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ちっとお金が入ったんで、
買っちまいました♪

芋焼酎ッス♪
宮崎モンってとこが気に入らんですがね、
結構旨かったす。
「あんた、よくそんなモン買うお金あるじゃん!」
きゃー!
「カンベンしてつかーさい・・・
ちゃんと洗いモンしますからぁ・・・」
ちゅーことで、相変わらず台所に立つ、
素盞嗚君でぷ。

こんなモンでも・・・

こんな風に整理して・・・

お湯も節約♪

じゃーん!
最近は楽しく洗いモンやってます♪
えーと、予告していた神籠石いってみます。
これ、何って読むかってーと、
「こうごいし」って読みます。
昔から地元でこう呼ばれていたみたいだけど、
おそらく神籠石は当て字でしょうな。
んで、神籠石って何だよ?
・・・
神籠石ってーのは日本の古代史を
語る上で、実に重要な遺跡であるにもかかわらず、
あんまり知られていないんです。
これね、調べれば調べるほど、
古代史の通説が崩れちゃうからなんでしょうな。
んで、神籠石って何だよ!?
・・・・・
まず写真を見てくんさい。

こいつはその一部なんだけど、
古代、6~7世紀に作られた
「山城群」のことなんです。
現在、確か16ヶ所が確認させていたと思うけど、
四国に2ヶ所、
山口に1ヶ所、 岡山に2ヶ所、 兵庫に1ヶ所。
他10ヶ所は九州北部に集中してるんです。
全部じゃないけどこんな感じです。
かつてこの建造物が、
霊域なのか山城なのか、
という論争が展開されたんですが、
結局は山城であったことが判明されたんです。
しかーし、
山城であったのなら、
問題は次の2点だ。
1.中心領域はどこか?
2.仮想敵国はどこか?
この神籠石山城群の築造は 6~7世紀。
この時代の中心権力はどこにあったか?
通説では近畿ですよね。
仮想敵国はどこか?
この時代から想像できるのは、
当然、新羅と唐ですね。
562年に任那日本府が滅亡してるし、
661年には白村江の戦いがありましたからね。
山城を築造する目的は、
仮想敵国から中心領域を守ることにある。
であるならば、天皇家率いる大和朝廷が
唐・新羅を仮想敵国として、
これら山城を九州中心に築造したのだろうか?
ここでもう一つ不審があるんです。
これら壮大な一大山城群の築造にあたって、
当然日本書記にその記述があってしかるべきなのに、
それは一切ない・・・・
これはいったいどうしたことなのか・・・・
長らく素盞嗚の日本古代史に
お付合いしてもらってる方は、
もうお判りかと思いますが、
これ、大和じゃなくて、九州倭国としか
考えられませんね。
6世紀の後半、中国南朝への朝貢を止め、
自ら天子を名乗った倭国王。
当然、中国は快く思っていなかったはずですね。
そこで倭国はその中心領域であった
筑紫大宰府(都督府)を守るように
一大山城を築造していったんです。
しかーし、ちょっと待て!
じゃー、四国や山口の神籠石山城は?
そんな声が聞こえてきますな。
よろしい!
では答えよう♪
・・・・・・
え?
早く仕事しろ?
・・・・
はーい・・・・
ちゅーことで、次回に続くぅ!
SEE YOU NEXT TIME