☆バンデバ☆~fumoの番茶も出花~

『神様』川上弘美

『神様』川上弘美

私、川上さんの本がとても好きです。

私は幼いときから図書館に通っていました。
幸いなことに、私の住む家はどこにでもすぐ近くに図書館があるのです。
なので、自分の蔵書は持ちません。
全て、図書館頼みです。

でも、川上さんの本は持っていてもいい!と思わせるくらい私と相性が良いです。なんだか、ものすごくあったかくて、ほんわかしていて、幸福な気持ちになります。

『神様』は、川上さんのデビュー作『神様』が収録されている本です。
表題作を含めて短編が9つ収録されています。

しかし、主人公が同じなので、読み終わると一つのお話が完成します。

ユニークなキャラ、「コスミスミコ」「ウテナさん」「くま」「えび男くん」「カナエさん」「人魚」「河童」「叔父さん」「小さな白い毛の生えた梨好きの三匹」が出てきます。
まるで、金八先生シリーズみたい。シリーズによって主役の生徒がちがうでしょ?そんな感じ。

お話の全部がお気に入りなのですが、強いて言えば、
「小さな白い毛の生えた梨好きの三匹」出演(笑)の『夏休み』。

『夏休み』は、主人公が夏の間バイトをしていた梨畑でのお話です。
主人公は最近自分が「ずれ」る感覚を覚えるようになり、気を紛らわすためにバイトを始めます。
突然、「小さな白い毛の生えた三匹」が主人公の目の前に現れ、足元をぐるぐる駆け回ります。しかし、三匹の中の三匹めは臆病で一人で震えています。他の二匹が三匹目をさして、
「こいつ、だめ」
としゃべります。主人公が「し、しゃべった…」とびっくりしていると、
雇い主は平然と「こいつらはこの時期(梨の収穫の時期)になるとあらわれるんだよ」といいます。

ものめずらしいし、自身も寂しかったので主人公は彼らを家に連れて帰り、
飼う様になります。

二匹はいつも元気で、梨を食べまくりはねまくり、よくしゃべりよく笑うのですが、三匹めは消極的です
「ぼくいろいろだめなの」
といいます。なにが、だめなのか。
「だって梨食べちゃうと梨なくなっちゃうのがだめなのよ」「ぼくが入ってもぼくが抜けてもその場所が変わっちゃうのがだめ」と、熱心に説明します。

梨の収穫の時期が終わり、三匹も自分の場所へと帰る事になりました。
三匹めは「ぼくがぼくじゃなくなっちゃうのがだめなの」と、帰ることを拒否するのですが、結局勇気を出して帰っていきます。

本来の場所へ。

そして、主人公はひと夏の思い出として、梨畑を後にします。



この、「だめなのよ」は、私も普段多用する言葉のひとつです。
「ぼくが入ってもぼくが抜けてもその場所が変わっちゃうのがだめ」
とか
「ぼくがぼくじゃなくなっちゃうのがだめなの」
というのは誰しもが実は持っている不安だと思います。

でも
なぜ、「ぼく」は「ぼく」じゃなくちゃいけないのでしょう?
そして、そうじゃないと不安になるのでしょう?
そう問われると言葉に詰まっています。

「わたしはこれだから、わたしです!」
って定義付けられるものは、世の中にはないのかもしれません。
だって、地位や名誉や外見なんて、変わっていくものです。
確かに、他人を判断する基準としては有効です。
というか、地位や名誉や外見でひとは人を判断するしかすべはありません。

では、「自分自身」の判断基準は?

まさに、神のみぞ知るですよね。

他人の判断以上に自分の判断は難しいです。
自分の判断が、できないから「不安」が生まれるのだと思います。

しかし、判断が付かないというのは素敵なことでもあります。
アタマを少しやわらかくすれば、どんな自分になることも可能なのです。

世界のなかで自分が「ずれ」るという、一種の病にかかっていた主人公ですが、
この、三匹目を、自分自身に重ね、
叱咤激励しながら自分自身も一回り成長していきます。

自分を三匹目という物を通してみつめ、一つの壁を乗り越えたのです!

私も、「アタシ、だめなのよ」という前に、ちょっと思いとどまってみようと思いました。「だめ」なんて、実は決まってないのだから。

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