シドニー・アロマティック物語*****Sydney Aromatic Story
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皆さん、お元気ですか?師走のシドニーから、ブログを書いたのは、なんだか遠い昔のようです。私のこの人生の中で、試練は3回あると思っています。大切な人との、今生の別れです。それは、父、母、夫、の3回です。 子供が居れば、もっと増えたと思いますが。そして、その1つ目の試練が、とうとうやって来てしまいました。最愛の父が、1月3日に永眠しました。本当に、元気な父だったので、100歳まで生きると、本人も言っていました。あまりにも突然の事で、頭では分かっていても、気持ちが着いて行きません。昨年は、恒例の1月のシドニー滞在で約1ヶ月、父と母はいつもその間、私の家の片付けをセッセセッセしてくれます。6月には、両親と私&主人の4人での家族旅行で、京都、神戸、広島にも行きました。そして、10月には、私と両親3人で2泊しながらDisney Seaに行き、ジェットコースター並みのアトラクションで楽しんできました。又、1月に会おうねーーー、と言って、日本を経った私。なのに、それは突然やって来ました。12月初旬、突然、父の声が出なくなり、病院にいくと、看護師さんが、首の腫れに気づき、きちんと検査した方が良いと言われました。声は数日でドンドンかれ始め、Skypeをすると、自分の喉を指差し、腫れている、と不思議な顔をしていました。もしかしたら、癌かもしれない、と主治医に言われたのは12月6日でした。でも、きちんとした検査をしないとハッキリとは分からないから、入院できる病院を探してくれました。癌のスペシャリストの権威ある先生を紹介してくれました。予定では、12月21日に検査入院でした。そこで、私は20日に到着する日本行きのチケットを取りました。しかし、本当に突然に、12日に緊急入院をする事になりました。父の首の腫れがドンドン大きくなったからです。主治医の先生が、これ以上待っていられない!と、頼み込んでくれて、救急車で入院先まで行きました。入院の手続きがあるので、母は病院に残り、父は自分で家に帰り入院の用意をして、一度病院に戻り、そこから救急車で行ったのです。救急車の中では、ニコニコしながら乗っていたので、もう少し具合悪い振りをして下さい、と冗談で言われたくらい、そのくらい、元気でした。でも、喉の腫れは相当大きかったようで、翌日の13日には、呼吸をするため喉の切開手術をする事になりました。私が到着したのは15日で、その翌日検査結果が出て、甲状腺の未分化癌という、悪性の中の悪性の癌だという事が分かりました。手術をしても3日で元通りになってしまう程の、中には1週間で亡くなる人もいる、との事でした。誰も気づかず痛みも無く、でも、癌はどんどん父の身体を変えて行きました。私が帰国してからはっきりとした病名を聞いたのですが、父の容態を母に聞いていたので、もしかしたら、、、と、頭の中で否定しながら、帰国の途に着いたのです。告知されてからは、半年は、、、無理かな、、、3ヶ月かな、、、でも、どうなるかはハッキリ言えない、と言われてました。2012年を迎えられるか、、、それさえも。後から先生に聞いたのですが、3日遅れていたら、切開手術も出来なかったくらいに、癌が大きくなっていたそうです。もし、そうなったいたら、、、息が出来なくなる、という、苦しい最期になっていました。私は15日の夜成田から直接病院に行き、看病に向かいました。私が来ると思っていなかった父は、驚きのあまり、咳が止まらず、、、本当に、申し訳なかったです。面会は、あまり疲れさせてもいけないので、毎日3時間程。今まで、父の口から殆ど、痛い、などという言葉を聴いたことが無かったのですが、その父が喉を指差しながら、痛い、痛い、と声にならない声で訴えます。早く抜糸をして欲しい、と私に訴えました。でも、抜糸はする予定はありません。本当に、本当に痛かったのです。 それはそうですよね、喉に穴が開いているのですから。しかし、手術から数日経つと、少しずつ、喉の痛みは治まってきました。声は勿論出せないので、筆談で色々と話もしました。毎日毎日、喉の痛みは? 腰の痛みは? 夜眠れた? 等と、1から10のインディケーターで、質問しました。すると、最初、痛みが9、と書いていたのが3とか、2になる日もありました。私が行くと、Bedから起きたいと言うし、自分でトイレにも行くし、痰が絡まる以外は元気そうでした。しかし、喉の痛みは治まったものの、腰の痛みや、足の痛みが、毎日変わりました。癌は、副腎まで行き、1週間ほどの入院で、既に倍になっていたそうです。それまで、不眠なんという事が無かった父が、眠れない。痛みもあるし、きっと、色々考えると不安で仕方なかったのだと思います。82歳にしては、頭がしっかりしていたので、色々な事を考えてしまったのだと思います。入院を知った、親戚が尋ねてきた時は、父の顔色が変わり、目に涙をためました。きっと、自分の死期が近づいているのでは、と思ったのでしょう。私でさえ、その時は、父がそんなに早く行くとは思ってはおりませんでした。だから、そうじゃないよ! 年末年始で忙しくなる前に、来てくれたんだよ。いつも健康な人が倒れたから、みんなびっくりしてるんだよ、と言うと、ホッとしてました。主治医の先生には、痛みがあれば、痛くなくなるように、それを一番にお願いしました。それから、興奮してしまうような時も、お薬になります。勿論、眠れない時も、、、薬です。それによって、頭がしっかりしてこなくても、、、悲しいことですが、それは死の恐怖を和らげる事にもなります。未分化癌は、手術をしても、3日もあれば、すぐに元通りになってしまうほど、増殖が速い癌で、このような場合は、安らかに最期を迎えてもらう、というのがお医者様の役割なのです。自然療法をしている私は、薬にはあまり頼りたくありません。しかし、あれほど痛みを訴えている父の頼みを聞いてあげるのは、その時は薬なのですね。3週間の間、父は何も食べれず飲めず、ただ、点滴だけで栄養を取っていました。その点滴の中に、色々な安定剤なども投与していました。一度、ちょこっとだけ、コーヒーを飲ませてあげました。先生も、Okしてくれたので、詰まらないように注意しながら、缶コーヒーを一口だけ。でも、それまで出来なかった事が出来たことにも喜びを感じられるし、何より、コーヒー好きだったので、美味しい!と言ってました。私の役割もありました。手足が冷たくなるので、ずっと暖めてあげました。リフレをしていて、本当に良かった。 両手でしっかりと、暖めました。プロがするんだから、高いよー、と笑いながら言うと、ニコニコしながら頭下げてました。手をマッサージすると、温かくなった方の手を引っ込め、違う手を父自ら、差し出してくれます。父は、本当に嬉しかったのだと思います。主人が12月24日から26日まで、2泊で来て父に会いましたが、まだ元気そうで安心して帰りました。力強い握手をしたから、まだまだ大丈夫!! と、安心してシドニーに戻りました。しかし、主人が帰った翌日からどんどん状態が悪くなりました。30日までは立って歩けたのに、翌日、大晦日の31日には、歩けなくなりました。元旦の日は、父の分も浅草寺にお参りに行ってくるね、と言うと、頼むね、みたいに書いていたのに、お参りの帰りに、病院からの電話で、看護室に一番近い個室に移されたとの事。相当悪化していて、筆談も出来ません。 その日から、同じ部屋で仮眠を取りながら過ごしました。父はずっとウトウトしている様子で、握る手を、握り返してくれるような力もなくなってきました。そして、1月3日の朝、突然、呼吸が乱れ、そして、3時間後には、眠るように息を引き取りました。私と母が両方から手を握りしめ、本当に眠るような最期でした。 亡くなる2時間程前には、右の目に涙が流れ、私達に何か伝えたかったのかもしれません。本当に、安らかな最期でした。書いていたら長くなってしまいました。4ヶ月経ちましたが、まだまだ涙はこみ上げてきます。これを書いていても、すぐに思い出してしまいます。もっともっと、色々な事をしてあげたかった、と何度も何度も思います。でも、海外に住んでいながら、最期を看取れた事に、感謝せずにはいられません。3週間側にいれました。この間、アロマセラピーやリフレクソロジーの生徒さんが4人いたのですが、理由を言うと、皆さん、早く帰国して下さい、とおっしゃって下さって、それで、緊急帰国が出来ました。 生徒さん達にも、そして、他のスタッフの方達にも感謝しています。仕方の無いことですが、父との思い出が多すぎて、何をしていても、思い出してしまいます。趣味でも部活でも、アルバイトでも、私がする事には、いつも応援してくれていた父。特に仕事には何より喜んでくれていた父、だからこれからも、頑張らなきゃな、と思います。1人残った母は、先日、2週間、遊びに来ました。私が日本に1週間ほど帰国し、母の一人の生活を確認しました。そして、父が自分で詰めていたスーツケースを母と一緒にシドニーに持ってきました。(とにかく、母も父も、旅行となると、1ヶ月以上前には、旅行の準備が出来ているのです)今年も本当は1月に父と一緒に来るはずだった母。 2週間の滞在の後、始めての9時間20分の一人旅で日本に帰国しました。それが、丁度、あの台風並みの大嵐の日で、JALの飛行機は、14時間程遅れて出発するように決まり、ホッと安心。こんな時も、父と一緒なら、それ程心配すること無かったのに、、、と思いました。1人っ子の私は、残された母を毎日心配しています。でも、心配ご無用!と頑張る母。私も頑張らないと!2012年、素敵な年になるように頑張りましょうね!!
April 18, 2012
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