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昨日長野から帰って、
今日は長崎でちゃんぽん喰ってきました♪
きったなーい場末の中華屋、
先代の味をかたくなに守っきたきた店。
旨かったぁ・・・
ちゃんぽんはつまみになるんですねぇ、
中ビンで4本もいっちまいました♪
今はホテルでブラックニッカでくらくらしてます。
日食?
日本食堂?
えしぇ・・・・えしぇしぇ・・・
脳がたれてきました・・・
んと、
紀元前250年から紀元250年までに
観測された皆既日食はあったのか?
場所は、素盞嗚氏が高天原と想定している
壱岐・対馬周辺で。
調べてみるとね、
この500年で1回しかないんです。
コイツです。

それは紀元前206年7月6日、
実線の双線が皆既日食の観測できたところで、
点線は金環日食のポイントです。
日本列島内では観測できてないんです。
観測できたのは半島南部、伽耶地方です。
もし天照大神の天岩戸神話が
日食をモデルとしていたと考えるなら、
その地は列島ではなくて、
朝鮮半島南部の伽耶地方だったってことになるんです。
・・・・・
ちと、酔いが醒めてきました♪
素盞嗚氏は、 天照大神の活躍した地を、
壱岐・対馬と考えていたんですが、
その中心地は伽耶地方だった可能性がでてきたんです。
予想GUYです・・・
わが国の祖は朝鮮から来た・・・・
いったいどういうことなのか・・・・
壱岐・対馬がその祖地ではなかったのか・・・・
ここは呑んだくれてる場合ではなーい!
冷静に考えみよう。
もう一度整理してみると、
わが国の皇祖天照大神が活躍した
高天原はどこにあったのか。
古事記を分析する限りでは、
それは壱岐・対馬である、素盞嗚はそう考えていた。
以前検証した通りです。
しかし天照大神の天岩戸神話が
皆既日食をモデルとしているなら、
その地は半島南部の伽耶地方ということになる。
さてどうしよう・・・・
ここはこの皆既日食のあった
紀元前200年前後の
東アジアの情勢を調べてみる必要がありますね。
・・・・
まー調べることばっかりッス。
おっと、いけねぇ、
ブラックニッカがなくなっっちまった。
ちと買ってきます♪
SEE YOU NEXT TIME