1月2日。
42歳の歳祝いに行ってきました。
(会場は大船渡湾口―写真―が見えるホテル丸森。写真は2011年4月のもの)
2015年の拙稿ではいくつも出てきましたね。「歳祝いの幹事会に」という記述。幹事ではありませんが、何か手伝えることがないかと思い…もっと正確に言えば、手伝いたいと思い、7月期の幹事会から自クラス幹事の手伝い、ということで出席してきました。何回も積み重ねて、の当日。幹事は11時からの集合。私もそれに合わせて会場に向かいました。
そこには「戦友」言ったら大げさですか。
何回も準備で顔を合わせてきたメンバーがすでに集合していました。
12時を過ぎると、三々五々懐かしい顔が集まり出しました。開始は13時半からなはずですが、出だし早いなあ、と。やっぱり、久しぶりの再会などを押さえ切れないんだべがな。開始を前にすでに大きな盛り上がりに。
中学を卒業してから25年ですか。それ以来の再会、という方も多くいました。同じ大船渡にいてても、高校が違うと交流も多くなく「いつそんなに背ぇ伸びた」と驚いた人や居住地を海外に移している人も。時間の流れを感じます。
「0次会」も終え、13時半になり歳祝いも始まり。最初に厄払い神事を地元神社の方にしていただきました。33歳歳祝いでもそうでしたが、やはり厄年は人生の上での「曲がり角」であることも多く、色んなことが起きうる、という助言をいただきました。
で、祝賀会。写真撮影のあと、今回出席された3人の担任の先生が近況を。「(自分の)同窓生でバンドをしている。性格もわかってて、心置きなく話ができる同級生はいいものだ」と話されていたK先生の話が特に心に残りました。
去年末に1人多くなってしまった物故者4人に対しての黙祷。そして乾杯。そこからは再び話に花が咲きました。参加がかなわなかった数人の方のメッセージも紹介。この歳の近くになって「人生動きました」といううれしいメッセージもあれば、「正月どうしても外せない用事ができてしまった」と無念の欠席にいたったのもありました。また機を見て、どこかで再会できれば、と思うものです。
そして、去年の前祝のときに実施されて大好評だった「柔道部2人による一本背負い」が今年も実施。去年はノリで実施されましたが、今回は出し物のメイン扱いで、『もうひとつの“厄払い”』として行われました。2人とも気合入っていましたね。
その前後に前回33歳シリーズで出席できなかったメンバーが挨拶。中には2年生次に転校した人も。今回は祝賀会を厄払い含めて2時間半でとっていたので、時間過ぎるのもあっという間でした。で、最後の一本締め。なぜか自分に出番が回ってきました。幹事の誰かがやるものと思っていたので、正直「聞いてねえ」状態でしたが、何とか、何とか。「元気にやるべ」しか思いつきませんでした、はい。

(いつもお世話になっています、海山です。)
今回参加が危ぶまれていた人などのサプライズ参加もあり、やっぱりこういうのは盛り上がるのは2次会から、ということで。立食形式のパーティーは熱気満々に進んでいきました。この部分だけは約1時間のロスは痛かった。祝賀会が押していなければ…しかたないか。
会場の事情で2次会は7時まで、以降は会場の第二店舗?の場所で3次会が行われましたが…ここでとんでもない役割回ってきました。
「ベン、一曲頼む」
…。
よりによって合唱コンクールで自クラス最下位に追いやった男に頼むか(笑)。で、私が選択した曲がZARD「負けないで」。何でこれ選んだんだろ。今更ながら自分でも不思議で。みんな知っていて、俺らが青春時代過ごした曲を、と思ったからあの曲になったのか。
ま、歌そのものはどヘタで。
まさかあんなに「低い」方に音がいくとは。
よく考えたら、この曲、ずっと聴いてはいたけど歌ったことはなかったんです(←おい)。
それでも、歌っている途中、周りに押されて間奏のときに会場一周してみんなとハイタッチを交わしたあの一瞬は忘れられない。あのときに見えたみんなの笑顔が、心に深く残りました。
その後、今時は正月だからと休みがあるわけでもなく、あるいは家庭などを持ってその「責務」を果たすべく、夢の宴のひと時から一人、一人帰って行き。3次会は日付が変わるころに、その後有志的な4次会も2時ころには終わりました。5次会は知らないぞ。

(夜中の大船渡。寒さなぞ感じず、一時間ずーっと、星空、月空をのぞいていました。ただし、この写真は2014年の撮影です)



※どうでもいいが、製作中BGM 松阪晶子さん
主に「夢を眠らせない」「燃える瞳を持ち続けて」「DAKE-DO」。
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