K/Night

K/Night

5


あの、さっき見た夢の男が叫んでいた。
先にあるのはやはりあの、青銀の髪の彼女。
だがその首からはおびただしい程の血が流れていた。
『―――!!』
男が再度叫ぶ。
彼女の体を掻き抱いて人目も忍ばず泣く。
『頼む!死ぬな!!死なないでくれ!!』
緑髪の女性が傍らに膝を付き、何か必死に唱えている。
状況からいえば回復呪文だろう。
けれど傷が癒える気配はない。
その女性の傍らには茶髪の男性が弓を構え矢を放っていた。
先を見ると魔物が次々と押し寄せて来ている。
『……』
彼女の手が女性を止めた。
言葉を失う女性から、男に視線を移す。
手を伸ばし、男の頬を流れる涙に触れる。
『あの子と…あの人を…』
『じゃべるな!』
自らの頬を彼女の額に押し付ける。
おえつを殺してるせいで背中は震えていた。
彼女は静かに首を振ると、男を見上げた。
『私の…大切な人を…お願い…』
空気が漏れるように声は小さくなっていく。
言い終わった彼女がゆっくりと微笑むと、手が落ちた。
『嘘だろ…?目を開けてくれ…動いてくれ…っ…』
目を見開き、肩を揺する。
その度に血が男の服を濡らす。
『これが…』
あるのは怒りだった。
守れなかった自分のふがいなさと、彼女をここまで追い詰めたものに対して。
『これがお前が望んだ事か!?』
男は叫ぶ。
眼前に広がる、闇を具現化したかのような城に向かって。
『ゼリューラ!!』
初めて聞こえてきた人の名前を最後に、視界は真っ暗になった。

「……」
目を開ける。
擦ると手が濡れた。
泣いていたのか…
他人事には思えないあの夢に対して。
「…ゼリューラ…」
誰の名前だったのか。
思い出せそうで思い出せなかった。
ノインは体を起こす。
瞬間、鈍い痛みが体を走った。
思わず声を漏らすと、戸が開いた。
「ノイン!!」
駆け込んで抱き締めたのはアルマだった。
「姉さん…?」
状況を把握しきれずノインが辺りを見渡すと、ここが自分の部屋だと分かった。
下の階からは人の声が聞こえる。
「目を醒ましたのか?」
声と共にダンガンが部屋に入り、その後をソウルとシャナ、テーベーが入る。
「良かった…心配したんだからね?」
そう言ったシャナの姿も左腕を布で吊り、痛々しかった。
「姉さん、エリクは?」
姿の見えないエリク。
夢を思い出し、下の騒ぎを聞いて思わず嫌な想像をする。
しかし見たものは苦虫を噛み潰したかの表情。
「エリクは戻って来ていない。戻ったとしても、村に残る保証も、命の保証もない」
「な…んでだよ…」
言葉を失うノインをアルマは強く抱き締める。
「お母さんが襲われたの。その直後には子供達がいなくなった。あんたの槍がお母さんを襲った奴からの手紙を持ってきた。しかも、エリクちゃんの所に…」
「俺のせいだって言ったんだ!だけど誰も信じてくれなかった…エリクのせいだって、大人も、子供達の何人かも鼻から決めつけてる…」
自分の犯した事に責任を感じているテーベーは弱々しく言葉を紡ぐ。
誰もが口を閉ざしてしまった。
やるべき事はやった。
けれど報われない。
全員今すぐにでも泣いて罵って、想いをぶちまけてやりたかった。
それが出来ないのは、まだ諦めきれないからだ。
ノインはアルマの腕から抜け出した。
ベッドから降りて、壁に立掛けてあった槍を取る。
「何処へ行く?」
静かにダンガンが問う。
「エリクを探しに行くに決まってる。うわー…このマント血みどろだー…」
壁に掛ったマントを手に取りながら言い放ち、マントを羽織る。
「お前怪我人だろ!おとなしくしてろよ!」
ソウルが引き留めるが、素直に聞き入れるノインではない。
「怪我人だろうがなんだろうが、俺はエリクを探しに行く。約束したんだ。死ぬ時は一緒にいるって。死なせはしないけど、俺はエリクの傍にいたいんだ。だから、行かせて欲しい」
ノインは頭を下げた。
本当は動かすのも痛くて辛かったがそんな事は言ってられなかった。
誰かが溜め息を吐く。
頭に手が触れる。
と、感じたらいきなり肘鉄を食らった。
「―――~…っ!」
堪えきれない痛みに頭を抱え込む。
勢い良く顔をあげて睨みつけるとアルマだった。
アルマはまた溜め息を吐く。
「そんな格好で行くなんてあんた失格」
そして自分のマントを押し付ける。
「貸したげる。後で返しなさいよ?それと」
人指し指を鼻先に突き付けて、
「エリクちゃんを連れて帰るまで戻って来るんじゃないわよ。とりあえず、一度、連れ帰って」
神妙な面持ちで手を下ろした。
アルマの言葉に誰も反対する者はいなかった。
ノインは頷く。
それから思い出したようにアルマに向いた。
「姉さん、エリクに合う服貸してくれない?後、傷薬と清潔な包帯」
「…姉を顎で使うんじゃないわよ。良いわ。下で待ってなさいよ。お母さんも心配してるんだから、元気な姿見せてあげなさい」
アルマはそう指示すると部屋から出ていった。
「なら私は傷薬と包帯を用意するか」
アルマに続いてダンガンも部屋を出る。
「それにしても…良く許してくれたな…」
出ていった家族を思い、ノインは首を傾げる。
仮にも自分は怪我人だ。
怪我人を簡単に外へ出すだろうか?
「ノインが多分、ジルの言っていた星かもしれないからよ」
それに答えたのはシャナた。
「星…?」
「うん。その星がエリクと皆の架け橋になるって…でも、それが最後の選択なの。もし星が望みにならなかったら、エリクは二度と戻らないって…」
「…二度と…ね」
涙ぐむシャナ。
テーベーの表情が沈む。
「エリクは必ず戻って来るよ」
「…でも」
「そんな気がするんだ。何か…」
ノインは窓の外を見つめる。
白夜の森―――
「待ってる気がするんだ。エリクが」
「……」
何も言えずただ見つめる3人にノインは笑う。
アルマのマントを羽織り、槍を持ち直す。
やはりこれが一番手に馴染む。
「じゃあ行ってくるよ」
「見送るよ」
眉間に皺を寄せながらソウルが言った。
「どうせ『俺達も行く』って言っても無理だろ?」
「流石、物分かりが良いな。ソウルは」
あっけらかんと笑ってノインは戸口に手を掛ける。
「人数が多いとそれだけエリクに負担を掛ける。行くのは1人で十分だ。必ず、エリクは一度ここへ連れて来るから」
おもむろに、懐から翠の石を取り出した。
あの時返したはずだった。
なのに気付いた時には懐に入っていた。
エリクが入れたとしか考えられなかった。
もう二度と戻るつもりはないと…戻れないという事なのか。
「…冗談じゃねえぞ」
「何か言った?」
「いや、何も言ってないよ。下行くか」
ノインはにんまりと唇をあげて下へ降りて行った。
「あら、ノイン」
初めに気付いたのはハンナだった。
ノインに駆け寄り頬に触れる。
「もう歩いても平気なの?」
それにノインは首を振る。
「…母さん。俺、行くよ」
「…そう」
顔に影を落とし、それでも気丈に微笑んだ。「気を付けて行ってきなさい」
「はい」
素直にハンナの腕に抱かれる。
とても、温かかった。
この温もりさえ、エリクはまともに知らない。
そう考えるとやるせない。
「それじゃあ…」
腕から解放され、外へ向かおうとした時だった。
「ノインじゃないか!」
1人の男がハンナとノインの会話で気付き近寄って来た。
ざわめく室内が途端静かになる。
村の男達全員がノインに気付く。
「ノイン!もう体は平気なのか?」
「災難だったなあ。化け物なんかに関わっちまったばかりに」
「彼奴戻って来てないんだろ?」
「あんな奴戻って来てなくても構わないだろ」
「そりゃそうだ。手間が省けたな!」
口々にけなし、罵倒し、嘲る。
中には顔を伏せる者もいたが大半がエリクがいなくなった事を心から喜んでいた。
始めに越えを掛けた男がノインの肩を叩く。
「良かったな。もう化け物に付き纏われる事はないぞ」
「…化け物…?」
「ん?どうした?はは!嬉しいのか?まあ化け物がいなくなったんだからな!誰だって嬉しいだろ!」
限界。
糸が脆く切れるように、頭の中でぶちぶちと鳴った。
「ノイン…」
背後や隣でなだめようとハンナやソウル、シャナやテーベーが声を掛けるがノインの耳に入らない。
「ふざけるな」
恐ろしく低いその音に、男は笑うのを止めた。
「ふざけるな!!」
「―――!?」
男の顎にノインの拳が入る。
男は尻餅を付き、うめきながら顎を押さえた。
唇が切れて血がにじんでいる。
「エリクが化け物ならあんた達は一体何なんだよ!!」
ノインの怒声に辺りは水を打ったように静かになる。
「ハンナ!!あんたは子供にどんな躾をしてるんだ!?目上の者に手を出して!!」
誰かがハンナを非難する。
しかしハンナは至って冷静だった。
「あら。私はちゃんと夫と子供の躾はしましたわ。人をけなす者は、人の風上にもおけない…とか?」
「な…何だと!?」
「あら?あなた、怒れる事なのかしら?エリクちゃんをけなせるほど人間出来てるのかしら?私にしてみればエリクちゃんよりあんた達大人の方がよっぽど化け物に見えるけど?」
アルマが階段を降りながら言い放つ。
その後ろにはダンガン。
「私は、手を出した事は悪いがノインが正当だとは思うがな」
「ダンガンまで…っ!!」
青筋を立て、他の男は体を震わせる。
殴られた男もまた、青筋を立て言葉にならない言葉を怒鳴り散らしている。
ノインは冷ややかに見下した。
「ならあんた達はエリクの何を見て化け物だと断言するんだ?」
「それは!」
男は瞬発的に返すがその後が続かなかった。
何度も始めの言葉を繰り返し、視線を宙に漂わせ、しまいには他の男に説明させようとする。
「誰かエリクが化け物になる所でも見たのか?エリクが誰かを襲う所でも見たのか?血の色でも違ったか?記憶がないから?髪の色が青銀だからか?」
問い詰めるように男を壁際へ追い込む。
「少なくとも、俺が知る限りエリクは普通の、どこにでもいる人間だ。ただの少女だ」
襟首を掴む。
初めて見るノインのその表情に男は脅えを見せる。
「普通に笑って、普通に怒って、普通に驚いて、普通に泣いてる。血の色だって俺達と同じ赤色だ。俺達と同じように仲間を大切に思う気持ちだってある」
何処にいる?
あんな怪我をして。
1人で傷付いて。
全てを背負って。
「俺達がいなくなった時、誰が始めに動いた?エリクじゃないのか?誰が俺達を助けに来てくれた?あんた達じゃなくてエリクだ」
「俺達だけを責めるのか!?ダンガンやアルマだって動かなかったじゃないか!」
「アルマにはハンナを見てもらっていた。私はエリクが子供達の居場所を掴んだ時に気絶させられた。それを理由にするわけではないが、少なくとも私は意識を取り戻した後彼等を探しに行ったが」
思い出しながら腕を組むダンガン。
「あ、彼奴が勝手に1人で行ったんじゃないか!俺達に一言言わないのが悪い!」
「ならあんた達はもしエリクが言ったら話を聞いて、それを全て信じられたのか!?」
「それは…」
「そんなあんた達をな、エリクはずっと信じて、ずっと大切にしてきてたんだぞ!?」
ノインは激しく男を揺すった。
怒りに染まっていた瞳は、今はただ、悲痛の感情だけが存在している。
「エリクは、あの男に子供を見捨てれば良いと言われた時、彼奴らのおかげで人の温もりを知ったと言ったんだ。あの時はああ言ってたけど、『彼奴』の中にはあんた達も含まれてる!傷だらけになっても仲間を助けようとして、受け入れてくれたあんた達を悲しませないようにして、必死に頑張ってたんだ!!」
「…ノイン…」
ノインの手に滴が落ちる。
男の服に染みが広がった。
「エリクは本当にあんた達の事を思ってたんだ!!自分を犠牲にしてまで、死を覚悟してまで…」
断続的に落ちる滴。
襟首を握る手は震え、おえつが小さく聞こえてくる。
「俺、少しでもエリクの支えになりたかった。だから一緒に死ぬ覚悟だってした。泣いてくれた時、気持ちを分かってくれたのかと思った。皆死ななくて、エリクも死ななくて、だから一緒帰れると思ったのに…俺は結局、何も出来なかった!エリクを支える事も、守る事も全部!!俺の言葉はエリクの気持ちを和らげる事さえ出来なかったんだ…」
エリク、エリク…
何度も心の中で呼ぶ。
俺はどうしたら君の傍にずっといられたのだろうか…
「どうして…何で…!外見なんかで判断しないで、ちゃんとエリクを見てくれないんだよ!どうしてエリクを殺そうとするんだ!?追い出そうとするんだ!?どうして手を差しのべないんだ!?受け入れてやらないんだ!?頼むからエリクを…独りにしないでくれ…させないでくれ…」
流れる涙を拭おうともせず、力尽きたように手を下ろす。
無言のままに抱き寄せるアルマ。
首に回る腕に頭を預けノインは止まらない涙を流す。
部屋の中は呼吸音すら存在するのを許さないほど静かだ。
誰も、何も言わない。
視線を床に落としている。
ただ沈黙だけが時間に乗って過ぎていく。
日の光が窓から差し込み、それだけが唯一部屋の中に明るさをもたらしていた。
空気が変わったのはその直後。
何処からか何かの咆喉が聞こえた。
犬ではないその咆喉に全員が身をこわばらせる。
「時が来た」
部屋の隅からジルが現れた。
「…ジル」
気付かなかった気配にダンガンは驚きを隠せない。
ジルは人を掻き分けノインの前で立ち止まると、戸を指した。
「あんたが最後の星だよ、ノイン。その手に青銀の星を手に入れたいのなら、導きに従うが良い」
「導き…?」
戸が軋みながら少しずつ開いていく。
隙間から体を入れたのは、
「…白夜」
紛れもない、エリクと共に消えた白夜の森の主だった。
しかし、一度は会った事のある子供達以外の村の人間にとって、それは恐怖だけしかない。
「白夜…白夜だっ!!」
「に、逃げろ!喰われるぞ!!」
火が付いたように混乱する部屋の中、ダンガンが真っ先に壁にかかった槍を手に取った。
続いてアルマも剣を抜く。
「ダンガンさん!ちょっと待って下さい!」
「アルマお姉ちゃんも待って!」
「白夜は大丈夫だよ!」
それを見たソウルとテーベー、シャナは慌てて2人を止める。
「しかし…」
「あれは事実人を襲ってるのよ!?」
納得のいかないダンガンとアルマは武器を持つ手をそのままに抗議する。
白夜は2人の前に進み出て座った。
「人を襲ったのはあれがこの村を狙っていたからだ。無害な者を襲う趣味は私にはない。ここに来たのはノインを迎えに来た事と、エリクの事でこの村人全員に言いたい事があったからだ」
床に付いた長い尾を小さく振りながら、首だけを後ろへ向ける。
戸は開いているのに外へ出られない男達は白夜の視線に身をこわばらせた。
「結界を張らせてもらった。お前達にも話を聞いてもらう」
「な、なんで俺達まで…!?」
「お前達が一番の障害だからだ」
半ば怒りに露に白夜は告げる。
その迫力に男達は口を閉じた。
視線を戻し、
「ノイン」
立ち尽くす眼前の人間に声を掛ける。
毛に触れてくる手に鼻先を押し付けると顔が背中の毛の中に埋まった。
吐息が直に感じる。
「お前が泣いてどうする」
「…エリクは?」
「まだ生きている。お前の言葉でな」
「俺の…?」
「お前が言ったのだろう?『死んだら会う事も触れる事も出来ない』と」
埋まっていた顔が上がる。
信じられないと目を開く。
「本気で役に立たないともう一度言うのなら、お前は本当に馬鹿だな」
「…っ…」
「また泣いてどうする。エリクに見せられる顔ではなくなるぞ」
ノインは白夜の首に手を回した。
泣きながら、嬉しくて笑う。
会いたい。
その気持ちが膨らんでくる。
「エリクの所に連れて行ってくれるか?」
「そのつもりで来たのだが」
「連れて行ってくれ」
立ち上がるその姿にもう涙はない。
白夜は腰をあげる。
「一時、お前の息子を借りるぞ」
「…分かった」
「それと、エリクの事だが」
全体を見渡し、それから最後にジルに視線を向ける。
白夜にジルは頷いた。
「ノインがエリクを連れ戻す事は容易いだろう。だが、もしエリクがここへ戻って来た時、状況が何も変わらずお前達がエリクに害を及ぼすというのであれば、エリクは私がもらい受けよう」
ザワリと波打つように動揺が部屋を走る。
更に白夜は続けた。
「ジルも、その時はジルも連れて行くという条件で同意した。そうなれば、エリクは二度とここへは戻って来ない。戻らせないつもりだ」
「そんな…」
「子供だけでどうにかなるほど世の中は甘くはないぞ」
今にも泣きそうになるシャナに白夜は容赦無い。
白夜なりの、最悪な状況になる前の対処の仕方なのだろうが。
ダンガンは瞳を閉じ、暫く沈黙を保った後、ノインの肩を抱いた。
「ノイン、お前は自分が考え、信じた方向に進みなさい。私達の事は考えなくて良いから」
「お父さん!?」
「アルマ」
思わず身を乗り出すアルマをハンナが押さえる。
首を振り、ノインに顔を向ける。
唇を引き結ぶと、アルマは懐から護身用の短刀を取り出しノインの手に握らせた。
「持ってなさい。それが、あんたが何処にいたって私の代わりにきっと役に立つわ」
「姉さん…」
「白夜、エリクとノインを頼んだぞ」
「……」
視線の高さを合わせるために膝を付いたダンガンに、白夜は敬意を持って深く頭を下げた。
「行くぞ」
ノインに告げ、白夜は身を翻す。
戸の前にたむろしていた男達は一斉に道を開いた。
間を通って2人は外へ出る。
その後を、ダンガン達が、ソウルやテーベー、シャナが、ジルが、男達が続いて出てくる。
「…行ってきます」
「ああ」
「気を付けてね」
「……」
ノインは静かに頭を下げ、
「乗れ」
白夜の言葉に従い白い背中に乗った。
手に持つアルマの短刀と、エリクの翠の石を懐に大事にしまう。
それを見計らって、白夜は歩き始め、徐々に速度を上げ森へと駆けて行った。
間もなく、白い影は姿を彼方に消した。

過ぎていく景色に重なって、今までの出来事も走馬灯のように過ぎていく。
初めて姿を見た事、好きになって、出会って、助けて、友達になって、守ってもらって、いなくなって…
それからの事を、これから過去として刻むのに、彼女はいるのだろうか?
それとも…
胸を押さえる。
布越しに伝わる石の感触。
俺は望んでいない。
彼女がいない過去も未来も欲しくない。
誰が何と言おうと、家族を捨てたと非難されようとも。
「…はっ…」
短く息を吐き出す。
白夜の走る振動が、体に鈍い痛みを与えた。
上下する体に加えて視界がぐらつく。
「…うっ…」
思わず声を漏らし、口許を押さえる。
走る速度が遅くなり、白夜の足が止まった。
「どうかしたか?」
「な…んでもない…」
「…気持ち悪くでもなったか」
見るからにノイン顔色の悪い。
白夜は声に覇気がないのに予測すると、案の定ノインの返答はなかった。
「少し背に横になって寝ていろ。残りは後少しだ。歩いていても夕刻までには到着する」
「でも…」
「走っている間に背に吐かれるのは困る。寝ろ」
脅し含む命令にノインは一瞬怯むと、素直に従い背中に横になる。
槍が落ちないように抱え込むと、勢い余って白夜の頭部を打ってしまった。
睨まれたので急いで謝る。
もう一度横になりノインは目を閉じた。
寝れるかな…
しかしそんな心配は無用だった。
伝わる一定のリズムの振動が心地良い眠気を誘ってくる。
「……」
歩きながら白夜は首を傾けた。
背中から、整った呼吸音。
フと微笑んで、白夜は歩を進める。
辺りは白樺の木が間ばらになってきている。
白夜の森から、更に奥の、普通の人間が足を踏み入れた事のない森が今正に目の前に現れようとしている。
紅い2本の大樹が入り口だ。

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