ルバイヤット
「ルバイヤット」は酒と女性以外何も語らない。それは酒と女性を歌う。翻訳者たちは----たくさんいるが----みんな間違っている。彼らは間違わざるをえない。なぜならオマール・ハイヤームはスーフィーだからだ、タサウフのひと、知り得たる人だからだ。女性を語るとき、彼は神について語っている。それは、スーフィーが神に呼びかけるときのやり方だ・・・・。「愛する人よ、おお、私の愛する人よ」と。彼らはいつも、神に対して女性形を使う。これは記憶しておくべきことだ。世界中で、人類と意識の全歴史の中で、神を女性として呼びかけた者は他にはいない。スーフィーだけが、神に恋人として呼びかける。そして「葡萄酒(ワイン)」とは、愛する者と愛される者との間に起こるものを指している。それは葡萄とは何の関係もない。愛する者と愛される者との間に起こる錬金術、弟子と師(マスター)との間に、求める者と求められる者との間に、崇拝者と神との間に起こるもの・・・・その錬金術、その変成、それこそが葡萄酒だ。ルバイヤットはあまりにも誤解されている。おそらく、だから私は忘れたのだろう。 OSHO p19
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