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February 16, 2008
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東京都多摩市に、一宮という地名があります。

その一宮に、小野神社があります。


武蔵国一宮といえば、現在は大宮にある氷川神社ですが、それは中世以降のことで、それまでは小野神社が一宮でした。



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創建は、安寧天皇18年(紀元前532年)と伝えられている古社です。


御祭神は現在、天下春命(あまのしたはるのみこと)を筆頭にしています。

天下春命は、秩父神社の御祭神の八意思兼命(やおもいおもいかねのみこと)の皇子にあたりますので、秩父氏と何らかの関係があったのかもしれません。



しかし、小野神社は古来、瀬織津姫の一神のみを、お祀りして来たとも言われています。


実は小野神社は、もう一箇所あるのです。

多摩川を越えた、府中市住吉町にも小野神社が存在します。



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小野神社近くの多摩川です。 昔はダムも多摩川上水への取水もなく、水量の多い暴れ川だったそうです。



どうして、小野神社が二つあるのかというと、元々は一つだったのが多摩川の洪水や氾濫で、村ごと移転しなければならなかった様です。

ところが、だんだん元の場所にも戻る人たちがいて、神社を再建したと考えられています。



現在では、府中市側の方が元宮があった所ではないかと言われていますが、はっきりとしたことは分かりません。


府中市側の小野神社に祀られているのも、瀬織津姫なのです。




多摩市側の小野神社の社殿や神門には、金色に輝く菊のご紋が付けられています。


瀬織津姫を、天照大神の荒魂としてお祀りしているからなのでしょうか?

それとも末社に、伊勢神宮内宮・外宮をお祀りしているからでしょうか?


それならば、どうして筆頭が天下春命なのでしょうか?

疑問が残ります。



ところが、府中市側の小野神社には、菊ではなく三つ巴の紋が付いています。




つまり、小野神社にお祀られている瀬織津姫は、天照大神の荒魂としてではなく、本来の姿の瀬織津姫だということになるのではないでしょうか。



一宮から府中のあたりまでを、昔は小野郷と呼ばれていました。

遣隋使として隋へ渡った小野妹子や、六歌仙の一人の小野小町と同じ、小野氏が住んだ所でした。



小野氏は、近江国滋賀郡小野村(滋賀県大津市)周辺を本拠地にしていました。


琵琶湖の畔にある唐崎神社(からさきじんじゃ)は、天智天皇の時代からの祓所です。




そのご祭神は、女別当命(わけおきひめのみこと)で、琴御館宇志丸宿弥(ことのたちうしまるのすくね)の妻とされていますが、その性格から瀬織津姫が隠されていると思われます。

武蔵国の小野郷でも、多摩川の岸の小野神社で、きっと祓祭りが行なわれていたのではないでしょうか。



瀬織津姫は、非常に力の強い女神様でしたが、日本書紀の完成によってその名前が消されてしまいます。

しかし、その力の強さ故、朝廷からも力だけは利用され続けて来たのです。



瀬織津姫を慕う人たちによって、その名が守り続けられて来たのは、全国で百社程度と言われています。







続く






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Last updated  February 19, 2008 04:23:06 AM


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