全264件 (264件中 101-150件目)
先日、姑の満100歳のほんとの誕生会をしたのです。デコレーションケーキにろうそく立ててね。 ほら「白寿」といって百に一足りない九十九歳にお祝いして百歳を寿ぎますから、正式のは済んではいるのですが、きょうだい集まってやるのもいいということになって。 姑はある施設に入所していてお世話になっています。だからいい環境で100歳までをも迎えられたのですが。車椅子の姑ですからそこにみんなでいってやりました。 ちょうどわたし、超忙しい最中でしたが(夫もきょうだいも参加しなくていいといってくれましたが)行きました。 きょうだい三人、そのつれあいが集まるのにわたしが欠けてもまずい!と思ったんですよ。 案の定。 今食べたケーキも忘れてしまう姑なのに、食べ終わり一段落した時、こどもたちをぐるりとみまわして、わたしのところで視線がぴたり止まり、 「そちらのあなた、しばらくこなかったわね?」 「はい、ごめんなさい!」と言ったけどわたしはぎくり、むか!。 (はい、はい、4ヶ月ほど会いに来ませんでしたよ、それはむすこさんが病気だったし、わたしも娘のことで忙しかったものね、しかたありません、むすこに言えばいいでしょ!云いませんね~) 姑は会いにきたこどもの名前をカレンダーに印しているのです。もう手が震えて書けませんので、行った人が書かされるのです。まあご愛嬌ですが(しっかりしてるともいえる 笑)でも、それを覚えているとは…。つまり今食べたケーキも忘れるのに、嫁の態度は死ぬまで気になるのですなー。あーあ、嫁姑! その施設まで往復が8時間かかるので、そうそうは行けないのですが、いろいろ苦労して、病気も数知れずしたのに100歳まで元気に生き抜いた姑には尊敬しかありませんから、これからは万難排して会いに行きますとも(とほほ…)
2009年04月04日
コメント(12)
ぱったり途絶えて申し訳ありませんでした。ほんとはかっこよく「しばらく休みます」なんて入れようと思っていたのに、ばたばたとしてしまい、気がついたらお彼岸の入り、桜も咲こうってんですからまいった。 夫は検査入院し細胞を調べましたら、血液数値は高いけれどがん細胞が見つからないということで、ひとまずシロ。 その結果がまだでないうちに、娘が産気付き、わたしは娘のところに行ききりになりました。そうなるのではないかと思った通りでした(苦笑) しかも、実はその三番目の女の子の孫は心臓病を持っていて、今は生まれる前からわかるのですが、わかっていていわゆる母子周産期の設備ある、NICU室もある、おおきな病院に対応してもらっていても家族の不安がなくなるわけではありませんで、待つのが辛かったというわけです。 娘も安産だったし元気に生まれましたが、やはり手術をしなければならず、赤ちゃんは入院しております。娘だけはすぐ退院しましたが、なんとこんどはわたしがインフルエンザになってしまい、きょうまで体調が戻らず自分の家で寝込んでおりました。 娘は病院と家庭を行ったりきたりで、こんどは娘の体が心配ですが、わたしが食べられるようになるまで(最後は菌が胃に)頑張ってもらうしかありません。 「医学の進歩」はありがたいのでしょう、前もってわかり、適切な処置をとれることはいいことなのですが、それだけ心配も増えるのが苦しいですね。 インフルエンザは予防接種をしてもすり抜けるのが常識になってきましたね。こども(上の孫もばっちり罹り、学級閉鎖になった)と老人はやっぱりなる、な~(笑) あ、笑ったら咳が止まらない!というわけでしばらく忙しいです。
2009年03月18日
コメント(15)
『本格小説』を読み終わったところで、「小説が人生からそのまま生まれることがある」と、作家水村美苗があるコラムに書いているご自身の母親の小説『高台にある家』に興味引かれ、読もうと手に入れた。(文庫なのだが出版社にしかなかったのでちょっと探したから嬉しい) それはともかく、わたしのこのごろが忙しい。小説のような人生と洒落るわけにはいかない人生。 新年になってどうも夫の様子が変、トイレが近い、間に合わないの不具合が隠し切れなくなって、あ、男性特有の病気かもとわたしが気がついた。 すぐ診察をと探したが、田舎ゆえ個人病院がなく隣の市の総合病院へ行く事になった。しかし、のんびりなのか混んでいるのか、すぐに検査しなくて2週間後にマーカーで「前立腺癌」らしいと判明。またまた先の3週間後に細胞検査入院とのこと。 ま、すぐ手術しなければならないほどひどくないと思いたいのだが、のんびりし過ぎのような気もする。しかし、しかしその待っている間の状態が困る。 生理の時のような専用のナプキンもあるけれど、当て方がわからない、出来ないらしい(特に不器用なので)わたしが当ててみたりしたが(こんなことで、こんにちはしたくないんだけど…)ずれたりもごもごしたりするらしいのでパンツ式にした。 今はいいパンツがあって具合もいい、外からはわからないのはいいけれども、頻繁に洗濯しなくてはならない。ほんと、老老介護。 しかも、その検査入院のころ娘の出産予定日が近いのだ。まえの癌の時も手術中の真っ最中にも姑が大たい骨を骨折した。きょうだいが居たからまだよかったけれど、娘には姑がいないのでわたしだけが頼り、二人の孫が幼稚園と二年生、泊りがけで行かねばならない。 なんでこう重なるのだろうね。夫の病気は仕方がない。娘にはほんと苦労させられる。今言えないけどいろいろいろいろある。 わたしは小説を読むのは好きだ。けれど小説のような人生はしたくないのだけれども…。 従っていつ何時ブログが滞るかもしれないし、コメントも出来ないかもしれないがお許しくあれ。 でも、忙しいのは内職の仕事があったということもあった。もうそれは終わったが。あと確定申告が…(笑)
2009年02月11日
コメント(6)
昨日は東京へ病院通いの後、元住んでいた横浜の郊外に降り立ち、友達の下手な絵(ブログは見てないから言いたい放題)の展覧会会場に寄った。 その会場なる一室はいわゆる「箱物」の豪華公共建物のなかにあり、「どうするの!こんな立派な設備が閑散としていて!」と怒りが湧いてくるようなところ。 友達のような同好会が使ってやらなければどうしょうもない。というわたしもかってはそこで下手な絵を展示したことがあるので、同罪、いやありがたかったんだ(笑) 下手な絵はそそくさと見て、どどーと喫茶にくりこむ。そこも立派できれいなのに閑散として、似たような暇人がちらほら、女(ややおばば)3人おしゃべりの巻。 わたしがよせばいいのに 「夫が早起きして朝食をいつも作ってくれるんだぁ~」 とようやく定着した「しつけ」を自慢したら、 だめだめ、まいった! な、なんと 「掃除洗濯やってくれるから、ごはんはわたしがしなければ、わたしがすることなくなってしまう!」 「おとうさんはきれい好きなので、床のワックス掛けから換気扇、風呂場の掃除。家がぴっかぴっか」 と、ふたりに逆自慢されてしまった。 「そんなにきれい好きなら、定年前は奥さんの掃除に注文が多かったのでは…やだやだ!」 と、意地悪く言ってもどこ吹く風。 こきおろしならぬ自慢大会。 なにぃ~!なにかだめなことないか!と攻めたら、 「社交ダンスをやっていたけれど、最近喧嘩をするのでやめた」 そうな。 足をふんだり、音痴で曲にのるが下手だったからというんだけれど、仲良く一緒にやっていたんだよねー。 おばば連はもう亭主のこきおろしはやめたんかいの。 お互いもちつもたれつ、よの~。
2009年01月16日
コメント(16)
午前中は去年の年間家計収支決算表作成。 予算オーバーの家計に頭を抱えたが、削るとこなしの結論。 といっても月9万円の食費(酒代こみ)はどうだべ? お墓にお金を持っていけるわけじゃなし、もう食べることしか楽しみないし。 ほんとにもう、日本人はお寺だ、神社だと節操がないんだから、 といいながら午後から初詣に行く。 今年は散歩がてらで行き帰り9,000歩。神社の階段も100段。 当然、お賽銭をあげ、お札に携帯お守りを買い、おみくじも引いて「小吉」 夜にたらふく食べ終えて、あ、今日は七草粥だったと気がついたが遅し。
2009年01月07日
コメント(6)
すこし間が空きました。 実は事情があって幼稚園と学校が冬休みになった孫(8歳と5歳)を預かったものですから、しっちゃかめっちゃか、奮闘しておりました。 子育てを離れてうん十年、慣れないことはするもんじゃない、その間、風邪が身体の中を通り抜けもしてて、もうくたくたのへろへろでございましたよ。 今、無事に帰ってくれほっとして、暮れの行事をすこし取り戻し、やっと年賀状が終わりました。 ほんと、この機会にやめてもいいかなとの考えが一瞬、頭をよぎりましたが、今年のお正月頂いた年賀状の、ご挨拶に添えられているいるたよりを読んでいると、懐かしさや親しさがわいてきて、やはり捨てがたい情趣でなのでした。 人間が生きていくうちに出会い、なんらかのわけあってつながっている限られた人々と、簡単につながりほどいていいものか。いや、もういったん切れてしまえば二度とつながらないだろう。それは寂しくきびしく耐えられないかもしれない。 と、年に一度のたよりでも無い、有るの違いの橋は渡るのがむずかしいのでした。 でも、わたしのは50枚ほどの年賀状なのでおおげさでございましょう。年賀状ソフトで宛名も文面もあらかたPCまかぜ(笑)「何を言ってる!」ですよ。 さて、後二日、大車輪で本来のブログ、本の話題をぶっちゃけなくては気がすみませんとも。
2008年12月29日
コメント(8)
例えば、おいしく料理が出来て、お惣菜が品数よく整って、時間も早めだと夫は「嫁にあたった」とほくほく顔で食べながら、よく言います。 もちろん冗談なのですがわたしはいい気持ちがしません。むかし農家のお嫁さんが健康で働き者で甲斐性がありますと、こういう風に言ったそうですね。たとえ冗談の誉め言葉だとしても時代錯誤もいいところですよ。これも禁句です(笑) さて、本題は同じあたるでも「食べ物にあたる」ということ。「アレルギーを起す」とも言うのかもしれません。それが急に起こるようになったわたしです。 まず、海老にあたるようになりました。これも愚痴っぽいのですが、夫は揚げ物が大好きでよく作るのですがわたしは胃弱。揚げているうちに油にあたるにもめげず、期待に応えていました。わたしだって好物ですからね、食べるのだけは。 それが若いうちはなんでもなかったのに、どうもここ2、3年、揚げ物をした夜は胃腸が痛くなり、冷や汗が出てきて一晩中眠れないのです。一昼夜過ぎるとケロッと治りますが。 特にエビフライの時がひどいようなのです。そのうちにエビの種類が全部駄目になりました。五目ラーメンや五目やきそばについているのも、エビチリも、茶碗蒸しのも、食べたとたんにのどが痒くなり、胃腸がきりきりと痛み出すのです。 医者にエビのアレルギーを調べてもらいましたが「アレルギーの気、なし」でした。おまけに「アレルギーは現代っ子病、あなたの年ではならないのが普通」と言われてしまいました。胃の病気もありませんでした。 でも、なるんだから仕方ありません。もうこれはエビを避けるしかないです。エビってほんとにいろいろの料理、だしなどに使ってあるのですね、きりがないので苦労しています。 ところが昨夜、今度は「めごち」でなりました。エビと似たようなぷりっとしたてんぷら用白身の魚です。エビもそうですが原産地や加工が外国のものですね、その加工上の何かがわたしには合わないのかもしれません。 年齢と共に免疫力が落ちるでしょうし、しかも常用している薬の副作用もあるでしょう。わかりません、でも冷や汗たらたらの苦しい夜はたくさんです。そういうものは食べない方がいいですよ。でも、だんだん食べられるものが減ってくるさびししさ、いやですね~。 そうだ!宝くじにあたるのもこわいですね~。
2008年11月02日
コメント(4)
夫婦間での日常会話には禁句があるのは常識ですよね。そのひとつはお互いの肉親に関しての批判めいた悪口です。 最近、我が夫のそれがちょっとひどかった。ついにわたしは「それは禁句じゃないの!」と爆弾を落としました。その時の夫の顔ったら…気の毒になったくらい。 そう、「それは禁句じゃないの!」というのが禁句なんですね。「もうやめましょうよ」とか「わたしの気持ちも考えて…」といえばよかったのですね。でも夫はしつこかったんですよ。わたしも我慢できなかったのです。 11月に母の誕生会をやると弟から「往復はがき」がきました。実はわたし達3人きょうだいは父が亡くなったときの相続で気まずい思いをしている状況なのです。 きょうだいの性格が(前に「子供時代」でアップしたように)影響したのか、他人(夫)からみればおかしな結果の相続になっているし、きょうだい喧嘩もします。しますけれども付き合わないという気持ちにはなれないのが肉親の情です。 夫は「ぼくはいかないよ」と即座にいうのです。 「いいわよ。去年の米寿のお祝いには行ったんだし、わたしが義母さんのに行かないのとは違うんだから(これはわたしの強烈な皮肉になってしまってますね)」と答えつつ、一抹の悲しさもありました。 でもその後、言うわ言うわ悪口めいた批判。事実わたしだってそう思うことではあります。ありますけれどおもしろくありませんし、哀しいです。 「そうはいってもこうでしょ…、こうでしょ」とわたし言い訳などもしてしまいます。けれども 「きみはきょうだいだからかばうけれども…」とますますエスカレート。 そこでわたしの爆弾。夫「しゅん!」 ブログに書いているくらいだからわたしも思っていることだし、言ってもいることです。でも肉親のあれこれ矛盾しているような関係は他人にはわからないのですよね。血がつながっているということはDNAに同じのが伝わっていて、うちに抱えているものが共鳴しあったり反発しあったりしているのじゃないでしようか。 いくら夫が「きみはきょうだいと性格が違うね」と言ってくれたって、いいところも悪いところも顔も、身体も似通ってしまうのがきょうだいや親子ですから、合うも合わないも許すも許さないもないのです。 後で夫の手帳を見たら、ちょうどその日は一年前から決っていた仕事の予定がありましたよ。夫も忘れていたんですけどね(笑) それで夫は言わなくなったか? 「禁句だけれどもね、おかしいよ、へんだよ…」と禁句だけれどもねを枕詞にして相変わらず言うんだねー。ほんと、こりない、うるさい!
2008年10月26日
コメント(2)
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。」とは川端康成ですが、「苦境の長いトンネルを抜けると楽天国だった。心の底がすっきりした。」とはわたしの心境です。 本を読んでも感想を書きたくなくて書きたくなくてめんどくさくて「やめちまおう」となんどもなんども思っていたこの夏でした。それにしてはいやいやながらアップしていますが…いくつかは…(笑) 「心が折れる」という言葉が格闘技にはあるそうですね(「日経プラスワン」のコラムより)張り詰めていた精神力がプツンととぎれる状態だそうです。糸が切れるように脱力してしまう試合に使うそう。ちょっと違うかもしれませんがお相撲さんの引退時にも「気力体力の衰え」ということを言いますね。 その精神力が切れそうだったのです。いちどトイレでぼんやりして「死のうかなー」なんて思っている自分にぶったまげましたから。もちろん老化現象、老人性うつ状態(おおげさ)でしょう。自分でわかりました。 悩みなんてたとえあったとしたって、わたしのなどたいしたことではありません。第一、前向きに生きることが好きな性格です。だからつまり老化現象。いやですねー。でもなってしまったのだから仕方がありません。 まえに「はじがたり」というテーマでアップした「手のかからない子」で言いましたが、こういう時ひとりで治してしまいたいのが性格、というか、こう大人になったら(年くったら)本人の意思が一番いい薬でしょうよ。と、だらだら過ごしておりました。 それがどうも治ったようなのです。 薬となってくれたものはいろいろでしょう。でも一番の薬はやっぱりブログ。何を書いたからとか、どのコメントが嬉しくそれがきっかけなったとか決められませんが、急にさわやかになってやる気が起きてブログをやりたくなってきたのですよ。 風太郎の真摯な日記にも触発されました。 来年の手帳の売り出しが始まり、大型日記手帳が人気とか。それもブログで書きなれた日記が紙の日記に記録を、と拍車をかけたらしいです。 じゃぁ、わたしはブログ日記に精を出せばいいのだわ、と単純な心の変化でもございました。 こころのことはそんな簡単なことではないでしょうね。だからわたしのは単に落ち込んだだけだったのでしょうか。ちょっと恥ずかしい、でも、ほっとしました。
2008年10月25日
コメント(2)
今住んでいるところは、町役場からのお知らせや火災の発生などが、畑や果樹園に設置されているスピーカーから流れる、ある意味では牧歌的なところであります。 ゆうべのこと、「69歳の〇〇さんという女性が行方不明になりました。身長〇〇、白髪ショートカット……見かけましたら〇〇警察署まで……」と流れました。しばらく時が過ぎてして「さきほどの方は無事保護されました。ご協力ありがとうございました」 事情はわかりません。けれどもよくお年寄りがいなくなって服装とか特徴がスピーカーから放送されるのです。いつも「はやく見つかるといいな~、家の人は大変だなー」と、散歩にはもってこいではあるが人家が少ない周りを見てみるのです。 で、ゆうべはひそかなるショックを感じたのです、自分の年齢に近い60代ということに。繰り返しますが事情はわかりません。若年認知症があるということも知ってます。でもでも「ああ、近づいてきた!ひとごとではない」と思いました。そして思ったことになおさらショックを受けたのですよ。 なにごとにもすぐ真剣になってしまう気質のわたし、どうしたらいいんだろうと考えます。でもその真剣に考えすぎること、それが元で変調をきたすのもありでしょうね。だからこれはたかをくくらないといけないかもしれません。 いえ、ほんとうは最近ひたひたと押し寄せる(健康面はもちろんですが)思考経路の老化現象が嫌になってます。特にこのごろ、なにもかもめんどくさくなることが多いです。循環器系の持病もありますので脳梗塞も心配です。やばいです。 それで予防になるかどうかわかりませんが、考えついたやりやすい5つのことです。まじめすぎないことみること、よむことむりをしないことめんどくさがらないこともういいはいわないこと もちろん身体の健康があって精神の健康ですけれどね。
2008年10月23日
コメント(6)
まず、お雛様のころから風邪を引きました。文章を考えるのがおっくうで、更新が間遠になりました。やっと治りましたら、すっかり春めいて。引越しをしますので忙しいです。長年使ってきた事務所兼宿所の建物が取り壊しになります。東京は古い建物が取り壊されては、新しいマンションの建築ラッシュです。たぶんバブル期の地上げ騒動以来でしょうね。昭和のレトロが消えていきます。わたしのところは昭和30年代に作られた集合住宅。ライフラインの古さがネックで建替えになりました。けれど、たいした庭でもないが古さが雰囲気をつくり奥ゆかしく、木々も太く大きくなって茂っているので惜しいです。特に10本以上ある樹齢50年のさくらはみごとでしたから。つまりわたしが14歳のころから一緒に成長したさくらの樹たち。住民の総意でする立替ですが、皆の心の内も複雑でしょうね。もうじき開花、それは見納めのさくら花です。そんなこんなで傷心の引越しお片づけ。やっぱりブログが滞るのは仕方ないかもです。ああ、亀山郁夫新訳『カラマーゾフの兄弟』は読んでます。何もこんな時にとは思いますですが。なおさら「大審問官」で手間取っていますね~。
2008年03月15日
コメント(12)
朝七草粥もどき(大根とチンゲン菜、水菜、小松菜、菜の花、蕪などの摘み菜とネギ)みかん昼外食ある日本食チェーン店のお昼魚定食(焼き魚、いんげんのごまあえ、ひじきの煮付け、小松菜と油揚げの煮びたし、白菜のつけもの、アサリの赤だし、ごはん)こんなのだといつもの食事と変わらないなー、もっと洋食ぽいものにすればよかった。夜おでん(大根、えびいも、こんにゃく、ちくわ、がんもどき、さつまあげ、つみれなど)ビール、焼酎りんご 七日間の三食を再現してみて思ったことは、やはりあっさり好みの老人食になっている(笑)よな、ということ。菜園作りも加わって自然に好みが変わってきたものだ。 お正月中ということもあって贔屓にしている魚屋はお休み。普段はもっと新鮮なおさしみや魚料理が多いとも思う。 もう、ちょっと厭いたから、特筆することが出たらアップしようと思う。ごそまつさまでした。
2008年01月07日
コメント(0)
朝コンビーフポテトサラダレタスプチトマトこうぼパンコーヒーミルクみかん昼なっとうポテトサラダ、大根の葉の炒め物ごはん味噌汁(ひとりで食す、夫はご馳走の会食だったという)夜アジの干物大根とコンビーフのうま煮えびいも煮ころがし摘み菜各種おひたし白菜の漬物ビール、焼酎
2008年01月06日
コメント(3)
朝野菜炒め(キャベツ、玉ねぎ、にんじん、香味野菜、ウインナー、ベーコン)海苔もちミルクコーヒーみかん昼つきだし(はたはたのなれずし、大根とにんじんのなます)チューダーチーズビールつゆそば(辛味大根、ねぎとハムの炒め、ねぎミジン、きざみ海苔)夜甘鮭の味噌みりん付けの焼き物ポテトサラダ(きゅうり、ピクルス入り)トマト、レタス添え大根の葉の炒め物ビール、焼酎ごはん味噌汁(かぶ、かぶの葉、ねぎ)海苔りんご *辛味大根も今年はよく出来た。ピクルスは夏に沢山採れたきゅうりの自家製。
2008年01月05日
コメント(0)
朝サラダ(いつもの野菜)ベーコンエッグこうぼパンミルクコーヒーみかん昼よもぎもちのおぜんざい(もち2個)大根の葉の炒め物みかん(わたしひとりだとこんなものになる)夜春巻き(豚肉、長ねぎ、きくらげ)大根とにんじんのなます大根の葉の炒め物ビール、焼酎りんご(春巻きがあまりにおいしかったのでひとり5個ずつ食べてしまった)
2008年01月04日
コメント(2)
朝(当番 夫) サラダ(小松菜のゆでたもの、キャベツ、レタス、きゅうり、にんじん、 赤蕪大根、シーチキンのすだち酢あえ) 海苔もち(丸もち、しょうゆ) コーヒーミルク りんご昼 たこ酢のもの長ねぎ添え(残り終わり) 大根の葉けずり節とのごま油炒め(昼作る) 大根とえびいもの煮物(ゆうべの残り) はたはたのなれずし(頂きもの) ビール、日本酒(伝心) ねぎチャーハン(卵と長ねぎ、塩味) りんご夜 とりささみフライキャベツ千切り、レモン添え(昨夜の残り) 餃子(作りおき冷凍) 紅かまぼこわさび添え(残りもの終わり) 大根とえびいもの煮物(ゆうべの残り終わり) ビール、日本酒(伝心 一升を飲み終わる) りんご 以上が三が日のメニュー、無事お酒も飲み終わりました。おせち料理をつくってお重に詰めることをしなくなって2~3年過ぎ、今年はほんとに何も作らなかったのです。数の子やかまぼこ、酢だこはお酒のつまみくらいの気持ちで用意したのでした。 けれど、おもちは念願の(それほどでもないが)餅つき機を購入、おいしいおもちをつきました。よもぎもちにあん、きなこ、しろもちにだいこんおろし、なっとう、と「からみもち」を孫と楽しく、たらふく食べましたよ。 それがらしいと言えばらしいが、 しかし、やはり寂しかったかなー、日本人ですからよってくるところのものを大切にしたい気持ちも湧いてきます。来年は…鬼が笑います! いや、暮れに用意するので…おせちのお重をしかるべきところに注文してみようかなーと思っていますよ。一度やってみたいのです。
2008年01月03日
コメント(2)
朝(夫の当番 板についてきた ) サラダ(小松菜のゆでたもの、レタス、きゅうり、にんじん、赤蕪大根、 わけぎ、ハムのすだち酢とぶどうオイルあえ) 海苔 ごはん(昨夜の保温) 味噌汁(昨夜の残り)昼 たこ酢のもの長ねぎ添え(残りもの) 大根の皮のきんぴらしらす干入り(残りもの) 大根の葉けずり節とのごま油炒め(残りもの) 日本酒(伝心) つゆうどん(小松菜、油揚げ、ねぎ) みかん夜 とりささみフライキャベツ千切り、レモン添え 大根の葉けずり節とのごま油炒め(残りもの終わり) 数の子削り節添え(残りもの終わり) 大根とえびいもの煮物 ビール、日本酒(伝心) りんご *今年の自家製キャベツは上出来でした。
2008年01月02日
コメント(0)
今朝の夜明けは美しかったです。寒くて空気が澄んで、暖かい土地柄なのに霜柱が立ちましたよ。大雪の地方もあるのに、こちらはいいお天気が元日から続いてのん びりとしております。おとそ(おさけ)の前に(夫が腰痛にて車で)神社へ初詣。おみくじは「大吉」一年の計、抱負、今年こそは、予定、行事ぼーっとしているとどうでもよくなりなるがまま、あるがままでよいなるがまま、あるがままでよいです。
2008年01月02日
コメント(6)
朝 数の子けずり節添え たこ酢のもの長ねぎ添え 紅かまぼこわさび添え 大根にんじんなます(自家製すだち酢) おとそ(日本酒「伝心」) 雑煮(大根、えびいも、にんじん、小松菜、ささみ、かまぼこ、あおのり、 自家製丸もち、昆布とかつお節だしの澄まし汁)) * 野菜は大根、長ねぎ、えびいも、小松菜は自家畑のもの昼 数の子けずり節添え(残りもの) 紅かまぼこわさび添え(残りもの) 大根にんじんなます(自家製すだち酢)残りもの終わり いかすみのいか燻製、チューダーチーズ ビール、日本酒「伝心」 よもぎ餅(自家製)の海苔巻 りんご夜 大根の皮のきんぴらしらす干入り 大根の葉けずり節とのごま油炒め 数の子削り節添え(残りもの) 日本酒(伝心) 焼き甘じゃけ(みそとみりん漬け) ごはん 味噌汁(豆腐とねぎ) みかんその日の朝に食べたものの記憶もあやしくなってきたこのごろ、二日前の献立がなんだったか思い出すのに苦労した。食欲の本能はいつまでも楽しみなので記録しておこうかしらと思った。いつまでつづくやら…だけど。暮れ、小学一年生の女孫に「神経衰弱」で、こてんぱあに負けた記憶力が自慢で大好きだったこのゲームがきらいになったよそんなこんなで忘れ防止の訓練よ。
2008年01月01日
コメント(2)
25日から娘が女の子供二人を連れて泊まりに来ている。つまり里帰り。わたしも息子や娘が小さい時は実家によく行った。母はご馳走を用意して、温かい布団を整えて迎えてくれ、わたしはのんびりしたもんだ。だからわたしも畑の家を建てた時には、ことさら座敷をふたつ余分に作ったのだ。そして母の如くおいしいご馳走と、羽毛布団に包んでやってる。また、子供好きとはいえない性格なのに「ばあば」を疲れ知らずに演じるのだ。と、前にも書いたような…。何が言いたいかというと。むかし、戦後すぐから東京オリンピックの頃まで、東京に住んでいるものの家にはよく地方の親戚が泊まりに来た。夫婦に3人の子供、なのに3部屋とキッチンしかないアパートマンションだったのだが、遊び、出張、病院通いにと親戚は遠慮なく泊まりに来た。部屋の割り振り、布団のやりくり、一畳くらいの台所でのもてなし。そのたびの大騒動は迷惑だったろうに、何事もないようにやっていた母はえらい。母も若かっただろう、時代だっただろう。見習ってわたしも若いうちは狭かろうが、姑が泊まりにくるたびきちんともてなした自信がある。しかし、しかしである。今、わたしは大きな台所と、ゆったりした部屋数なのに「かんべんして」と心で思ってしまう。もちろんお客様じゃない娘だし里帰りなのだから、そこは適当にすればいい、大変ではないはず、つもり?!わたしの妹は家族に見合った部屋数のマンションに住み、客布団をはなから用意しないで、誰も泊めたくない意思表示を貫いている。あっぱれ。それが出来ないわたしはうじうじしているのだ。その妹夫婦も畑の家に泊まりに来たんだけども。
2007年12月29日
コメント(16)
ごとごとキッチンで音がするので目覚めて、時計を見ると午前4時。夫が朝食を作っているのだ。いくらなんでも早~!しかたないからわたしも起きたけれど頭がぼー。夫はどうかしたひょうしに午前2時とか3時に目覚めても平気なのだ。結婚して以来これが頭痛の種。(ほんとに頭が痛いので身体に悪いと思う)四十幾年なんなんと「早く起きてくれない」と、離婚の危機になる唯一(?)の体質の不一致点が早起き(笑)定年まえはなんとかわたしが体裁を取り繕う程度に頑張ったが、自由業的今、ほんとはゆっくりでもいいのだ。でも5時半には目覚ましを掛けて、6時には食べられるように努力していた。(ほんとだよ)最近、朝食作りは夫の当番とした。しかし理由はこのことではない。家事分担において食事の後片付けは彼と決め2年経過したこのごろ、悲鳴をあげたのだ。曰く、「こんな創造性のない仕事は嫌だ!」それじゃぁ食事作りのほうをやってみる?というわけで朝食から手始めということに。それがしまっただだなー、敵は早起き体質、冷めた朝食を食べたくなかったら早起きしなければならないとなった。で、三度の後片付けはわたしに逆戻り、2年間楽してたらわたしだってもうやだよ。食器洗い機を絶対買おう。実は知りもしないくせに食洗器を買うのを反対していた夫、骨身に染みたらしい、賛成になった。すなわち、わたしが早起きになる徳と美味しい朝食(ほんと寝ぼけまなこで作るわたしのよりうまい)と食洗器が晴れて買える得である。
2007年11月13日
コメント(9)
団体旅行でもない二、三人の旅でも絶対に個室でないといやというひとがいる。理由は夜中に起きてがさごそ動きたくなる夜行性だから迷惑をかけるのだそう。ごきぶりみたいなひとだ。ところが最近、わたしもいったん寝ても目が覚めて、冴えわたってしまうことが多くなった。身体をあまり動かさなかった(働かなかった)日や、他人と会って興奮した日の夜は特にそう。でもって本を読んだり、PCをしたり静かにしているうちはいいけれど、気のついたところを整理片付けなどしたくなったり、体操をしたくなったりすると困る。やっぱり同宿者がいると、いくら「かまわないから」といわれても遠慮する。こんな時は一人暮らしがいいのになー、なんて。それで午前3時にブログを書こうと思ったらメンテナンス中。3時~4時半まで、毎朝なのかどうか?ちょっとがかりしたっていうはなし。急に秋めいてというより寒くなってしまって、特に明け方は火が欲しいくらい、あわててベッドに入る(笑)でも、いつものように5時半起床。頭がぼーっとしているけど。
2007年09月30日
コメント(3)
漱石の『二百十日』『野分』を読み終わる。これでほんとんどの作品が読了である。やはり充実感はある。弟子といわれている作家や影響を受けた作家に思い至ると、日本の近代文学に向学心がわく。学生時代にこんな気持ちが起これば、この方面に進んでいたのかもしれないのに。いまさらどうもならないかもしれないが続けようと思っている。このごろ黙る事にしようかと思う。とかく年をとると「差しで口」が多くなる。子どもの教育に「勉強しなさい」が効果ないは経験済み。ついああしろこうしろと夫に指図がましいことを言ってしまっていた。例えば夫の老母への訪問、墓参りなど「もうそろそろ行った方がよい」とつい。すると嫌ーな顔する夫。わたしも妻、嫁としていい顔ぶりでもある(そこが自分でいや)。ちなみにじっと我慢して黙ったいたら、「そろそろ行かねばならない」と本人が予定を立ててくるではないか。なーるほど。家事の分担にもいろいろ不平等、ギクシャクがある。こちらの方ははっきり言おうと思う。冷静に理論だてて。筋を立てて言えば理解によって行動する。へたでいい。わたしの思い通りの家事ではないけど、それは仕方がない。そんなこんなで忙しいお彼岸、秋冬の菜園づくり真っ最中。
2007年09月23日
コメント(2)
北村薫の小説『夜の蝉』ではないよ。東京では、あるいは都会ではいつから夜、蝉が鳴くようになったんだろう。もう、何年越しもこの時期、聴いているきがする。今夜も暑い、寝苦しい夜に鳴いている。盛大に合唱だ。眠らない都会の灯りのせい?蝉も気の毒だけれど、人間も苦しい。暑いと怒りがわいてくることがある。過去のつまらない一場面が、腹立たしく思い出される。冷静になればなんてことないことだし、すんでしまったこと。現在形の怒りならただ怒ればいいが、過去形のものは怒れば怒るだけむなしい。こんな時、相手は辟易だろう。一人だったら物にあたる。そう思うとよけい怒れるし、頭が痛い。蝉も気の毒だけれど、人間も苦しい。ところで小説『夜の蝉』を思い出さなきゃ、自分の感想を見てもさっぱっり?
2007年08月14日
コメント(0)
昨日、友人からチケットがあるとて観劇への誘い電話。残念、その日は私の通院予定日だった。一年ぶりの会話であり、通院ということから病気の話になり、去年は大変だったとお互いに言い合ってしまった。ご主人が心臓の大手術で助かり、お母様がいろいろ大変になってきた(たぶん認知症気味だろうか)ということ。会社時代の同期とて、おなじような人生行路、こんなことで盛り上がりたくないのだけれど。きびしい、さびしい。同年代の集まりといえばどうしても健康の話が出る。つまり、ある年齢になれば病気が無縁でない事実。だから同窓会では健康と孫は禁句という川柳があったような(笑)なのにしているわたし。あーあ、ほんと、行きたかったなー。
2007年02月27日
コメント(2)
この日曜日のこと。まず、寝起きが悪かった。4時半だかに先に起きていた夫が「遅いよー」と不機嫌。6時ちょい過ぎだのに。もうろうとした頭で朝食の支度。二人暮しになって10年。相も変らず食事作る人私、待つ人あなた。不公平じゃない?寝坊したら作っておいてくれるぐらいなんでもないでしょ。もくもくと食べる。目が、前の新聞にとまる。日経(2/11)「春秋」のコラム。『温厚な人も理不尽が過ぎると爆発する。「子供は最低二人産んでね。労働力も必要だから仕事も続けてね。男より給料安いけどね。育児休暇?男は取れないよ。保育園?家事?自分の才覚で頑張ってよ」日本中の女がちゃぶ台をひっくり返した。「それが少子化なの」』週刊誌の4コマまんが「OL進化論」(秋月りす)だそう。ほんとだ!ほんとだ!ほんとだ!と不愉快の火に油。もちろん私にはとっくに過ぎたことで、あきらめの燃えカスだったけれど。「産む機械」という大臣の失言がなければこのようなまんがやコラムはなかっただろう。私も気分を悪くしなかっただろうよ。さておまけに、時間がないと、唯一の分担家事、洗い物をしないでゴルフへ。ゴルフが悪いといってるのじゃない。お医者様も今のうちやれることをやっておけといっている。でも、今のうちだよ二人のいい思い出をつくれるのは。間違っても「死に別れでよかった」なんて思いたくない。と過激な思いが一日中渦巻いた日。その日にアップするのをためらったブログ(笑)でも、気分がおさまった今日この頃も余燼があり、つい皮肉っぽい会話が続いてしまっている。のでアップ!
2007年02月13日
コメント(6)
あけましておめでとうございます。初日の出は雲がかかり、かなり昇ってから。簡単なおせちは↓。「なます、すだこ、数の子、黒豆、かまぼこ、栗の甘露煮」におとそは新潟の「越の寒梅」の冷。澄まし汁(大根、人参、えびいも、せり、とりささみ、あおのり)のお雑煮。近くの神社(往復9,532歩、2.86km)に初詣、今年は熊手のお札。おみくじは末吉。という風に過ごしている。本年もよろしくお願いいたします。
2007年01月01日
コメント(14)
今年の暮れは大掃除なし、おせち作りははしょり、ゆっくりしている。5時半起床、おもちと昨日の残りの蕪と鶏ささみのクリームシチュー。洗濯の後、一万歩の散歩をした。昼食、ビール、シューマイ、昨夜の手巻き寿司の残りでまぐろ丼。読書の後、畑より小松菜、下仁田葱、えび芋、セリをとる。数の子を漬け込む。4時ふろ。夕食、牡蠣とたらすりみの味噌仕立て鍋。自家製の下仁田葱、セリがおいしい。自家製草もちを入れる。TVはつけずに今。静か…、で、ものおもう。人間として生まれて自己に目覚めどうあるべきか考える。いつでも考える、これが基本と思う。その人間の資質のあった選択をすればいい。教育しつけも効果がないとはいえない。しかし自己の中からの叫びに忠実に従ってこそ違和感なく人生が送れるのではないか。性善説ではない。その選択が人間社会に適さない場合もあるだろう。罪は罰を受けるだろう。その人間の資質のあった選択をすればいい。生きるということは孤独なことだ。こんな言葉では話さなかったけれど、私の人生感を、珍しく結婚している娘とこの暮れに4泊5日を過ごしたのでゆっくりと会話できたのがよかった。娘にもいろいろ事情はあろう。が話はすべて鵜呑みには出来ない。大学卒業の22歳以後は自分で決めることの方針は変らないのだから、こちらの考えは言うが決定は当時も今も娘がするのだ。当然女孫3歳と6歳も一緒で、子どもは苦手の私でも孫は別、めろめろの可愛がりもしたし、それはそれで満足でもあった。成長の著しい孫たちのおかげでかなり話が出来たことも今暮れの良し。さて、8時からどう過ごそうかしら…。ひとまず。
2006年12月31日
コメント(6)
少し前から腰痛がでて憂鬱なところに持ってきて、蒔いた種の小松菜、にんじん、蕪、大根のおろぬきをしなくてはならず、痛む腰をさすりつつ畑にかがんでいる。泣き面に蜂ではなくて、あぶ。右目まぶたをさされお岩さんになってしまった。こんなに涼しくなったのでもういないと思ったんだけどねー。しかし、おろぬいた大根葉、小松菜のおひたしは美味。右目が半眼になってしまたわ、腰は痛いわで、じっと本を読んでいられないのが口惜しいが。 ところでNHK土曜ドラマ「魂萌え!」1、2回を案外面白く見ている。主演の敏子役の高畑淳子が好もしいのだ。私は知らなかったが舞台女優さんでTVドラマ初主演とのこと。なかなかの熱演。じみできれい。そうしたらさっそく先日、日経の子育てコラムにも記事があった。離婚、二人のお子さんを苦労して…。原作にはかなわないと思うが、雰囲気はおおいに出ている。突然夫に死なれた59歳の敏子「老いて一人のこされるのって、厳しい!」でも「夫婦ってやっぱり他人同士!心の中までわからない」とわかってくるのだった。来週はクライマックス、最終回とのこと。
2006年10月29日
コメント(4)
まったく!今まで私には関係ないと思われた現象が起きた。突然身体が動かない状態、動かせない状態。熱があるとか、筋肉の疲れとか、ヤル気が起こらないとかの原因が無くて、だるくて、横になりたくて、でも何かしなければならないというあせりだけが重くうずくのだ。どうしちゃったのだろう、情けない、と思っていたら、これがもしかして、うつ状態?と、気がついた。半日もだらだらしていたろうか、無理して無理して出かけたら治っていたからほっとしたのだが。(今までわからなかったそういう状態の人の気持ちがよく理解できた、目からうろこ)これが八月の終わりごろ。九月も出かける用事が多くあっという間に過ぎたころ、こんどは腰痛が始まった。これはなじみのお疲れモード。腰痛って精神的な疲れにも出るんだから。腰の中心から痛くなって今は右足の付け根に移動している痛み。コルセット&湿布を使い分けてもう峠、やっと明かりが見えてきた。思うに、お互い(夫婦)年とって、もっと年とった親たちまでの面倒はどうやってみればいいんだろうと、感情も勘定も揺れ動く秋の風であった。いやいや、夫のからくも逃れた終末から、残りを味わうとて、自分達の人生の充実も合わせやっているから、なお忙しく大変なのだ、しかたがないか。
2006年10月11日
コメント(4)
退院の翌日から仕事を始めてしまった夫。いや、その仕事のために退院日が決まったようなもの。担当医に「予定にあわせて病気は治りませんよ」とまで言われてしまったのに。完治しているわけではない、もちろん治療の病院通いも加わっての日常。私はハラハラしてみている。引き受けた仕事への責任もある、個人プレーの、それをしなかったら仕事をとられてしまう厳しさがある、ということはわかる。しかし、一旦引くということもあるのではないかと理を言ったけれど、聴きはしない。この頑迷さは性格か、年令の成せるわざかと思ってしまうのだが…。一方、姑の大たい骨骨折のその後。せっかく手術が成功したのに、リハビリ拒否と拒食にこだわってしまい身内中が震撼した。それこそ寝たきりになってしまうではないか。いくら97歳だからとて諦められない。一計案じて、見舞いに来たひ孫達に取り囲まれている時、痛がるリハビリを強行してしまったと義兄から知らせがあった。(かわいいひ孫の前では頑張らざるを得なかったか?)案の定、効果があり良くなってきているらしい。退院日を設定してもらった途端、顔輝き食欲も出てきたという。結局、寝たきりになってしまうのではないかとあきらめて、いつもの気丈さを無くしていたらしい。しかし、ああ!似たもの親子。この頑固さに長年振り回されて、いないとは言えないのだよ私。夜中に目覚めてしまいこれを書いている。今日は姑の病院に行く日である。もう一眠りしなければ…。
2006年08月24日
コメント(6)
姑の入院している病院にやっと行ってきた。東京から2時間のところ。これから時々行かねばならない。97歳の姑は前にも書いたようにカクシャクとしており、ホームの個室で暮らしていた。しかし、気丈だけではかなわず廊下で転倒、大たい骨を骨折してしまった。しかも代表身元引受人の夫が大手術の最中に!(姑には夫の病気のことは知らせてなかったので、心配してオロオロしたのではないと思う、でもなんという偶然だろう!)夜中に電話で呼び出された夫の姉、兄(2人とも私たちより老いているので病気がち)は仰天したことだろう。弟の手術を案じている矢先だから、もしかしたら弟が…と思っただろう。2日後私はそれを知らされた。幸い姑も手術をして今はリハビリにはいっている。この時代97歳でも条件がよければ手術をほどこされるのだ、とは実母(87歳)の大手術を経験したばかりだから、びっくりはしなかったけど。高齢化社会の老老介護とはまさにこれ。自分達が老いのリスクを避けられなくなった時には、その親がもっときついリスクにさらされていることになる。そこで孫(子)の登場なのだけれど、晩婚化で幼子持ちが多くて忙しいし、私たち世代も少子化傾向で子が少ない。だから手伝えるひとは少ない。病院や老人介護施設を運良く利用できても、超高齢になると身内で何くれとなく世話をする人は必要なのだ。そうしてそのお互いの居る場所が離れていると、移動(通う)だけでも時間を浪費する。体力を消耗する。まして自分達も大変な時はどうするのだ!でも、こうして書いている今は、いろいろと気のもめる手続きを踏んであれやこれやの努力の結果、方向が決まっただけでも幸せなのであろうと思う。もうしばらく一生懸命が続くが。何をいいたいかと言うと、つまり、看病のため病院通いで移動時間が多かったり、待ち時間が多かったりして本を読むのだけれど、こんな時は頭に入らないらしくて読んだ気がせず、感想もぱっとしない。情けなや。
2006年08月16日
コメント(10)
昨日雷とものすごい雨が降ったので、今朝は涼しかった東京。例年によってお盆の都心は閑散と静かなのに、桜の大木に蝉の声だけがうるさい。蝉の一生懸命さには感服する。このところ、夫が深刻な病で入院しているので東京で忙しい日々。事態はなってみないとわからないものだ。時間が止まったようなこの2ヶ月。ということがやっとわかりかけている。
2006年08月13日
コメント(14)
65歳になりました!立派な高齢者です(爆)介護保険証も郵送されてきましたし、保険料も払わなくてはなりません(汗)国民年金保険も受け取ろうと思っています。公共施設が割引になるという話もありそうです。シルバーシートにも堂々と座れます。さて、ささやかな祝いということで築地場内の鮨屋に馳せ参じたのですが、残念!やはり長蛇の列。(ちなみに私は巳年ですぅ)一般的食堂で済ましました(泣)帰り、銀座にて夫がパンツと麻シャツをプレゼントしてくれました。夫は洋服選びのセンスはいいのです。衣類購入手控えてましたが、解禁して私も自分で自分にいろいろプレゼントしました。夫が「図に乗るなよ」と言いました。知るもんですか♪なってみてわかります。65はまだまだ捨てたもんでないです(笑)
2006年06月30日
コメント(6)
☆かよさんにご指名いただいた「ダンナについてのバトン」にお答えする 。ちょっと違和感あるのは「だんなさん」という言葉。いままでブログでも日常でも「夫」といってきた。最近は「つれあい」という言葉が気に入っている。けれどもバトンなのでそのままに。Q1 旦那さんの1番のチャームポイントは?話術が巧みなこと。演説にカリスマ性がある。しかし、私はとっくにうんざりしている。(内緒)Q2 旦那さんに似ている芸能人は誰? 即お答えする。「杉浦直樹」(古?)Q3 旦那さんとの馴れ初めは?(知り合ったきっかけなど) 職場。(出会いがしら)Q4 これだけはやめてほしい旦那さんの行動や癖など。おふろぎらい。Q5 旦那さんから初めて貰ったプレゼントは? こけし。東北旅行のおみやげ。(これも古?)Q6 プロポーズの言葉とその時あなたが感じた気持ちは? 「一緒に苦労しよう」だって。(はいはい、いろいろ苦労してるよ)Q7 旦那さんの特技は何? 横になった途端に熟睡できること。Q8 旦那さんの好きな女性のタイプは?賢くて美人。脚のきれいなひと。(コメントなし)Q9 将来どんな生活をしたい?(子供は何人欲しいとかどこに住みたいとかetc) いま、将来である。Q10 次のバトンを渡す5人私とリンクしてくださっている方で、お時間と心意気のある方へ。
2006年06月05日
コメント(6)
ケーさんの「やっぱ米でしょ。」を読んで思ったこと。毎日飲んでるビール、発泡酒に替えてやれ経済だ、と思っていたら税金が上がった。じゃぁ第三のビールにしようと新発売からてぐすね引いて買ってみた。のがひと月前の話。2ダース箱買った。飲んでみたら珍しさも手伝って「ジュースみたいだけど、まあ、まあだ」とこんどは酒屋さんのキャンペーンに乗せられて、大特価のを3ケース買い置きした。はじめの2~3本はよかったのよね。だんだんまずーくなってきた。350ml缶8ダース、ひと月経っても減りませぬ。連れ合いは仕方がないのかグイグイ飲んでるが、私は休肝日が増えた。たまに飲む発泡酒がおいしいこと!ビールならどの銘柄でもおいしい!!!の境地。ある銘柄しか知らないから、ほかの「第三さん」はどうなのかなー?
2006年06月01日
コメント(8)
なんど雪にめぐりあったであろうか。降っていても、気にしないでいた日。ほかのことに、気をとられていた日。じっと見つめていた時も。雪は詩人も創る。しかし、二日も経ってしまうと、屋上、民家の屋根には残っているが、ビルの間、路地の片隅にこびりついるような雪。ただし、明るさはこどもたちのさざめきのなかにあった。雪にかまけて屋内で仕事作業に集中していたが、さすが、外の用事もたまっているよ。今日の東京は晴れているけれど、風がなお冷たい。さながら、冷凍庫のなか。おお、ふるふる、る。。。。。雪国の人たちには申し訳ないけれど、珍しいところではこんな風に感じる。しかし、南関東地方でも今冬は雪が多いよね。
2006年01月23日
コメント(16)
お気づきのことと思うが、私には30代も後半の息子と娘がいる。息子は結婚していない。娘はしている。このお正月、あることが判明して愕然とした。息子、身軽さゆえひょいと来てひょいと帰っていったのだが、例によって例の話が出る。(いや、してしまう親…)もう長いお付き合いのガールフレンドないし恋人がいるにはいる。彼女も結婚したいと思っているはずである(なぜか私はそのことを知っていると思っている)でもいっこうにその気配がない。息子の性格は「石橋をたたいて渡る」である。或る時は「たたきすぎて石橋が壊れるのではないか」と自分で言っていたくらいだ。てっきり長引く理由はそれだと思っていたが、一口に言って相手が女性であるがゆえの問題だった。(間違っては困るよ、息子が男性がいいといったのではない)お互い忙しい、すれ違いの家庭生活はいやだというのだ。それなら付き合っているだけでも同じと思うらしい。私は女性の自立を意識して生きて来たつもりである。しかし、やってきたことは専業主婦で子育てをし、少し暇になったら地域の活動と趣味がもっぱら、パート経験も極少、本を読みたいばかりの怠け者でもあったのだ。だから夫は家庭に帰れば何もしなくて済んだ、その後姿を見てしまったというのだ。がーん!なんとまあ、保守的男性になってしまったものかな。私は現代の若い女性が結婚をひいて考えてしまう気持ちがよくわかる。応援している。私だって若い時は萌えていた。その頃のはやり言葉「共働き」で3年過ごした。だがやがて妊娠した時は辞めざるを得なかった。出来たばかりの組合(しかも私達が作ったのだ!)のバックアップで条件は整いつつあったが、同じ会社だったというのがネックだった。私は分業ということで納得した。まだまだそのあたり男と女の考えかたが古かったというか、それが普通だったのだけど。でもねえ、親の姿をみてそういう風に考えてしまうと息子に責任転嫁されても困る。自営業になってここ数年、夫と忙しく働いている姿は見てないもの。就職と同時に家からは出し自立していると思っていたが、一人暮らしが便利な時代だけに始末が悪い。親の心、子知らずである。ったく!と怒ってみたが、ショックは隠しきれない。失敗の巻き。こういうことはちょっとはずかしい、消しては書いてである。また消すかも。
2006年01月10日
コメント(14)
あけまして おめでとうございます。 あいにく関東地方は曇りの元日でございました。姿の見えぬお日様にむかって今年の抱負、願いを祈ることなりました。一夜あけましても、混沌とした世界は変らずでございますけれども、精神の正常なる働きをフルに始動させ、万人平等のさまざまな発露を視野にとらえつつ、自分らしさを殺さずに、相まって生きていこうとの覚悟を、あらたにいたしました。どうか、みなさま、ことしもどうぞよろしくお願いいたします。となにやら上段ふりかぶりましたが、要は読書日記を続けますので、ブログを引き続き見て下さいませということです(初笑)
2006年01月01日
コメント(17)
さきほど見てきました!「東京ミレナリオ」(携帯のカメラ)東京駅改修工事のため今後しばらくお休みということで…。クリスマスも過ぎたので混んでいないかなと思いましたが、まあ、そんなことはありませんでしたね。閑散としていたとしても拍子抜けかもね。一月一日までということです。
2005年12月27日
コメント(8)
あーあ、庶民もどんどん庶民なのだ。と客観的に言えば冷静にもなれるか。行ってきました、老舗の高級温泉宿。数寄屋造りの専用露天風呂付き部屋。夢のような上げ膳、据え膳、温泉三昧。車10分で行ける場所っていうのがまあ、贅沢かな。本も読まず、あたまからっぽ、なんと1、2、~6回も湯にはいり、ご馳走をたらふく。いいですなー。温泉は癒されますわなー。風は冷たく、湯はあつく、青みががった夜空の火星、金星、半月、星星がきれいっだ。なんで、なんでか、ふふふ、41回目の結婚記念イベントなのだ。ほんとこの5年間旅行に行けなかったし、(って別に深いわけはないが、行ったり来たりの生活はそれだけで旅の欲求を起こさせにくいのかもしれなかった)やはり、非日常はいいものだ。で、じゃーん。表題の意味は昔、むかーし結婚の決め手は彼の「いつくしむようなまなざし」だったのだということ。先日読了の『コルシア書店の仲間たち』でなにげなくひらめいたのさ。長年の疑問が解けたよ。絶対、理性的にあーだこーだと考えただけではないのだ、みなさん。はい、温泉酔いしているよ。お許しなされ。
2005年12月10日
コメント(22)
ぷみ23さんから「カウプレ」を頂いたのです。「77777hit」のね。ジャストではなくていっこ前だったけれどね。とても嬉しかったです。ちょっと努力したんですよ。ちょうどお客様が大勢いらっしゃる日に間近と知ってね、おおわらわの準備中にお台所とパソコンを行ったり来たりしたのです(笑)どうもそういう時って燃えません?でも、77776からカウンターがどうしても動かないんですよ。どうなっているのでしょうね。そのうち忙しくなって…。七万七千七百七十七のアクセス数を達成ってすごい!同じ時期にブログはじめたのにね。ぷみ23さんとは長いお付き合いです。ほとんど最初から。私の友人、ブログのお師匠さんを通してですよね。残念ながらお師匠さん、本職が忙しくなって休んでいますけど。さて、プレゼント。沢山頂いてしまいました。とてもきれいでかわいいミサンガと携帯ストラップ。そして、ランチョンマットとコースター。(私の好みにぴったり、だからびっくり)みんな手作り。ぷみさんはとても器用、ブログにバックや小物いろいろ写真載せています。「フリマ」もしていますね。ミサンガのこまかい丁寧な作り感激しましたよ。願いごとは沢山ありますのでさっそく。(お風呂に入るときも付けてていいのかしら)携帯ストラップはもうじき新しい携帯に替えるので、その時に。ランチョンマットとコースターはこんな風に。ランチョンマットがいい色出ていなくて(ごめんなさい)、もうすこししぶい薄茶なのです。薄茶のギンガムのところもセンスがいいです。はっきり写らなかったのですが縁は紺糸の縫い取り。手前のがミサンガとストラップのセット。ほんとにぷみさんありがとう!皆様に自慢してしまいましたよ。いま(19時)「桂花酒」を飲みながら写真を、これだとよくわかりますよね。
2005年11月08日
コメント(4)
1週間ぐらい前、昇った月の側に大きな赤い星が光っているのに気がつきました。10数年前にも月の側に火星がくっついたことがありましたね。もしかしたらこれも火星?と思っていましたら地球に接近しているとか、新聞にも出ていました。昨晩は雲間からいっときしか見えませんでしたが、今晩は雲ひとつ無くよく見えます。もう月のほうは(新月らしい、もしくは昇る時間が違うのかな?)無くて、青黒い空に赤い光がぴかぴかしてました。ほんとに大きくて神秘的というより怖い感じです。少しだけ眺めました。だって寒いんだもん。それより、ちょっとショック。街路灯の蛍光灯の光が二重に見えるではありませんか。これって本の読みすぎ?
2005年11月01日
コメント(10)
玄関のドアをあけると花束が差し出された。「まあうれしい!」「いいおうちですねぇ」「どうぞおあがりください、二階がリビングルームですの」「おお、広いですね。眺めがいいですなー」「まあまあ、それほどでもございません、お座りくださいませ」「お招きにいただき恐縮です」朝から掃除片付けし、午後は午後でお料理の仕込みを大車輪で整え、夕方迎えたゴルフ帰りの夫の友人たち。苦労のご褒美は冒頭の如く進行して欲しかった。事実はまったく違う。クラブハウスですこしきこしめしてきたらしく、どかどかどか。「奥さん、すみませんねぇー」ばかり。乾杯ののち、楽しんでいただこうとて「温湯野菜と生野菜とアジの酢漬けサラダ」「えびいもと手作り蒟蒻といかのすりみの煮物」「新鮮な刺身盛り合わせにスダチ」「キスのフライ」「小エビと玉ねぎのかき揚げ」をお出しし、最後に「栗おこわとアサリの味噌汁」しかし四方山話の合間に(文化的な話は一切なかった)「奥さん、何もしなくていいから」をはさむ。(もう!ちゃんと作ってあるんだから、おいしいですねぇぐらい言ってよ!)みんないい人たちなのである。わからないのかなー、主婦にちょっと気を使うというのは、気の利いた手土産と誉め言葉だということを。だから日本の奥様方がご主人のお客様を敬遠するのだねぇ。昨夜の夫の友人たちもそこをびくついていたような。やはりちょっと前の男性は仕方ないのかしらん。
2005年10月31日
コメント(12)
秋晴れの一日、西日が暑いくらいにさしている。ちょっと遅くなってしまったが、干していたふとんをとりこむ。赤とんぼがふとんに止まっているではないか、ここは四階なのに。とりこんだふとんがこうばしい。アキアカネ ふとんにやすむ ひのにほいなどとひねってしまうほど心和んだ一瞬。
2005年10月13日
コメント(4)
やはりあらそえないもので風が秋だ。昨日はいつもより早めだけれど先祖の墓参りに行ってきた。品川のお寺ばかり集まっている場所にお墓はある。その駅近くなるとお線香の香りが電車の中まで漂ってくる。じつは去年墓石を新しくした。百年以上経って雨風、戦災をくぐりぬけているのだものぼろになっていた。96歳になる姑がGOサインを出したのだ。どうなる事かと思ったが無事一年過ぎた。きれいになったお墓は掃除をしていても気持ちがいい。でもお墓にいると嫌でも一族のことを考える。何処の家だってそうだろう。すんなり歴史は過ぎてくれない。次男の夫が一家の中心というのはやりにくい事も多い。私は流行っているように別になりたいなんて思うこともあったが、今は成り行きに任せている。お寺の門の際に見事なノボタンの木があった。その濃き紫が目に沁みた。
2005年09月21日
コメント(7)
これなら私も答えられる「バトン」。かよさんからいただいてきた。※物心ついてから現在まで、一番良く飲んだと思う飲み物もちろん緑茶。うんと子供の頃は湯冷まし。生水は飲ませてもらえなかった。だから、ペットボトルの美味しい水を今は飲むが、なんだか悪いことしている気になるから不思議。※今飲んでいるものやはり緑茶が多い。夏でも熱いのをいれる。朝はコーヒーを濃くして牛乳コーヒー。合間は自分で作った麦茶。ディナーのお酒はビール(135ml缶)で始まり、「赤、白ワイン、焼酎の水割り、ウイスキーのサワー割り、冷酒」のどれかをほどほどに。白ワインが大好きなのだけれど、一本を空けなければならないので二人では飲みすぎる。ために最近は飲む機会が減った。※完飲せず、途中で投げ出した飲み物缶ジュースのオレンジとか桃とかのもの。350ml飲めやしない。※マフィアのおっさんに「死ぬ前に5つ選びな」となぜか日本語で言われて最後に選ぶ、飲み物5つ1.極上の冷えたシャンパン2.気に入り銘柄の新茶(さつきならば)3.辛口の白ワイン4.バーボンのロック(ロックにしないものだけどなぜか…)5.挽きたてのコーヒーを濃くいれ、デミタスカップでコーヒーは凝ったこともあったが、紅茶はおいしいケーキを買ったからとていれるのみで研究不足の感。思い出の飲み物はOL時代の「ファンタグレープ」この世にこんな美味しい飲み物があったのかと病みつきになった。1960年初頭、流行りはじめであったし、自販機で購入が珍しかったのだと思う。「コーラ」も、しかり。今?粉ジュースやプラッシーは妹弟が好きだったけど、私は関心がなかった。カルピスはなぜか苦手だった。
2005年08月11日
コメント(10)
遠花火という言葉がある。木の間隠れに見えたり、ビルの陰から見えたりして音も大きくない花火。なんだかぼやぼやして間が抜けている。そんな経験は時々ある。ところがなんと昨夜は海上花火を砂浜に座って観てしまった。文字どうり45分間鑑賞したのだ。海風は心地よく、音が身体に響くように大きい。すぐ目の前の海に船を浮かべて間近に打ち上げているのである。もちろんこんな近くで見るのは生まれて初めて。はしゃいで、てくてく歩いて、レジャーシートを抱えて出掛けた甲斐があった。降るような色とりどりの光のしずくに感激してしまった。虹色のの火のつぶつぶ。爆発音のすさまじさ。合間の思い出したような波の音。時々の歓声。砂まじりの風。ビールと香ばしい匂。海風に飛ばされるのか火薬の臭いはしなかった。煙も飛ばされて少ない。絶好の海上花火日和というのだろう。花見見物のようにごちそうと飲み物持参組みも多かったし、家族総出も多かった。がほどよい人出でもあり私たちには贅沢だった。かえってこんなにすいていて温泉観光協会は大丈夫かしら、と思ったのだがそんなことは無粋かもしれまい。ふたりで「一生分の花火見物だったね」と満足した。
2005年08月04日
コメント(4)
早くも台風が来るらしい、雨の中を東京に帰ってきた。風が、雨が強くなってきた。(14:15)今朝キュウリをもぎに行ったら、トマトやキュウリの支柱が傾いてしまっていたが、直さずに来てしまったのが気にかかる。夏休みとて孫たちが遊びにきているのは嬉しいが、やや普段の生活がみだれ、読書どころでないのがこころならず。5才と2才。2才のが甘ったれで今一番始末が悪い。ママがいないといっては泣く。ねねにいじめられたといっては泣く。眠くなってはきげんが悪い。おなかすいたらきげん悪い。暗いからこわい。虫に刺されたからいたい。ほとほとうるさい。こんなだったかなー、そんなだったかなーである。しばしの東京、われらの一休みである。これで本が読めなくちゃーである。そうそう、先日の地震では棚から物は落ちていなかったのでほっとした。
2005年07月26日
コメント(11)
聴いたようなフレーズである。今日は七夕。たとえば幼稚園児の子供、小学低学年の子がいるお家は、笹など手に入れお飾りを付け、短冊に願いを書いて盛り上がっているね。商店街の豪勢な七夕飾りを見に行っている人もいるよね。もう、そんなこともないシニア家庭でも七夕祭りは郷愁のとばりとともに訪れる。では、幻の短冊を結びつけよう。「いつまでも健康でありますように」(とにかく健康を願う!当たり前だ。生物の宿命、細胞の衰えは確実。一病息災というけれど、頑張っても天運ということだ。)「脳細胞の数を減らしたまうな」(本好きゆえ、自信を持っているはずなのに、ああ、読了したとたんに忘れることよ!)「こころをかよわし給え」(この年になれば、人の心も読み取れる。なのに他人のこころが定まらないのだ。私の心の方か…?)「このささやかな平和がつづきますように」「困難な問題を抱えている世界の人々が、一歩でも前進しますように」「今年の私の菜園が豊作でありますように」(よく出来てきて、感謝している)「阪神が優勝しますように」(トラキチのパートナーのために)はい、7つの願い。欲張りすぎかな?
2005年07月07日
コメント(8)
全264件 (264件中 101-150件目)