京都徒然.御朱印

京都徒然.御朱印

長屋町家で陶芸

[長屋町家で陶芸?]
 一九九六年春、運良く西陣の象徴的存在である三上家路地に居を構えた一人は、そこで陶芸をやるという。昔なら、陶芸といえば、人里離れた山奥で薪をくべ、何日もかかって作陶するものであった。それが電気窯やガス窯の出現によって、都会のど真ん中でも作陶が可能になったのである。
 大学出たての若者が長屋町家に住む。両親には信じられないことであったらしく、機密性もない、簡単に押し入られそうな家屋に住もうとしている我が子の申し出に反対の意を表明していた。

6陶芸(イラストは 貞岡なつこさんです。)

しかし、考えてみると、長屋なので、隣とは壁一つ隔てただけ、向かいも手の届きそうな距離にある。隣からは耳の遠いおじいちゃんがボリュームいっぱいにあげたテレビの騒音が聞こえてくる。向かいからは、赤ちゃんの泣き声や犬の吠える声がいつもしている。
そのほうがかえって安心というか、押し入られたら、密室になってしまうマンションなんかよりはずっと安全だ。
これが長屋の象徴的な風景である。プライバシーが筒抜け。それがマンションや一戸建てで育った若者や都会っ子には、かえって新鮮であったのだ。
また、新築マンションのように釘は一切だめだとか、改装ができないということがない。極端なことを言えば、「大黒柱を切らなければ、何をしてもいい」という大家さんが多い。築九十年以上の木造長屋は、入居者にとって、何を描いてもいい真っ白なキャンバスみないなものだ。
アーティストにとっては、住居という箱そのものが、これから仕上げる作品なのである。
機密性や機能性を求める人は、例えばの話だが、わざわざ戸が半分しか開かなくなっている建て付けの悪い築不詳の木造家屋には魅力を感じない。
その結果、意識的に入居者を選んだわけではないのにもかかわらず、必然的にものづくりをするアーティストたちが集まってくるようになった。
だが不思議なことに、だれ一人として町家の風情を台無しにするような改装をしないのだ。
彼らは、お隣と同じ家屋に住んでいるとは思えないような宝石箱に変えてしまうのだ。そして、彼らの魔法が、打ち捨てられていた町家の息を吹き返し、普段住んでいる人が気付かなかった魅力を発掘してくれたのだ。
外部の人が、いくら保存だ、景観だといったところで、住んでいる住民にその意識がなければ、どうしようもない。
そこへもってくると、今、西陣で起こっている現象は、住民の目を覚ます動きだといってもいい。
自分たちが住んでいる、この不便な住宅が、実は、全国の若者が憧れる町家なんだと再認識したときに、本当の町並保存や活用の意識が生まれるのではないだろうか。
 一階に玄関、台所、作業場、窯、トイレがあり、二階で生活するようになっている。しかし、ここには、狭い空間を感じさせない暖かさがある。
この空間が作品に及ぼす影響までは、よくわからないが、周囲に及ぼす影響は、全国を駆けめぐり、工場跡地や長屋再生などに波及している。


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