人知れず、山越えなどをしながら、桜並木の美しさに感動する時、ああ、自分も日本人だなぁ、と、想い・・・・・・そうになる。
しかし、はてはて、ちょっとそんな感動にも疑問符がつく。日本と桜は、なにか繋がりがあるのだろうか? いっせいに咲いて、いっせいに散るから、日本の大和心がうんぬんかんぬん・・・・。
桜並木とはいっても、自然に咲いた桜なんてない。すべて品種改良によって作られ、人の手によって植樹されたものがほとんどだ。山奥は知らないが、少なくとも、街中の公園や学校、神社や寺院に植えられたものはすべて人工のものといってよい。かく言う私も、PTA活動の一環で、お世話になった学校に桜の苗木を何本か植樹してきたのだった。バザーで集めたお金の有効利用だったので、グットアイディアと自画自賛ではあったが、事務室のクラークたちには、管理費がかさむと、割合不評だったが(笑)
春の桜は、桜秋の雑木林の見事な紅葉とは、おもむきが一風違っているのではないだろうか。
時あたかも、国会では「愛国心」うんぬんが立法化されようとしている。
生まれた郷土を愛し、自分を育んでくれた祖先たちを敬愛することは素晴らしいことだ。そのように教わってきたし、そうありたいと願ってきた。しかし、それは自然にわきでてくる感情であり、法律や役人から押し付けられるものではないだろう。
女性天皇制をめぐって、議論百出だが、(象徴)天皇制によって統治されなくてはならない「国家」というものは、これから、どれだけ続かなくてはならないのだろう。
人が人として尊敬しあうことには、「国」などはいらないし、ロイヤル・ファミリーなどいらないのではないか・・?(戦争中にこんなこと言ったら、国賊扱いで打首獄門だったのだろうなぁ)
アメリカ・インディアンたちのように、7代先の子孫のことを考える時、「国」はいやさかに繁栄していて欲しいのだろうか、それとも、「国」を必要としない時代になっていて欲しいのだろうか?
植樹されたものであろうとなかろうと、やっぱり桜は綺麗だなぁと思う。それは、ひまわりやアジサイやもみじや、タンポポやあけびや桔梗やチューリップや、どんな花でも素敵なように、桜もやっぱり素敵だ、という以上のことではないだろうと思う。
桜を見て、国家を思い出すような自分が、ちょっと情けない。
桜が咲けば、お花見で酒が飲める、というだけではなく、やっぱり、これからの春、初夏を連想して、やっぱりうれしい。
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