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文学と私・戦後と私10刷改版 夏目漱石を読破したら江藤淳の『夏目漱石』を読もう、と思っていた。でも取り付き難かったら厭きるよな~と逡巡中、あ、ちょうどエッセイ撰集の文庫版が復刊、飛びついたわけ。 暮れの忙しい中とお正月ののんびりの内で読了、いい時読んだと思う。よく珠玉のエッセイ集という言い方があるけれど、これがそう。 ブログという拙いものを書くにあたって、こんなに参考になったエッセイは初めてで、気分もあらた、力も湧いてきた。 わたしはワセダマン派だからケイオーボーイふんぷんの文章はちょっと気にさわったが、本筋には関係ない。 わたしの姑は「落ちぶれた」と何かにつけて慨嘆する。「過ぎた事はしょうがないじゃないの」とそれがすごく嫌だったが、江藤淳の文章を読んでなるほどなーと理解できてきた。 「戦後の悲哀と喪失感」はわたしたち世代「何もなかったがあたりまえ」にはわからないこと。 たとえばカステラの話が出てくるが、それがすっかり無くなった時の悲しみは、戦後カステラが出回って食べた時「こんなおいしいものがこの世にあったんだ!」と思った世代には共有できないことだ。 むしろ「知っていたんだよ」と言われると悔しくなってしまうほどおいしかったのである。思い焦がれて、やっと食べられるようになって感激した世代とのずれである。 飼い犬のことについてのエッセイもわたしの感覚をたわめてくれた。(長くなるからまたの機会があったら書こう)また、もちろん文学、夏目漱石、生活等々心地よい文章であった。 気鋭の文芸批評家として、昭和の文壇に颯爽と登場した著者は、その膨大な執筆活動のなかで「随筆を書く喜びにまさるものはない」と述べた、稀代のエッセイストでもあった。自身の文学への目覚め、戦後の悲哀と喪失感。海外生活について、夜の紅茶が与える安息、そして飼い犬への溺愛-。個人の感情を語ることが文学であるという信念と、その人生が率直に綴られた、名文光る随筆集。(「BOOK」データベースより)
2008年01月04日
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12月も終わりだというのに、ことしはやっと銀杏が黄葉して散っている。さすが陽に映えるさまは美しいけれど、落ち葉のかさこそ鳴るはもの悲しい。『黄落』の書き出しの「こんにちでは六十五歳以上を老人というから、わたしはまだ老人の部類ではないが、還暦を間近にしてちかごろ、駅の階段で時折つまずく。」という主人公が「老親老後」をおくるもの悲しさは身にしみる。私小説かとまごうフィクションは、高齢社会突入現代の普遍性が散りばめられている。主人公といっしょに「どうしたらいいんだろう」と途方に暮れる。30年くらい前有吉佐和子の『恍惚の人』がベストセラーになった時は、わたしも若いゆえ遠いことのように思っていられた。介護保険が充実していろいろなサービスを受けられるようになっても、この『黄落』で持ち上がるような当惑や苦労が減るわけではない。黄落 佐江衆一(新潮文庫)
2007年12月18日
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こういう本を読むと「わたし、学問をしなかったんだなー」っていう気持ちになる。同じ文学を読んでも考えること違う、深い。とうぜんでしょ、一流の社会学者(フェミニズムでも)だもの上野千鶴子先生(笑)文学も言葉表現だけのものではなく、時代と背景の産物、しかもおもしろければ多くの人に読まれる。りっぱな歴史、民族の資料である。これを社会学の読み解きにしない手はない。「社会学」は簡単なことをわかりにくくいう学問と思われている(あとがき)だって。わかった振りするわけじゃないけど、なるほど、文学もここまで読み取れれば元を取れる。(なにいってんだか)文庫本になってる、買っておこうかな。上野千鶴子が文学を社会学する
2007年12月11日
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『オリエント急行殺人事件』『風とともに去りぬ』『ジェーン・エア』『嵐が丘』『赤毛のアン』『悲しみよこんにちわ』『たけくらべ』『ピーターラビット』『第二の性』『みだれ髪』『若草物語』『アンネの日記』『大草原の小さな家』この書名を見たら誰でも読んでいる名作と思う。作家名わかるかな。超有名な漫画家でもある池田理代子は、この女性作家たちの「自分を生きた」様子を、時には自分になぞらえてたどっている。平明な文章が心地よい。あとがきなどでおぼろげに知っているけれど、きちんと伝記などは読んではいないわたしは、彼女らの作品の後ろの人生が興深い。例えばマーガレット・ミッチェル。自動車事故で若死にをしてしまったことだけは知っていたけれど、最初の夫がレット・アップショーという男で、小説のレットと似て放蕩者、なにやら怪しげな商売、才気煥発、性的魅力満載のひとだったなんて。離婚すると今度はアシュレ的落ち着いた友情篤い男と再婚し、その励ましのもと名作『風とともに去りぬ』を一冊のみ書き上げ、ベストセラー作家となった。自動車事故も49歳だった。
2007年12月09日
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「この人なら自分のことが分かってもらえる」と作家に「心の迷路の物語」をするナイトメアと呼ばれている女性が主人公、が、だんだん作家自身と渾然一体になっているような物語。「ナイトメア」は声に悩まされている。罵りの言葉に。「ナイトメア」は母に愛されていない。兄を溺愛する母に。「ナイトメア」は女であることを思い知らされる。感受性が強いから。母の誇りの兄(男)のようになりたくて、能力を発揮し努力をして手に入れたものを母は喜ばない。母に認められないことの悲しみと怒りが噴き出してくる「ナイトメア」罵りの声が聴こえるのは「ナイトメア」の心の声。女は女の子を産むと自分の雛形コピーと思っていないか、という深い洞察。知らず知らず同質を強要しているかもしれない。それを知ってしまった母娘は仲良くはなれない。というところにわたしは思い当たるのでものもあるので、暗澹たる気持ちになった一書。
2007年12月05日
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いろいろな読み方が出来る一冊だった。作家「森茉莉」の評伝と思いきや、作家「笙野頼子」の日常、文学案内、文学論、はたまた猫論、猫の飼い方。作中に「病的な猫嫌い」って言葉がよく出てくるけれど気になった。「病的な猫好き」ってこともあるんじゃないかと不遜なことを(ブログでは禁句ではないかしら)思ってしまう。わたしには犬や猫にはまっていってしまう過程がよくわからないのだ。笙野頼子氏も始めは猫がだめだったらしい。それが大変な苦労をして(後悔もするらしいが)猫のために一軒家まで購入してしまう顛末も書かれている。「森茉莉」の小説や人柄について書いている文の地のストーリーでもあるのだが、涙ぐましい苦労が壮絶で、そこまでして猫好きになるのはどういうことかと不思議に思う。といっても説明してもらってもどうってことないが…。念のため言うがわたしは「病的な猫嫌い」ではない。ただ、畑をトイレにされて困っていることは困っている!それはとにかく「森茉莉」の作品を読んでみなければ、という気にさせてくたことは間違いない。幽界森娘異聞 笙野頼子(講談社文庫)
2007年11月30日
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なんで読みたかったのか?(このごろそればっかり言ってるね)でも図書館で目にとまったのでそっこうで読んだ。松浦理英子の本は少々読んでいるが、笙野頼子はとんと知らなかったものだから、始めは何がなんだか要領を得ない会話だった。笙野頼子って何じゃぃ、これじゃ松浦理英子をいじめてないか!ってな具合。びしばし質問する笙野のいじわるっぽいのに、おっとりと真面目に応えている松浦さんの可愛い顔(ほら、本のプロフィールにあったものだから)が浮かんではらはら。しかし、目次1.なにもしていない馬鹿女(ナチュラル・ウーマン)の修業時代2.物言う太鼓(トーキング・ドラム)のようにを読み進めるうちにお二人の特徴とかもす雰囲気が好もしくなってくる。作家松浦理英子と笙野頼子の会話形式の『交友の一例』で、そう松浦理英子は名題したかったそうだが、なんとまあ『おカルトお毒味定食』とは(笑)九十年代文学シーンをぬりかえたダブル・スーパー作家が、不遇時代や日々の生活、創作の秘密、フェミニズム観などすべてを本音で語りあいながら、つまらぬ世間をけちらして、読む者をふるいたたせるラディカルにして繊細な対話。(BOOK紹介文)さらに3.ペシミズムと快楽と4.そして長電話は続くと続くうちにすっかり笙野頼子に興味を持ってしまったわたし。だって打てば響くようなおもしろい会話でイニシアチブは笙野さん、どんどん「女性教カルトチック」(わたしが勝手につけた)と思える方向に進んでいくではないか。笙野さんの「はきはき」さがいいよねぇ。一度、食べたらやめられない。ダブル・スーパー作家の乱れ撃ちジャンキー・トーク。(なんて紹介文も)この語り合いで攻撃的な、さかんにご自分が野獣的だと言ってる笙野さんのお顔、興味津々ネットでさがしました。ありました。むむむ。ともかくもすっかり笙野頼子にまいり、手に入った『幽界森娘異聞』を読み始めているわたし。笙野頼子、芥川賞(1994年)作家でもある。まだまだ知らない(好きになるかも)作家がわたしにはある。この本は絶版とのこと。
2007年11月20日
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ばぐらさんの『鯉浄土』の感想がきっかけで、思い出した読みたかった作家。思い出したはいいけど何で読みたかったのかは忘れた。メモにはあと『蕨野行』(豊崎さんお薦め)『龍秘御天歌』(読子さん感想)が記してあり、芥川賞受賞作品の『鍋の中』も加えてあった。読めばわかるかと思ったが、何で、というところは相変わらずはっきりせず、しかし久しぶりで純文学を味わったので良いかな。「からだ」「庭の鶯」「薔薇体操」「力姫」「科学の犬」「残害」「鯉浄土」「二十五年の妹」「惨惨たる身体」の9短編集。短編の語り手がすぺて年配の女性の「私」という特徴がある、のは珍しい。「である」調ばかりではなく「です、ます」調もあり、おやと思う。端整な文章で、現実味があるのに、するりと幻想の世界に入っていく不思議、ファンタジーのにおいがうるさくなくうまい。「庭の鶯」のぞわっとするところが好き。鯉浄土 村田喜代子(講談社)
2007年11月17日
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わたしは人生相談するたちじゃないが、他人のを読むのはおもしろい。TVでもラジオでも「へーェ、こんなことで悩んでの?」とか「ばかだね、考えればわかるじゃん」と思ったりする。つまり無責任な野次馬根性。ブログなんかも恥やあほさ加減をさらしている部分もある。もちろん共鳴してくれたり、情報を喜んでくれたりもするいい面もあるけれど。この松浦理英子の『おぼれる人生相談』も、最初もっとユニークな答えだったらいいのにと、期待はずれかなと思った。平凡な答えのように見えるその悩み解決法に、なんといいますか人生意気に感じる、人生におぼれるような気にさせてくれるものがかもされていて、参考になってしまったのである。ご自身は「あたりまえの回答よりも、」読んで一番面白かった「深沢七郎式に無茶苦茶にやれば」と思ったけれど、人生経験が深沢七郎ほどないので(お作品からはそうは思えないが)「正攻法でいくことにした。」と書いていらっしゃるが、どうしてどうしてわたしは読み進むうちにほのぼのといい気持ちになった。愛する人が有名なミュージシャンで手が届かない、思いを断ち切るにはという相談には、「個人的には会うことすらできないミュージシャンやアーティストに入れ揚げるのが不毛なことだとは、わたしは必ずしも思いません」「愛し続けて一生独身を通すのも、」身近な男性とつき合ったり結婚しても「やっぱりわたしが生涯で一番愛したのは、口もきいたことのないミュージシャンの彼だった」「と感じるのも、一つの人生」「ともかくも真剣に好きな人がいる今の状況を楽しもう」と悩んでいないで発想を変えるのはどうか。なんてのもわたしには応用が出来るし、「自分に出きることとできないこと、やりたくないことをはっきり見極めて、できることややりたくないことをしなかった時には反省するとしても、できないことややりたくないことをやるのに失敗した時には悩まない、後悔しない、と決めておいてもいいのではないでしょうか」ある回答のこれも平凡なようでいて、普遍真理。そうしてとどめは「友達とは季節に咲く花です」という深沢七郎の言葉を引用しているところ。おおいに参考になった本。ということはわたしも悩んでいたんだ、か。
2007年11月14日
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『負け犬の遠吠え』その後日談。『「純正」負け犬が何を考え、どんな生活をしているのか来るべき未婚化社会の先行指標として…その内情をお伝えしていこうと思います。』ということだから期待しながら読んだのだが、キラキラした部分はもうない。総論の次の各論とことわりがあるとはいえ、途中から退屈してきたのもほんと。といいながらもあっという間に読了(笑)おもしろかったのだろ。週刊雑誌のコラムだったから、流行語大賞になった「負け犬」というその話題が沸騰して、余韻があるうちはよかったと思う。結局、もうそんな風な独身は珍しくなくなったと言うありがたい(?)社会情勢になったのかもしれない。だから『30代以上・未婚・子ナシは「女の負け犬」』さんたち「その人、独身?」なんて結婚に気を廻さず、安心して人生を謳歌してくれい!けれど、行く着く先は「おひとりさまの老後」、結婚してても女性は「おひとりさまの老後」が断然多い。同じである。その人、独身? 酒井順子(講談社)
2007年11月09日
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わたしたちが習った最初の英語の教科書って不自然な英会話だったんだ、どうりで英語好かんかったんだね~、と妙に納得してしまった「永遠のジャック&ベティ」と題する短編。"This is a pen"はいいとしても、"I am a boy" "I am a girl"に続く会話は変だった。でも、ハナコサン、タローサンじゃない会話の主人公たちの名前は新鮮だったのだ。いつごろまで「ジャック&ベティ」だったのかしらん。とにかくこの文庫本の表紙にもある挿絵は懐かしい。アメリカの豊かな生活がどどーっと入ってきた感じだった。そう、英語はアメリカ語だった時代。清水 義範、描く50年後の中年「ジャック&ベティ」の会話が泣ける。夢の未来図、アメリカのような豊かな生活にいつか成ると惑わされた年代の、予想だにしなかったやってきた道は、いいのか、わるいのか?!笑えて、ほろ苦い思いの短編集だった。「ワープロ爺さん」…ワープロ登場時代の悲喜劇「冴子」…舅の日記「インパクトの瞬間」…TVコマーシャルによって学ぶ、ものの見方「四畳半調理の拘泥」…下張りよりおいしい?「ナサニエルとフローレッタ」…洋画のパンフレットのパロディ「大江戸花見侍」…時代劇パロディ(時代劇のみそ)「栄光の一日」…突然、脚光を浴びたおじいさんの天と地永遠のジャック&ベティ 清水 義範(講談社文庫)
2007年11月05日
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半島を出よ(上)半島を出よ(下)1000ページを超える文庫本上下、ハードカバーでも上下巻の厚い本であったから、読み疲れた。緻密な文章だし、内容が濃いし、複雑な構成だから当然なんだけど。2011年の未来、北朝鮮の特殊戦部隊員の数名が福岡を占拠、テロリストに乗っ取られても日本政府はいつものパターン、後手後手の対応にがゆいったらない!いくらほんとのことに近いって言ったって、こんな無様な日本だったか、日本の役人、いや日本人が危機管理にいかに甘いか、お気楽なのか。愛国心めらめらと読み始めはそう思った。が、ストーリーの運びの視点が日本人だったり、北朝鮮人だったりくるくると変わって、だんだん高揚してくる。つまりこの物語を北朝鮮のコマンド、政府の役人、ホームレスの少年たち、福岡市役所役人、新聞記者、テレビのキャスター、等々の側から見ることになり、なんとも不思議な臨場感。ああ、北朝鮮のひとたちはこんな気持ちだったのね、とか、社会に溶け込めない少年達はこんな事を秘めていたのか、とか。可哀想になったり、怒ったり複雑な気分。膨大な登場人物が織り成す、辛口の批判精神ばりばりの、リアルを通り越した叙事詩。フィクションであってほしい物語。でも、よく出来ている。おもしろかった。ちょっと嫌だった。読み終わって、ぼーっとしてしまったのだった。そのわけはやっぱり愛国心。
2007年11月02日
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噂 荻原浩(新潮文庫)何かと話題になっている作家「荻原浩」を初読み。ばぐらさんのブログで『噂』を取り上げてあって、ミステリで面白いらしいと察知したので。ミステリにはうるさいばあチャル、かなりな満足で読み終わった事はたしか。キャラクターが光っている中年刑事と若き女性警察官とのコンビは、この本が書かれた時点では先鞭があったと思う。(例えば乃南アサ「凍える牙」逢坂剛「百舌の叫ぶ夜」翻訳物にもあったかも)だけど、ありえない設定ではなくごくごく自然に感じる描写がいい。こんな場面も実際警察署であるだろうと思わされる。犯人探しでは途中でわかってしまうけど、渋谷界隈の若者の生態がいろいろと、今では後追いになったけど面白い。また、「口コミ」の意図的流布、セールスプロモーションの詳細、怖くなるけど本当なのだとうなずいてしまう。そして話題のどんでんがえし、うーむ、そこまでするのかと暗然。またおひとり、読める作家を見つけてしまったよ。
2007年10月24日
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『死の棘』で有名な島尾文学の解明につながる短編集、最近復刊されたもの。海の特攻隊として死を覚悟させられ、終戦にてまぬがれしも心の傷は癒えず、それが過去にあるために本人と家族におよぼす深い傷。解説に「正確で抽象的な作品」とあるように、文学的なあまりにも文学的な作品集。短編ではあるが、島尾敏雄が昇華させた主題が年代を追って、作品の執筆順に深まっている。緊張を強いられた現実と、心因性の深層心理が弾ければどうなるか、という文学での追求は「文学的なあまりにも文学的な」と書いたが、現代に引き比べられ、悩ましい普遍が織り込まれている。初版の解説(森川達也)に引き続き、芥川賞受賞の堀江敏幸の解説が追加されているが、それもなかなかよい。そういうことだったのかとすっきりさせてくれる。すっきりしたとて重いのだけれど、惹きつけられるのはおこがましくも堀江氏同様。出発は遂に訪れず 島尾敏雄(新潮文庫)
2007年10月22日
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ポプラの秋 をさくっと読んだ。疲れ休め(ややこしい読書の後)にはもってこいの作者の資質。こういう癒し系の効用というところ。ロバート・A・ハイラインの『夏の扉』しかり、スザンナ・タマーロ『心のおもむくままに』もそう。ポプラの木を見に行きたくなった。
2007年10月13日
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玉枝は、深川の料亭「江戸屋」の女将である三代目秀弥の一人娘。周囲の人々の温かく、時に厳しい目に見守られながら、老舗の女将としての器量を学びつつ一人前に成長していく。山本作品にたびたび登場する四代目秀弥の少女時代にさかのぼり、母から娘へと受け継がれる江戸の女の心意気を描く、波乱万丈の物語。(カバーより) 時代物一辺倒の夫が感想を聞きたい、というので大至急読みました。はい、凛として筋が通っていて好きですよ、こういうの。ちょっと妬けますがね。だって美人で、能力があって、器であるのですもの、ヒロインが。しかし、なかなかのいい文章で、時代がよくわかります。作者のお人柄でしょうか、周五郎でもない、周平でもない、琴線に触れるものはたしかにありますね。ヒロイン秀弥は踊りのおっしゃん(お師匠さん)にこう教えられます。「つらいときは、好きなだけ泣きなはれ、足るだけ泣いてもよろし。そやけど、自分が可哀想やいうて、あわれむことだけはあきまへんえ。それは毒や。つろうて泣くのと、あわれむのとは違いますよってな」ちょと宮尾登美子の作品がしのばれますね。わたしだけかしら。
2007年09月17日
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サラ・ウォーターズの『荊の城』を読んだら『オリバー・ツイスト』も読みたくなる。なぜなら姉弟のような関係といおうか、イギリスの文豪ディケンズの作品をイギリスの現代の女流作家が魔術的な筆致で追っているといおうか。しかも『荊の城』の冒頭の雰囲気が『オリバー・ツイスト』を読まなければわからない。かくて、相乗効果にておもしろさがいや増したのである。何が?ってそりゃ、ビル・サイクス(『オリバー・ツイスト』)=リチャード・リヴァース(『荊の城』)の比較と、19世紀イギリスの貧民街的な雰囲気、ものすごさ、すさまじさの描写の巧み。もちろん似て非なる作品たちではあるのだが。もうひとつ。ディケンズ描く『オリバー・ツイスト』に登場する救貧院関係の仕事をする教区吏のバンブル氏の行状、ああ、この日本の現代にも登場する小役人の新聞種と同じ(ねこばば)、尽きる事はありませぬなー。やはりディケンズはすごい。ディケンズはまめに『クリスマス・カロル』『二都物語』『デイヴィッド・コパーフィールド』『大いなる遺産』と読んでいて、これだけが残っていたというのも偶然、わたしにとってはことさら印象深くよかった。
2007年09月14日
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第一章 文明開化の新しい人間像『虞美人草』…近代女性の原型『それから』…自我確立の道しるべ『門』…罪、愛、孤独の世界第二章 漱石の女性たち『坊ちゃん』…皮相な文明開化への風刺『三四郎』…さまよえる愛のゆくえ『彼岸過迄』…成就しない愛の深淵第三章 より深い人間への視線『行人』すれ違う愛の悲しみ『こころ』…死と罪の意識を超えて『道草』…人間の連帯と調和へ『明暗』…エゴイストたちの群れ第四章 愛の真実と可能性を求めてこうして目次を眺めてみると、それぞれの小説のストーリが浮かんでくるので、うまくまとめるもんだなーと感心する。漱石の女性観、人間観がわかりやすく解説されおり、作品を読んだばかりのわたしには好材料。漱石は三角関係ドラマがお得意とか、嵐の場面に何か起こることに法則があるという。『恋愛小説とは大別すれば、初恋小説か、不倫(姦通)小説である。いずれも当事者たちの精神の緊張状態が文学たり得るからである。』(P188)と評論者はいう。漱石の場合は初恋物語も三角関係であると。だからわたしは『こころ』の先生の自殺理由が疑問だったけれど、三角関係の罪の意識を考えに考えて、考え疲れたのではないか。先生ではなくて漱石が、そんな時ふっと死なせたくなったのかもしれない。作品では自殺させたけれども漱石は生き延びて、一歩進んだ人間像(三角関係はあるけれど)を模索追求してくれる、とこの評論者はいう。なるほど。話は違うけど、今、東京は嵐(台風9号)の余波、でも漱石の小説みたいにはならず、何ごとも起こらない。畑が心配だけだよ(とほほ 笑)
2007年09月07日
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こどもの時読んでの強い印象は、家がない主人公が池のほとりの葦で作られた小屋で、工夫して暮らすシーン。木の葉をお皿に池で釣った魚や野草のスープや鳥の卵で料理するところが、まるでままごとのような。鍋やスプーンを缶詰のブリキカンで作ったり、靴を創ったりするところも興味を引いた。原作を読んで=シンデレラストーリー+『小公子』+教養小説+財産をめぐるミステリもどき+過酷な労働者問題+女性の自立+能力技能重視+人種差別問題+理想社会願望+自己確立+大人になる=リアリズムファンタジー(?)と、なんと盛りだくさんの感動もの!しかし、主人公の血筋ともいえる強い意志が、同じ気質の祖父と邂逅するまでの山あり谷ありのていねいな語り口は好感を持つ。ただしこの岩波文庫の翻訳時はなんと私の生まれた年(1941年)のもの、旧仮名遣い、旧漢字が多く読みづらいかもしれない。大人向きには需要がすくないのかもしれない。これでわたしのこどものころ夢中になって忘れられない本を、大人になってちゃんと読んでみる、はほとんど終わり。それは『紅はこべ』『小公女』『小公子』『宝島』『ロビンソン・クルーソー』『二都物語』『ハイジ』『若草物語』などなど。『赤毛のアン』『秘密の花園』はもう愛読書なのでなんどもなんども、だから入れない。
2007年09月03日
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帯に「村上春樹の『海辺のカフカ』カフカ少年も読んだ名作!」とあるからそんな場面があったんだろうか、忘れたがなるほど相通じるものがある。最近読んだ桐野夏生の『メタボラ』をも思い起こさせる不思議な作品だ。といって当然こちらが先。あるものからのがれる逃避行の物語。逃げるってちょっと魅力的。だけど「坊ちゃん」がぽっと世の中に家出すれば、だまされてとんでもないところに連れて行かれる。連れて行かれたところが銅銀山の飯場。坑道に案内されて地獄を見、抗夫仲間にばかにされ、粗悪な食事がのども通らず、寝れば虫に悩まされる。しかし、そこは教養のある「坊ちゃん」人生が見えてくるからよしよし、というかなあんだ。いやいや、この筆の冴え。道理がわかってくる道順が漱石的でただごとではない。やはり一読二読の価値あり。
2007年09月02日
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作風が変わったのかな、と読み始め、しかし一気に読了のおもしろさ。おもしろさ?麻薬の中毒ににているかも。毒されながらもやめられないという。第一章の「ワシントンDC」なじみ(主人公たち)のゆくえが興深く、活劇のスピードを読み終わると、第二章「フィレンツェ」実際フィレンツェに観光で行ってるものだから、なんとも魅力的な章。ヴェッキオ宮殿!思い出した、思い出したドゥオーモ、ウッフィーツィ美術館、そしてアルノ川。しばし自分の追憶に浸ってしまう。トマス・ハリスのうまい作家技。それだけでなく描かれているのは、悪業を追う女性捜査官に降りかかる同職たちの出世、野心、エゴの波。正義に立ちはだかる不条理も味わってしまう、共鳴をよぶ。もちろんストーリーの展開にもあっと驚いた。だんだん気持ち悪くなってくる描写もあるにはあるが、そこはそれ麻薬的の魅力があるんだね。ちょっと恐い。続く『ハンニバル・ライジング』は評判よくないようだけれど、『レッド・ドラゴン』『羊たちの沈黙』『ハンニバル』と各独立の一書と思えば興味わく。
2007年08月21日
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映画『羊たちの沈黙』のジョディ・フォスターとアンソニー・ホプキンズの印象が強くて、本に入り込めるかどうかなーと思いつつ読み始めた。途中からそんな危惧はぶっとんだ。きびきびしたテンポの早い章立てで、サイコ・スリラー、ハード・サスペンスを味わわせてくれた。暑い夏にぴったりの背筋も凍る読み物。猟奇殺人の犯人を追うスターリングFBI女性捜査官が、元精神科医の殺人鬼に示唆されての活躍。悪業を追う正義とはなんぞや、息もつかせぬ展開はなんだか日常生活が幻のごとく…。続けて『ハンニバル』も読み、この前編ともいえる『レッド・ドラゴン』も読んで思うのだが、この一冊には独立した意味がある傑作だ。
2007年08月21日
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木々高太郎の『折蘆』を読もうとして、巻頭に『ローマ帽子の謎』 ネタばれがあると注意喚起してあり、未読だったのでこういうことになるといじましいわたしは、すわ!と読んだのである。親子で探偵。父、ニューヨーク市警察刑事係長。息子推理小説家。ローマというからイタリアかなと思いきや、ニューヨークはブロードウエイ、ローマ劇場、満員観衆の中で起こった殺人事件。有名なエラリー・クイーンだし、処女作だし、キャラクターもくっきりしているのだけれど、まあまあの作品と思ってしまう。シャーロック・ホームズがおもしろいと言っていた頃に読んだら、もう少し感激していたのではないか。ミステリーの読み過ぎなり。いじましい=けちくさい何にけちしたのか、古典だし、ま、いいか。
2007年08月18日
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『可愛いエミリー』と『エミリーはのぼる』とのエミリーブック三部作の完結編。モンゴメリの作品をほとんど訳した村岡花子最後の翻訳書と解説にて知る。このエミリーブック三部作を読み終わって思いがけなく味わってしまったことは、野心と執念。「アン」シリーズのほのぼのとしたところからは想像出来ない。書くことに憑かれたひとが苦闘といえるまでに書きつくしているさまに驚嘆した。また出版社に送って評価されるまでの執念がなんてすごいんだろう。そのエネルギーは幼くして孤児となったモンゴメリの自活したいという思いからだろうと察するが。もちろんこの三部作はモンゴメリのモンゴメリたるロマンチックな物語が展開している。でも自伝要素の部分にあまりに強いものがあるので、ロマンスをぶち壊しているとまでいいたくないが、それなら「アン」式ロマンチックな部分がなかったほうがよかったような。しかし、「アン」の作者を知り、カナダの小さな島の女性が自立を目指し苦闘する姿は、いつの時代の女性も大変なことと伝える、と同時に勇気をも与えると思うけど。
2007年08月17日
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日本人でもこんなハードでビターなそして、センスのいい雰囲気をかもせる作家がいた。私はこんな乾いたシンプルな文章も好きだ。ゆくりなくもハードボイルド風味をおいしく味わった。江戸川乱歩賞で直木賞。絶対話題になったはずなのに知らなかった…。そりゃわたしの不勉強だわさ。ストーリーもシンプルかつスピーディー。おもしろい。主人公は全共闘時代の爆弾疑惑事件ですねに傷持つ身、しがないバーテンのアル中。ある朝公園で飲酒中にそれこそ爆弾テロに遭遇、やばいと逃げだしたのだが。ことがことだけに安閑としている場合じゃないのに、入り込める展開。フィクションなのにリアル、会話の多い文体、それがしゃれているのだ。軽いユーモア、不思議なことに含蓄がある言葉。もう終盤に近いところのこの言葉「私たちは世代で生きたんじゃない。個人で生きたんだ。」うおおお、かっこいい!これはもうわたしの座右の銘にしたい。
2007年08月16日
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近々結婚式を控えているのに事故で記憶喪失。記憶を取り戻す記憶の旅にでるのだけれど、階段を下がるように、記憶のひだがめくれていって…。あたかも時間旅行のようになって行きつ戻りつ。そこにサスペンスがあります。ひとむかし前の「結婚に揺れる」女性の心理。だって今じゃ、揺れる前に止めてるもの。だからいまどきのひとにはわかりませんって。でも、一気に読んじゃいました。乃南アサ、うまいんです。
2007年08月15日
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夏休みの課題図書をこなしたみたいな気分になった。読んでいなかったのが恥ずかしい一冊。『遠野物語』「この書を外国に在る人びとに呈す」という有名な巻頭の言葉。「ガツン」とやられた。知っているようで知らない、私たち遺伝子の底にあるルーツ。懐かしくも、素朴な辿ってきた道。「ザシキワラシ」が背後から覗いているのではないかと思われた。『女の咲顔(えがお)』『涕泣史談』「笑いと泣き」字句の解釈と言葉の変遷。当時(1940年頃)でさえ少なくなってきたと言うなら、現在は無いにも等しいのか。だから精神的に追い詰められたりするのか。『雪国の春』長い日本列島、季節はそれぞれに巡るのが当たり前、こよみが同じなのはおかしい話。そうだよね、ブログを読んでそう思う。『清光館哀史』なかなか情緒たっぷりな旅日記。今じゃ盆踊りは子どもと年寄りの遊びだけれど、昔は艶っぽかったんだよね。『木綿以前の事』『酒の飲みようの変遷』木綿がいつから着られるようになったのかだとか、酒の普及とかこんな身近なことをこつこつ述べる柳田先生、見習いたい。私のような者のブログにぴったりの話題なり。
2007年08月04日
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なるほどうつわなりに大きくも、小さくもなるという証拠みたいなエッセイだった。うらやましく思った時代先取りの感覚に、うつわのちがいをひしと感じる。「高ぶらず卑下もせず」と私も気取ってきたけれど、庶民の血筋はあらがいがたい。薩摩隼人の祖父、貴族の出自の本当はこういう方が「高ぶらず」というと本物なのだ。まず、ちいさい自分が恥ずかしくなった。伝法な言葉を駆使しているようで、お行儀が悪いと言っているそばから、的確な表現や上品さがすけてみえるからかなわない。『両性具有の美』を読んで力強い文章に魅せられた、その「白洲正子」という人たらしめた所以がわかってくる自伝のこの文章も端整だ。お能のことは知らないけれども、それの著書も多い著者の素養のなせるわざと思う。堪能。目利きの達人といわれた「白洲正子自身」への目利きがいいから、他作品も読みたくなって来る。
2007年05月05日
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衝撃的な「酒鬼薔薇事件」を下敷きに書かれた小説。事件を起した子の兄の視点から、その家族の悲しみ苦しみ悩む姿も描いている。そう、加害者にも被害者にも家族が居るのだ、ということを教えてくれる。この14歳兄の成長が好感度だ。力になってくれた新聞記者の言葉「大人になること。正しさの基準を外側にではなく、自分自身を中心に据えること。」押しつぶされそうな事実をも勇気を持って見つめられたらすばらしい。つらいだろうけどそれでも、若いということは…最後の文章にほっとする。「この幸せがあと永遠の半分は続くってことを。」ああ、「永遠」があった日々を思い出してしまった。いいなー、瑞々しいってのは。事実そのものは決して明るくないのだけれど、希望もあるではないかと言えるから。 [読書メモ]というカテゴリーを増やすこのごろ読んだ本の内容をすっかり忘れることが多くなった。しかも、1ヵ月も経っていないのに。だから、感想を書かないなら読書メモっていうのをしておこうと思っている。
2007年05月03日
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