PR
カレンダー
コメント新着
フリーページ
その2の続きです。
初日の出を見た後朝食を済ませ、海岸沿いドライブ
実は、気になっていて、どうすても行きたい所があったのだ。以前HPの旅行記に書いたココ
http://www.ne.jp/asahi/bonten/music/tabi/2001-2002/10ogatu.htm
11年振りに現地を訪れる・・・
その時偶然に発見したからくり時計
きっともうないだろうと思いながらも、何かの痕跡を探したくて海岸沿いを走る・・・
ここだ!やっぱりここだよね?ずっと気になって、震災後の写真を必死にWEB上で探し回っていたんだよ(T_T)
車を止めて橋の所に書かれた文字に目が行く。
「鮭密漁禁止」
えっ?!密漁って???
ふと川を覗くと・・・すぐそこに鮭が泳いでる\(◎o◎)/!それだけ川が綺麗なんだよね。
梵@亭が川の鮭の写真を撮っている間に、私は恐る恐るそれと思しき建物に近づく。規制線の所まで行ってみると・・・
「あった~~~~~」声にはならない声を発していた。
中の支倉常長の乗った船は398年の時を経て再び太平洋に出て行ってしまったけど、土台がそこにはあった。
変わり果ててしまったけど、確かにここにあったんだ。
硯会館の建物の上にはトラックが乗ってしまっているし、鉄骨も折れ曲がってしまっているけど。
もう撤去されてしまっていたけど観光バスが上に乗ってしまった公民館と道路を挟んだ反対側(海側)。
HPで触れたけれど、11年前にこの地に実家のある2人の方が情報を下さった。
そのうちの1軒は当時の生徒さんのお母様の実家で、その後住んでいるご両親も高齢で亡くなり、今は誰も住まなくなっていた。
もう1軒は奥様の実家で、HPで繋がってお会いしたことは無いけど年賀状のやり取りがずっと続いていて、喪中ハガキをいただき、津波でお義母様を亡くされた事を知る。
途中、結構高さのある場所に立っている「支倉六衛門造船地」の石碑の所にも津波が達した事に驚き、HPにアップした他の看板も探したけれど、流されてしまったのか見つからなかった。もっと先まで行こうと思ったのだけれど、海沿いの1本道は、地震で崩れて片側通行になったままの所も多く、かなり時間がかかりそうなので引き返し、そのまま石巻駅方面へ・・・
その4へ続く・・・
この旅行記は、音楽ブログ、プライベートなブログ、mixi日記で同じ内容をアップしています。
年末年始旅行記(石巻・女川)その4 2013年03月18日
年末年始旅行記(石巻・女川)その2 2013年03月11日
年末年始旅行記(石巻・女川)その1 2013年03月11日