさんの日本へ帰る便のほうが私のバンクーバー行きより2時間ほど早くて、見送る立場になってしまいました。ロスでの1週間はここ数年昔からの親友とかと変わらないほどよく遊び、気心も知れていたつもりでしたが、慣れない環境下ってこともあり、ちょっとした喧嘩したりもしたりしましたが、すげ~お互いにとって有益な時間を過ごせました。なにより、地球の歩き方の第一歩をMさんに踏み出させてもらった事にはほんと感謝です。Mさんの出発の時間が近づき、「お前にとって絶対今後の人生へのプラスになるだろうから頑張れ!」と、言われMさんは帰って行きました。あ~~すげ~孤独感だwもう、既に帰りたいんですがw空港内見渡しても日本人らしき人影は皆無なんですが^^;とりあえず出発まではまだ時間があるけど出発カウンターへと向かってみます。全部英語で便の案内とか出てるのでさっぱりわかりません^^;...で、やっちゃいました...。何をやったかといいますと、出発時間までまだ1時間ほどある時間だったんですが、登場案内があったので飛行機ってこんなに早目から乗れるんだっけかな!?と特に考えず機内に入って周りの外人オンリーに戸惑いながらも着席...、...まさしく着席しようとしていたところ、後ろの方から「MR○○」とスチュワーデスの外人さんが私を呼んでおります。当然全部英語なんですが、腹さえ据わってしまえば、なんとなくわかるもんなんですね~英語ってwもちろん知らない単語は五万と出てくるわけなんですが、「恥ずかしい」まずこの壁さえクリアしておけば相手がたとえ言葉が通じなくともなんとか対処できると身にしみて感じましたw続いてちょっとの心のゆとりから「理解する努力をする」これによって英語でもなんでも大丈夫状態になれますwで、スチュワーデスさんが言うにはこの機は私が行こうとしてるバンクーバー行きではなくて、メキシコ行きであると(爆バンクーバー行きはここから登場であってるけど、この機が出発してかららしいですwというわけで、あわててはずかしい思いをして飛行機からおりました。で、今度は念入りにバンクーバー行きであることを確認した上で搭乗しました。あんまり大きくない飛行機で、搭乗客は少なくとも日本人は皆無のようです^^;バンクーバーまでは1時間か1時間半くらいだったと思うのですが、離陸後一生懸命本を読みます。..何を読んでるのかといいますと、バンクーバーから目的地であるバンフまでどうやって行こうかと(爆どうやって行こうか、まだ決めてないんですよ^^;飛行機でバンフ近くのカルガリーだったっけかな!?まで乗り換えて行って、そこからバスって言うのが一番早いようなんですが、ロスでかう予定の無かったジーンズなんか買ったりしたからちょっとでも安くあげて行きたいなぁと思い、バンクーバーからバスで向かおうかと検討中なのです。どうやら往復のチケットというのもあってバンクーバーから買えるようです。別に料金的には片道づつ買うのと特に大差が無かったような(金額的な特典)気がしますが、もし万が一向こうで買い物とかなんとかでお金が足りなくなったらいかんし、なんと言っても購入を1度で済ませておけば、購入手続が1度で済むってのを考慮してチケットは往復にすることにしました。..が、それはちゃんとチケット売り場に行ってからの話。まずは、どっからバスに乗るのかが問題なわけでして^^;それを一生懸命悩んでいると、横の席に座っていた外人の男の人が話しかけてくれました。「何処からきたの?」「何処へ行くの」的な事を聞かれて、とどこおりなく受け答えしたはずで、私的には話してくれたうれしさがいっぱいで、もっと話を膨らませたかったんですが、そんな知識もちあわせておりませんし^^;で、会話もそこそこに終了して、後10分ほどでバンクーバーにつくって頃に勇気を奮い立たせ、バンフに行きたいんですが、バスで行こうと思ってるんですがどこからバスに乗れるんでしょうか?って事をたずねてみました。すげ~~いい人です。飛行機を降りてからバンフまでのルートを調べてくれて、バス乗り場までわざわざ案内してくださいました。その途中色々話してみると、この人はお医者さんのようで会議かなんかあってアメリカまで来ていたそうで、この後飛行機を乗り継いでカルガリーまで行かれるらしい。その飛行機が出るまでほとんど時間が無いっていうのに、凄く丁寧に案内していただけましたmm名前を聞けなかった自分が今でもすげ~腹ただしいですが、アイスホッケーが趣味で、目じりにホッケーで出来た傷が特徴です。まぁまかり間違ってもこんな日記読むことは無いでしょうが、是非またお礼をさせていただきたいものです。ルートはとりあえず、空港からまずバスでバンフ行きの出るバス発着場に向かへということでした。その発着場までにもバスを乗換えが必要なようなんですが、その先生がバスの運転手さんに、この人がバンフまで行きたいらしいからよろしく..ってことをいってくれており、バスの運転手さんも笑顔で私に「ノープロブレム」と微笑んでくれました。時間が無いのでここで先生に心からお礼を言いまして、バスに乗り込みました。先生が私のことを頼んでくれなければ、まずわからなかっただろうポイントでバスの運転手さんが私に、「ここで降りて次来るバスに乗れば、バンフ行きが出る発着場に行けるから」と、教えてくれました。この乗り返したところはほんま普通の町のバス停で、教えてもらえなかったらひょっとしたら、私の滞在はバンクーバーになってたかもしれませんわ(爆しがなくして、バスが到着し、それに乗ってバスのターミナルに到着。さすがにここにはバスチケット売り場なんかも表記してあったので、戸惑う事無くチケットは往復で無事購入^^でも、どっからバスが出るのかさっぱりわからん^^;しょうがないので、またそのあたりの人に聞いてみるかな?と人を探していると、道を聞いてる日本人旅行客発見^^なんと聞かれている人も同じく日本人^^おお^^なんかすげ~ほっとしてる自分が居ます。喜び勇んでその現地に滞在していると思われる日本人の男に話しかけます。で、バンフに行くっていうことを話すと、何処から出発するのか調べてくれて(聞いてくれて)案内してもらいました。この人は話してみるとスノーボードのプロの人のようで、(名前覚えてません^^;)今度ビデオも出すらしいです。で、記念にって事で写真を一緒に撮ってもらいました。(この当時デジカメなんか持ってなかったから、普通のカメラで撮ってるのでめんどくさいのではいりませんが)その人は、すごく話しやすくて、なんといっても日本人ってことだけで行動を共にさせてもらいたいとも思ったんですが、その人の滞在先は「ウィスラー」でした。日本人もたくさん居ると言ってるのでほんまにウィスラーにしようかなとも思ったんですが、実はバンフには有名な化石のジュエリーである「アンモライト」ってのが名産でして、是非旅の思い出にこれを母親に送ろうときめていたので、心を鬼にしてやはりバンフへ行く事にw(後で知ったけど、別にバンフじゃなくても売ってましたけどw)停留場で日本人の人と別れて、またも孤独になり、バスを待ちます。バスはバンフまで何時間か詳しく覚えてませんが、たしか10時間前後だったように記憶してます^^;途中で何度か休憩に止まるようですが、出切るだけ行動したくないので最低限の飲み物やパンなんかを購入して、これまたトイレに行きたくなりまくったら困るので、飲むのも最低限で行く事にします(弱い人間だの~(爆 )そして、バスに乗り込みバンフに向かったのでした。続く
2005年10月03日
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その2から続きです。その2はhttp://plaza.rakuten.co.jp/bain777/diary/200509300000/ほんま些細な事でしたが、英語圏への始めての旅行&一人になる..ってことへの踏ん切りがつきそうになってきたわけですが、その2でも書いたとおり決定的に開きなおれるような事がおきました。本日も同じくまたもやメルローズへ買い物。あ、でも買い物買い物と書いていますが、メルローズではこぎれいなお店が多かった記憶がありまして、店で見て購入するっていう普通!?の買い物の仕方が多かったんですが、古着屋さんのほとんどのお店では、店員にお願いして店の中にいいもの無かったら倉庫の中に入らせてもらって物色させてもらう..っていう買い物の仕方をしてました。倉庫っていってもガラクタ置きに近い感じで、靴とか服、ジーンズなんかが山ずみになって置いてあり、探すだけでも一苦労。その倉庫の規模次第では半日以上2人でこもっていたこともありましたwむごいのは靴なんか左右セットで保管しているわけでは無かったので、例えばナイキのエアジョーダン2発見!!!サイズも許容範囲W(サイズは入れば大きすぎてもOKとして買っていましたので)でも、左だけしかない(爆って事もよくありましたし、下のものを引っ張り出していたら体が埋もれてしまったり、変な虫が出てきたりってこともありました。日本でもエアマックスや501 BIG Eなんか中心に人気が絶頂だったこともあり日本からバイヤーらしき人とも遭遇したりして、まさに苦労の末の争奪戦でしたwさて、話がそれてしまいましたが、私にとっての衝撃的な事が訪れましたのは、この倉庫のでの話ではなく、大通りに面した普通の小奇麗な古着屋さんで起きたのです。普通にまずはMさんとお店に入店。色々物色していると、鍵付の陳列ケースの中に、そこいらにおいてある商品とは違いちょっと高めのお値段がついているデッドストックの501を発見。欲しいけど、金ないしなぁと2人で言ってたところ無茶苦茶かわいい外人女店員2人登場w相変わらず何言ってるかよくわからんなぁと思って、適当に金無いからいらん..っていうような事を懸命に言ってたんですが、なんとここで店員が二手に分かれて、Mさんと私を別々に引き離し押し売り開始w断ろうにもこっちは、まったくもってチンプンカンプンw懸命に「いらん」って言ってたが、気がつけばお色気効果も手伝ったのか店の人が持ってきた電卓片手に価格交渉して、試着してましたが..(爆連絡の取れなかったMさんもどうやら購入w後で聞いたらMさんの買値の方が私より20000円ほど安かったwで、心配なのはこの商品がその価格に見合うだけのものなのか?ってことです。(ようは復刻版とかレプリカの心配)メルローズに来る前からここでは、偽物を平気で偽って販売するお店が何軒かあるから要注意って聞いてたので、買う時ももちろんそれを心配しまくってたわけなんですがね。やっと店から開放されて!?2人で商品のチェック。う~ん日本ではこの商品は復刻されてないから大丈夫だとは思うけどアメリカではされてるんだとしたら..^^;頭を悩ませながら時間も遅くなってきて、バスに乗り込んで帰ろうかなと乗り込んだはいいが、すっげ~こんでる^^;おまけにみんなの視線が痛いのなんの^^;なんでかと言いますと、二人ともそのジーンズ以外に、倉庫で手に入れた興味の無い人から見たらごみの山である古着をもちきれんばかりに両手にかかえていたからw結局、運転手からの苦情もあるし、視線が痛すぎたので途中下車wそこから宿まで距離がどのくらいあったのだろうか!?2人して、悪そうな外人らがたむろする横なんかをビビリながらも地図を片手に宿まで歩きました。でも、こんな経験もこれからの人生に絶対プラスになるだろうとwお店での出来事や、今見知らぬ街を夜中歩いていることで、なんとかなるもんだ..人生なんでも勉強だな..っと吹っ切れてきたのでしたwそして、その帰る途中で、Mさんに一人でカナダに行くことを約束したのでした。で、宿につく頃には空がうっすら明るくなっていましたwおまけにその話を管理人のジミーさんに話すと、「おいおいそんなとこよう歩いてきたな..無事でよかった」って言われました。危ないとこ歩いてきたようでしたwまぁ これも勉強ですなwそして、一応カナダへ向けての英語の勉強をしつつ、宿をさすがにキープせんと厳しいだろうって事で、まずは行く先を「バンフ」に決定。「ウィスラー」のほうに滑りに行った方が日本人も結構居るし、交通の便もよかったんですが、どうせなら大自然を堪能できるバンフに行こうかと。とりあえず、面と向かっての会話なら文章を書くなり、ゼスチャーを交えれば何とかなりそうだが、電話はさすがに厳しかったので、MさんにバンフにあるYWCAの安い宿にTELを入れてもらって一応予約をしてもらった。これで、宿は確保できたwそして、いよいよMさんと別れて一人旅の日が訪れたのでした。続く
2005年10月02日
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テーマをボケーっと見てたらありきたりなのかもしれないけど、旅行に関することを見つけたので、今までの私の思い出に残る旅行の話でも書き留めておこうかと^^私は以前はスキー、15年ほど前からスノーボードをやってる事から、おまけに子供の頃より両親はもとより、祖父母に連れられてよく旅行に行っておりました。その中でも私の人生観をも変えたといっても過言では無い旅行のことをまず書いておこうかと。今から12,3年前になると思うけど、スノーボードを自己流ではじめたはいいけど、当然!?壁にぶち当たってしまって伸び悩んでいて困っていたところ(本や教室も無かったですし)以前東京で知り合った人とひょんなことから再会し、その人がずっとスノーボードをしていたって事がわかり、それもかなりうまいようなので、週一回その人の所に出向いて色々教えてもらったおかげで一気に上達し、ちょうどスノーボードがブームになってきたこともあり毎週のように滑りに行っておりました。補足ながら東京で知り合ったってのは、東京で1年間寮のようなところに入って電気屋の跡取りのためのセミナーがあってそこで知り合った同じ釜の飯を食らった4歳ほど年上の先輩であります。(これよりMさんとします)この時は特に親しいわけでもなかったのですが、ここでのセミナーを終えてたまたま私が付き合っていたその当時の彼女が鳥取県に引っ越すこととなり、遠距離で毎週のように大阪から車で通っており、そんなある日偶然鳥取で彼女と会っているとき街角でばったり再会し、なんで東京に居た時にもっと親しくなっていなかったんだと思うほど一気に意気投合して、上記のとおり彼女と会うってのも目的でしたが、スノーボードの特訓をしに通っていたわけであります。(ついでにこの時の彼女は浮気性でして、その後あんま続きませんでしてその先輩の下特訓にって言うのが完全にメインになりましたw)冬のシーズン以外にも服の趣味や、行動パターンがよくあい、その人の彼女や友人達と一緒に鳥取まで行ってよく遊んでました。長くなりましたが、そんな当時の背景の下、Mさんが「おい○○、一緒に外国に遊びにいかんか!?」と誘われました。このMさんは数年前にオーストラリアにワーキングホリデーで1年間行っており、英語は堪能。私はといいますと、海外旅行には一度中国に行ったことはあるものの、高校生の時の修学旅行で、完全におのぼりさん状態で言葉の不自由なんかもなく行ったには行ったが、外国の空気を肌で感じたとは到底言えないレベルで、おまけに英語なんかさっぱり^^;プランとかを聞いてみると、とりあえずまずはロス(アメリカのLAねw)に行って、古着や、掘り出し物のシューズでも物色しに1週間ほど行って、その後カナダのバンフに渡ってスノーボードを堪能しようと言うことでした。幸いにもお互いに時間には融通がきいたし、今と違って独身の当時はそこそこ金はありましたので行ってみたいなぁと言う気がかなりあるものの、上記のプランはツアーとかじゃなくMさんと完全に2人での行動であり、飛行機のチケットなんかも格安チケットを購入した上で、むこうでの宿はついてから探すというので、不安部分も大wでも、スノーボードももちろんの事、今では人生の師とも言えるMさんが一緒なら大丈夫だろうし、なんといっても外国に行って自分自身人間的に一皮向けるチャンスではないかと思い、行くことに決定^^行くと決まったら準備やなんかであっという間に日は過ぎて行き、いよいよ旅行まで1週間をきった頃、突然Mさんから「○○..、ごめん。 旅行のことなんだが、ロスには一緒に行けるが、カナダには俺は行けない ようになってしまった。 だからカナダへはお前一人で行けw」え!?wどおいうことかといいますと、M先輩も私と一緒で電気屋の跡取りで、親父と一緒に電気屋をやってたわけなんですが、昔から頭のよかったMさんは高校卒業後レントゲン技師をめざしてとある医科大学に入学して行っていたのですが、なんか理由は忘れたけどその学校を辞めて電気屋への道を選んだんですが、結局レントゲン技師への道を忘れられなくて、もう一度この辞めた大学を受験しなおし、見事入学してちょうどこの旅行前に卒業したんですが、就職先のとある病院の面接とかなんとかが丁度この旅行の日程に重なってしまったってわけなんです。もちろんまず私が言った事は、じゃあ今回の旅行はロスだけにして、Mさんと一緒に日本に帰りますわ..だったんですが、Mさんは「あほ! こんなチャンス早々無いぞ、絶対お前一人で行け」 でした^^;行動力のあるMさんらしい意見だなとは思ったものの、日本無いじゃそりゃ一人であろうがなかろうが、どうせず行動できる自身はあるけど、言葉の通じない異国の地では...考えただけでも涙が出そうだ(爆そりゃ最終的にどうするかは、私自身で決定は出来るわけだけど、Mさんの言うことももっともなわけで^^;悩みに悩んだけど、答えは 「はい、行きますわw」そして、いよいよ出発の日が訪れたのでした。続く
2005年10月01日
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