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You were always someone's fool !!!
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いったい、今まで何度、このマディソン・スクエアー・ガーデンに足を運んだことだろう。 わたしにとって、マディソン・スクエアー・ガーデン(M.S.G)はバングラデッシュコンサートに始まった。まだ子供だったわたしは、そのコンサート会場がニューヨークにあることすら知らず、ただただ、エリック・クラプトン見たさにリバイバルのコンサートフィルムを見に行っていた。 そう、最初にマディソン・スクエアー・ガーデンに行くことになって、それがニューヨークにあると知ったのは、そのバングラデッシュコンサートから15年ほどたった1985年頃のことだったように思う。最初にニューヨークに降り立った時のことだった。そして、もちろん、そこがあのコンサートの舞台になったところだと知って、いろいろな思いが頭の中を駆け回った。私には特別な響きを持つところ。いつでも、この建物の横を車の窓から過ぎてゆくのを見ながら、思い出すことは多い。 いつだったか、ちょっとこのM.S.G.に用があって行っていた時、ここはバスケットのニューヨーク・ネッツのホームだと知らずにずかずかと歩いて入り、用を済ませていたら、ネッツの関係者から声をかけられたことがあった。 「君はとてもきれいだから、ネッツのチアガールにならないかい?」というのが最初に言われた言葉で、余程年若く見られてしまったのだろう。何しろ真っ赤なバーバリーのダッフルコートを着ている時はいつもよりももっと若く、と言うよりも「幼く」見えていたので本当の年齢もわたしの前屈が80才くらいで回転すると三半規管が弱くて倒れ込んでしまうことなど知らない関係者はひたすらに、チアガールになれと誘う。わたしはただ可笑しくて 「踊れませんから」 と言うのだけど 「踊りは教えてもらえるから大丈夫」 と笑顔のまま。もちろん、丁寧に断ったけれども、後で聞くには、チアガールにスカウトされるということはもの凄い名誉なことなのだと知った。それを蹴飛ばしたのは、実年齢とまったくない運動能力のせい、だとういうことにしている。 M.S.G.に何回くらい行ったか思い出せないのは、行った回数が半端な回数ではないし、クラプトンのコンサートだけでなく、他にもいろいろなコンサートに行ったから。でも、ここで一度もバスケットの試合を見た事はないけれど。 チャリティーコンサートの類いもほとんどがここで行われたし、もちろん、それのほとんどに行った。この会場の一番の特等席はSection 3で、ここの右端の前の座席を取れれば大抵のコンサートはもの凄く楽しめる。ただし、エルトン・ジョンの場合はいつも左にビアノを置いて弾くので彼の場合だけはSection 4の右側が一番いい。 あまり人には言わないけれども、わたしはクラプトンのコンサートにもかなり行っているけれども(ほとんどがM.S.G.)実はエルトン・ジョンも好きで、それは多分、わたし自身、幼い頃からピアノを弾いていて、エルトン・ジョンの弾くピアノは他のピアノの弾き語りの人と違っているし、あんなに弾けて歌えることに尊敬するし、何かと言えばピアノのブランドにこだわるピアノ弾きが多い中で何でも弾いてしまうし(YAMAHAが多い)、さすがに英国王立音楽院出身らしい見事な演奏をするところもとても気に入っている。キース・ジャレットが中腰で弾くのに対して、エルトン・ジョンはピアノの下にもぐり込んで弾いたりするという曲芸も見せたりする。そして、わたしもいつしか知らない間にそれを真似て弾いていたりする。それで、日本、ロサンゼルス(ここではアンコールで彼はミニーマウスの着ぐるみを着て現れて見事に着ぐるみのままピアノを弾いて歌った!)の他に、ニューヨークでのほとんどのコンサートに行っている。1992年にはシェアスタジアムでエリック・クラプトンとエルトン・ジョンのジョイントコンサートが行われて、てっきり一緒にステージでコンサートをするのだろうと思っていたら、前半と後半に別れていて、個別のコンサートが行われるという、今思えば、とても贅沢な夜だったし、あんなに長いコンサートは久しぶりのことだった。そのコンサートの時、クラプトンがアルマーニを着るので、エルトン・ジョンにジャンニ・ベルサーチが「僕の服は着て欲しくない」とかなんとか言ったとか言わないとか、という話しを聞いたことがあった。でも、ステージは見事にヴェルサーチのデザインだったけれど。 コンサートでは、エルトン・ジョンと一緒にやった曲を1曲歌うために、先にコンサートを終えたクラプトンがジーンズに着替えてステージに出てきた。そして、時計を見るとすでに午前1時を回っていたりした。24時間交通機関が動いているニューヨークだからできることで、そんな時間でも大勢の人達が一緒だと怖さもほとんどなく、ただただ、とても楽しかった。 日本の家には今、二代目の「レグ」がいて、当時初代の「レグ」が子犬だった時、名前を付ける時、なにがいいかと思って、たまたまエルトン・ジョンの当時の本名が「レジナルド・ケネス・ドワイト」で、お母さんがいつも彼のことを「レグ」と呼ぶことを知って犬にその「レグ」という名前を付けたのだった。その「レグ」が死んでしまった後、犬を飼わずに猫を飼っていた時期もあって、そしてわたしが渡米している間にその猫の「トム(これは父がマンガから単純につけた)」も死んでしまい、我が家には長い間、ペットがいない時期があった。面白いのは、本当のエルトン・ジョンファンは彼のその愛称を知っていて、M.S.G.にエルトン・ジョンのコンサートに行くと「Reg」と書かれた帽子やTシャツを着ている人達が沢山いる。 この「Little Jeanie」はエルトン・ジョンが33才で21枚目のアルバム、と言うことでつけられた「21 at 33 」というアルバムに入っていて、彼に言わせると「チャート2位だから、いわゆるマイナーヒットだけど」ということで、この日のM.S.G.で初めてライブ演奏された。曲が出来てから20年の時を経て、耳にするその曲は懐かしくもあり、楽しくもあり、忘れていたものが蘇るような、そんな気分だった。 わたし達は いや わたしは もう何度、そういう懐かしさに出会うことができるだろうか。 あと何度、桜の花が咲き乱れる時を経ることができるのだろうか。 あと何度、このM.S.G.で過ごした夜の時のように 「生きていて良かった」 そう思えることがあるのだろうか。 I always be your fool. .
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