前書き
霊的な気づきと真理への旅は一人一人ユニークなものであり、その途上にはたくさんの出来事と脇道があって、私たちを次から次へと停滞期へ連れ込むように思われる。恋人、時々のトリップ、事故、何もかも粉々に打ち砕くような彼方なる「何か」の突然の一瞥、そして探究が始まる。
私たちはあちこちと目をやり、自分が何を求めているのかを正確に知らぬながらも、何処かで何かの助けが得られるだろうと期待し、信頼しながら、あの道この道と辿る。「これでもない、あれでもない」が私たちをさらなる探究に導く絶えざる道連れになる。するとある日、道しるべを探していると、信じられないような道路地図が手にはいる。「私が愛した本」こそそれであり、またそれ以上のもの----光明を得た導師OSHOから自然に送られた、人間意識への比べるものもない案内書だ。光明を得た導師以外の誰が、知恵の真珠、真理のダイヤモンドが見つかる所を知っているだろうか?
数年前、OSHOは、自分があらゆる道を探検し、この地上の人間の知恵と経験の香りを集めるためにあれほど強烈に読書をしたのは、それを自分の弟子や他の人たちに与えることができるようにと思ってのことだったと語った。
「私は・・・・それぞれの世紀に別々の人間意識の開花によって放出されたあらゆる香りを一つに集めようとしている。老子は一つの花であり、仏陀も、イエスも、モハメッドもそうだ。しかし私たちは今、彼らの香りを一つに----宇宙の香り----に融け込ませなければならない。その時初めて人間は宗教的であってしかもなお分裂せずにいられるようになる・・・・すべてが自分のものになる。あなたは広大になる」OSHO Tao:The Pathless Path Vol.1
考えられる限りの主題についての世界的著作を何十万冊と読んだOSHOは、インドのプーナでなされた講話の中でそれらの本について語って、その香りを分かち与えた。
一冊目の僧燦(そうさん)による 「信心銘」 から、最後の一冊 アラン・ワッツの「本」 まで、時には私たちの既知の著者からの、時には聞いたこともないような神秘家や詩人からの珍しい贈り物を選んで、OSHOは私たちを比類なき発見の旅へと連れて行く。
「私が愛した本」そのものがひとつの「コイヌール」だ。私たちを旅に案内し、一つの鍵----自分自身の内なる宝物蔵----に導くためにOSHOによって与えられた、輝かしいダイヤモンドだ。
スワミ・アナンド・マデャーパ
英知の辞典<16> 沈黙 Silence 2009.01.13
狂人ノート<3> ミルダッドの書 2009.01.12
私が愛した本<29> 維摩経 ヴィマルキ… 2009.01.12
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